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戌歴九九八年・春(一)


カーリーは無事、その身に異界の人間の魂を降ろすことに成功した。

戌歴(じゅつれき)九九五年、十月のことである。

しかしその魂を身体に定着させるためには時間が必要だった。

移行期間として約三年の歳月を、彼は深い眠りの中で過ごした。


その間、ラウラは勉学と霊操の修行に励み続けた。

どちらも同世代で彼女の隣に並ぶ者はおらず、特に霊操に関しては、すでに当代随一との呼び声も高かった。

天才と名高かった兄と同じく、ラウラには技師としての飛びぬけた才があった。

それもより実践的な技師としての才だ。

例えるならば、カーリーは地図を描く天才で、ラウラは地図を読む天才だった。

兄が組み上げた難解な術式や霊具を、ラウラは容易く扱うことができたのだ。

ラウラは兄の残した無数の術式と霊具を用い、害獣駆除から開墾事業への支援、古代霊術の補修など、次々に功績を収めていった。

それまで天才と持て囃されていたカーリーがいなくなった穴は大きかった。

しかしそれをすぐに妹が埋めた。

この事実をやっかむ人間もいたが、多くの人は歓迎した。

現在の朝廷は年齢、性別に関わらず実績を重視する。

なによりもその長たる皇帝が実力主義であるため、ラウラは齢十三歳の若さにして、上級官吏として登用され、災嵐対策室に入ることを命じられた。

ラウラ自身に功名心はなかったが、彼女はこの勅命を嬉々として受け入れた。

なぜなら災嵐対策室に入ることができれば、兄の傍にいることができるからだった。

災嵐から世界を守る唯一の術、縮地術。

その動力源となる異界人。

渡来大使と称されるその人物の管理も、対策室の仕事だった。

つまり対策室に入れば、兄の身体に入った異界人の補佐を務めることができる。

彼女は兄との約束を果たすことができるのだ。



〇〇〇



対策室に入ると同時に、ラウラは望み通り、渡来大使付きの補佐官に任命された。

「きみをここに呼ぶかどうかは、正直、悩んだんだ。……まだ尚早ではないかと」

命令を下したのは、災嵐対策室の室長、皇太弟ノヴァ・ラサだった。

「きみの希望は兼ねてから承知していた。兄に代わって彼を支えるのだというきみの意志を、覚悟を、ぼくはなによりも尊重したいと思っている」

ラウラとノヴァは幼馴染だった。

苦難の多かった幼少期、互いに唯一気を許すことができた、大切な友人だった。

「お気遣い、痛み入ります」

しかしいまのラウラにとってノヴァは、敬うべき皇子であり、直属の上司である。

ラウラは他の官吏がそうするように、拱手し、深く頭を垂れた。

「――――しかし」

幼馴染ではなく、公的な立場をもった官人としてはじめて自分の前に頭を下げたラウラに、ノヴァは言った。

「ぼく自身まだ着任してから日が浅い。他の官吏たちとの連携も手探り状態の中で君を迎え入れることは――――カーリーの妹を登用することは、波紋を呼ぶと思ったんだ」

ラウラは頭を下げたまま答える。

「はい。感謝しております。取り立てていただいたご恩に報いれるよう、誠心誠意、粉骨砕身の覚悟で持って任に当たらせていただきます」

ノヴァは眉間にしわを寄せる。

ラウラの肩をつかもうと手を伸ばすが、触れる直前に思いとどまった。

ノヴァは幼馴染の少女が、大人びた口調で自分に頭を下げているというこの状況に、耐えがたい苦痛を感じていた。

しかし彼はこれを受け入れなければならなかった。

対策室には選りすぐりの技師たちが集められている。

彼らは優秀だが、ほとんどは名門大家の出身で、自尊心が強く、自らの能力を鼻にかけている。ノヴァはその高慢な技師たちをまとめあげ、自分に従わせなければならなかった。そのためには少しの隙も見せるわけにはいかない。ラウラを贔屓することはおろか、わずかな無礼を許すことさえ、敵わないのだ。

