キョンシーvsゾンビvsヴァンパイア 池袋炒飯戦記 #5
一九七二年の冬、寒さの厳しい秋田県で岩瀬十三は生まれた。
運動も苦手ではなかったが、勉強は特段の成績だった。それでもクラスの人気者でも中心でもなく、無愛想な無表情や曲者じみた薄ら笑いで友達は少なかった。いや、いなかったかもしれない。
数学が特に得意という訳ではなかったが、教壇に呼ばれて数式を解けと言われた時、まだ学校で習っていない方法に思い至ってそれを黒板に書いたため、それ以降は教師からも扱いづらい生徒とみなされた。
岩瀬は優秀ではあったが、優秀さを活かすためには愛嬌が必要なのである。そして岩瀬にその才能はなかった。
この世の中には自分の正解と、一般常識としての正解があり、誰もがその乖離を抱えているが愛嬌のない自分にその乖離を覆すことは出来ないと悟った。ならば世間に合わせるだけだ。
彼はゲームが好きだった。特にゲーム内で職業やジョブを選び、自分の判断と構想でクリアまでたどり着くものを好んだ。登場人物をドライに便宜上駒と認識しても、将棋の駒はカスタマイズ出来ない。だから彼は自由な編成と育成が出来るゲームが好きだったのだ。
彼は東京の大学に入学する。自分の中の正解と世間の正解、どちらも理解していた彼にとって、感情のない解答用紙を通してコミュニケーションを試みる教育者の求める正解を演じることなど造作もなかった。
そして激務で知られる製薬業界の中では比較的労働環境が緩いミドリカワファーマに総合職として入社したのである。前述のとおり、世間にとっての正解を演じることなど岩瀬にとっては造作もなかった。
そこからは順調に仕事をした。愛想笑い、お世辞。
稼ぎのいいミドリカワファーマで出世し、最新のゲーム機は常に揃えた。
伴侶、息子にも恵まれ、家庭では会社からは想像も出来ないくらいの子煩悩の愛妻家だった。それに演技やウソはなかった。自分のすべてが否定されているわけではないと心が安らいだ。息子とゲームで対戦する時は心底楽しかったし、日々強くなる息子の成長も嬉しかった。
四十代も終盤に差し掛かり、役員候補に名が挙がるかというタイミングで彼のエリート会社員人生は壊れた。
「ミドリカワ・バイオ・プラントへの出向ですか?」
「それも社長だ。栄転だよ。よかったな」
それは、事実上の左遷だった。
ミドリカワ・バイオ・プラントは池袋にオフィスを構える完全子会社であり、バイオ資源の研究プラントとされているが、池袋のような大都市に大規模な実験施設を持つことは不可能。MBPから帰ってきたという社員の話、MBPに出向した社員の情報は聞いたことがなく、そもそもミドリカワ本社の社員ですら本当に実在しているのか疑うような会社だった。情報を整理すれば、役員にするには不足だが働き盛りを過ぎた優秀な社員の墓場、不祥事を起こした社員の追い出し部屋……。そのように予想されていた。
ここまでミドリカワ本社のために尽くして来たのに、最後の最後にこの扱いか。ばりばり働けなくなったら年寄は厄介払いか……。
そこで、ようやく岩瀬は自分が驕っていたことに気付いたのである。
自分を押し殺して模範解答を演じてきたつもりだが、やはり演技には限界があるし、ストレスも溜まる。人の本性は隠せない。自分はやはり、人とは少しズレた、無愛想で曲者で、愛嬌も愛想もない扱いづらい男だったのだろう。優秀なだけではダメなのだ。
「なんだこれは……」
北池袋の小さなビルが丸ごとミドリカワ・バイオ・プラントの社屋だった。総合職はおらず、一般職の女性が二名。最低限の運用人数だった。前社長は引継ぎ資料のみを残して退職したようだった。
そこに記されていたのはバイオ資源……俗にゾンビと呼ばれる存在に関する社外秘の資料であり、MBPはミドリカワファーマが生み出したゾンビの研修に関わる会社だった。
そして社外秘であるため、MBPに出向するまで岩瀬もゾンビのことなど知らなかったのだ。
だがミドリカワファーマならばゾンビを作ってしまってもおかしくはない技術力を有し、社員ですら知らない謎の施設も多くある。同族経営であるミドリカワファーマには創設者の血を引く正体不明の社外取締役も多く、決して健全な会社とは言えない。
