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Daughters of Guns  作者: 三篠森・N
SEASON1 EP2 ご機嫌な万華鏡
10/39

ご機嫌な万華鏡 #4

「浅沼くんは進学だよね……」


「東京の大学に行こうと思っている」


 浅沼十六歳。

 浅沼は比較的女子に人気のある男子だった。多弁でも派手ではないが整った顔つきで、体はすらりと細く長身、運動もそれなりに得意だったし、頭もよかった。祖父は教師。人望もあり教育熱心だったため、浅沼の父も浅沼も東京の名門大学に進学した。父に兄弟はおらず、浅沼にも兄弟はいなかった。

 そして彼の東京生活が始まった。




 〇




「うあぁ……」


 浅沼二十三歳。故郷は炎に包まれた。

 この頃、浅沼は東京の東磁化学という会社に勤めていた。東磁化学は糸魚川にセメント工場を持っており、いつかそちらに赴任して高齢の母親……唯一の肉親と過ごそうと思っていた。

 だが東京で期待されていた彼はこの時はまだ東京本社にいた。社会人として初めての冬、故郷の町は誰かの火の不始末から出火し、炎は冬の日本海の暴風と共に昔ながらの木造家屋を焼き尽くした。テレビ中継では、故郷にいた頃によく通った海岸沿いの展望台が時折黒煙から端を覗かせていた。あそこまで火が回っているのなら、実家はもう……。

 めらめらと踊る炎は、ライターや学生時代のキャンプファイヤーとは違った明確な悪意を以て、金属のような光沢をもつ残忍な橙色となって町を害した。きっとのその妖艶で酷薄な悪意は海からも見えたことだろう。

 ……生殺しにされていく町を見て、ようやく浅沼は故郷を愛しく思ったのだ。何もない町だが、浅沼はこの町が好きだったのだ。




 〇




「ぐあ……」


「この野郎……。殺してやる! 死ね! 浅沼! 死ね!」


 浅沼二十六歳。

 重いクリスタル製の灰皿で女性に頭部を殴られた彼は、夥しく出血して右目が霞んでいくのを感じた。頭への打撃か片目が機能を失いつつある影響か、著しくバランスを崩して転倒し、本気で死の恐怖に怯えた。

 町を襲った火災は浅沼の責任ではないが、この出来事は浅沼の責任だった。契約をとるために他社の女性に色目を使ったり、望まぬ交際を浄化するように同時に複数の女性と関係を持ち、自社の女性さえも不幸にした。

 この頃の浅沼の精神はボロボロだった。町が焼けたこと、介護施設に入っていた母の逝去で天涯孤独となったこと、溺れるような性行為の繰り返しでプライベートとビジネスが曖昧になった生活……。“浅沼宗一”という人間を定義する親しい人間の不在。彼を慕う女性、彼を信頼する上司はいたが、どこか距離があり、浅沼という男がどういう男であるか、その定義を浅沼自身に教えてくれることはなかった。だが砕けた口調で言うならば、自分はモテるということだけが、浅沼が自覚した唯一の自分の要素だった。それだけが自分の存在理由であり、価値だった。そのたった一つの要素をぼろぼろになるまで撚り、命綱として危険な場所まで何度も潜って擦り、そして不幸にした女性に襲われたのだ。


「……」


 浅沼はまるで虫みたいに逃げた。病院に担ぎ込まれたが視力は戻らず、メガネ生活を強いられた。東磁化学は浅沼を解雇にはしなかった。浅沼の寝技で得をした部分もあり、穏便に済ませたかったのだろう。直属の上司からの私的な寸志という形の手切れ金も受け取り、浅沼は糸魚川に戻ってきた。

 思えばいつも失ってから気付く。糸魚川も、特定の一人も女性も、本当は大好きだったのに。

 そして、大好きだったはずなのに、戻ってきた糸魚川も特に声を大にして「好きだ」と言える程好きではない。

 完全に孤独となった浅沼は、人に好かれるという形はもちろん、嫌われるという形ですら“浅沼宗一”の定義を失ったのである。

 家族が残した財産、稼ぎの良かったサラリーマン時代の蓄え。何もせずに過ごす浅沼は、ある晩姫川の先に広がる海岸まで散歩した

 頭部の負傷の後遺症として残った頭痛を抑える薬を酒で飲み、どこが波打ち際かもわからない真っ暗な海岸で揺れる一点のタバコの火は、さながら蛍のようだった。その赤い蛍を海の方へ向かって指ではじき、数拍おいて声がした。


「痛い!」


 それは、女の声だった。


「大丈夫ですか?」


「何かに噛まれたみたい」


 スマホのライトをつけて海に向けると、暗澹たる日本海と小石の海岸の間に、艶かしい白い裸体と悍ましい魚の鰭を持った美しい女が横たわり、タバコの火で焼けた二の腕をさすっていた。

