キョンシーvsゾンビvsヴァンパイア 池袋炒飯戦記 #4
「タバコを吸っても?」
事務所を出て日光を浴びたテレンスは、七夕の笹の葉のように髪をさらさらとさせて、少しリラックスをした声で言った。彼はフォン大親分を嫌ってはいないが、やはり解放されれば少しは心境に変化があるのだ。
「ええどうぞ。というかテレンスさん、普段は池袋で歩きタバコしていますよね?」
「……見なかったことにしてくれ」
「わたしも一服。ただし歩きながらはやめましょう。事務所の前で一服。これはわたしのために。あなたは“札付き”のキョンシーかもしれないけど、わたしは品行方正眉目秀麗成績優秀な人間だから、歩きタバコを誰かに見られると困るんです」
テレンスとシキミはそれぞれタバコを一本くわえ、火をつけた。決して嫌がるよう様子ではなく、服へとヤニが移ることを避けてキクコは少し距離をとった。
「俺にはあなたに話したいことがあるが、あなたにも俺に話したいことがあるようですね。レディファーストでどうぞ」
「いえ、後回しでいいですよ。テレンスさんからどうぞ」
腰の曲がった白髪の老婆が事務所の前を通り過ぎ、テレンスの名前を呼んでにこやかに手を振った。
「你好、テレンス。最近は怖いことばっかりで、生きた心地がしないよ」
「いい冗談だな、ばあさん。もうばあさんは一度死んでいるだろう。だがキョンシーもあと一度死ぬと終わりだからな。食事には気をつけろ。特に外食は避けるんだ。自炊も可能ならば避ける。しばらくはインスタント食品がいいだろうな。冷凍食品、カップラーメン。そういったものがいい。事件はもうじき俺がどうにかする」
「ありがとう、テレンス。気を付けるんだよ」
どうやらテレンスはこの町で好かれているらしい。老婆は連続キョンシー殺害の池袋にあってテレンスと話す時だけは安心していたし、テレンスのアドバイスは具体的だった。もう何かを掴んでいるのかもしれない。
「と、まぁ俺は少しずつキョンシー殺害の手がかりを独自に探っていた。話してもいいか?」
「ええどうぞ」
「一つ。キョンシーは殺害されている」
「知っていますよ」
「それはあなたが途中参加だからだ。最初は何故キョンシーが死んだのかわからなかった。道士の術にはタイムリミットがあるならば、俺たちにも寿命があることになる。だがそうではなかった。フォン大親分がまだピンピンしていることが証拠だ。次に、東京23区を担当する天使の化身が死んだという噂が流れ始めた」
「……」
事実だ。カマエルの化身である鎌倉紬は、ゾンビの始祖である恩田から自分をかばって死んだ。
「力、正義、秩序のうち、正義に欠員が出たとなればカオスが起きる。そんなことは百も承知か……。だが、次なる正義の明智日日日氏と連携した、秩序のあなたたちがこの場を収めにやってきたとわかった時の俺たちの安堵……。理解してほしい」
「お察しします」
「次に殺害方法だが、俺は毒殺と睨んでいる。ヴァンパイア程多くはないが、俺たちにも弱点はある。具体的には糯米、黒犬の血、雌鶏の血、鏡、日光なんかだ。鏡や日光は克服したがね」
「そりゃそうでしょうよ、そんなにイカしたヘアスタイルなんだから、鏡がないとセット出来ない。わたしがキョンシーになっても鏡は克服したいですね。もう二度と自分の美貌を拝めないなんて!」
この女性は自己流のユーモアで、自分のシリアスを和らげようとしている。ともすれば傲慢にしか見えないジョークも、相手を不快にさせない範疇で面白おかしく見せるプライドの高いピエロ……。悪くない仕事相手だ。
「おそらく、糯米に鶏の血を混ぜたチャーハンが流通している。俺は外ではチャーハンを食わないし、フォン大親分は飲食店でもガスマスクを外さない。外では何も食わなかったキョンシーだけが生き残り、がつがつとよく食う生きのいい若手から先に死んでいる」
「それがテレンスさんの仮説ですか。検証はどうします?」
「そこが問題だな。ミドリカワファーマの岩瀬、『ブルーブラッド』の刃威砥のところに行って、おすすめの料理をお願いしますとでも言ってチャーハンが来たら確定とするか? 仮説の上に仮説では確実性に欠けるな。そこで俺がそれを食って死ねば確定かもしれないが、死ぬつもりはない。さぁ、シキミさん。あなたの話をするといい」
シキミは今吸っているタバコの火種を次のタバコに接吻するように移した。話し続けたテレンスはほとんどタバコを吸えていなかったが、次は自分がそうなる番だ。
「ゾンビのバックがミドリカワファーマというのは困った事態です。……あー」
「ここだけの内緒にしましょう」
「カマエルの化身である鎌倉紬。彼女はゾンビの始祖である恩田という男と戦い、死にました」
「仇か」
そこがテレンスの出来たところだった。紬が死んだ影響で抗争が起きているという仮説が裏付けられたことよりも、紬が死んだ傷が癒えていないシキミを慮ったのだ。
