27クラブ #5
「ふっ……」
がたがたに震えた指でシキミはタバコを咥え、やはりがたがたとタバコを震わせて四苦八苦しながら火をつけた。火種は気の触れたホタルじみてぐらぐらと揺れ続けた。
「これを全部クリアするなら、確かに“27クラブ”の入会者並みに濃い人生を送れそうです」
「シキミさん。気持ちはわかるが、クリアしたチェッカーに隣接するチェッカーはクリア条件が開示されるようだ。見てみよう」
恐ろしい気持ちはわかる。シキミにとってカラオケで100点はさほど難しいものではなかったが、偶然この実績をクリアしなければシキミはすべてのチェッカーのクリア条件が伏せられたまま、何をすればいいのかもわからず闇雲に生きるしかなかった。だが、カラオケ100点程度の難易度ならば二十七の条件をあと半年でクリアすることは無理ではない。それでも無理難題が表示されていれば、死は確定的だ。
7→二十四時間で一二〇〇〇キロカロリー摂取
12→ホームラン
14→徒歩、ランニング、自転車、自動車で累計五〇〇キロメートル以上移動
19→動画投稿サイトにオリジナル楽曲を発表して百万回再生
「……」
「他はともかく19番で死ぬことになった訳ですが」
「そうだな」
明智はギャグとして受け取り、軽い反応で応えた。トランプ元大統領が歩み寄り、ニュースでよく見るしかめた顔でシキミのスマホを覗き込もうとしたの後、両掌を突き出して洋画のコメディリリーフじみて遠慮し、シキミの顔色を窺った。スマホを無断で覗くのはよくないという良識は備えているらしい。
「どんなチェックが出たんですか?」
「ご覧になってください」
対策はある……。あると信じたい。そしてそれをトランプ元大統領が知っていると信じたかった。
「百万再生は厳しいですね」
「優しい言葉をありがとうございます。無理って言わないでくれてありがとう!」
「クリアする方法はあります」
「ゴーストライターでも付けますか? それとも人気バンドのサポートメンバーに入る?」
「任意をチェッカーを“クリアした”ことに出来る、ブレイク権というものがあるのです」
「ブレイク?」
「今回のように、クリアがほぼ確実に不可能なチェッカーは存在します。その時、ブレイク権を使ってクリアするのです」
「そのブレイク権の獲得方法は?」
「五つのチェッカーをクリアする、もしくは四つ以上のチェッカーで構成される列を一列埋める……つまりビンゴを達成することです。そうすることで、ブレイク権を最大で五つ獲得出来ます。どこで使うかはあなた次第です」
明智は腕を組み指をたんたん、と鳴らして思案した。そして、シキミのスマホを指さした。
「この26番と27番のマス、どこのチェッカーとも隣接せず独立しているな。つまり、この26番と27番のチェッカーは生活とチャレンジの中で偶然達成するしかなく、狙って解放することは不可能と言うことだな?」
「或いはブレイク権で開放するかです」
「ブレイクを使って簡単な条件だったらやりきれぬな……」
「ブレイク権にはリスクがあります。一度使用するごとに、二十七歳での寿命が七十三日縮みます。つまり、上限の五回を使い切ると、二十七歳になった瞬間に死にます。逆に言えば一度もブレイクを使わなければ二十七歳のいつ死ぬかはわからないわけですが、ブレイク権を五回使っても二十七歳になるまで死ぬことは決してありません」
「ブレイク権を五つすべて残して誕生日を明日に控え、その時に二十二のチェッカーをクリアしていればすべてブレイクすることで滑り込みでコンプリートか」
根拠はないが、この27クラブの呪いは今、嗤っていやがるとシキミは感じた。ロックンローラーのようにご機嫌に歌いながら、シキミを死への焦りで熱々になった鉄板の上に放り出し、そこから逃げられずに人間としての矜持や知性を引き剥がされながらもがく獲物をストリップダンスでも見るように楽しんでいる。このゲーム性、救済措置は人間の命を弄んでいるに過ぎない。この呪いに抗って濃く生きようとする人間は、それは客観的に見れば破滅的でも生き様がエンターテイメントで神話だろう。