 これが、光と浅沼の出会いだった。




 〇




「申し遅れました。俺はイシハラと申します」


「ごきげんよう。わたしはナツメ商会から来た日出菊子です。こちらは相棒の夏目樒」


 イシハラと名乗った悪霊は表情も穏やかになり、精神的にも落ち着きを取り戻していた。それでも人並外れた霊感の持ち主であるキクコは、イシハラに残る不穏な空気を感じ取る。長い間誰とも話せず、触れ合えず、自分が何者かもわからなくなり、わからないうちに悪霊にまでなっていた。誰かに認識、承認されることで人間性の一部を取り戻す悪霊は多いが、それだけで完全に元に戻る訳ではない。


「少しドライで冷たいようですけど、ギブアンドテイク。わたしたちは人魚の情報が欲しいのです。人魚が人間に害をなす存在なのか、そして人魚は今この町にいるのか、そもそも人魚は実在しているのか。それを調べるのがわたしたちの仕事です。あなたが可能な限り情報を提供してくれれば、あなたの望む成仏のために手を尽くしましょう」


「わぁースゴイねぇキクコさん。まるでアメリカの刑事ドラマの犯人逮捕の時の権利の説明だ。『CSI』か『クリミナルマインド』でも見たのかな!?」


 シキミはまだイシハラに殴られたことを根に持っているようだった。それでも人魚の情報は欲しいのだろう。じっとりとした目線でキクコがたしなめると、シキミはタバコに火をつけてイシハラを睨みつけた。


「人魚は実在する」


「その根拠は?」


「俺は人魚の肉を食い、死ぬことが出来なくなったと言ったな。俺の物理的肉体は完全に損傷し、生命活動を送ることが出来ない状態になっている。だが俺の……」


「霊魂?」


「そういったものが存在するのか?」


「大丈夫、わたしたちは専門家です。霊魂はありますよ。霊魂は精神の歪みと共に悪霊、怨霊と呼ばれる存在になり、やがて怪異、そして災厄となる」


「じゃあ俺が亡霊として存在しているのは、人魚の肉ではない可能性もあるのか?」


 ふぅーとため息をつき、シキミが三本指を立てた。


「考えられる三つのパターン。一つ目。イシハラさんの言った通りに人魚は実在し、人魚の肉を食べたことで不死となって成仏することが出来ない。二つ目。人魚は実在するが不死の能力はなく、ただ単にイシハラさんは悪霊となった。三つ目。人魚は存在しない。いいね?」


「二つ目、三つ目のパターンを検証することは簡単です」


 キクコはハンドバッグから折り紙を取り出した。大好きな水色とオレンジ色。後になって孫娘は水色がシンボルカラーの埼玉西武ライオンズとオレンジがシンボルカラーの読売ジャイアンツが好きと知った。だからもっと好きになった。だがこの際色はどうでもいい。重要なのはその裏に書かれている、手書きの経文である。


「この経文が書かれた折り紙で風車を作り、その風を送るとマニ車のような役割を持って穏やかに成仏することが出来ます。怪殴丸で撃たれて存在ごと破壊されるよりもずっと安らかに心地よく逝けます。ただし、これが通用するのは通常の霊。もしイシハラさんが本当に人魚の肉の呪いで成仏出来ないのならただのそよ風になります」


「待ってくださいキクコさん。それで本当にイシハラさんが成仏してしまったら人魚の情報が得られないじゃないですか」


「じゃあ風車の先っちょだけにします」


「先っちょだけで気持ちよくなって逝ってしまうとかその可能性は……。……」


「……」


「……」


「申し訳ないですけど、成仏しかけてしまったら風車での検証はやめさせてもらいます」


 ふぅーとキクコの吐息がかたかたと風車を回す。今日の朝ごはんとお昼、何を食べたっけ? としばしキクコは考え、朝は赤飯おにぎり、昼はクリームパンだったことを思い出した。明太子おにぎりやカレーパンでなくてよかった。霊媒師と言えど乙女の恥じらいやたしなみは必要なのだ。

 その風を浴びたイシハラは、物理的な空気の流れに晒されているにもかかわらず睫毛一つ動かさず、髪が揺れることもメガネが曇ることもなかった。

 予告されていた快感はなかった。その事実にイシハラは蜘蛛の糸を切られたようにひどく落胆した。


「効果はなかったということですね」


「そういう訳です、イシハラさん。あなたにとってはアンラッキー、でもわたしたちにとってはラッキー。人魚は実在しているか、人魚の肉かはわからないけど、あなたには確実に呪いがかかっている。探している情報の手がかりかもしれない。……どうします、キクコさん」


