紡
俺の主が色々と拗らせている
俺は寅若紡
十一家の一つ寅若家の嫡男として生まれた俺は、神支国の王太子である暁様に使えている
十一家の子供達は、幼い頃から学友を兼ねて王族の子供と一緒にいることが多く、五つ年下の王子は弟のように思ってきた
主としても最上級。文武両道で何をやらせても器用にこなし、二十歳にして王に相応しい風格を備えている
が……
「紡……俺はどうしたらいいんだ?」
絶望、ただその一言に尽きる姿で項垂れている
そこに王子としての威厳はなかった
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あれは王子が八歳の時だった
美しく聡明、気高い皇后様は突然の病に倒れた
皇后様が亡くなって、王子は俺達を傍に近づけなくなった。後宮を幽鬼のようにさ迷い、食事も満足に取らずに過ごしていた
そんなある日
「赤い瞳の少女を探してくれ!」
そう言って王子は目を輝かせていた
「そんな少女は後宮にいませんでしたよ」
「やっぱなー」
卯ノ花朔は困ったように笑った
「王子には申し訳ないですが、本当にそんな少女いたんでしょうか」
「わからん。王子が確かにいたといいはってるしなぁ」
もう一人、酉洲隠は肩を竦めて言う
「神洞省の女官見習いにも該当する少女はいなかった。第一、かなり小さかったんだろ?宮女見習いでもそんなに小さい少女いないはずだ」
隠とは同い年、朔は二つ上で、王子と年が近かったため、俺と一緒に王子に仕えている十一家の子供。朔はいつも物腰柔らかなお兄さん的存在、隠は口数は少ないが優秀な奴だ
「私は王子が元気になってくれて安心してますよ。皇后様が亡くなってから、まるで死人のようでしたから…」
あっ、最近ご飯もちゃんと食べてるんですよ!と朔は母ちゃんみたいなことを嬉しそうに言っている
まあ、朔は特に王子を可愛がっているから仕方ないか
隠は表情の薄い顔に左目の下にホクロがある。その目元を少しだけ険しくして言った
「危険な気がする」
「危険?四、五歳の女の子がか」
「赤い瞳なんて……不吉だと思わないのか」
不吉ねぇ…
異国には青や緑の目をした奴だっているらしいから、赤い瞳の少女がいても不思議でもなさそうだが
さすがに少女を不吉とまでは思わんな
あっ、幽霊とか魑魅魍魎系だったら俺は全力で逃げるから
だが、意外にも赤い瞳の少女は実在した
王子が十四歳の時に再会したのだ
その日から王子は涙ぐましいほど熱心に彼女、西安椿に好意を伝えていた
しかし、全くと言っていいほど相手にされていない
仮にも王太子なのに……
他の宮女なら目の色を変えて飛び付きそうな最高の結婚相手だ。西安家はそれなりの貴族の家柄だったはず、拒む理由はない
何度か椿嬢を宴会の席で見たことがある。椅子に腰かけて琵琶を抱く少女はまるで、精巧に出来た人形のようだった
透き通るような白い肌に艶やかな黒髪は綺麗に結い上げられている。小さな口元は桜色、長い睫に縁取られた瞳は妖しい色の赤
初恋を拗らせたままの王子は冷たくされても長いこと粘っていた。それから王宮に変化が訪れる
王様が病に倒れたのだ…
幸い、重いものではなかったが、国中が騒然とした。表に不安や恐れを見せることのない王子は、俺たちの前でも気丈に振舞っていた。それに、どこか無理を感じても俺達にはどうしてやることも出来なかった……
そんな危うい状態の王子はフラリと後宮の一室に向かった
そこはあの椿嬢の所だった
心配で最近はこっそりついて回っていたが、さすがに宮女の寝室まで入るわけにはいかない。大人しく外で動向をうかがっていると、しばらくしてから琵琶の音色が聞こえてきた
甘さのない、優しい旋律
でも、どこか切ない……
それから王子はまた元気を取り戻した
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で、現在に至る
「俺はどうしたらいいんだ?」
膝に肘をついて手は額に押し当てて項垂れている。その深い絶望を身体全体で表現しているな
「……あれですか?最近噂の赤い瞳の進士のことですか?」
「…関係はあるな」
この春に新しく官吏として登用された者の中に異例の若さで官吏になった少女がいる。その少女は珍しい赤い瞳なのだ
椿嬢は最初から王子とは会ったことがないと主張し、進士の少女は物言いたげな視線でいつも王子を見ているとか……
「王子……貴方の探していた赤い瞳の少女は、その進士の少女なんじゃないですか?」
「だとしても関係無い」
おや?
随分ハッキリとおっしゃる
「王子は初恋の少女が好きなのでしょう?」
「ばっ!馬鹿者!はっ初恋とかいうな!」
そんなに照れんでも
「椿嬢のことは幼い頃に会った少女だから好きだったのでしょう?」
「違う……まぁ、最初はそうだったが……」
ほうほう、顔が少し赤い。いつもの俺達に対する態度とは気味が悪いほど違う
恋とやらはあの王子をここまで変えてしまうのか
王が病で身体を壊してしまってから、王子は王の傍らで政務を手伝ってきた。その姿は研ぎ澄まされ、瞳は刃のような鋭い光が宿っていた
これが俺の主だ
そう、叫びたくなるような……
それが、恋を拗らせてこんな乙女のような表情をするようになるとは
「最初は?」
「あそこまで否定され続けたら最初の出会いなど、あってないようなものだ。それよりも、今の椿に俺は惚れたんだ……あの時の少女じゃなかったとしても関係無い」
真っ直ぐな視線はとても真摯だ
しかし、
「それ、本人に言いましたか?」
「は?会ったらいつも言っている」
おいおい……まさか
「幼い頃に出会った初恋の少女じゃなく、今の椿嬢が好きだってちゃんと伝えましたか?じゃないと、王子はずっと赤い瞳の少女を自分に重ねて好意を寄せているとしか思われませんよ」
「……!?」
イヤ、そんなに驚くことでもないだろう
そっち方面は本当に鈍い
「で、落ち込んでたのは何なんです。椿嬢関係でしょう?」
「…………ああ。昨日、椿が昔の登城記録を持って来てな。そんなにしてまで他の女に目を向けさせて、俺からの好意は迷惑なのかと、俺から離れたいと言っているようで、つい……」
「…一線を越えましたか?」
バシッと思い切り殴られた
酷い、こんなに尽くしてるのに
「殴ることないでしょう」
「黙れ馬鹿!くっ…口付けしようとしただけだ!……だが、椿を怖がらせてしまった……あんな様子は初めて見たんだ……」
くっ口付けって!!
成人した男が何を言っているんだ!?
拗らせてる!思ったよりも酷く拗らせてる!
この国の未来が心配になってきた
「……王子、椿嬢が好きなら早いこと口説き落としてしまいなさい」
本来なら、権力にモノを言わせればそんなことをする必要はない。一言、俺のものになれと言ってしまえば良いのだ
後宮、ひいてはこの国はいずれ王子のものになるのだから、宮女の一人くらいどうとでも出来る
が、王子はそんな遣り方は望まない
そんな王子だからこそついて行こうと思える……だが
「うちにも知らせが来ましたよ」
そう言えば、王子は顔を曇らせた
「お妃候補選抜試験。王太子に一人の婚約者もいないなんて、家臣も国民も不安なのですよ」
「……わかっている」
考え込む王子に苦笑して、お茶でも入れてやるかと立ち上がる
朔あたりにでも相談してみようか
暁王子……お前が望むなら俺は何でもしよう
俺のただ一人の主なのだから