「他に何か知っていることは?」
「もうありません。我々はこの呪いとは無関係ですが、存在することは知っていた。そして、今までに何度かこの呪いにあった人に出会ったことがあります。ここまでの初期段階の人間に出会ったことはなく、末期の人間か、この呪いで死んだ人を身近に持つ人です」
「だから君たちは、この場所を訪れる人間に年齢を訊いていたのか」
「そういうことです」
「シキミさん、何か質問は?」
シキミはむしろ落ち着いていた。絶望と怒りという正負のテンションが目まぐるしく回転し、二色の感情は単色となってオーバーヒートじみた落ち着きを与えていた。
「いえ、もうないなら特に何もありません」
二十七歳。昨日は冗談で、二十七歳で死ねばロックの伝説だなんて言ったが実際にシキミは二十七歳で死ぬのだ。彼女に残された時間はあと半年しかない。あと半年……。たった半年で煉獄へ行き、紬を助け出す方法を見つけ出すなど可能なのだろうか? それとも、呪いの解除に専念すべきか? 今はまだ何も考えられない。
「……わかった。少々性急ではあるが、私は私の仕事をするとしよう。平家落人の無念を語り継ぐタヌキたちよ」
明智は今のシキミには話題を転換し、一人で考える時間が必要だと判断した。ミカエルの化身は身分を明かすことなく、鞄から書類を取り出して斜め上を見た。薄紅の空に白い月が見える。だが、主観時間の鈍化は収まっているようだ。
「私の方で進めている怪異皆保険というものがある。怪異が生きる上で我々が身分を保証し、何かの際に備えるというものだ。まだ財源も加入者もおらず、私が考えているにすぎぬ。だが、制度が確立された後は加入してほしい」
「我々タヌキでも?」
「そうだ。私の理想で言えば、キョンシー、ゾンビ、ヴァンパイアにも加入をしてもらいたい」
「バ、バカな……。キョンシーやゾンビやヴァンパイアが実在するのですか!?」
明智の思い描く怪異皆保険。実現したらそれは素敵なことだとキクコも思う。
この世界に二十歳の体で復活して以降、各種企業や役所の混乱は山程見てきた。つまりそれは、二十年近く前に失踪してその後死亡認定された老人の情報が今でも残されており、キクコが今こうやって生活できているのはその老人が五十歳以上も若返って戻ってきたという異常事態に適切に対応しているからだ。いわば自分は怪異と人間のはざまにおり、人間として社会に処理された。
怪異に転んでいた場合、その受け皿を明智が用意していたのならば大いにお世話になっただろう。だが現実はそう甘くはない。知性タヌキは時間を操り、人に化け、出没さえ自由な村に住んでいるが、もっとポピュラーなキョンシーやゾンビを知らなかった。
……。
明智を前にして言うことは出来なかったが、やはりこの怪異皆保険は甘ったるい理想が描いた絵空事だ。
キョンシーやゾンビたちは“怪奇”だろう。或いは自分も。そして、カマエルやミカエルといった天使の化身である紬や明智は“神秘”。そして知性タヌキはSFの定番である人間を超越した動物であるから“超常”と呼べるだろう。
だが人間から見れば皆一様に理解不可能な“怪異”に過ぎず、怪異たちがそれぞれに親近感や嫌悪感など横のつながりがあるかと言えばない。海を泳ぐイルカが、野山を走るネズミを知らないように。
そして、人間は一般的に知られる生物たちも、家畜、害獣、愛玩と分類し、共存すべき種を選別して暮らしている。明智がいくら怪異皆保険にてすべての怪異に暮らしやすい世界を夢見ようとも、結局はすべての怪異にマイナンバーじみて番号を割り振り、自分たちに利害のどちらをもたらすかで分けられ、害とみなされれば個々の性格ではなく番号で対応される。
それがわからない明智ではないはずだ。記憶が半年しかない世間知らずの自分でもわかるのに、とキクコは疑問に思った。
だからこそ、そんな絵空事が実現したらそんなに素敵なことはない。ただ、不可能なだけだ。
「実現したら是非」
握手をするトランプ元大統領は、その場面だけ切り抜けば本当に合衆国大統領のようだった。無茶な提案、要求でも、ひとまずは悪い顔をせずに受け入れたふりをする。実に合衆国大統領的だった。
