終わりに
表と裏。その差はほんの、僅かで、些細な違い。もしかしたら、差なんて微塵もないのかもしれない。
それでも、表と裏は全く違う。それが、相容れることはない。
表が正しいという訳ではない。表は正面。見えるけれども、それはあくまでも自分の世界。一歩間違えれば引き返せない、未知の世界。
裏が誤りだという訳ではない。裏は背面。見えないけれども、それはあくまでも自分の世界。歩んで来た道は覚えているけれども、それは記憶の中だけの、虚無の世界。
表は未来。人はそれを見て、追いかける。
裏は過去。人はそれを見ず、突き放す。
だから人の目は表にあって裏にない。そしてその場所は表と裏の境目であり、それは現在。
表にも裏にも、目があったら良いのに。自分の未来も過去も、見通す目。自分の位置が、自分で確かめられる、目。
でも、そんなものはあるはずがない。自分の位置は自分が決める訳ではないのだから。あくまでも自分を見る他人が、決めるのだから。
だから、自分は他人の目になろうとする。それも、裏側の目に。本来なら、必要がない、虚無の視界の、目。
でも、その裏の目があることで、その人は二対の目を持つことになる。そうすれば、自ずと自分の立っている位置も、向かうべき目標も、見えてくる物。
だから、人は自然と裏の目を求める。自分という物を立証する為に。
それなのに、人は裏の目には気付かない。自分の背後にある目なんて、自分の目では見えないんだから。
だから、自分が歩いていることは自分の力だって錯覚するんだ。それが他人の力あってこそということに気付きもしないで。
…あなたが表なら、私が、あなたの裏になろう。あなたには気付かれないかもしれないけれど。それでも、あなたが見えない所は、私が見てあげる。
……だから、だからね。あなたの裏は私の表だから、あなたの表は私の裏になる。それはまさしく表裏一体で。
あなたと私はいつも背中合わせ。位置も同じ。でも、お互いの存在には気付かない。だって、あなたは私から見えない所にいるのだから。
でも、気付いてない訳ではないの。互いが互いに見えていないだけ。背中合わせに慣れすぎて、自分が表なのか裏なのか、忘れてしまっただけ。
もし、私があなたの方を向いたなら。あなたは私の方を向いてくれるの。私が振り返ってあなたを呼んだなら、あなたは私に、微笑んでくれるの。
もしも、あなたも振り向いてくれたなら。二人が二人、振り向いたのなら。
私はあなたの肩越しに、私の未来もあなたの過去も、全てを見ることが出来るのに。
表と裏が一つの世界になる。そんな奇蹟が、起こるのに。
この度は「幸せの場所」を読了して頂き、ありがとうございます。皆様に、最上級の感謝と敬意を込めて、後書きを少々。
今回のテーマは、物語のテーマは「生と死」。サブとして「嘘の意味」を取り上げました。また、作風のテーマとして「繰り返し」そして「一人称の限界突破」がありました。
物語テーマは、人により捉え方が様々でしょうから、細かな言及は避けたいと思います。一方の作風テーマを説明しますと、「繰り返し」は、物語が同じような場面を繰り返しているにも関わらず、主人公の心情により、または場面の僅かな変化により、全く違う場面になるのではと試みてみました。下手をすればダレると予測できる書き方ですが、勇気をだして挑戦してみました。
また、もう一つのテーマである「一人称の限界突破」とは、鈴仙が生き残り、そして死ぬことにあります。本来なら一人称は生きるか死ぬか、片方しか表現出来ないのですが、幻想郷という特殊環境ならば或いは、と思い、プロットを組んでみました。“生と死の両方を描写してあるからこそ、わかってくるものもある。”そういう感じになっていれば良いな。なんて思っています。
それ以外にも狙った部分はいくつかありますが、根幹である大本のテーマを、後書きに書かせて頂きました。まぁ、そんな堅苦しいことよりも、本編が面白かったかどうかが問題ではあるのですが。
最後に。
後書きまで長くなってしまいましたが、この辺りで失礼します。この作品が皆様の心の片隅にでも残ったのならば、作者として、これ以上ない喜びですね。