■46 マラークの晩餐
「姫様。ご用があります」
アッペテンは礼を崩さず続けた。立前では礼儀をわきまえているが、薄気味悪い笑みを飾り付けて、気持ちが悪い。これは内に秘める喜びを隠しきれてない。そんな様子である。
「何をする気なの?」
ソティは怯み、あとずさる。この不気味な怪物がなにをいいだすか怖い。
「ワシが最高の、歴史に残る美食家となるため、新しいキンマの晩餐を致します!」
アッペテンは胸元から手を翻し、告げた。
「ば、晩餐の実現はもう無理よ! 私の家族はもういない!」
ソティは心を痛めながら、その悲しい事実を叫んだ。
「姫君」
アッペテンは異様に長い爪の指を左右に振って優雅に答える。
「新しい、です。マラークの晩餐ともいうべきでしょうか?」
「マラーク?」
「これはキーツ様がワシに託されたのですよ」
燃える崩れるアッペテン別荘。あのときだ。
縄で縛られていたアッペテンはその屋敷で、焼け死ぬはずであった。
しかしキンマの豆を無理矢理に食べさせられたアッペテンの肉体は【強化】という潜在能力が飛躍的に向上した。
黒いキンマの魔素が皮膚を、筋肉を、骨を、神経を、全ての器官を侵しながら、アッペテンの内部に侵食する。
意識がはっきりと覚醒した。
鋭い頭痛が走ったかと思うと、頭部から皮膚を突き破り、血と肉の脂に汚れた角が捻り出た。
水膨れを起こしていた皮膚がさらに膨れあがった。
痛みはなかった。
火の熱さもいつの間にか消えていた。
皮膚は分厚く、脂肪は弾力がありも、力強く。
アッペテンは己が変貌していっているのを意識した。
なにより、そのニオイを嗅いで、こう思ったのだ。
「ああ……なんと、香しいニオイよ! 人は、かくもよい肉のニオイを!」
堪らなかった。堪えきれなかった。束縛された縄を簡単に破り、手が伸びていた。
全身が炎に包まれた老執事。長年使えていた男に感謝の気持ちやそれをしてはならぬという理性は既になかった。
それをすることが、自然で正しいことなのだ。
生き物としての渇望。
アッペテンの両手は執事の頭部を易々と千切り、丸呑みにした。
「お焦げが、す、すばらし~~~~~い! カリカリだ!」
眼を見開き歓喜する。
「キーツは……キーツ様は、なんという世界へワシを導いてくれたのだ!」
アッペテンは新しい世界が訪れたことを自覚した。
崩壊する屋敷をうち破り、アッペテンは悠然と歩く。
アッペテンはキンマの怪物に変貌していた。
そして感じる。同じキンマの魔素を持つものがいることを。
その女はまだ人の姿をしている。タコの腕をした、まだ人の身の怪物。
妖美な笑みを浮かべ、キーツはキンマの怪物を迎え、こう述べたのだ。
「マラークは『精神』を源泉とする力であり、キンマは『魔力』を源泉とする力である」
キーツは愛しげに今はポシシオン病院にいる、お下げ髪の女の顔を思い浮かべた。
「ある奏者と名乗る女から訊いた言葉だ。私の娘はどうもキンマの力に抵抗している。原因をマラーク。言わば『精神』の力のためだと考えた。私の娘の鱗は一枚で珍しい、青、黄、緑の三色を有している。精神を源泉に青の鱗はマーテル者の力。緑の鱗はマラーク者の力を発揮する。黄色は恐らく黄金。古代神話で神々を喰らったという黄金竜王の金鱗!」
キーツは楽しげに力を込め叫んだ。
「深層意識に眠る最強の『精神』の力! 龍王真鱗! 三色になるのも稀、それが力を持つことは奇跡。キンマの豆は潜在能力を飛躍的に向上させる。その力で三色の鱗に眠る力を引き上げられているのだ。これを見よ」
キーツは手の銀色がかった青の鱗を見せつけた。
「青の鱗において銀色がかるのはマーテル攻撃、結界、移動、どれでもない。第四の系統を意味する。キンマの力よって真鱗の力が引き上げられたのだ。そうだ。娘は真鱗の力が引き上がっているからこそ、他の子供達と違い、姿があまり変わらないのではないか? キンマの力はあまりにも奥深く眠るものを世界へ放とうしている。マラークとは神の影の面を意味し、神の影の面とは天使のことだ。そうだ!」
キーツは至福に満ちた笑顔をこぼした。
「私の娘は、天使なのだ。私の国、私の民を救い、連合、帝国に裁きを下すのはやはり天使がよい。アッペテンよ。私のキンマの晩餐が失敗に終わったのならば、キンマの晩餐を越える晩餐をお前がせよ!――マラークの晩餐を!」
医療院の中庭のアッペテンは陶酔していた。
「なんという栄誉! 美食家がこがれるキンマの晩餐を食し、さらにうえのマラークの晩餐を食せる! 姫君! 早速、ワシの胃袋にご招待しましょう! さあ、さあ、さーあ!」
「あ……あ……」
ソティは恐怖で動けず呻くだけだ。父親がそのような恐ろしい企みをしていた心の痛み。強大な怪物を眼にして、動けない。
アッペテンが大口をぬちゃりとゆがませた。
「さあ、マラークの晩餐を始めましょうぞ!」