「知りたくはなかった。ミドリカワファーマの製品“ファイト一祓”はエナジードリンクであると同時に、強力な聖水でもあります。ゴーストやヴァンパイアによく効く。つまりナツメ商会としてはミドリカワファーマとコトを構えたくはないんですよ。組織としての大きさも歴然ですし」
ミドリカワファーマ。それは明治維新以前から続く日本最大の製薬会社である。世界的な大企業であり、製薬、エナジードリンク等の飲料、製菓など多岐にわたる分野で商品を展開し、研究機関としても世界屈指だ。
そのミドリカワファーマがゾンビと関係を持っているなど考えたくもなかったが、ゾンビシティである奈良県地下の山中研究所を作る資金力と規模はミドリカワファーマでないと不可能だと腑に落ちもする。そして医療の果てに死者の蘇生……ゾンビを作ってしまったという事実も、ミドリカワファーマならやりかねないと思えてしまう。
ならばシキミはミドリカワファーマを激しく嫌悪する。
経緯は不明だが、行方不明となったキクコは山中研究所の地下の昭和空間で、若返って記憶を失い、まるで着せ替え人形のような扱いを受けていた。
そして山中研究所を仕切る恩田と戦い紬は死んだ。紬の仇、キクコの生活と平穏、記憶、尊厳を奪った憎むべき敵だった。それでも敵のあまりの大きさに臆してしまった部分は否めない。
「それでも話すことは必要だ」
テレンスは断言し、タバコを携帯灰皿に入れた。ふぅぅ、とため息をつくと、サラサラの前髪が舞い上がった。……テレンスの前髪は長い。キョンシーである彼が、札を張られて制御されることを拒むために前髪を伸ばしているかのようにも見えた。
「さて、どうやってゾンビを探そうか。地道な聞き込みか、ミドリカワファーマのお客様相談窓口に連絡でもするか?」
「わたしなら探せます」
キクコは控えめ言い、鞄の中に手を伸ばして例のものに触れた。殺意が形を持った存在、怪殴丸。シキミとキクコのこの三か月のバディの中でも、怪殴丸は撃った相手を必ず殺してきた。それでも怪殴丸の殺意は晴れず、心は満たされていない。ならば、怪殴丸が唯一殺すことが出来なかった……それも三発も耐えた恩田を忘れるはずがない。その恩田と同じ波長をダウジングすれば、ゾンビはすぐに見つかるだろう。
だが、いくら池袋がカオスな戦場であろうとも、剥き出しの怪殴丸を持ち出して歩くことははばかれる。キクコは鞄の中で怪殴丸に触れ、オーダーを出した。そのままゆっくりと三六〇度回転した。方向を探っているのだ。声は出ていないが、唇はぷつぷつと動いている。何か奇妙な会話がなされているのだろう。
「具体的な回答があった訳ではないですが、怪殴丸からのレスポンスを整理するとここから南に数百メートルの位置にゾンビらしき波長が集まっているそうです」
キクコが指さした方角をテレンスがスマホの地図で確認した。中華街を抜けてバス通りを渡ると、池袋西口最大の名所である西口公園と芸術劇場が広がっている。人の往来も多く開けた場所だが、そんな場所に複数のゾンビ反応があることはにわかに信じがたかった。
「テレンスさんってスマホ使えるんですね」
「俺たちはキョンシーだが、塩分、ミネラル、水分は人間と同じように残っている。だから通常に静電気による反応が発生し、スマホは使える。同じ電気を使う仕組みでも脳波計、心電図のような神経の電気信号を拾うものは反応しない。えぇと……」
キクコに何ら落ち度はない。テレンスを怖がらず、普通に話してみようと思っただけだ。ただただひたすらに殺意のみを伝える銃とコミュニケーションを交わし、自他ともにその異常性に気付いてしまい、テレンスと話すことで自分は正常だと主張したかったのかもしれない。その場逃れじみて咄嗟に放った言葉が、思った以上にシリアスにキョンシーの生態を語る問答になってしまっただけだ。もちろんテレンスにも落ち度はなく、最後に気の利いた冗談でも言おうと言葉に困っている。
やれやれだ。明智、テレンス、キクコ。みんな真面目過ぎる。
「若手はみんなスマホゲームが好きだし、SNSも好きだ。スーパーチャットも飛ばす。俺は太平洋戦争が終わって香港が英国統治に戻った直後にキョンシーとして目覚めたから老人と呼べる域だが、幸いにもキョンシーになると感性は老いないらしい」
「そうなんですか? わたしと同い年ですね」
……。確かにテレンスとキクコは見た目の年齢は同じくらいで二十代前半だ。キクコは自分が若返っていることをめったに話さない。この発言は口を滑らせたというよりも、抱えきれない秘密を誰かに吐露しないと気が触れてしまうという判断、そして同じく老いないテレンスへのシンパシーなのだろう。
どうすべきなのだろうか? シキミは戸惑った。キョンシーであるテレンス、前例のない若返りと記憶喪失、そして人間としての機能の一部を失ったキクコ。自分だけが普通の人間だ。だからキクコにも普通の人間のように振舞うよう諭すべきなのか? それともテレンスのような怪異には、朝にキクコに説いたように胸襟を開いて話しをさせるべきなのか?
