十 転機
相合元綱の死の翌月に、それは訪れた。
転機が。
「彼の尼子経久の動き、怪しからぬ。今こそ、膺懲せん」
大永四年(一五二四年)、五月。
周防の戦国大名・大内義興がついに重い腰を上げ、安芸へと兵を進めたのである。
義興率いる二万五千の軍は周防・山口から進発し、怒濤の如く安芸へ攻め入り、瞬く間に海路の要衝にして神域である厳島を押さえて本陣にした。
そこから嫡子・大内義隆と、大内家の重臣にして宿将・陶興房が一万五千の兵を引き連れて別動隊を形成し、その別動隊は一路、安芸武田家の居城・佐東銀山城へと向かった。
安芸武田家は、有田中井手の戦いをめぐる一連の動きにより、大内家から尼子家へ鞍替えしており、義興としては腹に据えかねる存在であった。
「義隆よ……必ずや安芸武田家の光和、予に屈服させよ」
「ははっ」
大内義隆。
大内義興の嫡子であり、のちに大寧寺の変にて、陶晴賢の下剋上により果てる運命にある貴公子であるが、この時は初陣の十八歳である。
「安心召されよ、爺がついておりますれば」
義隆の脇に控えし、陶興房が恭しく頭を下げた。
――嫡子・大内義隆の初陣及び、宿将・陶興房の補佐。
名誉の上でも、実力の上でも、負けられないし、負けは無い。
大内義興の安芸武田家の打倒に懸ける意気込みが知れた。
「うむ」
義興は破顔して、ぽんぽんと義隆と興房の肩を叩いた。
「期待しておるぞ。予も励むでな」
事実、義興はこの後、破竹の勢いで厳島とその付近の諸城を陥としていくのである。
*
大内義隆と陶興房は、佐東銀山城へと迫り、まるで見せつけるかのように、堂々と布陣した。
対するや、安芸武田家の武田光和の兵は三千しかなく、光和は籠城戦を余儀なくされた。
拮抗し、均衡する陣中にて、初陣の義隆は、だが戦功に逸ることなく、隣に控える興房に言った。
「爺よ」
「何でしょう、若」
「頼むぞ、躬は爺を父じゃと思うておる」
「……恐悦至極に存じまする」
一方、佐東銀山城、武田光和は籠ったものの、当然それだけではなく、重代の武田臣下の国人たちに救援の要請をしており、その国人たち――熊谷信直や香川光景らは、千余騎を率いて、佐東銀山城外、「坂の上」というところに陣をかまえた。
ここで、大内義隆の陣にて、軍議が開かれた。
「ここでいたずらに彼奴ら国人どもを入城させるのはいかがなものか。禍根、断つべし」
「杉どのに同意でござる。今、佐東銀山に駆けつけたばかりで疲れておろう、油断しておろう……夜襲じゃ、夜襲」
杉、問田という被官らが口々に攻めよ攻めよと言いだし、大内義隆は困ったように、傍らに控える陶興房を見た。
興房は苦笑する。大軍を擁してのこの戦、すぐにも勝ちが決まってしまうその前に、少しでも手柄をという魂胆であろうと。戦意の高さは嘉すべきであろうが、今ここでうかうかと攻めて、かえって逆襲を食らうという醜態は避けたい。
「方々、落ち着き召されよ」
興房は立ち上がって、まあまあと両手を広げてなだめにかかる。
「そも、大内の兵は、夜襲は不得手。このこと、船岡山の合戦において、この陶興房が言上したとおり」
大内義興の上洛戦において、最も激しいとされる戦、船岡山合戦。応仁の乱におけるそれと区別するため、永正船岡山合戦とも呼ばれる。
その船岡山の戦いを前に、当時は大内家麾下であった尼子経久は夜襲を提案し、敵を殲滅してみせると豪語した。
陶興房は、その経久に冷や水を浴びせかけるように「大内は、夜襲は不得手じゃ」と言い切り、提案を退けた。妄りに先駆けたり、奇襲をすることを禁じ、統制を図るための一芝居という説もあるが、少なくとも今この場において、興房は下手を打つことを避けるため、敢えてまた夜襲に苦言を呈した。
「……しかし、このまま指をくわえて、佐東銀山に援軍を、でなくとも兵糧財貨が運ばれるのを見ているわけにはいかん」
夜襲が否定されたので黙った問田に代わり、杉が正論を以て、義隆と興房の説得にかかった。
だがそれも興房は一蹴した。
「彼の国人ども、入城するなり荷駄を入れるなりするならば、こちらは彼奴等の領地に攻め入るまでのこと。何ほどのことがあろうや」
実際、大内軍は、熊谷信直の領地である三入庄へと兵を差し向けている。
興房はたたみかける。
「方々、こたびの戦、こちらにお出ましいただいた、大内家の御曹司・義隆さまの初陣であること、努々お忘れあるな。夜襲は厳に慎まれたい!」
本当は夜襲ではなく軽挙妄動と言いたいところであったが、杉と問田にも面子があろうし、何より軍議の場での自由な発言が妨げられるやもしれんと慮った興房である。
……ただ、その配慮は完全に逆効果を生む結果となった。
*
「夜襲でなければ良いのじゃろう、夜襲でなければ」
「どういうことだ、ご同輩?」
杉と問田は軍議が解散となり、それぞれ己の陣所への帰途、たまたま隣の陣所同士である彼らは、自然、夜襲の提案を蹴られたことに対する不満を口にし合っていた。
その流れで、ふと、杉が先ほどの発言をした。
発言してから、我ながら妙案だと杉はほくそ笑んだ。
不得要領のままの問田は、なおも問いただす。
「……なあ、ご同輩。何を」
「これは失敬、問田氏……ここはひとつ、耳を貸して下さらんか」
問田は言われるがままに杉の内緒話を聞いた。
そして問田もまた、杉と同様にほくそ笑むのであった。




