第55話 私の知ってる暗守さん
(もう、戻ったんだよな)
ヒナのいない布団は妙に広く思えた。
(そりゃあ、一国のお姫様が男と同じ部屋なんて、ありえないもんな)
優菜はワンコ先生こと魔宗と、ワンコ兄さんこと魔央の計らいで白亜の宮に部屋を与えてもらった。
一般人の優菜が与えられた部屋は栄えある騎士団長達との並びの部屋。
北晋国の実家の自室の二倍はあるだろう貴人のために作られた部屋は高価な調度品であふれていた。
万が一傷をつけてしまうことを考えると、優菜にとって落ち着ける場所ではなかった。
(俺は暫くここで暮らすことになるのかな。何かすごくヒナと遠くなった)
大国の姫と民間人が一緒にいられないことは分かっている。
けれど優菜としては自分が自分としてあり続けるために、ヒナの存在が必要だった。
(優真を呼んだら、この部屋に仕切りでもしてもらって二人で暮らすことになるのかな……んで、優真にヒナのことなんて説明しようか)
何度も寝返りを打った。が、まったく眠れなかった。
体を起こして、夜の冷たい空気を吸おうと窓を開けると、ヒナの部屋が正面に見えた。
その部屋の主はもう眠ってしまったのだろうか、カーテンの隙間から光は漏れていない。
(あの人)
夜中にも関わらず、灯りの消えた姫の部屋へと進んでゆく男の影があった。
夜といえども充分月の灯りがある。
優菜の目にその男の顔がしっかり見て取れた。
(こんな深夜になにしてやがる! 夜這いか! この国そんな風習があるのか!)
湧き起こる怒りで窓から飛び出し駆け寄ると、向こうも優菜の気配に気がついたのか顔をあげた。
優菜は怒りを滲ませながら、それでも礼儀をもって少し頭を下げると、姫の部屋へと丸腰で歩いていた国明も頭を下げた。
少しも悪びれた様子は見て取れなかった。
(おいおい、お前、妻と子がいるんだろ。元カノの部屋なんてくんな!)
優菜はわざと棘のある口調で問いかけてみた。
「こんな夜中に、騎士団長ともあろう方が何してるんです?」
「少し、夜風に吹かれたくて」
「ここで?」
「ああ、ここで、あと、見張りと」
「見張り? そんなもの、こんなところで必要ないで……」
嫌な予感がして、こっそり窓からヒナの部屋をのぞくと閉められたカーテンで部屋の内部はよく見えなかったが、どう角度を変えてもそこにヒナの姿は見つけられなかった。
「え? いない?」
乗り出して窓に触れると窓の鍵は開いていた。
血の気が引いてゆく。
「え? 何! 誘拐?」
「やられた! あの人は人の目を盗んで、抜け出すことが大好きなんだ」
国明は周りを見回して、大股で庭を突っ切って歩いてゆく。
優菜はまだ事態を飲み込めず、混乱していた。
(何、どういうこと。ヒナが自分で出てったってこと? ヒナ、お姫様なんだろ? 大国のお姫様なんだろ? 大人しくできないのか? あうう……できそうにないかも)
この辺の地理に疎い優菜はただ国明の後ろを追いかける。
けれどすぐに二人は足を止めた。
白亜の宮の花畑の中にヒナの姿があった。
街灯や明かりなどなくても、月の白い光が充分ヒナを見つけさせてくれた。
そしてそのヒナは一人ではなかった。
(何だ? あれは)
一瞬、優菜は自分の目がおかしくなってしまったのかと思った。
ヒナの隣にいるのはこの世のものではない、そう見えたのだ。
後ろで適当に一つに縛られた髪が月の光を受けて輝いていた。
それは人の姿を取るものとしてありえない色をしていた。
(え? 何、あれ銀色?)
「あの」
国明に尋ねようとしたけれど、質問をぶつける前にヒナの小さな声が耳に入ってきた。
「貴方をたくさん傷つけました、ごめんなさい」
今にも泣いてしまいそうな、潰れてしまいそうな悲しそうな声だった。
優菜の前では気丈に振舞うヒナが、他の男相手にこんなに弱い声を出すのかと、優菜は少しショックを受けた。
すぐに低い男の声が返って来る。
「いいえ、貴方を守れなかった私が謝らねばならないのです。全て私の不徳の致すところ、この北晋との戦争が終れば、私は騎士団長を辞めようと思います」
(え? 騎士団長、何、この人!)
