第三話 炎と光と鈴の音
アンネリーゼと殿下は仲睦まじい様子だ。聞けば、よく親同士の交流で、幼少から遊んでいたのだという。
「エレシアナ嬢は、学園に通う予定はありますの?」
アンネリーゼは、手を揃えて微笑んだ。
「学園ですか?」
「ええ!帝国一を誇るシュリュッセル学園ですわ。一般的な貴族の教養に加え、卓越した魔法の教育。何より、帝国最高峰の規模の図書館が設備されていますのよ!」
アンネリーゼは目を輝かせて、楽しそうに語る。
学園…今まで考えたこともなかったけれど、社交界に出た以上、先のことを考えないわけにはいかない。
「シュリュッセル学園…少し気になります…!」
「まあ、本当に、?私も今年で十四ですから、もし来年、入学されるようでしたら同級生ですわね!」
「同い年だったのですね…!」
あまりにも大人びていたから、年上に感じていた。
「“お前”は魔法の才能がある。入学に必要とあらば推薦状を送ってやろう」
それは願ってもない言葉だ。そこまで譲歩してくれるなんて、殿下は毒舌だけれど優しい方だ。
「あら、殿下…淑女に“お前”とは、不作法ですわよ」
「アンネリーゼ、“お前”も皇族に対する礼儀を、弁えた方がいいと思うぞ」
「あらあら、手厳しいですわ」
互いに気取らない態度から、仲の良さが滲み出る。私も二人のようになりたいと、本心から思った。
「…っ!」
不意に、膝から崩れ落ちた。一瞬にして、頭に痛みが走ったのだ。身体が、動かない。……何が起きているの?
「おい、どうした」
「顔色が悪いようですわ…」
二人が心配の眼差しを向ける。が、痛みが収まるどころか、どんどん酷くなる。頭蓋の内側を、何度も打ち据えられる。――痛い。
「――エレ…!」
無意識に、聞き覚えのない女性の声が頭に響いた。
……誰?知らない声だ。鳥肌が止まらない。手の震えも。これは、恐怖?
「避けて…!」
頭の中で女が叫んだ。同時に、頭を突き刺すような激痛が走った。その瞬間に、本能が警鐘を鳴らす。
――何かが、来る。
一瞬にして音が消えた。
「避けろ!」
静寂を射抜くが如く、殿下の声が耳を切り裂いた。
――来る。
「なんですの!?」
地が蠢く。悍ましい気配が、下から。
「アンネリーゼ嬢!」
「きゃっ!」
アンネリーゼを突き飛ばす。その瞬間に、無数のツタが、私たちの合間に飛び出した。間一髪だ。
「下がれ」
即座に、殿下が矢面に立った。武器もないのに。
すると、巻き上がる砂ぼこりの中から、影が現れた。影は一人、二人と増えていく。速やかに、探知魔法を展開する。――反応は、一つ、二つ、三つ……九。
「危険です!ここは逃げましょう殿下」
思ったよりも多い、厄介だ。
「…そのようだな。だが……」
そう易々と逃がしてくれる訳もない、か。
既に包囲されている。
迂闊だった……。警備の少ない庭園に、ぬけぬけと足を踏み入れた。なんとしてでも、彼らを守らねば。
「初めまして、ですねえ……。厄災の子、よ」
禍々しい低い声が、空気を貫いた。同時に砂ぼこりが晴れていく。体が強ばる。
白いローブ。顔はフードで隠れている。手の甲に、独特な紋様。――魔法陣?
「…ああ、なんて、忌々しい瞳だ」
一瞬、目が合ったような。戦慄が走る。
「…ですが、ご安心を。我々が、救って差し上げます!」
不吉な高笑いと共に、ツタが一斉に暴れだした。四方八方から、飛びかかってくる。
「フラム・エルプツィオン!」
すかさず、炎魔法で焼き払った。が、焼いたはずのツタが、焦げた匂いを残して再び伸びる。絶え間なく魔法を放った。守りながらとなると、神経がすり減る。
「全く、キリがないな…」
「殿下、アンネリーゼ嬢から離れないでください」
「…お前一人で、この状況を打破できるのか?」
…正直なところ、できなくは無い。だが――
「……殿下も、木端微塵になります」
「それは困るな」
こんな状況下でも、異様な程の冷静さ。敗北を感じさせない安心感だ。何か切り札があるのだろうか。
「…ここで死ぬのは御免だな」
殿下が前面に立った。
「アンネリーゼ、エレシアナ嬢。ここで見た事は、今後一切、他言無用で頼む」
一体、何をするつもりだろう。
「わかったか?」
「……はい」
「わ、わかりましたわ…!」
殿下は、そっと手を出した。
「我が名は閃光の覇者。光を統べ、闇を断つ者――」
……大詠唱。空気が変わった。
「満ちよ、光。裂けよ、闇。
――巨悪よ、灰燼に帰せ」
「アウフレーゼング」
音が、色が、消えた。
真っ白なキャンバスに、再び色付いた時、既に、ツタは灰と化していた。塵一つ残らずに。思わず見とれてしまうほど、美しい魔法だ。圧倒され、言葉が出ない。
「…すごい」
声が零れた。
「な、何が…!」
奴らは、わけも分からず混沌している。
「もう終わりだ。覚悟しろ」
「……ふ、ふざけるなぁっ!」
一瞬にして、視界が光に呑み込まれた。遅れて、衝撃が空気を揺らす。
――気づくと、風だけが通り過ぎた。残っているのは、焼けた庭と、静寂だけ。
全てを、消し飛ばしたんだ。理解が追いつくと、ただ呆然とその光景を眺めることしか、出来なかった。