「すまないが、ゾンビについて教えてくれるかね」
岩瀬は仮初の愛想と愛嬌を捨てた。自然体の無愛想で一般職の女性にゾンビについて聞いてみたのだ。どうやらMBPは新卒採用をしていない。まだ若い彼女たちも、なんらかのトラブルに巻き込まれてミドリカワから飛ばされたのだろう。
それでも引継ぎ資料だけを残して消えた名も顔も知らぬ前社長よりも、彼女たちはこの会社について知っているだろう。この分野においては赤ん坊同然に無力な新社長はゾンビの特徴を聞いた。そして奇妙なことに、この会社に左遷されたであろう一般職の二人はミドリカワ本社に務める、常に高い気品と矜持による緊張を求められる女性たちよりもリラックスし、ゾンビなる完全な超常現象を扱う会社でありながら、その存在に過度な……いや、ほんの少しも恐怖を抱いておらず、どこか彼らに親しみさえ抱いているように見えた。左遷された絶望は微塵もなかった。
「身体的、精神的、知的な刺激による成長か」
ミドリカワファーマの別の部署か別の系列会社が調達したゾンビは、一時的にこのMBPに送られてくる。どうやってゾンビを調達したかは岩瀬の権限では知りえない。だがゾンビは初期状態では非常に非力であり、肉体がプロレスラーでも三つの刺激……俗に経験値と呼ばれるものを積まなければ、女子中学生にすらケンカで負ける程弱いという。
「研修の必要があるのか」
ゾンビの成長に限界はないようだが、時間経過では成長せず、ゾンビ同士の会話や接触でも成長に作用しない。そのために必ずゾンビ以外のものとの対話や交流、或いは戦いが必要なのだ。
「ゲームと同じだな」
さらにゾンビはどの順番でどのような刺激を受けるか、そして個体差により仕上がりが変わってくる。まさに岩瀬が愛した自由なパーティ編成のゲームと同じだった。子供の教育にも通ずる。子煩悩な彼は日ごとに成長する子供たちが好きだったし、自分の教えや与えたものが継承されていく喜びを週末のゲーム対戦のたびに感じていた。
「つまり俺が好きなようにゾンビを育てていいんだな?」
そろそろ三十路に差し掛かろうとかという一般職の女性……杉田はからころと愉快気に笑った。
「今までに、この会社で本当にゾンビを育てようとした社長はいませんでしたよ」
「どういう意味だ?」
「皆さん、この会社に出向を命じられた時点で絶望し、ここではたまに回ってくる書類にハンコを捺すだけの仕事に徹していました。そしてすぐに辞めていく。そもそも、社長直々でゾンビを育てなければならないこの環境がおかしいのに、岩瀬社長はそれをしようとしている」
「可笑しいか?」
「可笑しいです。でもバカにしてるんじゃあありません。本社でばりばりだったのに、本気でゾンビと向き合おうとするなんて……。ミドリカワ本社のエリート営業とは思えなかったから。いっけない、これも嘲笑じゃないんです。結論から言うと、尊敬と驚きです」
「ああ、“真面目に不真面目”だな。昔息子によく読んでやった児童書のヒーローのキャッチコピーだ」
「差し支えなければ教えてほしいんですけど、ゾンビを本気で育てようと思ったその理由は、復讐ですか? それともゾンビへの興味ですか?」
こうやって話しているだけでも、杉田は本社に向いている人間ではなかったとすぐにわかった。この社員は愛想は非常に良い。話しているだけで気分が軽くなるような女性だが、それは杉田の天性の愛嬌だ。ふとした瞬間に、相手が不快にならないように敬語ではなく口語になる。立場に関係なく軽やかに、楽しげに話す。こういう人間は、未だ旧態依然としたミドリカワファーマ本社では、可愛がられるのは最初の三年だけだ。
「どちらでもない。自分への興味だ」
ミドリカワ本社に見捨てられたことはもういい。前例が全くないが故に自分の行動はすべて明確な正解か明確な失敗として記録される。すべて自己責任だ。
すべてのしがらみがなくなった時、自分は何を基準に、何を目標に、何を理由に動ける人間なのか?