あまりにも怪奇に心を開かせすぎることは、祖母を怪奇と認めてしまうことと同義なのではないか?
「ゾンビ反応があったのはここです」
空中に大きく描かれる天使の光輪じみた輪。新しく生まれ変わってまだ数年の池袋西口公園の名所、グローバルリングシアターだ。いつものようにこの場所ではあちこちに人々が座り、睦言を交わしたりスマホを覗き込んだり、飲み物を飲んだりしている。そしてその一角に、少しくたびれたスーツを着たサラリーマン風の男と彼を囲むように白のポロシャツと紺のスラックスで統一された五人の程の若者の集団があった。
くたびれたスーツの男は厚いメガネをかけているが、その奥の少し眠たげに見える緊張感に欠ける表情の目は、その実レンズを貫通する程の猛禽じみた強い圧を放っている。一見はやさぐれたサボりの窓際サラリーマンだが、脱力と力み、緊張と緩和、柔と剛を強く内包した曲者の空気だった。
「あいつが岩瀬だ」
スマホを覗き込んだテレンスが言った。ロー・フォン大親分が掴んだゾンビを統率するミドリカワファーマの岩瀬。その男が……。世界的大企業の役職者である岩瀬が、池袋西口公園でスマホゲームに興じることが仕事だというのか?
「わたしが声をかけてきます」
「ああ、頼む」
ここで当事者であるキョンシーのテレンスが最初に接触してしまうとことが荒立つ。そのため、キョンシーに肩入れしていてもあくまでも調停者であるシキミが岩瀬に声をかけることは問題なかったし、ミドリカワファーマは紬の仇にして祖母の時間と記憶と尊厳を奪った憎悪の対象である。だからこそキクコも一緒には行かせられない。
……キクコ……おばあちゃん。記憶はどこからあるのだろうか? 恩田を撃つために怪殴丸に触れた時から? それとも無我夢中で東京に帰ってきてから? ミドリカワファーマ奈良県地下研究所で着せ替え人形のような扱いをされていた時期を思い出したりはしていないか?
祖母が怪異や憎悪の怪物になってしまう気がした。
「こんにちは」
「ナツメ商会の夏目樒、こっちは相棒の日出菊子。だろ? お決まりのフレーズだな」
「そういうあなたはミドリカワファーマの岩瀬十三さんでしょう? 大企業の役職者がこんな真昼間からお外でおさぼりゲームですか? ゾンビはお留守番?」
「……」
「なんとか言えこのタコ。わかってるな? わたしはお前らミドリカワファーマに祖母を攫われ、攫われた祖母は記憶と時間を消されてああやって自分の在り方に迷走してその辺のスケベオタクにコンカフェ嬢に間違えられて店の値段を聞かれたり、ナンパを断る時は子も孫もいると本当のことを言って頭のおかしい娘と思われている。恩田だって今すぐ八つ裂きにしてブッ殺してやりたいんだ。だがわたしは大人になってやる。池袋でのキョンシー殺害事件、知っていることをすべて話せ」
「奈良の研究所については言い逃れするつもりはない。そもそも俺はあの場所についてよく知らない」
「……」
「キョンシー殺害事件か。知っていることはある。情報提供はするが、それは決してお前たちに協力するからではない。この町のゾンビを守るためだ」
「ゾンビを守る?」
「一つ目。キョンシー殺害の疑いをゾンビにかけられると困る。二つ目。キョンシーが皆殺しにされれば次はゾンビが皆殺しにされる。三つ目。池袋のゾンビはキョンシーはもちろん、人間の敵でもない。それを理解してもらうために話を聞いてもらおう」
ぞろ、ぞろと歩み寄ってくる、夏服の高校生じみた白ポロシャツにスラックスの男たち。その足取りはどろどろの液体が詰まった缶を交互に降ろすように重苦しく、上半身は縦長の風船のように頼りなく揺れる。ゾンビだ。そしてそのゾンビたちは全員、手にスマホを持ち、とあるゲーム……『ポケモンGO』をやっていた。
「俺の話を聞き、この抗争中はゾンビを攻撃しないと約束するのならば、その交換条件にキョンシー殺害の真犯人とその犯行手口の情報を提供しよう」




