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Daughters of Guns  作者: 三篠森・N
SEASON1 EP2 ご機嫌な万華鏡
11/39

ご機嫌な万華鏡 #5

「こんにちはぁ! ナツメ商会の夏目と日出です」


「……」


 チャイムを押したのち、しばしの間。眉間にしわを寄せ、浅沼が引き戸から顔を出した。来客を拒むくせに、インターフォンはつけていない。どうせ誰も来ないというやけっぱちか、資金不足か……。いずれにせよ合理的な理由ではないのだろう。

 そのものぐさは今後命取りになるぜ、浅沼よ……。あなたは人魚を飼っているのだから。と、万華鏡の蠱惑に憑りつかれたシキミは一種ハイな状態になっていた。

 既に、怪殴丸のダウジングでこの家から人魚の呪いと同じ波長が発せられていることは確定している。一際敏感なキクコの霊感もこの家に何か奇怪なものを感じている。あとはどう詰めるかだ。


「壊れている家電はありません」


「実は我々は、家電の修理の他にも怪奇現象限定の探偵のようなものなのですよ」


「あまり大きな声で言わない方がいいですよ。田舎者を舐めてるんですか? 入りを間違えば猜疑心による村八分。かくいう俺も田舎者でしてね」


「聴いてほしい音声データがあります。お家に上がるか……玄関先まで案内してくれるとありがたいですね。とても不思議で奇怪な歌です。ええ、歌なんです。最近、この町では夜中になると不思議な歌が聞こえるという情報がありましてね。新聞にも載っています。わたしはこの歌がその新聞に載っていた歌ではないかと考えています」


「……そこの鉄門扉にカギはかかっていない。来るのはここまで」


 やはりシキミは逸っている。鉄門扉から玄関までの数メートル、歩きながらICレコーダーを取り出し、辿り着く頃にはもう再生ボタンに指を乗せていた。


「音は小さめに再生してくださいよ」


「はいはぁい」


 ボタンを押す。流れ出すのは、録音にノイズが混ざっており、明瞭ではないが澄んだ声質の魅惑のボイス。その甘美な響きは、極楽に誘うというよりも、虫を引き寄せる食虫植物めいた危険な甘さを持っていた。

 この世のものとは思えない声だった。しかし、歌っているのはMr.Childrenの『君がいた夏』だった。


「これが何か?」


「これは昨日の夜、この町で録音されたものです」


 じっとりと浅沼の手に嫌な汗が滲む。

 浅沼はまだ若い青年であり、夜更かしすることも、夜更かししながら音楽を聴いたりテレビを観たりすることも近所には理解されている。女性を家に連れ込むことだってあるだろう。そのような周囲の理解から、浅沼の家では夜になると光が歌うことがある。昼間だと歌声に連れられて誰かが来てしまうかもしれないが、夜は誰も気にしない。浅沼は時折、車に光を乗せて、二人が出会った姫川の方まで向かうこともあった。初めは怖かった。そのまま光が帰ってしまうのではないか、と。要するに、光が夜に歌うことはあるが、昨日はありえないはずだった。


「昨日?」


「我々は昨日の夕方にこの町につきましてね。この家の前を通りがかった時に、あまりにも素晴らしい歌でつい」


 昨晩。浅沼は光というものがありながら、光の所望する衣類を買うために赴いたスーパーの婦人服売り場の綿貫という女性とホテルで一夜を過ごしていた。光には徹夜での魚釣りとウソをついてあったが、自分が不在の時は歌うことはもちろん、ゲームでもオンラインには行かないように約束している。だが、この家電修理兼怪奇現象解決探偵の二人組が昨晩光の歌を録音したということは、光は約束を破って歌ったということだ。


「詳細について何かご存知ですか?」


「……」


「ご存知ないようですね。ならば、他のお宅に聞き込みに行くまでです」


 まるで古畑任三郎か刑事コロンボか、言い逃れ出来ない状況を作って一見柔和な言葉で浅沼を追い詰めたシキミであったが、その高ぶる口調とテンションにはベテラン刑事のような落ち着きはなく、ついにターゲットを情報で包囲した高揚、その先の人魚との対面に激しく興奮していた。


「……待ってくれ」


 浅沼は必死に頭を働かせた。前提としてもう言い逃れは出来ない。東京から来た日常の破壊者にして怪奇現象解決探偵の二人は、ここで止めねばならない。あとはどう傷を浅く収めるかだ。


