九 交合
相合元綱の死をもって、毛利家における毛利元就の当主としての地位は完全に確立された。そう、史書には伝えられる。
元就は元綱の死後、即座に行動を開始し、坂や渡辺といった反対派を粛清し、毛利家の意思統一を図ったとも伝えられている。
「これぞ、相剋よ。相剋、極まれり」
哄笑したのは尼子経久である。
彼は若い頃、国を失った。失ったが故に、領土欲以外の欲を切り捨て、国盗りの魔物と化したが、その裏には彼なりの哲学があった。
何故この世は、かような乱世になったのか。
若き日々を京、応仁の乱にて戦い過ごしてきた経久には、それが肌身から沁みて、徐々に分かってきた。
「結局、将軍家といえども叔父と甥で争っているではないか。これでは、相剋だ」
そもそも、この室町の御世ですら、天朝が南北に分かれて争ったことに端を発しているではないか。
「つまりは、相剋。この乱世の真理は、そこにあり」
その哲学の下に、経久は謀略を展開、終には十一ヶ国の太守となりおおせた。
「さて……毛利元就は相剋という真理に気づけたかな? 気づけたところでもう遅い。貴様の爪牙は、無うなった」
元就もまた、若き日に城を失い、そして回復するという経験をしている。経久は、元就ならこの相剋という真理にたどり着けると直感した。したがゆえに、早々にその芽を潰しておかねばならぬと、ここまで謀略をめぐらしたのだ。
安芸という、尼子の狩り場に、かように危険な男がいるのはいただけぬ。なら、その爪牙を捥いで、尼子の走狗として飼いならさねば。
「しかるのちに……尼子の覇道が、真の意味で始まる」
ひとりごちた経久は、脇に控えた亀井秀綱に、孫の詮久を呼ぶように命じた。
「あと、久幸も呼べ。始めるぞ」
「始める、とは……」
「知れたこと、天下盗りよ」
のちに、尼子詮久は、祖父・経久の意を受け、因幡・播磨と進軍することになる――京へと向けて。
*
毛利元就は、閨にて、嫋やぐ妻に向かって言った。
「子が欲しい」
妻は訝しむ。
長男を産んだばかりだ。
むろん、子は多いほど良い。
この時代、何がどうなるか分からない。
後継ぎとはいえ、あっさりと死ぬ……尼子家のように。
「幸松丸は死んだ。元綱は死んだ……弟を、就勝を還俗させたが、これではあまりにも……」
北という家を継がせた弟・北就勝。
元就は彼をそばに置いて離さなかったという。これは、残りの兄弟皆死んでしまったという寂しさのゆえでもあるが、元就自身が死んでしまうという事態に備えてのことでもあった。
「……恐らく、尼子経久どのは、魔物に憑りつかれている」
魅入られていると言ってもいい、と元就は呟く。
「それは」
何、と聞こうとした妻・妙玖は、息が絶え絶えになり、最後まで言えない。
「相剋」
元就の答えは簡にして要を得ていた。彼もまた、余裕が無かった。
やがて勢いづいた二人は、ある一点で静止し、そのまま頽れた。
「……済まない」
いつもは気遣う元就であったが、この夜はちがった。いっそ荒々しいくらいであった。
「……いえ」
妙玖は床に突っ伏したまま、それが嫌いではなかったことを告げた。
元就は妻の髪を手で梳きながら言う。
「相剋により、人を謀り、人を欺く……その業は、あまりにも恐ろしく、強い」
「…………」
「元綱が射られたとき、己もまた、尼子経久を相剋にて葬ってやろうと思った」
髪を梳かれるままであった妙玖は起き上がる。宵闇の中、浮かび上がる女体は艶めかしくも美しかった。
「……そうなさらないのですね?」
「……ああ」
しかし元綱は背に矢を受けながら、鏃に塗られた毒に苦しみながら、笑っていたのだ。
「今際の際の言葉は聞けなかった。だが分かる。あいつは……元綱は、尼子経久に克ったのだ」
相剋という罠に遭い、それでも、兄を守れて満足したように笑った。
「坂や渡辺も深くは追及するな、息子を頼むとでも言っていたのだろう」
その時、頷きながら元就は悟ったのだ。相剋ではなく、相合うことが……尼子経久を乗り越えることに繋がるのではないかと。
そして奇しくも、元綱の名乗りが「相合」である。
「元綱や坂、渡辺は、誅殺したことにはした。それは、尼子経久どのが、そうなるようにと望んだ結果がそうだからだ……だが」
元就は妻を抱き寄せる。妙玖はされるがままに、元就にしな垂れかかる。
「元綱の子は取り立てる。坂や渡辺の係累も、これ以上は責めぬ。毛利に戻ってもらう」
こののち、元綱の子は、敷名を名乗り、毛利家の一門として扱われるようになり、坂家は存続し、渡辺家もやがて帰参を許されるようになった。
「……そして、われわれの子も……できれば何人か欲しい。そして、今度こそ兄弟姉妹で力を合わせ……」
「尼子の相剋を、乗り越えるのですね」
妙玖は元就の意を汲み、自ら元就を求めるのだった。