「イシハラさんの目の前でこういうことを言ってしまうのは少々不躾ですが、本当にイシハラさんが人魚の肉によって呪われ、不死になっているにも関わらず肉体の物理的損傷によって霊魂のみの存在になってしまっているのだとしたら、イシハラさんの物理的肉体の一部に残る人魚の呪いを怪殴丸に記憶させてダウジングすることは不可能ではないでしょうね。しかし、その前にやることがあります。それはイシハラさんの言葉に耳を傾けることです」


「……」


 イシハラは激しく葛藤していた。何か提供可能な情報はあるのに、それを話すことをひどく躊躇っているのだ。


「日出さんだけに話すことは出来ますか?」


「出来ればシキミさんにも聞かせてあげてください」


「……わかりました。“万華鏡”」


 万華鏡。それは何かの符丁のようにシキミの頭の中で不自然に情報を繋げ、今までの人生で知った情報や辞書に記載されている内容とは違う意味をシキミの中に浮かび上がらせた。理由はわからない。その万華鏡という何の変哲もない言葉自体が呪いじみており、それそのものに人間を狂わせる怪異のパルスが脈を打っていた。


「“万華鏡”……。“龍の目で作った万華鏡”と呼ばれるものがこの町のどこかにあると、人魚は突き止めた。この糸魚川の町は、海、町、山が密に重なっている。どうやら人魚は“万華鏡”を見つけられず……海にはなく、町にもなかったか、山にあったか……。陸での探索を行うため、人魚は自らの肉による不死の能力を前払いの報酬として人間に与え、探索の代行をさせた」


「ここでもギブアンドテイクというわけですか。そしてあなたもその一人」


「そういうことです」


「万華鏡は見つかったのですか? そして、万華鏡とはなんなのですか? お答え出来ることからどうぞ」


 シキミは食い入るように聞いた。ここまでは人魚や不死の怪異、そちらの方が気になっていたのに、“万華鏡”という単語はやはり何かの符丁じみてシキミの中の開けてはいけない扉を開けてしまった。

 本人は気付いていないが、もう何もかもがどうでもよくなってしまっている。とにかく“万華鏡”について知りたく、そして欲しているのだ。


「万華鏡は姫川沿いにあると考えられていた。俺は見つけてはいない」


「姫川沿いにある根拠とは?」


「江戸時代、伊能忠敬が全国の測量を行っていた頃、糸魚川の役人は姫川は川幅が広く流れも激しく水深も深いから測量を諦めろといった。だが実際は十数メートルの川幅で足をついて渡れる程浅かった。この虚偽申告に伊能忠敬は激怒し……」


「それはすごいお話ですね!」


 シキミは話を遮り、美貌と愛嬌を悪用してあざとく笑って手を叩いた。イシハラは会話に飢え、話を聞いてほしい悪霊なのだから、こうやって承認してやればいい気になる。今は伊能忠敬の話は聞いていられないし、その話は知っている。


「そして、姫川はヒスイの産地としてよく知られ、そのヒスイは法的に持ち出しが禁じられている。姫川はよく氾濫し、それは荒ぶる龍が登った後に出来た川という伝説もある。糸魚川には数メートルの巨大な鯉のナミタロウや、ツチノコへの懸賞金……」


「イシハラさんは糸魚川の出身ですか?」


「糸魚川ではない。明石だ。兵庫県。大昔大空襲があって、俺は海から燃える街を見た」


「その時に人魚と?」


「わからない」


「話変わりますけど、糸魚川の美味しいお店、知っています?」


「知らん」


 つまり、イシハラは糸魚川ではないどこかで人魚の肉を食べた……。おそらく明石。食べさせられたか、食べることを選んだのか……。そして万華鏡は糸魚川にあるという情報を聞き、糸魚川ネイティブのようなローカル情報まで調べ尽くした。だが美味しいお店は知らない。即ち、食べることが不可能な状態……死後も糸魚川について調べ続け、魂に異常を来して悪霊になってしまったのだ。郷里の言葉を忘れ、関西弁が完全に消える程長い間。その執着が人魚の肉による呪いか、万華鏡の魔性によるものかは判断不可能である。


「……」


 シキミは腕組みをして空を見上げた。くわえタバコから昇る煙のように、考えはまとまらず霧消していく。イシハラがこれだけ探し続けても見つからないというのならば、姫川、それも姫川の上流、さらにヒスイを玉(ぎょく)とし、龍の目と称する……。名称は“万華鏡”。だがその大きさや形状さえも一切定かではない。怪殴丸によるダウジングを行うにしても、万華鏡をサーチするための手がかりとなる物質さえも手がかりがないのだ。つまり闇雲しかない。それではあまりにも分が悪い。


