27クラブ #4
この平家落人村の存在を報道したユニスポを参考にするため明智は持参した紙のもの、シキミとキクコはオンライン版を読むべくスマホを片手にテーマパーク内を見回った。
敷地内には茅葺屋根の小さな家屋が点在し、その中にはマタギの装備品やその獲物の毛皮、内臓といった処理の段階から、熊の胆や弓道に使う滑り止めの粉などどういったものとして活用されていくのかが展示されていたが、それも博物館のようにガラス張りではなく壁際にずらりと無造作に並べられていた。マタギの技術や功績や生活を展示するというよりも、平家落人村にテーマパークとしての体裁を保たせるための一種列挙じみたものだった。
「タヌキか」
家屋内の展示スペースの最後には、キクコの身長程もある巨大な信楽焼のタヌキが立ち塞がり、ガラス戸の向こうを覗くと台所や冷蔵庫があった。平家落人のプライベートな空間なのだろう。どの家屋でも最後には不気味に巨大なタヌキが門番を務め、建物の外に出て緑の濃い藪……敷地外へと繋がる場所にはやはりタヌキが頑張っていた。
「キクコさん、明智さん、何か感じますか?」
シキミは同行者から少し離れ、タバコを指でくるくると弄んだ後にタバコをつけた。
「いえ、タヌキには何も」
「そうだな。タヌキからは何も感じぬ。ただのタヌキだ」
「触ってみても特別な感触、熱、動きは感じませんでした。何かのシンボルか……こだわりですかね?」
「落人はトラで統一したにもかかわらずタヌキというのも合点がいかぬな。やはりあの三人に話を聞くのが良いだろう」
シキミは焚火を囲む三人を見た。先程までと違い、斬首で噴き出した血のように激しく赤く燃える大きな焚火は影を湿った地面に投影し、影は風船か泡か、或いはタコかイカの触腕かのように忙しなく形と大きさを変えた。光の加減で三人のトラは下顎や眼窩といったシルエットがドクロのように強調され、一段と……。いや、一段と、ではない。最初は出オチ芸人じみた姿にシキミは油断した。今はもう違う。明らかな怪異のパルスが脈打っていた。
「何か奇妙あっちぃ!」
シキミは突然の痛みに手を大きく振った。火をつけた後、一口吸って指に挟んでいたタバコが……もう灰になって燃え尽き、火がフィルターまで達していた。指に挟んでいたのはほんの一分にも満たない時間である。
「なんだこれ……。いや、おかしい!」
怪異は既に起きていた。
この平家落人村に来たのは昼前だった。だが、もう木々の影の向きが変わっている。あの三人の平家落人は、時間経過による自分たちの影の向きをごまかすためにあの馬鹿げた大きさの焚火に当たっているのだ。タバコもそうだ。こんな速さで燃え尽きるはずがない。
信じられないが、時間の加速……或いは、シキミたちの主観時間が極めて鈍化し、正常な時間感覚が失われている。日の傾き、タバコの火がそれを証明している。危険だ……。このままだとあっという間に夜になる。夜になれば怪異の時間が来る。平家落人を一旦は悪意なしと判断したが、今はもうわからない。昨日の出来事は品定め、味見で、ここから急激に牙を剥いてくることすらあるのだ。
「明智さん! 結局あの三人は生者と死者、どちらなんですか?」
「生者のはずだ。少なくともゴーストや幻覚の類ではなく、肉体を持ってあの場所にいる。事実、影がある」
……。シキミはハッとして慌てて足下のタバコを踏み消した。主観時間に歪みが生じているならば、タバコなんて小さな火種の不始末であっという間に火に巻かれるかもしれなかったのだ。
「キクコさん! 何か怪しい気配は!?」
「この場所自体が怪しい気配が強すぎて、少し感覚に飽和が起きています。しかし、あの三人が怪しいことに変わりはありません。明智さんは彼らを肉を持つ生物と言ったけど、普通の生物ではありません」
「わかりました。即座に立ち去りましょう。悪意はなかったと判断し、まずは逃げる。そこで何事もなく逃げられたのだとしたら本当に悪意のない怪異と判断し、もう一度ここに来て検証しましょう。時間を操るなんてヤバすぎます。放っておくことは出来ない」
「でも、帰りに年齢を訊かれて正解しないと二度とここには来られないのでは?」
「そうなったらもう関わらないだけです」
焚火台を無視し、三人は出口に向かった。なるべく見ないようにはしていたが、三人のトラは焚火台にいる。そしてもうすぐに敷地から出られるというところで、シキミは背中に氷を当てられたようにぞっとした。
「失礼ですが」
「……」
「そちらのふりふりの服のお嬢様……。年齢はおいくつですか?」
シキミの影は、後ろから投影されるさらに大きな影に覆われている。一九〇センチもあった、トランプ元大統領のコスプレ……。それが、声が届くくらい、すぐ後ろに立っているのだ。やはり主観時間が狂っている。自分たちは素早く歩いたつもりでも、通常の時間の中を行き来する三人のトラが普通に歩くよりも遅くなってしまうのだ。