〇
「さて……。どうやって呪いを解きますか?」
テールランプが運転席のシキミの顔を照らしてはまた去っていく。赤、赤、赤。シキミの人生に燈る赤信号。東京に帰って、どうやって両親に伝えようか? 祖母が約二十年前に失踪し、その後死亡認定された時の悲しみようを見ている。電話がかかってくるたびに両親は期待に溢れ、そして良い知らせではなかったとまた絶望する。訳も分からず家族を奪われるトラウマは両親に深く刻まれているだろう。幼いシキミにとっては、祖母を亡くしたことよりも両親の動揺と悲しみを見る方が辛かった。その祖母が二十歳に若返って帰ってきたとしても、同じ記憶でも姿でもない。両親はキクコを別人と認識しているだろう。理性では同一人物だと思い込もうとしても、何もかもが違う人間なのだから。今のキクコを拒絶してはいないが、困惑はしている。むしろ死体で発見されたと伝えられた方が両親にとっては納得のいく結末だっただろう。
その両親が、今度は訳の分からない呪いによって娘を失う? 想像もしたくない。不審に母を亡くし、今度は娘が理不尽に死ぬ。それも、死ぬとわかっていながら、ホームランだとか暴飲暴力だとか理解の及ばない抵抗。病で余命一年と宣告された状態でセオリー化した治療を行うのとは訳が違う。何が適切で正しいのかもわからないのだ。
そして、長らく東日本の怪奇現象を解決してきた夏目家の血は途絶える。
「シキミさん」
「なんでしょうか、明智さん」
「私は日本においてミカエルから全権を委任された化身だ。ミカエル自身ではないため力は弱く、法力を以て強引に呪いを剥がす方法は持たぬ。そしてミカエル本人はあなたを助けようとはせぬ」
「はい」
「だがミカエルから与えられた全権をすべて使って君を助ける。助けなければならぬのだ」
明智の言葉はまるでボールだった。速度を弱めて放物線を描き、加速して力強くシキミの心に収まった。シキミとキクコが助け出さなければ、私淑する紬が煉獄で苦しみ続けるというよりも、この一人の人間をどうしてもこんな理不尽な呪いの嘲弄で殺されたくなかった。
「一人では出来ぬこともあろう。君が……。君が当初、私を見つけられなかったように、私はこの東京で最も暇な化身だ。助けなければならぬ……」
「……チェッカーをクリアする以外に、呪いから逃れる方法はないのでしょうか?」
自分でも驚く程力強い口調でキクコは言った。鞄の中の怪殴丸……。シキミが27クラブの呪いにかかっていることを自覚したからか、怪殴丸の呪いも強く感じる。
「例えば、呪いを発信している怪異を見つけ出し、怪殴丸で射殺してしまうとか」
……射殺? 今、自分は射殺と言ったのか?
確かに今までキクコとシキミは怪殴丸の圧倒的な殺意と威力を頼りにしてきた。何かがあれば怪殴丸で射殺すればいい。その最終手段が存在することで、一種彼らは勇敢に怪異に立ち向かい、実際に呪いの銃の引き金を引くことなく超常現象を解決し、評価を高めて自信を培ってきた。そうだ。コロンビア大学を追放され、何もかもがどうでもよくなって一番簡単な道として家業を継いだシキミも、今はこの仕事を楽しみ、誇りに思っている。
だが死ぬ。
そして、キクコが最終手段以外で先手を打って怪殴丸の使用をテーブルに乗せたのははじめてだった。それが焦燥なのか、焦燥に付け込んだ怪殴丸の介入なのかは不明だが、自分でも恐ろしく思う程攻撃的で短絡的な発言だった。
所詮、呪いは呪いなのだ。怪殴丸も27クラブも同じだ。人の弱みに付け込んでくる。無垢……言い換えれば呑気だったからこそ隙がなかったが、動揺すればいやらしく呪いは体や心に触れてくる。
「手段はそれぞれに違うだろう。だがシキミさんを死なせてはならぬ。その共通の目的をもって、この半年を……。まずは家に帰ろう。まだ時間はある。まずは休むのだ」
カーステレオのボリュームを上げると、流れてきたのはメンバーに27クラブの会員を持つニルヴァーナの『Come As You Are』。宇都宮のカラオケで満点をとった曲だ。
音楽が甘く陽気に、シキミを死に誘っていた。