「怪奇現象解決探偵……。聞いたこともない職業ですけど、ここで見て、聞いたことは公表はしないのですよね?」


「あなたは怪奇現象の存在が公になったケースを知っているのですか?」


 つまり、表沙汰にはならないということだ。浅沼は観念した。


「お入りください」


 キクコが丁寧に日傘を畳む間にもシキミは靴を捨てるように脱ぎ、土間を上がって浅沼の先導で居間に向かった。そこには驚きも観念もせず、何事もなかったかのように……それでも無表情ではあったが、絶世の美女の上半身にグロテスクな魚類の鰭を持つ、頭の先から鰭の先まで二メートルはあろうかという人魚がいた。

 ……。人魚には何一つ動揺はなかった。それが却って人外の印象を強くシキミに与えたのである。

 人魚はキャスター付きのオフィスチェアに腰かけ、手にはハンガーを括りつけた一五〇センチメートル程の園芸用の棒を握っていた。畳の上にフローリングカーペットを敷いた居間のあちこち……例えばキッチンとを繋ぐ扉、壁に埋め込まれた茶棚などには紐で固定されたリングがあり、どうやら陸上では人間よりも下半身が不自由な人魚は、あのリングにフックを引っ掛けてオフィスチェアで移動しているようだった。

 耳に光るピアス、座卓の上に二つ並んだゲームのコントローラーに、二つのマグカップ。灰皿にあるのは、違う銘柄のタバコの灰皿。

 浅沼とこの人魚が生活している明らかな証拠だった。一朝一夕で培われたものではない、長い共同生活のアトモスフィアがむせ返る程強く漂っていた。

 ……。この家に人魚がいるというのは怪殴丸のダウジングとキクコのセンスでほぼ確定だったが……。姿かたちがここまで極端に異なる種族がここまで馴染んで生活していることにはもう関心も感動も嫌悪感も超えて、理解を大きく外れていた。常識外の光景にシキミは言葉を失った。やがてキクコの足音が後ろから聞こえてきて、シキミはようやく口を開いた。


「ずっと、ここで暮らしていたのか」


「……もう二年か三年」


「名前は」


「光(ヒカリ)。浅沼がそう名付けた」


「浅沼光か」


「ただの光」


 シキミはどこか、浅沼と光の関係がもっと悍ましいものであることを期待していたことにふと気が付いた。人間と人魚が結婚出来るはずがない。それでも夫婦ごっこで名字を分かち合っていたり……。そんな悍ましさを求めていた。それならば、もっと異常なものとして探偵の本分を全う出来そうな気がしていた。浅沼が光を中途半端に人間として扱ったからこそ、シキミも中途半端に光を人間と扱ってしまう。やがてキクコが追い付き、彼女は落ち着いた声で挨拶した。


「ごきげんよう、光さん。わたしの名前は日出菊子。こちらは相棒の夏目樒」


「はい」


「まず、前提としてあなたのことを世間や報道機関に公表することは一切ありません。あなたが話したくないのであれば詳しくは聞きません。しかし、ナツメ商会のライブラリーに人魚の情報を登録する可能性はあります。でもそこまで。それとは別件で、お聞きしたいことがあります」


「はい」


 無機質な返事。この状況に置いて一切の動揺がない無機質に、キクコもほんのりと恐怖を感じ始めた。だが、シキミも自分が興奮によって暴走する可能性を感じ始めていたため、この場はキクコのインタビューに任せることにした。


「あなたが地上に来た理由をお聞かせください」


「覚えていない」


「では、万華鏡という言葉に心当たりは?」


「……」


「人魚が万華鏡を探すために、地上の人間に不死の肉を食べさせて陸上での探索をしていたという情報があるのです」


「それはわたしではない」


 万華鏡。

 その言葉を聞いた時、浅沼の頭の中でも不自然に情報が繋がった。この文脈、この意図で発せられる“万華鏡”はオモチャとしての“万華鏡”ではない。人魚と同じく、人間の文明と理から外れた尋常ならざる存在として浅沼に認識された。やはり言葉自体が何かの符丁めいており、人間を試すような魔性がある。

 光はその万華鏡とやらを探して地上に来たのだろうか。ならば、その万華鏡が見つかれば自分の元から去ってしまうのか?