「……七十七歳です」
「あなたは違う」
……。残念がるような、安堵したような、ギリギリの風船からゆっくりと空気を抜くようにトランプ元大統領が言った。
やはり、ユニスポの報道と目撃者たちの証言通りだ。この場所を出る際、女性は必ず年齢を訊かれる。そして、平家落人の求める年齢でなければ「あなたは違う」とだけ告げられ、それ以上は何も干渉されない。そしてトランプ元大統領の口調からもわかるように、明らかに二十歳前後のキクコが実年齢である七十七歳と答えるより、彼らの求める年齢ではなかったことの方が重要なのだ。むしろ、キクコの見た目で七十七歳であることは自分たちの世界では常識であるかのように訝しむことすらもなかった。
「メガネのお嬢様は?」
「二十六歳です」
……。
「……あなたにお話があります。焚火台へどうぞ。同行者のお二人も是非」
全身に悪寒が伝播した。
トランプ元大統領の口調は決して恐怖を煽ったり脅すようなものではない。だが、今までになかった明らかな緊張を帯びていた。シキミにとっても重要だが、シキミの年齢は三人のトラにとっても重要なものであるようだった。
「先に断っておきますが、我々に敵意はありません。ええ、攻撃するつもりなどまったくなく、むしろあなたを助けたい、それどころか助けなければと思っております。必要ならばお車に積んであるあの恐ろしい武器……それを持ってきても構いません」
怪殴丸の気配まで察知しているようだった。シキミのアテは外れた。三人のトラは信楽焼のタヌキで結界を張り、その中を自らの絶対の領域として支配。そのように考えていたが、怪殴丸はタヌキが描く円の外にある。三人のトラはキクコが言うように、超常のセンスを、それも強い感度で備えているようだった。
「何が目的だ」
「先程も話したように、我々はあなたを助けたいのです。このままではあなたは近く死にます」
「死ぬ?」
「既にあなたには呪いがかかっている。スマホをご覧なさい」
促されるままにスマホを取り出し、ホーム画面を開くと白地に「27」と刻印されたアプリが知らぬ間にインストールされていた。カレンダーアプリに偽装しているようにも見えたが、カレンダーはまた別のところにあった。
それをタップすると、以下のようなマス目が並んでいた。
「なんだこれは」
「才覚ある二十七歳を殺す“27クラブ”の呪いです。残念ながら、既にあなたは呪われています。つまり、あなたは二十七歳のうちに死にます」
「死にます」。
トランプ元大統領は憐憫と平静を心掛けて言ったが、その言葉はあまりにも過激で残酷だった。
ようやく気付いたな、とでも言いたげに、陽気なオーラが邪悪に嗤う声が聞こえたような気がした。シキミは理解した。朴訥したような奇怪なオーラはこの三人のトラによる森の怪異、そして陽気な空気さえ漂っていたのはこの27クラブの呪いに由来するものだ。
思えばおかしかった。東京を出発した時から、数千曲登録してあるプレイリストからランダムで選ばれるはずの曲はニルヴァーナ、ジミ・ヘンドリクス、ドアーズといったメンバーが二十七歳で他界……俗に「“27クラブ”に入った」と言われるものの曲ばかりが、ランダム再生の限りエンドレスで続いていた。
「対策を教えろ」
振り返り、恐怖を払うように極めて攻撃的でシリアスに言うと、三人のトラは葬式に参列しているかのようなしめやかさと憂いを帯びて立っていた。初対面のシキミが呪いで死んでしまうことを心底残念がっているようだった。
「その前に、我々の話を聞いてください」
「聞けば対策を教えるのか?」
「はい」
「なら、聞く」
三人のトラの中でもリーダー格であるトランプ元大統領の話は要約するとこうだった。
数百年前、壇ノ浦の戦いで敗走した平家の落人は確かにここに辿り着いたが、彼らはやはり人間だった。
寅年の清盛の誕生を以て全盛を誇った平家はトラを狩って遊戯とし、戦場を虎口と呼ぶなど平家の勢力はたびたびトラに例えられた。
彼らは平家の滅亡、そしてその象徴的人物で悲運の姫である平徳子の悲劇に心を痛めた。だが源氏の追撃を恐れた落人はこの場所から出ることが出来ず、狩猟と山菜の採取で生き続けた。彼らはこの山で取れるものしか食べなかった。
だが、彼らはタヌキだけは食べなかった。タヌキの肉がくさかったからなのか、何かこだわりがあったのかはわからなかったが、食べる以外にもタヌキを狩ることはなかった。やがてタヌキは平家落人と共に暮らすことを決め、彼らに食料を分けてもらうかわりに落人の話に耳を傾けた。落人もおかしくなっていたのか、傾聴の姿勢のタヌキに平家の伝説を詳らかに話した。
それだけ話すということは重要であり、落人はアウトプットによって救われた。
当時のタヌキによると、人間とタヌキがここまで親密になったことは史上初だという。やがてタヌキは平家落人のアウトプットを反映し、彼らの死後にこの場所を引き継ぐことにした。