「キクコさん、ここは一旦出直しですね」


「では、イシハラさんを……。お望み通り怪殴丸で殺してさし上げます」


「すごいな、優しい言葉のはずなのにフリーザのセリフにしか聞こえない。イシハラさんにはもう少し我慢してもらいましょう。わたしの計画を聞いてください」


「ええ、どうぞ」


「イシハラさんの物理的肉体の一部を探し出し、そこに残った人魚の波長を怪殴丸に記憶させて人魚をサーチする。人魚を見つけ出し、万華鏡の情報を聞く。答えを得られたら正体を確かめ、イシハラさんに報告して答え合わせをする。それまで我慢してもらいましょう」


「……」


 キクコは気付いている。シキミは何か焦る……。いや、焦っているのではない。逸っている。万華鏡と人魚を激しく欲し、欲するあまりにキクコとイシハラを説得するために理論的なロードマップを作ったのだ。だが、もう怪異の検証などどうでもよくなってしまっている。

 そしてシキミは冷酷なくらいに上手くイシハラを転がした。さながら一晩で億を稼ぐ水商売の女性じみてインタビューし、イシハラの肉体の残骸が眠る墓……イシハラ本人も聞かれるまで忘れていた場所までも聞き出してしまったのである。

 シキミは万華鏡という言葉を聞いてから明らかに様子がおかしくなった。上手く言葉には出来ないが、キクコにその異変は察知出来る。自我が再開してからの三か月、誰よりも長く過ごしてきた相手はシキミだ。シキミを慮ったり、たしなめたり、彼女を理解することがキクコの自我を再構築し、彼女を定義していたのだ。当然、全肯定はしない。だが全否定もしない。誰にでも存在する“近しい人”。それが偶然シキミだっただけだ。そしてそういう人間がいなかったが故に、イシハラは死後悪霊となってしまった。だから今はシキミを尊重したい。

 話を聞いた二人は車に乗り込み、エンジンをかけた。


「シキミさん、大丈夫ですか?」


「さっきのフリーザの件で思い出したんですけど、龍の目で作った万華鏡ってまるでドラゴンボールみたいですね」


「ドラゴンボール?」


「七つ集めると何でも叶えてくれる不思議なボール。死んだ人間だって蘇らせられるんですよ」


「……」


「紬さんを蘇らせられるかも」


「紬さんは」


 キクコは紬のことをよく覚えていない。奈良の地下研究所で恩田に反旗を翻し、自我が再起動を始めた時、まずシキミに頼まれたのは紬の遺体を背負って一緒に逃げてくれ、というものだった。キクコも比較的小柄な女性だが、彼女を以てしても背負って逃げられる子供のように小さな体の鎌倉紬。時間の経過と共に肉体は熱を失い、逃げる車の中でシキミがあまりの悲しみと怒りに言葉を失って慟哭していたのを覚えている。自分が血に塗れ、それがだんだんと乾いて服がぱりぱりになっていったことも覚えている。その紬が東京で荼毘に付されたことも、今でもシキミの中では相棒は紬であることも……それは知りたくはなかった。紬とはたった数日、自分とはもう三か月のバディなのに。


「わたしはいろんな化身に話を聞きに行ったのですよ。いろんな化身がいた……。でも化身にもルールはあるのです。それは担当業務は決して放棄しないこと。つまり、化身に欠員が出れば神や天使は必ず後任を速やかに任命する。……でも、東京23区担当のカマエルの化身はまだ現れていない。前任のカマエルの化身の紬さんは、まだ任を解かれていない……。そう考えるのは自然でしょう」


「……」


 妥当かもしれないが自然ではない。自然と思いたいのは、その可能性以外を拒否しているシキミの感情だ。


「人魚が何十年、もしくは何百年も探し求め、人間に不死の呪いを与えてもなお探し続ける。それがあれば、紬さんを蘇らせることが出来るかもしれません」


 その声には幽かに狂気が燈っていた。まるで万華鏡なる万能の存在が、全ての問題を解決してくれると信じ込ませ抗いようもなく無我夢中で欲するようにシキミを呪ったかのようにも思えた。

 もし万華鏡が、自らの存在を知ったものに自らを求めさせるよう呪う効果があるならば、何故万華鏡は見つからないのか……。何故万華鏡の存在を知るものがこんなにも少ないのか。どこか怪殴丸と似て、意思を持った危険な呪物である可能性……。

 そして何故、自分は万華鏡を求めないのか。

 逸るシキミと裏腹に、キクコは万華鏡の手がかりが眠る町に近づいていくのを恐ろしく感じた。

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