第八十三話 情か利か
とても魅力的な姿な春野の容姿と弱った姿、そして本人から誘い、その破壊力は僕の年齢を考えると絶大なのだろう。
僕は今日見た映画を思い出す。
あの映画のように、この手を取れば幸せな展開があるのだろうか。
僕は少しだけ考えてから春野に語りかける。
「ねえ、春野。優しいと甘いは難しいね」
「・・・・・・」
きっとここで春野の言う通りにしたら春野は気分は楽になるかもしれない。
だけど、きっとそれは最高の結果を諦めることになる。
「春野の誘いには乗ってあげられない」
「どうして」
「だって、自分の意思じゃないでしょ」
まだまだ、春野がどんな気持ちなのか完璧にはわからないけど、やりたいからやりたくないかぐらいは見分けられるようになってきている。
「これは私の意思よ」
「それは嘘だよ」
「嘘じゃない」
「嘘だよ。だって笑ってないじゃん。今の春野、苦しそうに見えるよ」
「それは・・・・・・」
春野は僕の言葉に少しだけ感情的になってしまった。
だからこそ、本当の気持ちが垣間見る。
自分の失態を理解して、もう無理だと思ったのか春野は僕の手を解放する。
僕は起き上がり、春野を見る。
「改めて言うけど、春野の誘いには乗れない。そんな楽しいは、僕が教えたいものと違うから。だけど、これぐらいはしてもいいかな」
僕は優しく春野の頭を撫でる。
いきなり撫でられた春野は大きく動揺するが止めようとはしなかった。
撫でられている春野の姿は、先程の罪を意識して苦しんでいる苦しく冷たさを感じるものではなく、暖かさを得られたようなホッとして安心しきった姿だった。
その状況が数秒続いたが、状況を飲み込めた春野は僕から離れた為終わってしまう。
「何で・・・・・・こんなことをするの」
「もっと笑顔になってもらいたいと言ったでしょ」
春野は日々迫り来る罪悪感から、自分を傷付けたかったのだろう。そうすれば罪悪感が薄くなるから。
しかし、それは逃げである。
だからこそ、油断なく最高を目指すなら切り捨てるべきものである。
だけど、人は強いわけではない。
途中で潰れてしまう人の方が多い。
だからこそ、たまにはこうやって甘えさせてあげることも必要だ。
派手に甘やかす事はできないけど、これぐらいなら僕が肩代わりできるから問題ないだろう。
「嫌だったかい?」
「・・・・・・椿君、嫌いだわ」
どうやらより嫌われてしまったらしい。
春野は立ち上がり、僕に背を向けてから言った。
「椿君のことが分からない」
春野には珍しく感情的な言葉だった。
「どうしてここまでしてくれるのわからない」
僕を拒絶しようとするかのように春野は吐き捨てる。
「分かろうとして色々試したけど、結局わからなかった。襲ってくれたら、もしくはハッキリと拒絶してくれればもっと楽だったのに、あなたはどちらもしなかった。」
今日の映画や襲いかかったのは、僕のことを知ろうとしてのことだった。
「嫌いよ・・・・・・椿君」
そう言って春野は自分の部屋に戻った。
静寂な空間が僕を支配する。
(辛いな・・・・・・)
春野の言葉は僕に深く刺さる。
手段も心情も良いものではないが、こちらを知ろうとした春野の行動を僕は払い除けた。
それも完全に否定するわけでも受け入れるわけでもない中途半端な形、春野にとっては最悪のパターンでだ。
春野の自殺を止める上では最適な行動だった。
あそこで、乗っていても乗らなくても春野からは僕がどう言った人間なのかハッキリする。
乗れば今後の行動がどうしてもふんわりとしたものになる。そうなれば春野ならいくらでも隙をつけるし、今回の問題はそんなふんわりとした気持ちで乗り越えられるほどのものではない。
必ずどこかで失敗する。
逆にここでハッキリ断れば、僕はそう言ったことに関しては頑なに拒否をする人間だと分かる。
つまり、この分野において柔軟な対応ができない。どうしても決まった動きが出てきてしまう。
それは僕の行動が予測できるということになり、予測できるというならば嵌めるのは容易い。
そう言った意味で完全に否定もせず、攻めに近い妥協をしたことによって、春野にとって僕がどうする人物なのかより分からなくなった。
しかし、この行為は僕が人間味と言った信頼などで何とかするよりも、冷酷に合理性の求め、人の心などという不安定なものに頼らないことを表している。
僕は人の心よりも自分で考えた謀略を信じたのだ。
人の心どうこう言っている僕が、一切信じていなかった。
(どうすればよかったんだろうな・・・・・・)
自分の間違いに気が付いたとしても、どうすればいいのかわからなかった。
物事自体は上手くいっている。
自殺は止めれているし、春野にも互角に戦えている。
この調子でやっていけば、春野の自殺を止めることはできる。何の問題もない。
(僕が、僕が隣でなくてもいい。すでに役割は決まっている。これ以上欲張るな)
迷う気持ちを振り払い、いつものように悪夢を見て苦しんでいる春野の看病をする。
そうして、12時過ぎある程度のことをやり終わった時、家の電話が鳴り響く。
(こんな時間に誰だ?)
