起動
初世暦3474年4月22日 記録:モノ・クローム
小さな極秘計画が、実行される。
時計の針は1時を指す。この時間帯には兵士の多くが昼休憩をとるため、見張りが少ない。
俺、粗消、そしてインテグラルは、何も言わず、箸を動かす手を止める。『予定通りに』とアイコンタクトを交わし、休憩室を後にした。
研究室には、これからネウトラリスになるヒューマノイドの他に、誰も居ない。静けさが、俺の心をざわつかせてしまう。
「準備は済ませてある。始めよう」
粗消はドアの近くで、誰かが来ないか耳を澄ませている。インテグラルは腕を組み、期待に微かな恐怖を混ぜたような目で、ヒューマノイドを睨んでいる。
モニターに手を触れる。番号順に並べられたAIの中から、5869の数字を検索。
<――脳機能を同期>
ヒューマノイドからPCを起動するときのような電子音が鳴り、その目に初めて本物の明かりが灯る。
「ついにやった……」
インテグラルが安堵の息をつき、俺たちの緊張が少しほぐれた。
「ここが、真実。本物の世界……」
アンドロイド『ネウトラリス』が今、誕生した。これから彼女は何を見て、何をするのだろうか。
「ああ……私の腕は?脚は?」
困惑した声で首を荒げて動かしている。
残念だが、手足はまだ動かせないように設定した。
「悪いな。君の雰囲気が前と変わったことが気がかりだった。だから、確かめることにした」
声色を変え、いつもより冷酷な声で語りかける。拷問ではこういう手法も使われるようだ。
しかし、彼女はあまり動揺せず、俺の顔をじっと見つめいている。
「……その前に、私から聞きたいことがあります。あの、モノさんは仮想現実での外見とは異なりますね」
……中々痛いところを突いてくる、がいい質問だ。人間らしい。
「このガスマスクのことだろう。……俺は生まれつき呼吸器系と免疫が弱い。だから一生の殆どを、これを付けたまま過ごさないといけない」
「だからこそ、仮想世界でその欠損を埋め合わせしたかったのですね」
ああ、そうだ。よく分かっているな。
「素顔を仲間と共有できるというのは、俺にとっては手の届かない夢なんだ」
……いかん。冷たい口調で話すつもりが……俺は彼女を追い詰めないといけないのに。
「ゴホン。……質問する。このコードは、何だ?」
メモに書いた文章を、ネウトラリスの前でチラつかせる。
「……私が輝くために、必要なものです。私の原動力と言っても良いでしょう」
回答に時間がかかった。何をためらっているんだ?
ネウトラリスの横では、インテグラルがモニターのグラフを観察している。
「モノ、問題なしさ。嘘つきじゃない」
「……なるほど。原動力」
もうすぐ、もうすぐだ。ネウトラリスの予言からピッタリ三日。
この時を待っていた。
「ネウトラリス、君の言った事は本当かな?この研究所が攻撃されるというのは」
「……はい。間違いありません」
やはり間がある。機械的な間だ。
聴覚センサーのラグ、ではないだろう。
「インテグラル、センサーの通信速度に遅延は?」
「無い」
即答だった。であれば、反応が遅すぎるのは他に理由がある。
「……君の予言によると、あと十分で金朝の侵攻が始まるらしい。このままだと、俺たちも直に攻撃されてしまう」
「逃げましょう。ここに居ては危険です。早く私の身体を自由にしてください!」
声のトーンが上がった。
ここまで細かい調整もできることに、未だ驚かされる。これからも、彼女に驚かされ続けるだろう。一抹の不気味な感覚も受け取りながら。
「インターネットも遮断される。そうなれば、君はまたその身体と切り離されるだろう」
これは彼女に効くはずだ。
「ウッ……折角手に入れたこの身体を、手放すわけには……」
「なら、言ってくれ。何か隠しているな?」
……少し時間を置いてみたが、彼女から動揺以上のものを引き出すことができなかった。
「モノーどうすんだ。九分……本当だったらマズイぞ……」
粗消の催促。
二人の焦りも伝わる。だが決めきれない。
彼女は信用に足るのか。
「やはり疑問だ。なぜ君がそんな情報を入手できたのか――」
ヴヴゥ゙ゥゥゥーン……
突然のサイレンが耳をつんざき、俺の思考を中断させた。
<ミサイル警報――ミサイル警報……直ちに屋内や物陰に避難してください……>
ミサイル警報!
