僧侶に「途方もない孤独が感じられる」と言われた。方向性は合ってるけど理由が違う
僧侶に「途方もない孤独が感じられる」と言われた。方向性は合ってるけど理由が違う
その日の依頼は、山間の村への物資輸送の護衛だった。
大したことのない仕事だ。盗賊が出る可能性がある程度で、パーティの実力を考えれば散歩のようなもの。ヴァルゼンにとっては、久しぶりに胃の痛くならない穏やかな一日になるはずだった。
——はずだった。
「ヴァルゼン様」
荷馬車の隣を歩いていたミラベルが、不意にヴァルゼンの横に並んだ。
つば広の帽子が風に揺れている。翡翠色の瞳がヴァルゼンを見上げた。小柄な身体がとことこと歩調を合わせてくる。
「はい?」
「少し、お話ししてもいいですか」
「もちろんです」
ミラベルとの会話は、パーティの中で最も安心できるものの一つだった。エルヴィンの熱量に押されることも、フェリクスの分析に追い詰められることも、グリゼルダの鋭い視線に怯えることもない。穏やかで、柔らかくて——。
「ヴァルゼン様の傍にいると、時々、とても悲しい気持ちになるんです」
(え?)
「悲しい……ですか?」
ミラベルが頷いた。帽子のつばが揺れた。
「私、人の感情を——少しだけ、感じ取ることができるんです。治癒魔法の素養と関係があるのかもしれません。傷ついた方の傍にいると、その痛みが伝わってくるような感覚で」
「はあ……」
「ヴァルゼン様の傍にいると——途方もない孤独が、感じられるんです」
ヴァルゼンの足が止まりかけた。
(孤独——)
それは、間違っていなかった。
魔王軍にいた頃、ヴァルゼンは孤独だった。誰も顔を見てくれなかった。冷たい玉座の間で一人、食事をし、一人、眠った。将軍たちは勝手に戦争を進め、ゴブリンたちは陰口を叩き、ヴァルゼンは透明な存在だった。
だからミラベルの感知は——方向としては、正しい。
ただし。
「あの……ミラベルさん。僕の孤独は、そんな大層なものじゃ——」
「大層なもの、なんですよ」
ミラベルの声が、少し強くなった。翡翠色の瞳が潤み始めている。
(泣かないで。お願いだから泣かないで)
「ヴァルゼン様。あなたは魔王として——魔族の頂点として——誰にも理解されない孤独を、ずっと一人で抱えてこられたのでしょう」
(孤独の理由が違う。頂点にいたからじゃなくて、底辺だったから孤独だったんだ)
「強すぎるがゆえに、誰も傍に立てない。力がありすぎるがゆえに、対等な関係を築けない。——フェリクスさんの分析を聞いて、確信しました。あなたが弱さを装っていたのは、孤独が怖かったからなんですね」
ヴァルゼンは絶句した。
方向は——合っている。孤独が怖いのは本当だ。弱さがバレたら居場所を失うのが怖いのも本当だ。
でも理由が百八十度違う。
強すぎるから孤独だったのではなく、弱すぎるから孤独だった。力がありすぎるのではなく、なさすぎる。
それなのに、ミラベルの感知した「孤独」の本質は——不思議なほど正確だった。
「私には、わかります」
ミラベルの目から、涙が一筋こぼれた。
「私も——孤児でした。神殿に拾われる前は、誰にも必要とされていなかった。だから——居場所のない苦しさが、わかるんです」
ヴァルゼンの胸が、ずきんと痛んだ。
それは胃痛ではなかった。もっと深い場所の痛み。
(この子は——自分の孤独を、僕の孤独に重ねている)
理由は違う。状況も違う。ミラベルが想像している「孤高の魔王の孤独」は、ヴァルゼンの現実とは全く異なる。
でも——「居場所がなかった」という根っこの部分は、同じだった。
「ミラベルさん——」
「ごめんなさい」
ミラベルが慌てて涙を拭った。帽子のつばで顔を隠すように俯く。
「変なことを言ってしまいました。ヴァルゼン様のお気持ちを勝手に決めつけるなんて——」
「いえ」
ヴァルゼンは、首を横に振った。
「孤独だったのは……本当です」
ミラベルが顔を上げた。涙で潤んだ翡翠色の瞳が、まっすぐにヴァルゼンを見た。
「魔王軍にいた頃、僕は——本当に一人でした。誰も顔を見てくれなくて、食事はいつも一人で、広い部屋で一人で……」
言葉が自然に出てきた。フェリクスの時と同じだ。ミラベルの前では——嘘をつきたくなくなる。
「だからここが——このパーティが——すごく、温かくて……」
声が震えた。
ミラベルの目から、また涙が溢れた。今度は堪えようとしなかった。
「やっぱり……やっぱり、そうだったんですね。ヴァルゼン様は——ずっと、孤独だったんですね」
(うん。そうだ。でも理由は君が思っているのとは——)
「あの方の悲しみ……こんなに深かったなんて……っ」
ミラベルが両手で顔を覆った。肩が小さく震えている。
前方を歩いていたエルヴィンが振り返った。
「おい、ミラベルが泣いてるぞ! どうした!?」