春野の家に真夜中に電話、怪しさしかなかった。
取り敢えず電話のところに向かう。
そして、電話の相手を知った。
「お義母さま・・・・・・」
電話の相手は春野の義母だった。
出るべきか一瞬迷うが、今までの情報からここは無視を選択する。
なり終わった後、そのまま終わるかと思ったが、まさかの留守番電話になる。
「相変わらず、行儀がいいことね」
聞こえてきた女性の声は酷く冷たく刺々しいものだった。
「良い子ちゃんをしていても貴方がしたことが消えるわけじゃないのにね」
嘲笑うかのように春野の義母は言った。
僕は黙って聞く。
「今回も仕送りを送ったわ。まあ、どうせ送り返すんでしょうけど。どうして、あの人は無駄だと気がつかないのかしら」
娘に向けての態度ではなかった。
まるで事務仕事のような対応だ。
「あの人に言われてるから毎回電話しているけど、面倒だがら、早くあの人を説得するか、消えてくれないかしら。家を出ていっても、何処までも迷惑をかけるのね」
春野を侮蔑する言葉と今すぐ消えてほしいと言う気持ちがひしひしと伝わる。
「とにかくこれ以上、私に迷惑をかけるんじゃないわよ。貴方はみんなを不幸にする疫病神なんだから」
そう言って留守電話は終わる。
(かなり・・・・・・深刻だな)
春野の家族関係は想像を遥かに超えるほど闇が深いらしい。
行儀がいいの言葉から、春野がこの時間に寝ていることを把握した上で電話をしてきている。
つまり、春野と話すつまりが一切ないと言うことだ。
この時点でもかなり悪質だが、電話の内容も内容だ。
どのような事があったかは分からないが、春野の性格を考えるならかなり傷付く内容だ。
他にも気になる点はいくつかあるが、春野は毎回朝起きた時にこれを聞いていると言う事実が重かった。
悪夢を見て苦しんで、やっとのこと解放された矢先に聞くのだ。
これを聞いた時の春野の心情は察するにあまりある。
(取り敢えず、これは秘匿するべきだな)
今の春野に聞かせるわけにはいかなかった。
どれほどの影響があるか分からないが、どちらにしろいい方向にはいかない。
僕は会話内容を一応レコーダーで保存した上で削除する。
仕送りの件などで春野にはバレるかもだが、これを聞かせるよりかは遥かにマシだ。
(問題だけが増えていくな)
春野のことは勿論、学校、今回明らかになった家族のこと、春野が抱える問題はとても厳しいものばかりだ。
僕は一度深呼吸をする。
(僕なら耐えれる。自分への甘えを切り捨てろ。冷酷に全てを支配するんだ)
明日からは学校問題の攻略が始まる。
汚名も恨みも傷も全て引き受け、誰にも悟らせない。
それも僕の役割だ。
(一つ一つ必ず解決する)
僕は確固たる決意を胸に本格的な行動を始める。