「二人とも、怪我は?」
殿下が声をかける。ようやく、視線が動く。
「……大丈夫です」
「私も、大丈夫ですわ…」
辺りが静まり、アンネリーゼが胸を撫で下ろした。
……おかしい。ほんの少しの違和感だった。魔力の残滓が、消えていない。…まだ意識がある。
その時、地に落ちたはずの“影”が、ぴくりと動いた。
――まずい。
「殿下、下がってください!」
倒れたはずの身体が、糸で吊られるように歪む。まるで、操り人形のようだ。また別の身体も動き出す。
「エレシアナ嬢、後ろだ!」
「え…?」
振り返るより先に、気配が触れた。
「っ……!」
咄嗟に受け止めた瞬間、焼けるような痛みが走った。視界が揺れる。手のひらが、真っ赤に染まっていく。
――左肩が、上がらない。ああ、刃が刺さっているのね。
……油断した。
「……許さない、死をもって償え!」
刹那に、奴らは魔法を振るった。ただ一点――私だけを目掛けて。不意に、目を伏せる。
――避けきれない。そう理解した瞬間、身体が止まった。鼓動が、大響音を轟かせる。
「それは、こちらの台詞です」
――チャリン。
場違いなほど静かな声と共に、斬撃の余韻が響いた。同時に鳴ったのは、鈴の音……?咄嗟に、重いまつ毛を持ち上げる。
視線の先にあったのは、見慣れたはずのメイド服だった。けれど、その立ち姿は――戦場のもの。
まさか――
「……ア、リサ?」
確かに、そこにはアリサがいた。普段から優しくて穏やかな、唯一の私の専属メイド。
しかし、彼女の腰には、見慣れない刀が据えられている。そこにいるのは、私の知らない彼女だ。
「遅れてしまい、大変申し訳御座いません、お嬢様。」
アリサはすぐに駆け寄って跪く。調子が狂いそうだ。開いた目が、塞がらない。
「な、何者だ!」
不意に、奴が口を挟んだ。
「…お客様、このような振る舞いはお辞め下さい。今宵は、折角のパーティですから」
アリサは、連中を睨みつける。あんなに殺意の宿った瞳は、初めて見る。凄まじい気迫だ。
「調子に乗るなよ……!メイド風情が…!」
奴の動きが、更に歪になる。次の瞬間に、巨大で無数のツタが躍り出た。と同時に、奴の魔力は底を尽いた。
が、ツタは伸び続けるばかりだ。
……生命力をも削っている…!あれは、人間ではない。
全身の毛が逆立つ。恐怖心が、込み上げてくる。
――チャリン。
その直後、鈴の音が静寂を切り抜けた。無音の中、足音がコツンコツンと鳴り響く。奴らは、動かない。時が止まったように。ただそこにあったのは、刀を振り終えた、アリサだけであった。
――見えなかった。私は、それを斬撃と認識できていない。遅れて、誰かが崩れる。それから連鎖するように。
――何が起きたの…?
「ふぅ」と、アリサは息を吐きながら、刀身を鞘に収めた。すると、すかさず振り返った。
「お嬢様、腕を見せてください!」
アリサが慌てた様子で駆け寄る。鞘には、対の鈴が結われていた。
「まさか…貴女が、仕留めたの?」
「…左様でございます」
信じられない。いつも気さくで、大人しいアリサが…敵を一掃?目の前の事実に、驚きを隠せない。
「貴女は、一体――」
「エレシアナ嬢〜!」
いきなり、アンネリーゼが抱きついてきた。
「腕の傷、大丈夫でございますか……?私を守ってくださり、本当に、本当にありがとうございますわ…!」
…良かった、アンネリーゼに怪我はないようだ。
「ふふ、感謝されることではありませんよ」
彼女の瞳は潤んでいた。相当怖かったのだろう。
「そんなことありませんわ…!本当に…ありがとう…!」
彼女は涙を流し、微笑んだ。思わず、目頭が熱くなった。
奴らの気配は消えた、完全に。
心から安堵に包まれる。ほっと気が抜けて、視界が揺れる。
――いいえ、違う……。この目眩、安心したからではない。理解した途端、身体が言うことを聞かない。
これ、は……毒。
「お嬢様、如何なさいましたか?」
アリサの声に膜がかかった。
「おい!どうした」
「どうなさいましたの!?」
二人の声だ。心配している。早く、返事を。どんどん声が遠のいていく。ああ、身体よ、動け。
――駄目だ。
身体が、落ちる。一瞬で、視界が真っ黒に染まった。
――ああ、真っ暗だ。
* * *
「……っ!」
息が弾けた。肺が、ようやく空気を思い出したかのように。心臓が苦しい。
「はあ、はあ………」
身体中が汗でびしょ濡れだ。衣服にまとわりついて重い。――ん?びしょ濡れ……?焦って飛び起きる。その時、自分の目が信じられなくなった。
目に映るのはただ、澄んだ白。壁もなく、天井もない。一面に、浅い海が地平線まで続いている。果てしなく、白く。
「ここは……?」
収拾がつかない。何が起こっているのだ。落ち着かず、辺りを見渡す。
すると、離れたところに一つの神殿が見えた。自ずと足が向かう。近くで見ると、その迫力に気圧された。神殿は白一色なのに、木目細かい彫刻が施され、八本の重厚な柱が、その存在感を顕にしている。
「綺麗……」
…ここは先程までいた世界ではない。それだけは、はっきりと分かった。