その何色かわからない自分への興味という色を、真っ白なゾンビに描いて自分で見て確かめてみようと思った。
「ゾンビは今はどうなってるんだ?」
「この社屋の地下で、インターネットカフェのような小さなブースを与えられて暮らしていますが、今はまったく経験値がない状態ですね」
「杉田くんは彼らが怖くないのかね?」
「今は全然。あとは岩瀬社長が彼らを怖くないように育ててくれればいいだけですよぉ。是非、お茶くみやコピー、受付や経理が出来るゾンビを育ててほしいものです」
岩瀬は杉田を伴って地下へと足を運び、ブースを見回ってみた。そこでは十人程のゾンビが椅子に座ったり、簡易なマットに寝転がったりしていた。特に腐臭や肌の色の異常はなく、一見すると死人ではなかった。彼らは入院患者めいた簡素な衣服に識別番号の名札を縫い付けられていた。何も食べないのか不潔な様子はなく、それ以外の簡単な世話は杉田が面倒を見ているのだろうと推測した。
光のない目……ゾンビだからではなく、何もない、ゼロの記憶と自我が故の光のなさ。今は動くことが出来ても、生物……ゾンビを生物と呼ぶのもおかしいが、自力で考えて動く存在ではなかった。ゼンマイ仕掛けのおもちゃのように、極めて短調な動きを繰り返し、ゼンマイが切れればしばらく停止。そしてまた再始動といった形だ。
「今までの社長は彼らをどうしていた?」
「何もしていませんねぇ。MBPは一度も成果を出したことがない会社です」
「ということはつまり……。君が入社して以降、ここのゾンビは入れ替わっていないんだな?」
「そうです。ここから先、本社や山中研究所に出荷……出世? 出来ないから、新規でゾンビがやってきたことはないですね」
「彼らに名前は?」
「ゾンビ」
「個々のだ」
「今までに彼ら一人一人に名前を付けた社長はいません」
「そうか……。よかったな。君たちが一期生だ」
呼びかけにレスポンスはなかった。声というより音に反応したゾンビが、少し声帯を震わせて奇妙な音を出しただけだった。
「杉田くん。今すぐ本社に資金援助の依頼文書を作ろう」
「何を買うんです?」
「ニンテンドー3DSをゾンビの人数分」
「ゲーム機?」
「それから、俺はすぐそこのブックオフに行ってくる」
「え……。ゲームでゾンビを育てるつもりですか?」
「先に言っておくが俺は正気だ。そしてその通りだ。俺はゲームでゾンビを育てる」
杉田はまたからころと鐘を鳴らすように笑った。岩瀬はにやりともせず無愛想なままだったが、杉田がこうやって笑うのを楽しく感じた。もし杉田がいなければ窓際を超えて墓場に飛ばされた絶望で自分がゾンビになっていたかもしれない。
「ゾンビ教育用備品ニンテンドー3DS十台、ですか。そんな書類、作ったことないよぉ」
この日、岩瀬はありったけの中古ゲーム屋を回り、ソフトを買ってきた。領収書はすべてミドリカワ・バイオ・プラント。
ネット販売で旧世代機となったニンテンドー3DSをゾンビの人数分用意し、初期設定を行った後に十人のゾンビを大会議室に集めて社長直々に集めてきた中古ソフトをスロットに挿した。
「懐かしいぃ。『ポケットモンスター』ですか」
「その旧作『X・Y』だ。これをゾンビにプレイさせる」
「わたしの大学生時代に直撃でしたよ。でもなんで『X・Y』?」
岩瀬は杉田に理由を話した。
歴代の作品で最も低難易度であるためゾンビに成功体験を与えられること。出現するポケモンの種類が多いのでパーティ編成の自由度が高く、それぞれが感性と効率のどちらを重視してパーティを組んでも低難易度故にクリアは可能。主人公の着せ替え機能の実装により見た目の個性も出る。そういった理由だった。くわえて、最近は一緒にゲームをやってくれない息子と最後に本格的に遊んだソフトでもあった。
「……」
