戌歴九九五年・秋
第二章は長い過去編になります。
どうぞお付き合いください。
◎◎◎
霊堂の外階段の中腹に、ラウラとカーリーは寄り添うようにして座っていた。
彼らは日の出を待っていた。
周囲はすでに明るい。橙色に光る鱗雲が一面に広がり、その隙間から、白群の空が見える。
太陽は二人の正面、遠く連なる山麓の合間から現れる。
ラウラとカーリーは同じ方向をじっと見つめながら、途切れ途切れに、短い会話を交わしていた。
「早朝とはいえ、まだ十月なのに、ずいぶん冷える」
「そうだね」
「今年の冬は寒いかもしれないね」
「秋のはじめが寒いと、その年の冬は、むしろ暖かいんだよ」
「ラウラは物知りだなあ」
「おにいちゃんが、知らないことが多すぎるんだよ」
十歳になったばかりのラウラは、七つも齢が上の兄に、まるで母親のように説教をする。
「霊術のことはなんでも知ってるのに、それ以外のことはなんにも知らないまんまだったね」
「そうかなあ」
「そうだよ。流行ってる歌も、おいしいごはん屋さんも、いまはどの花が一番きれいかも、わたしが教えてあげなきゃ、知らないまんまだったでしょ」
「そういうのはラウラから教わればいいから。自分で調べる必要はないんだ」
「……わたしだっておにいちゃんから教わりたかった」
「いろいろ教えてあげたじゃないか」
「霊術のことだけね。わたしはそれより、新しい遊びとかを教わりたかったのに」
「うーん、ぼくはその手の物に疎いからなあ。……あ、ほら、日の出だ」
山間から、光が零れる。
ラウラとカーリーは揃って目を細める。
「――――やっぱり、明日にしようよ」
「うん?なにを?」
「……」
カーリーはラウラに聞き返したが、ラウラは黙って、兄から顔を背けた。
カーリーはしばらくラウラの言葉の意味を考えてから、答える。
「もしかして今日の式をってこと?……はは」
「なんで笑うの」
「いや……はは、きみがそんなことを言うなんて、意外でね」
「怒らないの?」
カーリーはほほ笑んだ。
ふだんは赤銅色の瞳が、朝日を受けて琥珀色に輝きを変える。
カーリーは隣に座る小さな妹の肩を抱いた。
「ふふ、嬉しいなあ。いつもなら絶対にワガママを言わない二人から、同じワガママが出るなんてね。まさに青天の霹靂だ。……やっぱり、なおさら、施術は今日じゃなきゃな」
「なんで、やっぱり、なの?」
「目の前に雷が落ちるよりも衝撃的なことが起きたんだ。このあとどんな奇跡が起きたって不思議じゃない。……例えば、なんの不備もなく施術が終わる、とかね」
「奇跡が起こらないと成功しないくらいなら、やめればいい」
カーリーは妹の頭を撫でる。
「冗談だよ。奇跡なんて起こらなくても降魂は成功する。必ずね」
ラウラは兄の身体に寄りかかった。
その瞳は、同じ琥珀色に輝いている。
「おにいちゃんの冗談、ぜんぜんおもしろくない」
「そうかなあ」
「そうだよ。――――だいじょうぶだよ。わたし、降魂がうまくいくって、ちゃんとわかってるよ。おにいちゃんはすごいもん。天才だもん」
「すごいのは先人たちさ。ぼくはただ、踏襲しただけ。それに、才でいうなら、ラウラの方がずっと恵まれている。ぼくの齢を越す頃には、ぼくよりもっとずっと優れた技師になっているに違いない」
ラウラは顔をあげ、カーリーをじっと見つめる。
少し垂れた、いつでもほほ笑んでいるように見える瞳。
鼻にかけられた、瞳に対してやや小ぶりな眼鏡。
あちらこちらに跳ねる、強いくせ毛の黒髪。
猫背気味で、ひょろりとほそ長い身体。
ラウラは兄の姿を、特徴を、ひとつひとつ頭に刻み付ける。
よく見知っているそれらは、数時間後には失われてしまうかもしれない。
少なくとも兄のものではなくなってしまう。
ラウラは決意を込めて、カーリーに言った。
「おにいちゃんの齢を越す前に、わたしはおにいちゃんよりすごい技師になるよ。それで、おにいちゃんの中に入る人を助けて、災嵐から世界を守る。ぜったい」
「うん。ラウラなら必ず成し遂げるだろう」
カーリーはラウラの眼前に小指を立てた。
「約束してくれ。ぼくの愛したこの世界を、ぼくの大切な人たちを、なにがあっても守ると」
カーリーの言う大切な人たちの中には、ラウラも含まれていた。
しかしラウラは、それに気づいていなかった。
「守るよ」
カーリーの小指に自分の小指を絡ませ、誓う。
「約束する。おにいちゃんの大切なもの、わたしはきっと守り抜くよ」
太陽がその姿を完全に現す。
兄妹水入らずの、最後の時間が終わる。