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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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孤独の代償

 孤独の代償


 先代魔王の記録の最後の水晶板には、倒れる直前の日々が刻まれていた。


 水晶板の光が弱い。他の記録媒体に比べて、この一枚だけが——薄暗かった。先代が最後の力を振り絞って刻んだ記録だからかもしれない。


 ヴァルゼンは手を触れた。水晶板が微かに震えた。温もりは——ほとんど残っていなかった。


「千二十三日目。魔力循環の維持に限界を感じる。体内の魔力が枯渇し始めている。世界の魔力を感じ取る能力は衰えていない——むしろ鋭敏になっている。体が弱るほどに外部の流れに敏感になるのは皮肉なことだ。だが、感知できても調整するための力が足りない」


 ヴァルゼンは声に出して読み続けた。声が震えていた。記録保管庫の静寂の中で、先代の言葉だけが響いている。


「千四十日目。虚淵の発生頻度が増している。月に三度だったものが、五度、七度と増え続けている。一人で全てを監視し、調整し、対処することの限界が来ている。だが——他に担える者がいない。この能力は、血統に依存する。私以外に魔力循環を管理できる者は、今の世界にはいない」


 その一文の重さに、記録保管庫が軋んだような気がした。


「千五十二日目。ザガンが心配している。顔に出さないが、あの男の目は誤魔化せない。食事の量が減っていること、睡眠が浅くなっていること——全て気づいているだろう。しかし、弱音は吐けない。吐けば、彼に余計な負担をかける。彼にできることは限られている。それを知りながら心配させるのは、残酷だ」


 ザガンが目を伏せた。拳が白くなるほど握りしめられていた。先代の記録が——かつての主が自分のことを気遣っていた記録が——今ここで読み上げられている。その痛みは、計り知れなかった。


「千六十七日目。体が動かない日が増えた。朝、寝台から起き上がるのに力が要る。だが世界は待ってくれない。魔力循環が一日でも止まれば、虚淵が加速する。世界が壊れる速度が上がる。だから立ち上がる。立ち上がるしかない」


「千七十八日目。繰り返し記す。一人で担うべきものではない。この言葉を何度も記す。後に続く者への遺言として」


 その一文が繰り返されていた。水晶板の複数箇所に、同じ言葉が刻まれていた。


「一人で担うべきものではない」


「一人で担うべきものではない」


「一人で担うべきものではない」


 何度も、何度も。先代は同じ言葉を繰り返していた。それはもはや遺言というより——祈りだった。


(この人は——最期まで、一人だったんだ。一人で世界を支え続けて、一人で限界を迎えて、一人で倒れた。そして最後に残した言葉が——「一人で担うべきものではない」だった)


 ヴァルゼンの胸が締めつけられた。


「千八十九日目。最期の記録」


 文字がかすれていた。力が入らなかったのだろう。水晶板に魔力を込めて文字を刻む作業すら、もう困難になっていたのだ。


「後継者に望むこと。強くなくていい。一人で抱え込まなくていい。仲間がいればいい。仲間と共に、世界を——」


 そこで記録は終わっていた。


 文字が途中で切れている。最後まで書く力が残っていなかった。「世界を」の先に続くはずだった言葉は——永遠に失われた。


 記録保管庫が、深い沈黙に包まれた。


 ミラベルが声を上げて泣いていた。嗚咽を堪えきれず、両手で顔を覆っている。エルヴィンが歯を食いしばり、涙をこらえている——こらえきれず、一筋、頬を伝った。フェリクスはモノクルを外し、目頭を押さえていた。グリゼルダは壁に手をつき、微動だにしなかった。だがその背中が、わずかに震えていた。


 ザガンの肩が、震えていた。


「……陛下が倒れた日を、私は忘れません」


 その声は——かつて夕暮れの回廊で語ったときより、ずっと重かった。先代の記録を読んだ後では、同じ言葉が異なる意味を帯びる。


「全てを一人で背負い、弱音を吐くことすら許さず、それでも世界のために立ち続け——そして、倒れた。それが先代でした」


 セラフィオンが初めて、視線を床に落とした。翼の明滅が完全に停止していた。神使が——動揺している。


「ヴァルゼン殿」


 フェリクスがモノクルをかけ直した。目が赤い。声も鼻声だった。だが、その言葉には確信があった。


「先代の失敗を、ヴァルゼン殿は繰り返さない」


 ヴァルゼンが顔を上げた。


「なぜなら——弱いから」


 弱いから。


「弱いから、一人では何もできない。弱いから、仲間に頼るしかない。弱いから、助けを求めることに躊躇がない。それは弱点ではなく——先代を超える適性です。先代ができなかったことを、ヴァルゼン殿は最初からやっている」


「……でも」


 ヴァルゼンの声が掠れた。


「でも、僕は先代みたいに強くない。世界を守る力なんて——」


「一人で守る必要はないと、先代自身が言っているじゃないですか」


 ミラベルが涙声で言った。


「ヴァルゼンさんには、私たちがいます。一人じゃない。それだけで——先代より、ずっと強いです」


 記録保管庫の静寂の中で、その言葉だけが温かく響いた。


 ヴァルゼンは水晶板を閉じた。いや、閉じるというより——そっと手を離した。先代の最後の言葉に、静かに別れを告げるように。


「僕にそんな役割は——」


 口にした。だが——否定の言葉に、以前ほどの力がなかった。それを自覚していた。否定しきれなくなっている自分を、はっきりと感じていた。


(先代が望んだ魔王に、僕がなれるわけがない。でも——なれるわけがない、と断言する自信も、もうない)


 揺れていた。ヴァルゼンの中の何かが、静かに揺れていた。


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