000003とナンバーを振られたゾンビが3DSに興味を持った。ボタンの試行錯誤の末、新しくゲームを始めたこのゾンビは、自分の名前を聞かれるシークエンスで意味も分からずボタンを押し、自らの名前を「あいおい」と入力した。
「お前の名前はこれから相生だ」
こうしてゾンビたちはめいめいに自分の名前を自ら選び、個々の名前を獲得したのだった。やがて十字キーでカーソルや主人公が移動すること、AボタンとBボタンの役割、もっと初歩的な部分で言えば充電が切れればソフトは中断されること、セーブ機能といったものを覚えていった。
特に相生の成長は著しかった。いち早くボタンの役割を覚え、最初に選ぶパートナーポケモンを適当なボタン操作でランダムに選んでしまったのではなく、しっかりと吟味している様子が見られた。その彼はセーブ機能と充電を知らないまま旅を続け、本体の電源ダウンと同時に今までの旅の記録が消えた時にようやく人間らしく慟哭した。愛着と喪失の概念を習得したのだ。
試行錯誤の末にセーブ、充電を覚え、同じパートナーポケモンを選び、彼はまた旅をした。最初に選んだポケモンはケロマツ。彼は都合、二度ケロマツを選んだことになるが、数か月してそのケロマツが最終進化のゲッコウガになった際、その表情や行動の変化はケロマツからゲッコウガ以上の大きな成長の幅だった。プレイ時間も二〇時間を超える頃には、簡単なコミュニケーションは可能になっていた。
岩瀬は懐かしく思った。まだひらがなもろくにわからなかった息子も、最初はゲームで文字や言葉を覚えていったのだ。
言葉を覚えたゾンビには、学生時代に『X・Y』をプレイしたという杉田にアドバイスを求めるように教え、実際に聞きに行くゾンビもいた。そして杉田はゾンビを恐れず、差別もしなかった。心底彼女がいてくれてよかったと岩瀬は感謝した。
「どうした相生。また旅をしたいのか?」
「ハイ……社長。もう一度旅をしたいです」
「ならばデータを消すしかないな」
「データを消す……」
「お前が今までに育てたゲッコウガは消える。だが次のゲッコウガは育てられる。どうするもお前の自由だ」
ぐもおおお、と相生は頭を抱えて悩み、結局データを消すことはなかった。岩瀬としてはどちらでもよかった。選択の重みを知ることは必要なのである。
「だいぶ育ってきましたね、社長」
「そう思うか」
キンキンに冷えたペットボトルのお茶を杉田のグラスに注ぎ、岩瀬は自分の3DSに向き合った。もしも……。もし、ゾンビたちが力をつけ、自分たちの力を試したいと言い始めるのであれば、自分がラスボスとして立ち塞がりたい。勝っても負けても岩瀬は満足だ。
「……社長は本当に、本社への復讐の気持ちはないんですか? 本社の鼻を明かせますよ」
「驚かせてやりたいとは思う。結果的によかったのかもしれないが、それでも本社の人間に君のゾンビ育成は成功したからMBPに行けてよかったな、などと言われたら俺は耐えられないだろうな。君こそ本社に戻りたいと思わないのか?」
「今、一番面白い会社でしょう、ここ。……次のフェーズに移ったらどうですか?」
「次とは?」
「今のゾンビたちは、もう知的、精神的な刺激を得て小学校低学年くらいの能力はあると思うんです。次は身体的刺激。体を鍛える時間では?」
「じゃあ『ポケモンGO』だな。町を歩けば体も鍛えられるし、外の世界を見ることで得られる知的、精神的な刺激は計り知れない。では杉田くん」
「オッケーイ。人数分のスマホ、服を用意します。また本社に申請を出しますね」
こうして、まずは成長著しい相生を連れて岩瀬は池袋で『ポケモンGO』をプレイしてみた。調べてみたところ、池袋西口公園は『ポケモンGO』のプレイに適しているとのことだった。オフィスのある北池袋から西口公園まで歩くだけで相生の体力は限界を迎えつつあったが、池袋の摩天楼を見て
「まるでミアレシティみたいだ」
