キョンシーvsゾンビvsヴァンパイア 池袋炒飯戦記 #3
「いつもの可愛いお洋服は着ないんですか?」
「お仕事ですし、わたしもこれでも社会人のつもりです」
一夜明けた月曜日。シキミはいつも通り開襟シャツにパンツスーツを着込み、安いペットボトルのコーヒーを安い豆乳で割ったソイラテを飲んだ。平日のユニフォームとルーティンだ。キクコの服装にオンオフの概念はほとんどなく、いつもお嬢様女子大学生のようなふりふりの格好をしていたが、相手が怪異ヤクザであることと天使の化身から請けた仕事であるからか、間に合わせとして礼服で部屋から降りてきた。
「別にこの仕事に服装の決まりなんてないでしょう。ならなんだっていいんですよ。コメディアンにはコメディアンの、プリンセスにはプリンセスの、ロックンローラーにはロックンローラーの服装がある。普通の大学を卒業するけど、卒業前にミュージシャンになることが決まっていたからそのメイクと格好で卒業式に出て、自分はこれで社会に出るのだから自分の社会人としての装いはこれだ、と言い張った人もいます。わたしがスーツなのはスーツが好きだから。別にいい子ぶってるわけじゃない」
「そういうものですか」
「そういうものです。襟を開けて話しに行くんだから、むしろ自分を現す服の方がいいんですよ。それに、線路を跨いでサンシャイン方面に行けば、普段のキクコさんみたいな女の子はたくさんいる。それに日差しもきついですよ。日傘の出番です」
説教とは感じなかった。取り繕って服装を整えるより、腹を割って話すなら自分のプロフィールを明かす方がいいという孫娘の言葉は正しい。
「少しお時間をいただきます」
そうしてキクコはいつもどおりのふりふりの服に着替えた。その間に、換気扇の下の灰皿代わりの空き缶には三本程吸い殻が増えていた。がり、と孫娘はミントタブレットを噛み砕き、鍵を閉めた。キクコがシキミと一緒に暮らし始めた頃、シキミは怪殴丸を使用した代償で歯が一本抜けていたため、タバコもミントタブレットも顔をしかめて口に入れていた。今は平気だ。つまり、二人はもうそれなりの時間……。歯が抜けた傷が塞がる程の時間を共に過ごしている。紬を喪った心の傷は癒えていないようだが、自分が少しでもその代わりになっているならば……。キクコはその自分を象徴するご機嫌な日傘をさして、シキミと駅へと向かった。
ぐいん、と急カーブで西武池袋線は巨大なターミナルに入っていく。エスカレーターを下って地下道へ、そしてジュンク堂側の出口から駅を出て、高架下をくぐると西口方面へと向かった。高架下は水の腐った悪臭がほのかに漂い、下品な落書きと公的な施設としてのアートが壁で縄張り争いをしていた。
「わたしの勉強不足なのですが、聞いてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「ナツメ商会はキョンシーの存在を認め、キョンシーコミュニティの縄張りとして池袋西口を与えているようですね」
「ええ。池袋西口とキョンシーコミュニティに特に深い関係や由来はないですが、彼らがそこに住むと決めた時、ナツメ商会として異論がなかったからそう決まったようです」
「でも、今回殺されているキョンシーたちは戸籍がないか、既に死んでいるか。その状態で働いたり、銀行口座、住所を持つことは可能なのですか?」
「先に答えを言うとそこの問題はクリアです。ナツメ商会のわたしたちとは違うセクターが動いていますね。一見グレーだけど、きちんと突き詰めればホワイトになるように仕組みが出来ている。でもグレーに見えるようにしておくのが都合がいいからそうしているだけです」
「そうなんですね」
実際、キクコも失踪の後に死亡認定されて支払われた生命保険の返還で保険会社と、実年齢七十七歳だが若返った体で働いている状態で年金を受給しているので年金機構と、グレーゾーンでやりとりをしている。グレーを全部白とハッキリさせることは得策ではないのだ。
「でも、キョンシーコミュニティは暴力団……。やはり口座や住所は持てないのでは?」
「彼らはチャイニーズマフィアのような体系を築いているだけで、実際は経済的にはクリーンなのですよ。歩きタバコ程度はしますがね」
「……」
「納得いかないかもしれないけど、そうものです。力、正義、秩序の三つを一つの存在でどうにかしようなんて無理です。そんなことが出来るのはウルトラマンだけ。力はキョンシーコミュニティ、正義は明智さんや紬さんみたいな天使の化身、秩序は上手く抜け道や隙間を探してナツメ商会が灰色に収める。そういうものです。みんなちょっとずつ妥協はしています。それでバランスが取れていたんだから、それ以上は求めない。だからこそ、力でバランスをとっていたキョンシーが攻撃されているのだから、正義と秩序が動くしかないんです」
しばらく西口チャイニーズタウンを歩いたシキミはスマホのロックを解除し、何も確認せずに雑居ビルの階段を昇って行った。シキミの記憶力を以てすれば、明智から伝えられたキョンシーコミュニティの事務所など住所の確認もせずに辿り着ける。