なにより、ラウラ自身を守るために。

「顔をあげなさい」

ノヴァは後ろ手を組み、ラウラに言った。

「ラウラ・カナリア。貴君をここに呼んだのは、渡来人の意識が回復したからだ」

ノヴァの言葉に、ラウラは顔をあげ、目を見開く。

「いかがでしたか!?」

「成功だ。魂は無事、カーリー・シュナウザーの身体に定着した」

それを聞いた少女は、ほっと胸をなでおろす。

「よかった……」

ラウラは心から安堵していた。

降魂術の成功は兄の死を意味する。

けれど彼女は、その死をこの三年の間に受け入れていた。

悲しみも、寂しさも、時間をかけて飲み込むことができた。

いまの彼女に残るのは兄との約束、必ず災嵐を払うという強い決意だけだった。

「兄の犠牲は無駄にはしません。私は渡来大使様をお支えし、必ずや縮地を成功させます」

ラウラは姿勢を正し、曇りなき眼で言った。

ノヴァはそんなラウラから目を逸らした。

目の前の少女とは対照的に、その瞳は曇天の下にあるかのような陰りを帯びていた。



ノヴァはラウラを引き連れ、霊堂内にある施術場へ向かった。

そこは荘厳な石造りの空間だった。

そしてどこか浮世離れした空間だった。

光源は高い天窓ひとつしかないにも関わらず、不自然なほど明るい。

純白の壁はそれ自体が発光しているかのようで、落ちる影は墨を溶いたように薄かった。

壁には幾何学模様が掘り出されており、細く長いそれは床から天井までまっすぐに伸びている。

それも一本ではない。無数の幾何学模様が、それぞれ間隔をおいて、場内をぐるりと取り囲んでいるのだ。

半球形の天井、その中心にある天窓に集約した幾何学模様は、複雑に絡み合い、天窓の周囲を縁取る。

施術場の中心に立って見上げると、幾何学模様を纏った天窓は太陽のようだった。

そして施術場全体は、太陽を冠した鳥籠のようであった。

鳥籠の床には薄雪草が敷き詰められていたが、すべて枯れ果ててしまっていた。

光るどころか、土色に変色し、まるで荒れ地のような有様だった。


荒れ地の鳥籠の中央には、生贄を捧げるための祭壇を思わせる、これまた荘厳な彫刻が施された石造りの台座が置かれていた。

台座の上に腰かける兄の姿を見たラウラは、緊張で手を震わせた。

しかしそれを周りに悟られないよう、胸を張って、彼を取り囲む技師たちに告げた。

「人払いを、お願いします」

技師たちは突如現れた少女から下された命令に、不快感を露わにしたが、少女と並び立つノヴァの姿を見て、大人しく引き下がった。

技師たちが引き下がると、二人は彼に近づいた。

「気分は?」

ノヴァの問いに、渡来人、三渡カイは答える。

「一昨日よりはだいぶマシになりました」

「順調そうでなによりだ。昨日話した通り、貴君に補佐官を用意した。――――彼女が、そうだ」

カイはラウラの姿を見て、あんぐりと口を開いた。

「え、まじですか?こんな小さい女の子が?」

ラウラはカイが浮かべる表情に動揺する。

驚きと疑念が入り混じった、複雑な顔つき。

それはカーリーが一度も見せたことのない表情だった。

理解していたとはいえ、兄の身体に、もう自分の知っている兄はいないのだという現実を目の前に付きつけられ、ラウラは言葉を失ってしまう。

それを横目に見たノヴァは、すかさず助け舟を出す。

「まだ若いが、優秀な女性だ。知識も霊操も、彼女に並ぶ者は少ない。補佐官として申し分はないだろう」

「まあ、こういうとき美少女が出てくるのって、異世界ものあるあるというか、醍醐味ではあるけど……」

「なにか不満が?」

「いえまったく!なにも!」

ノヴァの鋭い視線に、カイは慌てて、首を振る。

「年下の子にいろいろ教えてもらったり助けてもらうのはなんか、申し訳ないなあ、と思って……でもまあそうですよね、よく考えればノヴァさんだっておれより若いわけですし、おれのいたとことはいろいろ、基準が違うみたいで……。まあとにかくなんの問題もないです!よろしくお願いします!」