と連想や比喩まで扱うようになった相生の成長は、岩瀬にとってはこれ以上にない肯定で救済だった。自分を切り捨てた本社を許す気はないが、MBPに来られてよかった……そう思うことはここ毎日だった。
「帰社した」
「おかえりなさい、社長」
「杉田くん。相生から渡したいものがあるようだ」
相生は安いグミの袋を不器用にぐしゃりと掴み、杉田に手渡した。死人を道具のように扱う悍ましい企業に管理される死人でありながら、どこか児童向けの絵本のようなハートフルな光景がアンバランスで、岩瀬はにやりと口角を上げた。
「姉さんに教わって育てたオンバーン、強いです」
「……。もう、社長。姉さんって呼ぶように教えたんですか? これで相生くんにプリンを買ってあげなければならなくなりました。全員分は買えませんよ」
「そうか」
「……その笑いは何ですか? 嬉しいのは、何ですか?」
一見無愛想な言葉も、杉田が言えば愛嬌。
「さぁね」
こうして、『ポケットモンスター X・Y』で言葉、情緒、システムと言った基礎中の基礎を学んだゾンビたちは、岩瀬の引率のもと『ポケモンGO』で体を鍛え、町を知る。
これが、池袋のゾンビの生態だった。
〇
「話の腰を折って茶々を入れるようなら情報提供はしない。まずは俺の話を聞け」
「それでもいいけど、話を聞いてもらえなくてゾンビが敵認定されると困るのはあなたでしょう? 岩瀬さぁん」
「そうか。じゃあこの話はお終いだな」
「いいえ、いいですよ。わたしが下手に出てあげましょう。お話を聞いてあげます」
岩瀬も百戦錬磨のサラリーマンである。シキミの本質を見抜くなど容易い。この娘……難儀な娘だ。プライドが高すぎ、挑発やブラフを仕掛けてくる割には心理戦に弱い。むしろこれは岩瀬へのジャブというよりも、自分が聞き役に徹することに対する自分への言い訳だった。
「まず、ナツメ商会にも記録されている通りにゾンビは経験値の取得がない状態では無力だ。俺が管理している池袋のゾンビは非常に弱い。ケンカではあなたに、知恵比べでは小学生にも勝てない。同じリビングデッドでも覚醒直後から超人的な能力を発揮するキョンシーとはそもそも仕組みが違う。その状態ではキョンシーと敵対しても勝てるはずがない」
「今は、でしょう?」
「俺が池袋で管理しているうちはキョンシー、人間はもちろん、誰にも危害を食わせさせるつもりはない。俺はただ、この池袋でゾンビにゲームをやらせているだけだ」
「信じる根拠は?」
「現時点で示すことは出来ない。だが、俺の話を最後まで聞けばキョンシー殺害の犯人と手口を教えるというギブアンドテイクでは納得出来ないか?」
テレンスは興奮するシキミの肩に手を置いた。その手は死体なので冷たかったが、キョンシーの若頭は岩瀬の話を聞くようシキミをなだめた。
「むしろ、俺たちは共通の敵を抱えているとも言える。ゾンビに流れる血はなんだ?」
「血は流れていない。死んでいるから」
「正解は“死人の血”だ。何かわかるだろう?」
「つまり、この池袋でキョンシーとゾンビの共通の敵はヴァンパイアか!」
死人の血。それは、一部の妖怪や悪霊に対し非常に強力な毒となる。ヴァンパイア、ワーウルフ、餓鬼などはこの死人の血に摂取すると弱るとされるが、倫理上の問題からナツメ商会では悪霊退治の道具として実装はされていない。
だが、その“死人の血”を持つゾンビそのものが兵士として戦力になるのなら? ヴァンパイアにとっては交戦中の吸血も出来ない天敵となる。
まさかミドリカワファーマは……。そういった妖怪から何かを守るための私兵としてゾンビを育てているというのか?
同時に気が付いた。何故、岩瀬は表向きは家電修理とクレープキッチンカーのナツメ商会が悪霊退治をして怪異の図鑑を所蔵していると知っている? やはり恩田が示唆したように、ナツメ商会にはミドリカワファーマが潜入させた内通者がいるのだろうか?