 万華鏡の魔性はここでも発揮される。シキミには常軌を逸した求心力で自らを求めさせ、浅沼は万華鏡など全く欲しくもない。むしろ絶対に見つかってほしくないと拒絶すらしたのだ。光は陸に来る以前の記憶をすべて失っている。だから万華鏡なるものの存在も価値もわからないはずだ。やはり東京の人間が、いつも浅沼の生活を壊していくのだ。


「光さん、あなたはとてもいい声をしていますね」


「タバコ吸いますけどね。エアコンも古いけど」


「……ゲームがお好きなんですか?」


「はい、とても」


「シキミさんと対戦してみてはいかがですか? ……実は」


 キクコは光にそっと顔を近づけ、若返った見た目と声帯を最大限に活用していたずらっぽく、若者らしく囁いた。


「シキミさんはわたしの孫なのです」


「驚くようなことではないですよ。人魚の寿命は長いですから、孫と祖母の見た目の年齢が同じことはそうおかしなことではありません」


 キクコの狙い通り、ぴしゃりだ。


「では、お二人で対戦をどうぞ。シキミさんに声をかけてきます」


 ややご機嫌な足取りと表情でキクコはシキミの肩に触れ、ゲームの対戦を促した。そしてとっておきの情報を囁いた。


「あの人魚さん、記憶喪失はウソですね。記憶はあるようです。そして、あの人魚さんが一昨日シキミさんをボッコボコにしたVTuberで間違いないと思います。声が全く同じ。……浅沼さん、奥のお部屋でお話伺えますか?」


 ぼうっと、ただでさえ万華鏡の魔性で興奮状態にあったシキミに魂にさらに強い燃料がくべられる。忘れるはずもない……。あのVTuberのゲーム実況生配信でマッチングしたシキミの敗北は全世界に配信された。その圧倒的強さをシキミはチート、インチキと断じたが、この場でのオフライン対戦ならばそういったイカサマは使用不可能だ。

 リベンジへの熱は、人魚が動画配信で生計を立てて無職の男を養っているという尋常ならざる事態へのリアクションすら吹き飛ばした。


「ちょいと一戦交えませんかねぇ」


「ええ、どうぞ」


 不気味なまでの平常心。シキミ、光は各自コントローラーを握り、格闘ゲームを立ち上げてまずは小手調べにNPCと対戦した。調子は悪くない。コントローラーにも仕掛けはない。真っ向勝負だ。


 READY FIGHT!


 シキミのプレイスタイルはとにかく速攻! 今回もそのスタイルを貫き通す。一方の光はカウンター重視の堅守! 一昨日の対戦の再現のようにシキミの攻撃は上手くいなされ、大きな隙を晒して反撃を食らっていく。そのジャストガードの精度こそがインチキだと断じた根拠だったが、人魚は涼しい顔で苛烈な炎じみたシキミの攻撃を反転させていく。確かな技術がそこにあった。


 YOU LOSE!


「キエッ……エエエ……」


 戦いは全くの再現だった。攻撃が通じず焦り、焦れば焦る程シキミの動きは精彩を欠く。そこを見逃す光ではなかった。そして、今度はインチキではない……つまり純然たる実力の差に打ちのめされたシキミは憤死寸前まで目を吊り上げ、喉が奇声を発する寸前だった。


「本当は、記憶があるの」


「キエッ?」


「覚えているの。……正確には、思い出した。わたしは、万華鏡を探していた」


「じゃあ、何故ウソを? ……何故、わたしには明かした?」


「わたしは……。かつて、戦争を見た。海から燃える町を見た。人魚の寿命は長いからね。それで人魚に伝わる万華鏡の存在を知って……。何かをどうにかしようとした。でもそれは本当に思い出せないの。そして、六年前の大火災でこの町が燃えるのを見た。そして記憶を失って、浅沼に拾われて……。町が燃えた時の映像をテレビで見た時、記憶が蘇った。……戦争も、思い出した」


「万華鏡を知っているの?」


「姫川の上流にあるわ。姫川の上流に存在する巨大なヒスイの原石、それが“龍の目”と呼ばれ、それが万華鏡のレンズになる。でも、今はレンズだけが存在している。万華鏡はもうない」


「ないだと?」


「万華鏡は龍の目をレンズに、姫川の河口までの地形や風景を反射板に機能するわ。でも、あなたたちも東京から来たなら見たでしょう?」


「糸魚川インターチェンジ付近は東磁化学のセメント工場がたくさんあった。石灰石採取の痕跡も」


「そういうこと。万華鏡が機能していた頃の糸魚川ではなくなってしまっている。万華鏡はもう死んだ」


「キエ……」


 万華鏡。死してなお人間を魅了し、自分を求めさせる魔性の呪物。……本当に死んでいるのか? ならば、もう紬を蘇らせることは出来ないのか? そもそも、万華鏡は人の願いを叶える存在なのか?


