フェリシア紫苑、最大の危機
セレスティア彩乃とフェリシア紫苑のタッグを作るという大仕事がひと段落つき、二人のマネージャーはほっとしていた。
戸田が眼鏡を上げながら言った。
「フェリシア紫苑については、近頃では、その独特のスタイルに気づいてくださるファンの方も少しずつ増えてきています。もともとスタミナがあり技術力は高いうえに、勝敗そのものにはこだわらず、熱くはなってもあくまで正攻法を貫くのが紫苑の魅力なのですが——実は、それが弱点にもなっているのです」
「弱点?」
里見が聞き返す。
「相手を罵倒しすぎてしまうことですか?」
里見が尋ねる。
「まあ、確かにそこも誤解を招きやすいところではあるんですが、私が一番心配しているのは、そこではなく——」
戸田は少し困った顔をした。
「紫苑は試合そのものに夢中になるあまり、自分と本気で闘ってくれる相手を前にすると、どんどん熱くなって、自分の限界が分からなくなってしまうんです。そして、時には自滅してしまうところまでいくんです」
「紫苑さん自身がですか?」
「そうです」
戸田は頷いた。
「力の限り闘うこと自体は悪くはないですし、それで敗れたのならば、レスラーとしては十分です。ただ、試合中に意識を失うほどになれば、話は別です。今日の対戦も、後半は精神力だけで闘っていたようなものです。彩乃様が終わらせてくれた時は、ほっとしました」
自分が世話をしている選手を倒した相手に礼を言うマネージャーなんて初めて見た、と里見は思った。戸田もこう見えて、紫苑にはいろいろ手を焼いているのだろう。
彩乃も今日の試合を思い返していた。終わった時は自分もふらふらだったが、大技を次々と繰り出していた紫苑の疲労は、それ以上だったはずだ。
戸田は紫苑のほうを横目で見ながら言った。
「今日も試合が終わってから紫苑は食い下がってきましたが、こういうのも初めてじゃないんです。以前、ヒールの高宮麗奈さんと対戦した時でした。紫苑は自分が勝ったのに、『もうあきらめるのか』と、倒れていた高宮さんに吹っ掛けたんです」
「あら……」
彩乃の口から呆れたような声が出る。
「高宮さんもプライドがありますから、再戦しようと立ち上がってくれました。ところが、紫苑は取っ組み合った途端、崩れ落ちてしまいまして……」
「あの時のこと、よく覚えてないのよね。高宮さんの肩をつかんだと思ったら、なぜかわたし、医務室のベッドに寝かされて、麗奈さんが横にいたのよね。あ、試合、途中だったね、って言って起き上がろうとしたら、麗奈さんは『今日は私の負けでいいわよ。もう、いいからー!』と言って帰っちゃったのよ」
紫苑は呑気そうに言う。高宮麗奈もとんだ災難だったろうと彩乃は思う。
「今日も試合が終わってから、紫苑がまたあんなことを言い出してしまいましたが、うまく収めてくださって助かりました」
「い、いえ、どういたしまして」
戸田からこのように礼を言われて、彩乃は何とも言えない気持ちになる。戸田はさらに話を続ける。
「二カ月前にも、ありましてね。それは新人とのスパーリングみたいなものだったんですが……」
「と、戸田さん、そ、その話はいいから……」
突然、紫苑が戸田を押さえようとしたが、戸田は気にかけない。
「いえ、大切なパートナーになってくださる彩乃様にちゃんとお伝えするのは、マネージャーとしての大切な仕事ですから」
「そ、その話は、私が後で彩乃にしておくから……」
紫苑は慌てるが、戸田はそのまま続ける。
「紫苑は、何を思ったのか、リングコーナーによじ登り、その子めがけて開発中の空中殺法を披露しようとしたんです。相手がうまく受けとめないと成立しない大技なのですが、『これがプロレスよー』と叫んで飛び込んで……」
「お、お願い、その先はやめて—!」
紫苑が悲痛な叫び声をあげる。
「見事に着地に失敗しました。そして、自分の体をマットに思い切り叩きつけて、動けなくなったんです。そこを新人の子が恐る恐る飛び乗り、3カウントで試合は終わりました。紫苑のほうは、そのまま運ばれていきましてね」
「ああああ……」
先ほどまでの能天気さはどこへやら、紫苑は頭を抱えて悶えている。
「新人の子は紫苑にすごく謝っていました。自分がちゃんと受け止められなかったことや、フォールを取ってしまったことに……」
「ふ……ふふふ……」
彩乃が堪えきれずに噴き出した。
「紫苑さん……あなたって人は……本当に面白い人ね」
里見もくすりと笑う。
「も~! 戸田さん~。やめてくださ~い。彩乃さんに里見さんまで……」
紫苑は困り果ててしまった。
戸田は、ほっとため息をついて言った。
「そんなわけでして。紫苑はレスラーとしてはトップレベルで、勝つことのほうが多いんですが、時にこうやって自爆してしまうことがあるんです。ですから、彩乃様には、いわばお守り役になってくださればありがたいのです」
「お守り役……ですか?」
彩乃は戸田を見つめた。
「はい。紫苑が暴走しそうになったときに適切なタイミングでフォローしていただけると助かります。私も常々言い聞かせてはいるんですが」
彩乃は里見と顔を見合わせてから、戸田のほうへ向き直った。
「わかりました。わたくし、セレスティア彩乃、不束者ですが、フェリシア紫苑さんの相棒兼お守り役、務めさせていただきます」
その言葉に、紫苑は元気よく、
「彩乃さん、私、がんばりますねー」
「ただし——」
彩乃は紫苑のほうへ向いた。
「私と一緒の時に自爆するのは絶対に禁止。勝敗が決まっても闘おうとするのも駄目よ」
「はーい! 肝に銘じます!」
紫苑は敬礼でもしそうな勢いだ。その素直すぎる反応に、彩乃はまたしても笑ってしまう。この子と一緒なら、もう試合の後、控室で一人寂しくいることもないだろう。
戸田は眼鏡の奥で満足げに微笑んだ。里見も安心したように頷くのだった。