「俺は肯定も否定もしない。会社の損になることも言わない。判断は任せるが、そうだな……。都電荒川線の線路沿い、向原駅の近くにある男女ヶ門という町中華に行くと良い。店主のハセガワに話を聞くんだ。一つ、これはサービスだ。そちらのキョンシーさんは、そこでは何も食わない方がいい。水も飲むな。あー……。そうだな。昼に行け。日の高いうちに」
つまり、岩瀬の言いたいことを整理するとこうなる。
ゾンビは現段階では実戦投入は不可能な状態。
ゾンビはキョンシーと人間に敵意はなく、それは岩瀬が保証する。それが岩瀬の意向かミドリカワファーマの意向かは不明。
オメガ門のハセガワなる人物はキョンシー殺害の重要参考人だが、ヴァンパイアが行動不可能な日中も行動出来ることからヴァンパイアではない。
そして、ナツメ商会にはスパイがいる。
無愛想で曲者然とした口調と態度の割にはサービスのいい男だった。
「感謝は言います。ありがとう」
「参ったな。実は俺の方が話し足りない。最後にもう一つだけ言わせてくれ」
「なんです?」
「俺はこの町でゾンビを育てている。ミドリカワ本社の命令でな。だが、俺は自分の育てるゾンビを恩田のようにするつもりはない」
「ゲームでご機嫌に育てているくらいですもんね。ミドリカワファーマが『ファイナルファンタジー7』の神羅カンパニーだとしたら、ゾンビは改造人間で私兵のソルジャー。こういう認識なら、恩田は暴走したセフィロスという訳ですか」
「君の世代でそのゲームを知っているとはな。だが先程も言った通り、俺は肯定も否定もしない。会社の損になることは言わない。だが個人の感情として、割とお前は気に入った」
お前。お前と呼ぶのは一見粗暴で尊大に聞こえるが、相手が不快に思わなければ適度に距離を詰められる面白い言葉でもある。
食えない男だが、不思議とシキミも岩瀬を悪くは思わなかった。
曲者、反骨、無愛想。そしておそらく優秀、それ故の挫折。自分と同じだ。そして理由はわからないが、岩瀬が恩田を嫌悪しているという情報に安堵した。ならばこの男の不器用な愛嬌に免じ、これ以上の追及はしない。……追及することで、ミドリカワファーマの研究所に幽閉されていたキクコの記憶が戻り、壊れてしまうような気もした。
「ありがとう、岩瀬さん。多分、わたしたちがこの池袋抗争を鎮めることがあなたの得になるんでしょう?」
「俺と俺の育てるゾンビのな。さぁ、オメガ門に行け」
ぷいっとそっぽを向くように岩瀬はスマホの画面に目を落とした。
すぐに人間、若返った人間、年を取らないキョンシーの三人組は去って行った。若返った人間とキョンシーは岩瀬に深く頭を下げ、礼を尽くした。
「先生」
「どうした、相生」
成長著しいゾンビ、相生。他のゾンビがまだ身体的、精神的、知的のレベルではよくて中学一年生程度かという中、相生は高校卒業程度の成長を遂げていた。
「もうちょっと愛想よくしてもよかったんじゃないですか?」
「いいんだ。俺はこういう態度がカッコいいと思っている。……それにお前たちが怪殴丸で撃たれたらたまったものではない。クソッタレの恩田は三発も耐えたようだが、お前たちなら即死だ」
「彼女たちに協力した本当の理由って、僕たちがキョンシーや人間に攻撃されたり、ヴァンパイアがキョンシーを滅ぼした後はゾンビがターゲットになることじゃないんでしょう?」
「お前たちの安全が一番だが、確かにキョンシーが殺されるのは気分がいいことではないな。俺の地元で誰かが殺されるのは気分は悪いことだ。種族に関係なく」
「ふふっ」
「なんだ?」
「杉田姉さんがいつも言ってますよ。社長ハ本社デハヤッテイケナイ人間ー、って」
「あいつ……。帰ったら説教してやる」
岩瀬はベンチから立ち上がった。年齢も年齢、気温も気温。膝は軋み、少し立ち眩みもする。だがまだ老いを理由に退く気はない。日々成長するゾンビを先導し、『ポケモンGO』をしながら池袋を闊歩してやる。
「会社に帰るぞ。帰ったら一人三戦以上、ポケモン対戦と、決着後に感想戦を行って互いにフィードバックすること」