「何故……それを浅沼に教えない? 記憶が戻っていることも、万華鏡を探していることも、万華鏡がもう死んでいることも」


 ようやく光の表情に変化があった。渋面。顔をしかめ、ぷいっとあざとく怒ってみせたのだ。浅沼が見たら狂喜乱舞したことであろう。


「浅沼は昨日は釣りに行っていない」


「そうなの?」


「女の人と会っていた。スーパーの婦人服売り場の女と会って、一晩過ごした」


 それを……浮気と捉えるのか……?


「確かにわたしはこんな体だから、浅沼と寝ることは出来ない。でも……。でもそういうことよ。浅沼が自分にとって都合の悪いことを隠すなら、せめてわたしは浅沼が困るような隠し事を続けるだけよ。それに、浅沼は万華鏡を殺してしまった東磁化学の社員だった。わたしが求めていたものを自分たちが殺してしまったと知ったら浅沼は一生悔やむ」


「そうか……。あなたたちは」


 愛も憎も、既にもう立派な夫婦だよ。だが、それを口にすると人間の理を犯す気がして言うことが出来なかった。


「じゃあ、一つわたしたちもあなたたちにウソをついていました。知りたい?」


「知りたい」


「わたしに勝てればな!」


 シキミは前のめりになってコントローラーを握り、光の友人であろうと努めた。光には誰もいない。配信者として話す相手はいるだろう。だがそれは親しい人間ではなく、光の姿も正体も知らなければ、光が相手の名前を知ることもない。浅沼こそいるものの、彼は浮気し、ウソをつき、人間同士の言葉に強引に当てはめるならば恋人か夫でしかない。光に友人はいないのだ。その浅沼ですら光を裏切った。ならば、ほんの一時……。ゲームの対戦時間の三分間だけでも、友人になってやってもよい。


 READY FIGHT!

 ↓

 YOU LOSE!


「キイエエエエエエエエ!!!」


 無愛想な人魚が少し笑ったような気がした。それでいいのだ。

 誰よりも優秀! 誰よりも賢い! 誰よりも美しいこの夏目(ナツメ)樒(シキミ)! その自分に勝ったのだから、そして負けて道化を演じてやったのだから、笑ってもらわねば割に合わない。


「キエッ……。……チャンネル登録はしてやる。スーパーチャットはしない」


「メンバーシップは?」


「今後の活動次第だ」


「まぁピアスを空けたばかりだからヘッドホンをかけられなくてしばらく配信は出来ないんだけど……。わたしに教えたいことって何?」


「さっき浅沼を騙した。昨日録音した人魚の歌の音声データ……。あれは、わたしが昨日カラオケに行った時に歌ったのを加工したものだ。ハッタリだよ。幸いにも、隠し事をしている男なんて騙すのなんかわたしにとってはフェルマーの最終定理を解くよりも簡単でねぇ」


「最高。じゃあ、もう一ついいことを教えてあげる」


「何?」


「あなたと話して察したけど、あなたは万華鏡を欲しているでしょう?」


「まぁね」


「でも、わたしは万華鏡の存在を知りながらもう欲していない。その理由は、万華鏡が“満たされない人間”を呼ぶからよ。わたしはもう今の生活にこれ以上なく満足している。もう欲しいものは何もない。浅沼も万華鏡が欲しくないといいけど」


「最高だね、光ちゃん」




 〇


 "3 hours later……”


 キクコが浅沼を引き付けている間に、シキミは光から万華鏡の詳細な場所を教えてもらった。くわえて光の鱗から怪殴丸のダウジング対象に万華鏡を加え、シキミとキクコは車を停めてからさらに藪をかき分けて山を登り、アウトドアに不向きなふりふりのファッションのキクコの服のレースには細かい植物の断片がこびりついていた。

