十四章 思い出した過去と名前
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「一旦話を整理しよう。今日、何があった?」
「自暴自棄になって湖に溺れたら色々と思い出した」
「そんな間抜けな話があってたまるか」
眉間をつまんだアイラスが、弱弱しい声で囁く。事実であるが事実ではない。カムパネラ、もといザネリが話したのは行動についての事実だ。バラバラだった記憶をつなぎ留めたのは、「湖だから」や「溺れたから」と言った物理的な理由ではない。
「過去を生きていた私と、今を生きていた私がお互いを補完しあった。って感じだと思う」
「それならその『カムパネラ』はもういないのか?」
「いないというより、私の一部と言うか......難しいんだよ。ほら、多重人格ってあるだろ? あれと同じで、自分を守るために生まれたものなんだと思うんだ」
黙って聞いていたテイラーは、何かを閃いたようで二人の会話を割って入って来た。
「過去を思い出したのでしょう? なら、今ここに居るあなたは誰になるんですか?」
「誰って、私は私だよ。他の誰でもないよ」
顎に指をあてがって下を向き、それでもおかしいとテイラーは推測している。
「過去と現在を生きていたのは『カムパネラ』でも、今ここにいるのは『ザネリ』なんだよね? それっておかしいよ。やっぱり」
「な、なにが言いたいんだよ」
「失った記憶を取り戻したのなら、過去の『カムパネラ』になるんじゃないの? 間違ってもザネリになんてならないと思うんだけど」
「あー、もう私を否定しないでくれ! とにかく私はザネリだ! カムパネラはもういないんだ! いやいないわけじゃないが難しいんだよ! 私も説明できないんだよ!」
頭を掻きむしって地団駄を踏むザネリ。白昼夢から覚めたばかりのような浮ついた頭で、一体何に答えを出せるというのだろうか。子供のように聞きたくないと耳さえ塞ぎだした。地ならしのような足踏みは続けたままでだ。鬱陶しいその様子を見て、ここまで追い詰めた犯人に「どうにかしろ」と指をさす。
あわあわと腕を振ってあやそうとするが、ザネリの閉じた瞳にその滑稽な姿が映ることは無い。
諦めかけたその時だった。暴れん坊ザネリがピタリと動きを止める。そして何を閃いたのか瞳を開けて言った。
「そうだ、ジョバンニ! 彼女がいれば説明してくれるかもしれない。彼女に聞けばどうにかなるよ二人とも」
握り拳に笑顔を携えて、ザネリが冷静になった。突然の豹変ということだ。
「そんなこと言って、本当はお前が知りたいだけだろ。支障が無いのなら僕は気にしないんだけど」
「当たり前だろ。テイラーにあんなことを言われたら、そりゃあ気になるさ」
そして踵を返すと手を叩いた。だが誰もその後ろをついてこない。それを不思議に思い振り向くと、その場で腕を組んで留まるばかりの二人を見る。何をしているんだと、こちらに来いと腕を振ってジェスチャーで示す。
その厚かましい態度を見たアイラスは、テイラーの耳にだけ聞こえるように声を出す。
「お前のせいだぞ」
「それは......すみません」
ドアをくぐって部屋をまたぐと寝室につく。寝室と言っても仮眠室のようで、二段ベッドが連なる部屋だが。そんな部屋の中で、ザネリが目を凝らす。だが、探せど探せどジョバンニは居ない。頭のてっぺんを掻いて考えるが、どうしたって居ないものは居ない。
「なんでここを探してるんだ。ここにジョバンニなんて奴が居るはずないだろ」
「てっきりもう帰って来てるものだと思っていたのに」
「その、ジョバンニさんは、私たちも知っている人ですか?」
「ああ。あの、顔の無い黒い円のヤツだよ」
「でも、あの人は自分の名前をウーサと言っていましたよ。少なくとも、そんな男性のような名前では無かったですが......」
「彼女も彼女で背負っている物があるのさ。でも、もう意味もないだろうね。彼女のことを、私が”知ってしまった”から」
ザネリは罪の意識を噛み殺しながらその苦々しい罪を飲み込んだ。そうだ。ジョバンニが死力を以て隠し続けた重荷を、ザネリは知ってしまった。忘れているはずだったその荷物を、ジョバンニと共に思い出した。ザネリの中ではもう、後戻りがきかない。