一段上がるごとに甘いにおいが鼻腔をくすぐり、やがて心地よい湿気が二人を出迎えた。茶のにおいだ。ジャスミン茶、ウーロン茶、それからじゃらじゃらと麻雀牌の鳴る音。少しタバコのにおいも混じっているが、やはり茶のにおいが濃かった。
扉の前には一人の見張り番が立っていた。くたびれたアロハシャツ……昨日殺害されたキョンシーとよく似たアロハシャツに短パン。スマホをいじり、訝し気に左眉を上げてシキミを眺めた。本心としては同胞が次々と殺害されていることに怒りと恐れを抱いているのだろう。それを悟られないようにするため、スマホをいじってタフをアピールしているようにも見えた。
「こんにちは。ナツメ商会の夏目です。こっちは相棒の日出」
シキミがスマホに明智の顔写真を写し、見張りに見せると彼は右眉も上げ、驚いたような表情を浮かべた。明智はこの界隈では有名らしい。
「你好」
「ロー・フォン親分は?」
「出かけています」
「中で待っても? わたしも麻雀は好きでねぇ」
「……今、池袋は危険だ。安全な場所なんてないぞ」
「知っていますよ」
「だから早く中に入れ。フォン親分はすぐに帰ってくる」
扉を開けると茶、タバコ、麻雀。人間と見分けのつかないキョンシーが五人程、何に興味があるのかわからないがワイドショーを垂れ流しながら麻雀卓を囲っていた。この空間だけは聖なる結界に守れらた聖域であるかとでもいうように平和……というよりも安心と平穏の空気が流れ、麻雀卓の男たちは小さく会釈をした。一人、麻雀卓から離れたところにいるさらさらヘアーのおかっぱの男が、よく手入れされて真珠のように艶めく茶碗を二つ並べ、ソファにシキミとキクコを促した
「そちらのメガネのお嬢さん、昨日見かけたな」
「その節はどうも。お悔やみ申し上げます」
「俺たちはキョンシーだ。もう死んでいる」
「……」
それは、一種のギャグなのか? シキミとキクコはリアクションに困り、おかっぱの男も言った後で少し困惑して給湯室に向かい、二人の客に声をかけ直した。
「ジャスミン茶とウーロン茶、どちらがいい? 普通の茶と工芸茶、それも選べるぞ」
「ジャスミンの工芸茶を」
キクコも同じのを、と続けた。おかっぱの男は戸棚からビールジョッキを二つ取り出し、球状の茶葉を底に転がした後に、まだぐつぐつと沸騰している鉄瓶を携えて戻ってきた。丁寧にお湯を注ぎ、テーブルの上に置いてあった週刊少年ジャンプの最新号の上に鉄瓶を置いた。やがて工芸茶はお湯でほぐれ、ジョッキの中に花が咲いた。
「写真を撮ってもよいですよ」
見透かしたようなセリフだった。キクコはこういう可愛いものに目がない。だが、いくら説明を受けたと言え、キョンシーコミュニティは暴力団、池袋は戦場、天使の化身じきじきの依頼という緊張がまだほぐれない。
「俺はテレンス。テレンス・ファー。わかっていると思うが、キョンシーだ」
暴力団の体系的に呼ぶなら、この男は幹部……若頭とでも呼ぶべきポジションだろう。落ち着き、経験、人間としての厚みが違った。おそらく天性のものだろう。キョンシーの仕組みは不明瞭な部分が多いので、その天稟の素質が生前のものか蘇生時のものかはわからないが……。
「改めましてよろしく。夏目樒です。明智日日日氏の依頼で、キョンシー殺害事件の調査に来ました。ロー・フォン大親分にお話を伺いたいです」
「フォン大親分に話を聞くのもいいが、まずは俺の話を……」
蛮! と凄まじい音で扉が蹴り開けられ、テレンスは温和で柔和だった目を水が流れるようにするりと殺意と敵意のものに変換し、玄関を睨みつけた。その瞬間、特別強い霊感の持ち主でもないシキミにも事務所内の空気が変わるのが理解出来た。空気の密度……。何か、今まで存在していなかった何かが前触れもなく、事務所内の既存のものとして書き込まれたかのような違和感。強い霊感を持つキクコは震えあがり、縮こまって鞄の中の怪殴丸に手を伸ばしかけた。そしてここが殺気立つキョンシーのアジトであることを思い出し、刺激することを避けて堪えた。
空気に書き込まれた何か……。それは扉を乱暴に開けたものの怒りや存在感ではなかった。目の前のテレンスが、警戒と同時に何か説明のつかぬ行動をとったのだ。
「フォン大親分ですか。早かったですね」
その証拠に、事務所にやってきたの大親分であるとわかった途端に不穏で奇妙な存在感はかき消えた。
それでも憤怒するキョンシーコミュニティの支配者もまた危険な存在である。ロー・フォンはフルフェイスのガスマスクの弁を非常に短いスパンで開閉させ、レンズを曇らせてソファに座るシキミとキクコを睨みつけた。
「こいつらは誰だ? 誰でもいい。通したのは誰だ? チャウか?」
「チャウです。しかし大親分、事情が……」
「チャウ!」
ロー・フォンがチャウと呼ばれた手下にビンタを食らわせる。窓がビリビリと震えるような音量を立てて張られたチャウの頬が真っ赤に腫れあがる! だが、ローはチャウを拳で殴らなかった。拳で殴るとチャウは歯が折れる、頬骨を折るなどのケガをしてしまうが、ビンタではそういうことはない。そういう観点からも、ローがチャウにビンタをしたことについては何も問題はなかった!