 やがて苔に包まれた直径三メートルはあろうかという巨大な岩石が現れ、直感的にそれが万華鏡のレンズであると二人は理解した。シキミは興奮し、クリスマスの朝に包み紙を破る子供のように苔をむしり、泥や苔を剥がすたびにその岩石が不自然なまでに真球に近いことを知った。そして万華鏡のレンズ……ヒスイに触れた。

 ……。

 何も起きはしなかった。怪殴丸のように触れると言葉や意思が伝わってくるでもなく、人を呼びながら何も与えない“龍の目”はただただそこに存在するのみだった。


「紬さん……。やっぱり蘇らないのか」


「シキミさん。死は不可逆です」


「まだ……どこかに万華鏡があるかもしれない。これとは別の! ……別の」


 その可能性が低いことを理解出来ないシキミではない。仮に存在したとしても、この糸魚川の万華鏡がそうであったように、人を呼ぶ万華鏡は、自らが呼んだ人々の営みによって反射板を破壊され、死んでしまうのだ。ここまで来ると、願いを叶えるという現世に存在するには過ぎた力を万華鏡自身が破壊するために人を呼んでいるとしか思えなかった。


「キクコさん、東京に帰りましょう」


「その前にイシハラさんを殺してあげないと」


「ああ、そうでしたね。どうなんでしょう。万華鏡は存在する、万華鏡はもう死んでいる。それを知らせればイシハラさんも自然と成仏しそうな気がしますけどね」


 苔でどろどろに汚れた手を丁寧に洗い、紬の遺品であるポインター号のハンドルを握ったシキミは一路フォッサマグナミュージアムへ。その間、シキミはひたすら迷っていた。

 万華鏡と人魚の真実は、知らない方がイシハラにとって幸福なのでは? 真実を知ろうが知るまいが怪殴丸で撃たれればイシハラはこの世から完全に消滅し、それがイシハラの最大の願いだ。どうするかの判断は怪殴丸でイシハラを消し去るキクコに任せるしかない。だが、キクコがどう判断しても自分が間違っているような気がしたシキミは、フォッサマグナミュージアムに車を停めた後車内で待機した。やがて銃声が聞こえ、キクコが戻ってきた。


「さぁ、東京に帰りましょうシキミさん。また長旅の運転、どうぞよろしくお願いいたします」


「ええ。……どうします、ナツメ商会の記録に人魚を残しますか?」


「シキミさんはどうしたいのです?」


「見逃しますかね。多分、先人たちもそうしたから人魚は記録に残っていないのでしょう」


「同感です」


「でも、あんな生活は長くは続かない。人魚と人間の同居なんて、一生は続けられない。人魚の寿命は長いし、そもそも種族として姿が違いすぎる。いつか必ず破綻し、誰かに引き裂かれる時が来る。ならば、わたしたちに出来ることは傷が浅いうちに別れろと提案することだったんでしょうかね? だって幸せが強い程絶望も深い」


「……」


 それは自分たちだって同じことだ。

 記憶を取り戻すことが幸せなのか? 何も欲しくない程の幸福……万華鏡を欲さなかった今のキクコのような幸福に今は浸れることは長い目で見た時にも幸福なのか?

 二十歳に若返った祖母と、二十六歳の孫娘。こんなバディだってずっとは続かない。いずれキクコの姿も記憶も元に戻り、引き裂かれる時が来るのだろう。

 それに今でもシキミは死別した相棒の紬を求めている。


「浅沼さんが光ちゃんの肉を食べて、不老不死になれば一生一緒にいられるし、万華鏡の復活に立ち会えるかもしれないですよ」


「そんなことをしてしまったら浅沼も光も人間ではなくなりますよ」


 不老不死の人間を人間ではないと断じ、祖母を傷つけてしまったような気がしたシキミはBluetoothのスイッチを入れた。

 最初に流れるのはMr.Childrenの『君がいた夏』。


「また夏が終わる、もうさよならだね」


 シキミはその歌詞を口ずさみ、セメント工場を横目に見ながらインターチェンジの急カーブを昇って行った。


「時は二人を引き離していく」


 シキミがこの旅で得たものは何もなかった。かりそめの希望を与えられ、打ち砕かれただけだった。

 一方のキクコは今の自分は何も欲さない程最高に幸福であると思い知らされ、それがいつか失われる絶望を示唆された。

 まっすぐに伸びる高速道路。海は徐々に、徐々に景色の彼方へと消えていった。

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EP3『人間ソファ/But I refuse』

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