アイラスとテイラー。二人に背を向けているザネリの表情には、先ほどまで見せていた明るさが見えなかった。「ふう」と息を吐き出すと、覚悟を決める。遅かれ早かれ事件は、表層化するだろう。ザネリはそれを理解していた。今はまだ、それを理解しているのは彼女だけだったが。ザネリの探すジョバンニすら、気が付いていない。いや、思い出せていないことを知ってしまった。言いえて妙だが、第一発見者だ。
それから、アガサの部屋や食堂など様々な部屋を探したが見つからない。せいぜい、イブリスと遊ぶチェリッシュくらいしか見なかった。列車内にいないのなら帰ってくるまではどうすることもできない。
でたらめに街中を走り回ったところで見つかるわけもないのだ。今は大人しく待っている他ない。
そうして待ってもウーサは帰ってかなかった。一日、二日と経っても帰ってこない。子供ではないのだから心配はしないが、ザネリには気掛かりだ。タイミングが良すぎるように思えてならない。自分の予測が当たっていなければいいなと思う。
そしてまた日数は過ぎていく。ついに焦りが、ザネリの胸の中を支配し始めた。
気疲れした瞳で天井を見つめる。こんな暇な時に限って依頼は入らない。いつでもアグレッシブに外へとお散歩に出かけられる奴らを、ザネリは羨ましいと思う。そうして時間を食いつぶしていた。
そんな折、扉が開くと誰かが入って来るのがわかった。ジョバンニか? と期待して体を起こすがそこに立っていたのはアガサで、期待していた人物じゃなかっただけに少しショックを受ける。ふて寝するかのように枕に後頭部を預けてまた天井を仰いだ。が、アガサの様子がほんの少しおかしい。そわそわしており、なんだか落ち着かないのだ。
「ここ最近、ウーサを見ていないだ。何か知らないか」
「ウーサは『悪魔派』の要人だろ? だったら一人で行動しても不思議じゃないでしょう」
「それを言ってしまったらお終いじゃないか。そうじゃなくて、何も言わずに消えられるとこちらとしてもモヤモヤするんだよ。仮にもここの主は私なんだぞ? 快適じゃないから帰ったなんて言われたら......立ち直れないかも」
「......何をしてほしいんだ」
ちらちらとこちらを見るアガサに痺れを切らしたザネリが、ふてくされた子供のような口調で質問をした。その行為に、両手を握って感謝を示すようにアガサが目を輝かせる。
「おお! そう言ってくれるのを待っていたよ! それじゃあ、ウーサを探してきてくれ」
「どこにいるか見当はついているの?」
「それがわからないんだ。でも、この街には、悪魔派の支部があるからね。そこに居るかもしれない」
それを聞いて、ザネリは思い返していた。少し前、”ウーサ”と一緒に訪れた街を。崩壊した街の中を、ずんずんと進み続ける”ウーサ”の姿を思い出した。考えついた末にアガサに聞く。
「なあ、アガサはウーサみたいに空間転移はできるのか?」
「うーん、この列車にある儀式法陣を使えばできると思うよ。試してみてもいいけど、一体どこに飛ぶんだい?」
「ちょっと心当たりのある場所さ。じゃあ試してみたいから、今すぐやろう」
「あー、わかった。こっちにあるから、ついてきてくれ」
手招きするアガサについて行くと、そこは彼がいつも居眠りをしている散らかった部屋だった。コミックやギターやその他諸々が、前よりもひどく散らかっていた。この男には片づけるという概念が無いのかもしれない。足元を見ながらでないと歩くことすらままならないその部屋を進んでいく。
目の前に現れたのは、大きな布で覆われた床。と言っても、ただカーペットが敷いてあるだけだったが。意外にも重いのか、アガサの顔に血が昇っている。そしてようやく退けたころには、アガサが息切れしていた。
「これだ。ようし、早速この上に乗ってくれ。言っておくけど、円から出たらダメだからな」
「わかった」
「よし。それなら行きたい場所を教えてくれ」
そう言ったアガサは懐からスマホを取り出した。今更こんな過去の遺物を使っている同士がいたとは。ザネリは感激した。
「シェンヌイだ。わかる?」
「ああちょっと待ってくれ。えっと、ここだな。って、ゴーストタウンらしいじゃないか。こんなところに本当にいるのか?」
「たぶんね。それと、ウーサを連れ戻してほしい本当の理由ってなに?」