平家全盛のシンボルであるトラをモチーフとした姿で。
「つまり、あなたはタヌキなの?」
「そういうことです」
「バ、バカな……。ヴアァカな……」
シキミは自分が近いうちに死ぬことよりも、タヌキが知性を獲得して人間の姿をとり、遜色のなく会話しているという超常中の超常に驚愕を隠せず、正気を失いかけていた。首を絞められた鳥のように今に泡でも噴き出して卒倒しそうだった。今までにキョンシーやゾンビといった死者の疑似蘇生、四〇〇年生きる天使の化身の紬を見てきたシキミは、何故か完全に人に変化するタヌキの存在は受け入れられなかった。キョンシー、ゾンビ、化身も人間の延長線上である。そういった怪異や超常に入門する権利があるのは、人間だけだという固定概念が無意識のうちにあったのだろう。
「往々にして、言葉というものはそうなのです。一方的であろうともコミュニケーションが成立した時、知性はスパークして爆発的な成長を遂げる。我々の先祖は、平家落人を友とし、師とし、同じように悲しんだのです。だからあなたを助けたいのです」
「わたしは平家の末裔ではないですが」
「ええ、でもこのままだと二十七歳で死ぬ。それは……本当に悲しいことなのです」
トランプ元大統領は神妙でしんみりとした表情をした。本物の方ではお目にかかることが出来ない顔だ。
「平家の姫である平徳子は二十七歳で壇之浦の戦いを迎え、敗北と同時に入水して自殺を図りました。しかし、源氏の熊手に髪を絡めとられて引き揚げられ、その後辛い余生を過ごしました。あの時、徳子殿の心は死んだのです。しかし、何があろうとも二十七歳は死ぬには若すぎる。これは平家や徳子殿も関係なく、現代で人に擬態して生きる我々が獲得した知性、常識、慈愛の結実として、二十七歳は死ぬには若すぎるという結論に辿り着いたのであります。だからあなたを助けたいのです」
タヌキが人を助けようというのか!?
だが、霊感の薄いシキミでさえ、27クラブの陽気で密度の高いオーラを感じ取っている。この呪いは相当に根深く強いものだ。情報は多いに越したことはない。
「対策は?」
「そうですね。スマホをお見せください。そうですか。13番のチェッカーが空いていますね。カーソルを合わせてみてください」
言われるがままに27クラブのアプリの中心のマス……唯一緑に塗られた13番をタップすると、スマホ画面の下部に「カラオケで100点を獲得」と表示されていた。事実、昨日のカラオケスナック道場破りでは、シキミは100点を記録している。そして13番と隣接する7、12、14、19のマスは青く塗られている。
「マスはチェッカーと呼ばれます。緑のチェッカーはクリア済み。クリア済みのチェッカーに隣接したチェッカーは青くなり、クリア条件が開示されます。この二十七のチェッカーをすべてクリアすることで、“27クラブ”の呪いから逃れることが出来るのです」
「『カービィのエアライド』のクリアチェッカーと同じか」
ゲーム好きの明智が腕を組んで天を仰いだ。知性タヌキがシキミたちに友好的になったからか、時間の流れは通常に戻って夕闇まではまだ猶予がある程度の日の傾きだった。先程までと同じ速度で時間が流れていれば既に周囲は一寸先も見えない暗闇だっただろう。
「クリアチェッカー?」
「説明しよう。キクコさんはゲームはやるかね?」
「さっぱりです」
「ならばもっと日常に根差した例えをしよう。いわば、クリアチェッカーとは実績だ。例えば君が大好きなコンビニスイーツを五種食べる。それは実績だ。食べた、という実績。そして、食べた五種すべてのレビューを書く。これも実績。そしてそのレビューがバズり、特定以上の数値のいいねをもらう。それも実績だ」
「はい」
「最近のゲームにはそのような実績システムが多くのソフトで実装されている。その実績はトロフィーとも呼ばれるな。だが、ただ積み重ねるだけでなく、ゲーム性を持たせたのがクリアチェッカーだ。特定の時間内でコースを走破する、一撃で特定以上のダメージを与えると言った即時判定型、累積で特定以上の距離を走行する、プレイ時間など実績蓄積型も存在し様々だが、要は開発側が設定した実績をクリアし、すべてのマスを埋めるのがクリアチェッカーということだ。もっと簡単に言うとスタンプラリー、シンプルを極めたもので言えば、夏休みのラジオ体操でもらうスタンプをもっとバリエーション豊かにしたものがクリアチェッカーになる。そしてシキミさんは……」
明智は言葉を一度飲み込み、慎重に選んだ。シキミは死ぬわけにはいかない。知性タヌキのいうように二十七歳は人が死ぬにしては若すぎるし、シキミには可能な限り長く生き、紬に次ぐカマエルの後任の化身の選定を引き延ばしてその間に紬を煉獄から救出し、彼女を再びカマエルの化身に戻すという使命がある。それに残されるものたちの悲しみは計り知れない。明智だってシキミの死は大きな傷になる。
「一つはクリアしたわけだな」