こんなものを聞くことがないように願っていたが、こうなるのは必然だった。
「モノ!」
インテグラルが叫ぶ。粗消も顔が青ざめていて、今にも逃げたそうだ。
悲鳴や車両の走行音……外の喧騒が俺にも聞こえる。仕方がない……。
「ああもう……同期!」
そう言うよりも前に体を動かし、モニターに飛び掛かる。
「私は神を持たず、祈りもしない……」
ネウトラリスの呟き。あのコードの一部だ。
「どうした?」
「身体が……燃えるような……熱い……」
同期は30%が完了。ゲージの値が昇っていく。
心配だが、見守ることしかできない。今や彼女の身に何が起こっているのかさえ、分からない。
<警告:間違ったスペクトルが侵入>
別の信号?
「一体何を言――」
「ハハ……アハハハハハハッ!!あなたたち――は――恐怖――に――陥ら――れる……!」
ネウトラリスが笑い出す。狂ったように。
腕を180度回転させ、固定器具を握りつぶす。
「おい!」
粗消が走り出す。視線を追うと、固まって動かないインテグラルがいる。
自由になったネウトラリスは、重力に従い地に降り立った。と言うよりかは『崩れ落ちた』の方が正しいだろうか。
そして、ぎこちない動きでインテグラルに手を伸ばす。
ガッ!
間一髪で粗消がネウトラリスの手を払いのけた。
「何もない――いい――え――違う」
「うっ!」
ところが、ネウトラリスは除けられた手を、今度は目に追えない速度で前に出し、粗消の首を掴んだ。
ドカァン!!
そのまま彼を投げ飛ばしてしまった。壁に背中を打ち付けて、悶絶している……まずい、何が起こった?
「温かい――抱擁……」
彼女が近づいてくる。
「ま……来るな」
ダメだ。歩けない。
あの途切れ途切れの喋り方は、特に俺の心に、恐怖を駆り立てる。
「何をしてる!?」
中佐の声。ドアの向こうから兵士たちが覗いている。
「中佐!こいつをッ!」
中佐は俺、ヒビの入った壁、そしてネウトラリスを見る。そして……。
「っ撃て!撃て!」
ダダン!
ズガガガガッ!!
すべてはネウトラリスに命中したが、効かないだろう。彼女は完成してしまったから。
「あなた――は――私を――置き去り――にする」
そう聞こえた。俺に向かってそう言った。
すぐに彼女はくるりと向きを変え、窓に向かって突進する。
バリィィン!!
窓ガラスにタックル、その勢いのまま外に転がり落ちる。……だがここは三階。落ちても大丈夫だろうか?
「ぁ……ネウトラリス……」
どうすればいい?このまま立ち尽くすのではダメだ。
「行け。あんたがあのロボを見つけるんだよ!」
煙の中から這い出てきたインテグラルが、そう耳打ちした。
分かった。二人とも、また会おう。
固い決意とともに、一回だけ頷く。
そして俺はネウトラリスの後を追う。屯していた兵士を掻き分けて。
「ア、どこへ行く!」
兵士の一人がそう言って、俺に銃を向けた。
「総員集合!敵の襲撃に備えよ!」
中佐の命令によって、兵士たちは統制を取り戻す。俺に向けられた銃は発射されなかった。
助けられた。まるで彼は、俺の目的を知っているかのようだった。
研究者の消えた廊下を駆け抜け、ダスターファクトリーを後にする。もう二度と、戻ってこられないような気もした。
ネウトラリスは、どこだ?
姿は無い。なら痕跡を探す。
そんな事を考えて施設の周りをうろうろしていた時だ。
ドカン!パァン!
上空に火の玉が浮かんでいる。金朝の弾道ミサイルと、地上からの迎撃ミサイルが衝突し、山の稜線上のさらに遠くで爆発を起こした。
だが間に合わなかったようだ。
ズドォォォォン!!
近くの幹線道路に着弾した。すぐに伏せたが、爆発音が鼓膜を打ち、爆風に体を煽られる。
戦争の始まりを、この肌身で感じた。
【序章】鋼鉄の心(終)




