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アイドル探偵 九十九蓮 ~舞台編~  作者: 朝姫 夢
第1章 水

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2/5

1.水-①

「お疲れ様です」

「お疲れ様でーす」


 名古屋公演最終日、舞台を終えたばかりの九十九(つくも)(れん)は、明るい廊下ですれ違った女性スタッフにアイドルらしい人好きする笑顔を向ける。その笑顔を向けられたスタッフも当然のように笑顔で挨拶を返し、そのままお互い何事もなく通り過ぎる――はずだった。


「おい! 佐々木!」


 明るく爽やかな空気とは似ても似つかない、男の怒鳴り声が聞こえてくるまでは。


「今の……」

仲多(なかた)さん、ですよね……」


 蓮と女性スタッフは、思わず顔を見合わせる。

 仲多圭一(けいいち)。口ひげを生やしたダンディな見た目と演技で知られる、五十代半ばのベテラン俳優だ。ただし、業界では少々別の意味で有名な人物でもあった。

 実は以前まで、彼の専属マネージャーは会うたびに変わっていると噂されていたのだ。事実、仲多の歴代マネージャーの人数は業界の中でもトップクラスなのだが、ここ数年は新しくついた専属マネージャーが長く勤めている。その人物こそが、今名前を呼ばれていた佐々木という男だった。


「え、っと……。私、ちょっと様子を見てきま――」

「あ、大丈夫です。もう集合かかってるんで、俺が直接仲多さんに伝えに来たんですよ。なので任せてください。ねっ」


 ただ事ではないと感じ取った女性スタッフが動き出す前に、その言葉を遮った蓮は最後にいたずらっぽくウィンクしてみせる。それはこの雰囲気を和ませるためのものだとスタッフも理解していたのだが、それでも蓮の仕草があまりにも似合いすぎていたために、つい彼女も笑顔で頷いてしまった。


「ふふっ。はい、分かりました。それじゃあ、お願いします」

「はい、任せてください」


 胸を張ってみせる蓮の姿にもう一度笑顔を見せて、女性スタッフは自分の仕事へ戻っていった。その後ろ姿を見届けてから、蓮は安堵したように一つため息をついて、声がした曲がり角の向こう側へと一歩足を踏み出したのだった。

 ちょうどそのタイミングで、蓮がいる場所とは逆方向から仲多の声を聞きつけた佐々木が姿を見せる。


「どうしたんですか? そんなに大きな声を出して」


 スーツを着た少々くたびれた様子の四十代前半の男が、急いだせいでズレてしまったらしいメガネを元の位置に戻しながら、仲多に向かってそう問いかけている。スマホを手にしているところを見るに、おそらく誰かと連絡を取り合っていたか、もしくは今後の予定の確認でもしていたのだろう。

 だが、仲多にとってそんなことは一切関係なかったようだ。


「どうしたもこうしたもない! 俺の水がなくなった! 急いで買ってこい!」


 一方的に怒鳴りつけて、まるでそれが当然かのように指示する仲多の姿を偶然目撃してしまった蓮は、なるほどこれがマネージャーが次々に変わっているという噂の真相かと思わず考えてしまう。だが、怒鳴りつけられた佐々木本人は不思議なことに、あまりそのことに(こた)えているようには見受けられなかった。それどころか、この状態の仲多に対して普通に会話を試みていたのだ。


「え、もうなくなっちゃったんですか?」

「いいから! さっさと買ってこい!」

「でも仲多さんのこだわりの水って、この辺じゃ売ってない可能性高いですよ? 少し遠くまで行くことになりますけど……」

「つべこべ言わずに、さっさと行け!」


 唾を飛ばしながら怒鳴り散らす仲多のその様子に、蓮は思わず眉をひそめてしまう。

 その一方で、仲多の水へのこだわりは今回の舞台に関わっている誰もが知っていた。

 福岡公演から始まり大阪公演、そしてここ名古屋公演でも、初日に同じ銘柄の大量のペットボトルが入った段ボール箱をマネージャーが楽屋に運び込んでいれば、嫌でも気付く。そして同時に、大半の人が思ったことだろう。このベテラン俳優は変なこだわりがあるだけでなく、少々面倒くさい性格をしている可能性が高い、と。そして今、蓮の目の前でそれが証明されているのだ。

 とはいえ、面倒だから嫌ですとは言っていられないのが、マネージャーという仕事のつらいところで。


「分かりました。時間はかかると思いますが、探してきます」


 仕方ないとでも言いたげな表情のままそう告げて、関係者用の出入り口へと向かう佐々木。その後ろ姿を見送りながら、蓮は心の中で佐々木に「お疲れ様です」とひと言向けてから、仲多へと声をかけたのだった。


「仲多さん」

「おや? 蓮くんどうしたの? また忘れ物でもしたのかい?」


先ほどマネージャーに怒鳴り散らかしていた人物とは思えないほどの穏やかさで仲多が振り向き、まるで何もなかったかのように不思議そうな顔をして首をかしげている。その切り替えの早さに蓮は内心で感心しつつも、質問の中身に思わず苦笑してしまう。


「はい。実は上着を忘れちゃって」


 肩の上で切り揃えている黒髪をサラリと揺らしながら答える蓮だが、仲多が「また」と発言した通り、実はファンの間でも忘れ物の常習犯として有名なほど、蓮はとにかく忘れ物や失くし物が多い。事実、この名古屋公演の間だけで、毎日どこかしらに何かを忘れていた。だからこそ、仲多もまず最初にそのことが頭に浮かんだのだ。


「上着なら、マネージャーに言えばいいのに」

「ちょうど水分補給もしたかったんで。さすがに舞台上で飲食はしたくないですし」

「あぁ、なるほど。確かに、その気持ちはわかるよ。大事だよね、そういう礼儀って」


 訳知り顔で頷きながら話す仲多に「そうですよね」とアイドルスマイルで答えながらも、マネージャーに対するさっきの態度は礼儀としてどうなんだと思う蓮ではあったが、そこにはあえて触れずに言葉を続ける。


「それで、ついでに仲多さんも呼んできてほしいって言われたんですよ。今日の分の軽いダメ出しと、次回の東京公演のスケジュールについて若干の変更が出たからって」

「そうなのかい?」

「はい。もうお客さんもハケてるので、今日は役者は舞台上集合でって言われました」

「あ、そうなんだ。じゃあ、俺はこのまま向かっちゃおうかな」

「そうしてください。俺も水分だけ摂って上着持ったら、すぐに追いかけるんで」


 蓮の言葉に「はーい」と軽く返事をして、そのまま廊下の向こう側へと消えていく仲多圭一。その後ろ姿を見送って楽屋へと足を踏み入れた蓮は、忘れないように先に上着を羽織ってから備え付けの冷蔵庫の中に入れていたペットボトルを取り出すと、小さくため息をついてこう呟いたのだった。


「面倒なことにならなきゃいいけど」


 言葉通りどこか面倒くさそうな表情をしていた蓮が、手に持っていた水を一気にあおって半分近く飲み干す。だが、それを再び冷蔵庫に入れる頃には、普段通りのアイドルらしい顔と雰囲気に戻ると。


「よし、行くか」


 まるで気合いを入れ直すかのようにそう口にして楽屋の扉を開き、来た道を戻るべく再び廊下へと足を踏み出したのだった。



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