「テレンス、説明しろ」
「はい。このお二方は明智日日日氏の依頼でやってきたナツメ商会の夏目樒さんと日出菊子さんです」
「で?」
「詳しくはこれから話をします。大親分も同席してください」
「お利口ォオ。お利口だねぇテレンス。ちょうどいい……。よく聞け。ゾンビ共のバックはかなりヤバい。ミドリカワファーマの岩瀬という男が怪しい。ヴァンパイアはクソガキだ。だが力をつけたクソガキが一番手に負えねぇ。ホストクラブ『ブルーブラッド』経営者の鳥蛇刃威砥。やつがここいらのヴァンパイアのボスだ。ミドリカワファーマの岩瀬、『ブルーブラッド』の鳥蛇刃威砥。この二人、どうにかしてこい」
「どうにかって?」
「知らねぇよボケ! 池袋抗争は片をつける、過程はどうあれお前がどうにかする。それがお前の仕事です。そっちの嬢ちゃん二人にもよく話しておくことだ。おいウー! 代われ」
フォン大親分はそのままウーと呼ばれたアロハシャツに代わって麻雀を打ち始めた。嵐のようにやってきてケダモノのように罵詈雑言をまき散らし、今は草木のように静かに麻雀を打っている。
故にこの男、獰猛。誰よりも自分勝手だった。やはりキョンシーコミュニティは暴力団……。少なくともキクコは、テレンスには好感を持ててもフォン大親分は好きになれそうもなかった。
「大親分はあれでいいんです」
テレンスは静かに言った。
「組織のトップは、ある程度短気な人間の方が向いている。ゾンビ、ヴァンパイアのどちらか知らないが、俺たちキョンシーを攻撃することは看過出来ない。同胞を次々殺されても、平気な顔でヘラヘラとしていたり、形式上遺憾と言うだけでは何の意味もない。トップはキレる、でも行動は下の人間の意思に任せる。つまり俺だ。そのための俺だ」
「……テレンスさんが謂れなく怒鳴られても?」
「そのための俺だ。そして、それが組織だ。それにフォン親分はちゃんと自分でゾンビのバックのミドリカワファーマ、ヴァンパイアのアジトの『ブルーブラッド』を突き止めてきた。ここでフォン親分が直々で動けば安く見られるし、抗争は激化する。だからこその俺だ。それに信頼されていることも有難い」
その言葉は狂信者のそれではなかった。フォン大親分の口調や態度が現在の基準ではパワハラであるということを除けば、フォン大親分が表立って動けないことも、テレンスに行動の方向性を示したことも、情報を集めてきたことも、あいまいな態度で事態をいたずらに放置しないことも正しく思えた。
「クソッタレェーッ!」
どうやら麻雀で負けたらしいフォン大親分。若手のアロハシャツは楽しげに笑っているので慕われてはいるようだし、接待で負けることもないようだ。それでもフォン大親分が足踏みをした拍子に、沸騰した湯の入った鉄瓶が傾き、シキミの方へと転げ落ちた。一瞬にしてシキミの脳内は真っ白に塗りつぶされた。足が……大火傷では済まないだろう。一生残る大ケガが、自分の完璧な美貌を……。
「動くな」
ぐい、とテレンスが鉄瓶に向けて鋭く掌を差し出すと、鉄瓶は空中で静止した。
……。先程、帰ってきたフォン大親分をカチコミと誤認した時と同じく、それまでいなかった誰かが前触れもなく現れた……空間に書き込まれた感覚。それが再びシキミとキクコを襲った。
テレンスが手をすっと動かすと鉄瓶はそれに応じて浮遊し、再び机の上に戻った。テレンスが不可視の手で鉄瓶を掴んでいる、という以外に説明のしようがない光景と現象だった。そもそも、先程もテレンスは今以上に熱い湯の入った鉄瓶を持ってきたのだ。それだっておかしなことだった。
「……ポルターガイスト?」
「わかりやすく言えばそうだ。俺は自分を中心とした狭い範囲にポルターガイストを発生させることが出来る」
ふん、とフォン大親分が鼻を鳴らすのと同時に、ばこんとガスマスクの弁が鳴った。
「だからテレンスは池袋最強」
「ええ、だからこその俺です。大親分、明智日日日氏、ナツメ商会。三つに従い、池袋抗争を鎮めてきましょう」