「本当の理由か......単純に、友人が困っているかもしれないからね。力になれたらと思っているんだが、直接聞こうにも本人は居ないしで、踏んだり蹴ったりさ」
両腕をまげてやれやれと言ったポーズを披露した。そんな彼を、ザネリは見抜いていた。他に、もっと大きな理由があるのだろうなと。それでもこれ以上詮索しまいと短く返事をすると口を引き結んだ。
そうして、ウーサのときとは違う浮遊感を感じながら転移は成功した。
その視線の先に広がっていたのは、やはりと言うべきか荒廃した街並みだった。だが今は、ここで何があったのか思い出せる。込み上げてくる最悪な思い出を抑え込み、ザネリは歩みを始めた。壊れたビル群と瓦礫の山を登り、最後に思い出せる場所へ向かった。そこは崩れかけた橋だった。
多くの自動車が、最高速度で走っている姿を想起させる広い横幅のあったその橋は、けれどもう機能しない。中腹からへし折れてしまっているのだから。
そんな壊れて荒んだ世界で、一人異質な存在が立ち尽くしていた。背中を向けて佇むその人物は、微動だにしない。ここにずっと立ち尽くしていたのだろうか。わからない。ザネリには、まだ分からないことだらけだ。
「ウーサ、帰ろう。ここにはもう何もない。忘れても、いいんだ。こんな場所は。既に人々は忘れているし」
そんなザネリの言葉にピクリと体を震わせる。そして、振り向いた。その人物の顔は真っ暗な虚空。顔のパーツなんてものは存在しておらず、空に浮いた黒い円にしか見えない。
いつもと違うのは、その虚空から黒い液体が流れ漏れていたことだろう。大きなまとまりから落ちないよう、必死に縋りつくその一滴は粘性があり、まさに深淵そのものだった。
ウーサは覚束ない足取りで、ザネリに近づいてくる。息を呑んだザネリもまた、距離を縮める。それから、お互いの手は届く。掴めなかったはずの”ジョバンニ”を、ザネリは掴んだ。
顔の代わりとなるその虚空に腕を突っ込み無理にでも引きはがそうと、乱暴に腕を動かす。そして、細長い何かを掴まえた。だが、引き抜けない。力を込めても、引き抜けない。
歯を食いしばり地面に付けた脚に、これでもかと踏ん張りを効かせる。
これは、気持ちの問題だろうか。覚悟を決めて、ザネリは腕を引っこ抜く。それと同時、細長い何かも外へと露出する。虚空と同じ粘性を持った液体で覆われていたが、それは紛れもなく誰かの腕だった。
「もう、ひと踏ん張りだな」
そう、自分に言い聞かせた。ウーサの肩を押さまえて、引っ張り出す。それが最後だった。
一気に全身が引きずり出された。反動で後ろに尻餅をつく。だが、腕に抱えた人物だけは必死に守り抜いた。おかげで、軽い傷を得たのはザネリだけだった。
尻餅をついた格好のまま、腕に抱えた誰かを見た。今は眠っているその人の顔を眺め、ザネリは笑顔を作った。だがそれも束の間に過ぎず、試練はやってくる。
ウーサの体が、顔だったはずの虚空に吸い込まれて消えていく。ベキべきと不愉快な音は、人体が折れ曲がる音だった。
自分自身を飲み込んでいくようなその様子を、ザネリは後ずさりしながら見た。そして完全な球になった途端、一目散に走り出した。今は、アレの相手をしている余裕なんて無いのだ。
背を向けて走った。足場の悪さなど忘れて、瓦礫に足を取られることも気にせず走った。とにかく、走って、逃げていた。そして気が付いた。自分の脚が突然止まってしまったことに。
背中に強い衝撃を感じた瞬間、ザネリは地面を転がっていた。腕を離れたその人物も当然、地面を転がった。起き上がろうと腕で体を支える。そして腹部に激痛が走った。確認するように手を当てると、血がべっとりとついていた。何かに、腹を刺された。そう認識した途端、痛みが全身を襲った。それでも立ち上がる。
近づいてくる足音を聞いた。その音を聞いてしまっては、もうこれしか方法はなかった。何もない手のひらを広げて、鞘を掴むような真似をした。勿論、片手は柄を握る恰好だ。すると、どこからともなく刃は出現した。
「くそっ、逃げられないか......」
そうぼやいて、目の前に迫る悪魔のような人型を睨んだ。ノイズが走ったようにあやふやで、顔も歩き方も武器も、そのすべてが不明瞭だ。そんな怪物を前に、ザネリはゆっくりと刀を引き抜いた。