優菜は自分の知らない現実を理解しようと更に耳を傾けた。
「辞めるなんて言わないで下さい! お願いですから、私はちゃんと生きて帰ってきましたから」
「いいえ、あの時、私は貴方から離れるべきではなかった。けれど自分の感情を抑えきれず、貴方を傷つけ、貴方から離れてしまった」
「傷つけられてなんていませんよ」
ヒナはにっこり笑うとすぐ隣にある大きな男の肩に触れた。
男の顔が少しヒナへと向く。
顔は分からないけれど、見えた肌の色は褐色だった。
髪の色といい、肌の色といい、優菜にとっては見たこともない存在だったが、その男はヒナにとってはとても大切な相手に違いない。
その男を見つめるヒナの瞳は、いつもヒナが優菜を見る瞳とそうかわりがなかったのだから。
そしてヒナは優しく男を見つめていた。
「どうしていいか分からなくなってしまったんです。嫌いだとか、気持ち悪いとかではなくて、本当に混乱してしまったんです」
(一体、何の話だよ)
ヒナは自分の膝を両手で抱きながら続けた。
「人生が全部終ったくらいの失恋をして、王都から逃げ出したら、凄く素敵なとても信頼している人が男として目の前に存在して、驚いてしまったんです」
(何したんだよ! おい!)
もっと具体的な説明がほしかった。
けれど、二人は穏やかな風のなかでただ話をしているようだった。
それから暫くしてヒナは何かを指差した。
「この本の中では、私達は信頼しあって、愛し合って夫婦になった。私、これを初めてヒナとして読んだ時、ときめいて、ただときめいて貴方にすごく逢いたくなった」
それからクスリと笑った。
「おかしいですよね、勝手に人が妄想を膨らませて書いた事実ではない姫と暗黒騎士団長の恋の本なのに、魔央さんにもちゃんと念をおされたのに、ものすごく感情移入してしまいました。
だって、当たり前ですよね。暗守さんはいつでも傍にいてくださったんだもの。竜騎士に襲われてお城から逃げた時も、川に流された時も、国明さんにふられて文句いいに家に行った時も、そして私が逃げ出した時もちゃんと見ていてくださった。だから、きっと心の中の奥に眠っていた美珠はちゃんと貴方のことを覚えていたんです」
「美珠様」
「今日記憶を取り戻して、少し時間をかけて、美珠とヒナの記憶を照らしあわせました。幸せだったこと、辛くて仕方なかったときのこと、全部今、私の中にあります。そして、私が私に戻った時、私はとても深く傷つけている人がいることを思い出しました。
私の知ってる暗守さんは、きっとあの最後の日のことを、考えて考えて、すごく苦しんでしまわれているような気がしました。全然貴方のせいではないのに、自分の責めてしまわれてる、そんな気がしました。でも、違うんです。あれは暗守さんのせいではないんです。暗守さんは私を最後まで守ってくださった。私の胸が貫かれるその時も、守ってくださったんです」
「お守りできなければ意味はないのです」
「私の為に、貴方が傷つかないで下さい! その顔の傷は……私のせいで負われたんですよね」
ヒナの示す傷は優菜達には分からなかったけれど、それ以上二人の間に自分達がいてはいけないような気がして、優菜は隣の男を見上げると、向うも優菜に視線を送って帰ろうといった顔をした。
来た道をどうしてか重い足取りで引き返しながら優菜は背の高い男を見上げてみた。
「暗守さんってことは、あの方が暗黒騎士団長ですか?」
「ああ、そうだ。色々事情があって、髪と肌の色は違うけれど、美珠様が信じておられる通り、本当にいい人物だ」
国明の隣を歩きながら優菜は頬を持ち上げる。
「あなたも、思ってたよりもいい人そうだ」
「え?」
「初めて国境で会った時、あなたは正直、喜怒哀楽、なんにもない人だと思ったんです。けれど、本当のあなたは違う、それは分かりました」
そのことについては国明は何も言わなかった。
ただ鼻で笑うとワンコ兄さんよりも爽やかな笑顔を見せてくれた。
*
一方、ヒナは暗守の額にある傷に触れた。
銀色の右目の上、褐色の肌が裂け、大きく抉れた跡があった。
「私、胸を刺された後のことはなにも覚えていません。でも、あの時、いろいろな場所で爆発が起こったことは覚えています。それに巻き込まれたんですか? それでこんな傷を? 生きていらっしゃって本当によかった。 あの、珠利は? 珠利はどこへ行ったんですか?」
「珠利殿は生きておられます。ただ、ひどい火傷を負って、療養されていると聞いています。申し訳ありません。私も傷が癒えてすぐに北へと向かったので」
「そうですか」
ヒナは肩を落とすと、首を振って笑顔を作った。
「早く、珠利を迎えにいってあげないと、珠利は私の大切な人なんだもの」
「ええ、彼女は立派に戦える人です。怪我が治れば彼女もまたともに戦えますよ」
「はい」
ヒナと暗守は花畑の中でお互い微笑み合うと立ち上がった。
「そろそろ眠りましょうか。明日は私がどうして、ヒナになったかを教えてもらわなくてはなりませんから」
「ええ、我々もそれは知らなければなりません」
「おやすみなさい、暗守さん」
「はい。美珠様」