カイは深々と頭を下げた。

動揺で放心状態にあったラウラは、我に返り、同じように頭を下げる。

「ご紹介に預かりました、今日より大使閣下の補佐を務めさせていただきます、ラウラ・カナリアと申します。若輩者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


挨拶を済ませたラウラは、早速本題を切りだした。

降魂の成功は災嵐から世界を守るための第一歩に過ぎない。

これから先は、カイの協力失くしては、進むことができないのだ。

ラウラの補佐官としての最初の仕事は、カイを説得し、救世の協力を仰ぐことだった。「『百年災嵐』とかいうやつからこの世界を守るために、おれは呼ばれたんですよね?」

一昨日目覚めたばかちのカイは、自分がなぜいまここにいるのか、その概要だけ聞かされていた。

「あつかましいことは承知しております。我々は、その、貴方様を拉致するような形でこちらの世界に招きました。その上で救世の助力を願うなど――――ですが、我われにはこれしか道が残されていないのです。どうか、どうか、お力を――――」

切々と訴えかけるラウラに対して、カイの返事はあっけらかんとしたものだった。

「うん、まあそりゃ、もちろん」

そのあまりの軽さに、ラウラはつい念を押してしまう。

「ほ、本当によろしいのでしょうか?」

「あはは、最初は、まあびっくりしましたよ。いや今も、正直まだ全部は飲み込めてませんし、理不尽だなって思うこともあります。今日――――いやもう昨日か?友だちとゲームする約束してたのに、破っちゃいましたし。週明けにはリュウ……飼い犬を病院に連れてかなきゃだったし。他にもいろいろ、予定とかあったから」

それを聞いたラウラは、悲痛を顔に浮かべる。

「すでにご存じでしょうが、もとの世界にもう戻ることはできません。魂の抜けた貴方様の本来の身体は、遺体と化しているでしょうから……。本当に――――お詫びのしようもありません」

「あっ、いや!いやいや、大丈夫です!ぜんぜん平気ですから!そんな顔しないでください!」

カイはわざとらしいほど明るい声を出した。

「ぜんぜんね、おれの予定なんて、大したことないんですよ!こっちの世界の一大事に比べたら、なんてことありません!それよりおれなんかが本当に、その……世界救ったりとかできるのかなあって、そっちの方が不安ですよ。責任重大すぎて、起きて数日であれですけど、もとの世界で自分が死んだこととかもはやどうでもいいくらいです!あははは!」

「どうでもいいなんて――――」

ラウラは謝罪を続けようとしたが、カイは無理やり、話を逸らす。

「まじでだいじょうぶかなあ。いや一応異世界転生あるあるのチート能力はあるっぽいですけどね?なんでしたっけ、MP無限、みたいな?でもそれあるにしてもおれそんな頭よくないですし運動神経もふつうですから、めちゃくちゃ苦労をかけてしまうかもしれません……。先に謝っときます、すみません!」

カイは明らかに空元気だった。

ラウラは本来自分が励ますべき相手に気遣われたことを恥じた。

(この人は今、私よりずっと苦しいはずなのに……)

ラウラは再び決意を固くし、カイに力強い笑顔を向けた。

「そんなことおっしゃらないで下さい。謝るべきはこちらの方です。巻き込んで、本当にすみません」

ラウラはカイに手を差し伸べた。

「これからどうぞよろしくお願いいたします、閣下」

カイはバツの悪そうな笑顔でその手を取った。

「いやあ……はは……。まあその、こちらこそ、世話になります」


戌歴九九八年、春の繁茂が落ち着きをみせはじめた、五月の中旬。

こうして、カイとラウラは出会ったのだった。

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