「ヴァルゼン様の……ヴァルゼン様の孤独が……あまりにも……っ」
「孤独……!」
エルヴィンの目が潤んだ。
(泣かないで。頼むから連鎖しないで)
「そうだよな……。魔王として、一人で全てを背負ってきたんだもんな……」
「エルヴィン、お前まで泣くな。護衛任務中だぞ」
グリゼルダが呆れたように言ったが、その蒼灰色の瞳もどこか揺れている。
「泣いてない! 目に風が入っただけだ!」
「そうか。私もだ」
グリゼルダが目元を甲冑の手甲で拭った。
(二人とも泣いてるじゃないか)
「面白い現象ですね」
フェリクスが後方から歩いてきた。手帳を開いている。
「ミラベルの共感能力が、魔王殿の感情を感知し、それがパーティ全体に伝播している。一種の感情増幅回路だ」
「フェリクスは泣かないのか」
「僕は分析者ですから。——ただ、昨夜の会話を思い出すと、多少は……いえ、何でもありません」
フェリクスがモノクルの位置を直した。手帳を持つ手が微かに震えていた。
(全員影響されてるじゃないか)
「ヴァルゼン様」
ミラベルが涙を拭い、真っ赤な目でヴァルゼンを見上げた。
「もう一人にはしません。私が——私たちが、傍にいます」
その声は震えていたが、芯は強かった。泣き虫の僧侶の中にある、折れない部分。
「あなたの孤独を——全部はわからなくても——少しでも、軽くしたいんです」
ヴァルゼンは——返す言葉を探した。
否定すべきだと思った。「僕の孤独は、あなたが思っているようなものじゃない」と。「強すぎるから孤独なのではなく、弱すぎるから孤独だったんだ」と。
でも——そう言ったら、ミラベルはもっと泣くだろう。
それに。
「傍にいたい」と言ってくれるその気持ちは——理由が違っても——本物だった。
「……ありがとうございます、ミラベルさん」
「ぅ……っ、また泣いちゃいます……」
「泣かないでください」
「だって……ヴァルゼン様が『ありがとう』って言う時、いつも少し寂しそうなんです……。本当はもっと甘えたいのに我慢している顔をしています……」
(甘えたいのは……まあ、少しは合っているかもしれない。でもそれは魔王としての矜持とかじゃなくて、申し訳なさで甘えられないだけだ)
「ミラベル、いい加減にしないと護衛任務に支障が出るぞ」
グリゼルダが前を向いたまま言った。声が少しだけ鼻にかかっている。
「す、すみません……」
ミラベルが帽子を深く被り直した。だが目は赤いままだった。
一行は再び歩き出した。
ヴァルゼンの隣を、ミラベルが歩いている。さっきより半歩、近くなっている気がした。
荷馬車の車輪が石畳を転がる音。風が木々を揺らす音。エルヴィンが鼻歌を歌っている。フェリクスのペンが手帳を走る音。グリゼルダの甲冑が微かに軋む音。
全部——温かい。
(ミラベルさんの感知は、方向だけは恐ろしいほど正確だ)
孤独だったのは本当。居場所がなかったのも本当。ここにいたいと願っているのも本当。
ただ、理由が違うだけ。
強すぎるのではなく、弱すぎる。隠しているのは力ではなく、無力。
でもミラベルが感じ取った「痛み」の形は——不思議と、ヴァルゼンの本当の痛みと、ぴったり重なっていた。
(この子の共感は——核心だけは、嘘をつかないんだな)
それが救いなのか呪いなのか、ヴァルゼンにはわからなかった。
正しい核心の上に、間違った物語が積み上げられていく。その物語がいつか崩れた時、核心だけでも残ってくれるだろうか。
それとも——全部、一緒に崩れるのだろうか。
「ヴァルゼン様」
「はい」
「今日の夕食、一緒に食べてくださいね」
「……はい。もちろんです」
ミラベルが微笑んだ。
つば広の帽子の下で、翡翠色の瞳が夕暮れの光を映していた。
その笑顔を見ていると、崩れることへの恐怖が——ほんの少しだけ——遠くなる気がした。
(僕は——この温かさを、自分で壊したくない)
それは誤解の上に建てられた温かさだ。いつかは崩れる砂の城だ。
でも今は——今だけは。
砂の城でも、温かい。
物資輸送の護衛は、何事もなく終わった。
盗賊は出なかった。魔物も出なかった。ただ穏やかな一日が過ぎた。
それだけの、何でもない一日だったのに。
宿に戻り、一人になった部屋で、ヴァルゼンはベッドに座って天井を見上げた。
ミラベルの言葉が、まだ耳に残っている。
——途方もない孤独が、感じられるんです。
方向は合っている。理由は違う。
でも、「わかりたい」と泣いてくれる人がいるということが——最弱の魔王にとって、どれほど眩しいことか。
(ミラベルさんは、きっとこの先も誤解し続ける。僕の弱さを強さと読み替え、僕の臆病を覚悟と読み替え——)
でもその誤解の根っこには、本物の共感がある。
それだけは——信じてもいい気がした。
ヴァルゼンは目を閉じた。
今夜は——珍しく、胃が痛くなかった。




