第八十二話 甘い誘い
「・・・・・・」
苺凪達の質問に対して即答ができなかった。
その理由は至って単純、何日になるか予測ができないからだ。
少なくとも物静かな部屋が、冷たい空間が、虚無な瞳が、悪夢にうなされ泣く姿がなくなるまでは絶対に僕は春野の隣に居続ける。
僕が離れるときは、僕の助けなどなく笑って過ごせるようになる時だ。
そのためにどれぐらいかかるか、今の僕には判断がつかなかった。
だからこそ、家を出る時も期間はハッキリと決めないように立ち回った。
そのツケの1回目の支払いがきたと言うことだ。
(どう答えるべきか)
ここで言ったことはおそらく両親にも伝わる。
分からないと言ってしまうと、両親からの不信感を煽る結果になりかねない。
だからと言って日数を少なめに言っても、延期する未来が見えている。
二、三回なら延期できるのかもだが、現状はハッキリとした解決の目処はたってなく、1ヶ月以上の長期戦になる可能性が高い。
それに備えるためにもできだけ期限を決めたくなかった。
「そんなことを言うなんて、そっちで何かあったのかい?大きな問題があるなら今すぐ帰るよ?」
僕はこの質問の答えを出す前に、家の状況を探ることにした。
こちらの状況だけでは、判断はつかない。
両親達の様子も知る必要がある。
「お兄ちゃんが心配するようなことは起きてないよ。全然上手くやれてる。寧ろお兄ちゃんがいなくなって広々やってる」
「そうか、そうか・・・・・・。問題ないようで何よりだよ」
僕がいなくなったことがあまり問題視されていないことに安心はするが、同時になんとも言えない気持ちになる。
「お兄ちゃんに電話したのも、当分帰ってこないなら、お兄ちゃんの部屋を私達の部屋にしようかなと思って」
「あれ、ちょっと僕が考えていた展開と違うなーー」
しばらく家にいないことについて何かしら言われると思っていたが、どうやらその心配は微塵もいらないらしい。
寧ろ、問題なのは家族がこの機に乗じて家での僕の居場所をなくそうと動いていることだ。
僕の家は一階が家族共有のスペースで、2階が各個人の部屋になっている。
各個人用の部屋は4つしかなく、当時赤ちゃんだった苺凪達の部屋は与えられなかった。
そのため、現在小学6年生の2人は自分たちの部屋が欲しており、度々僕の部屋が狙われていた。
まさかの展開に先程までの真剣な気持ちは消し飛んだ。
「あのーー、それって帰ってきたら僕の部屋に戻るよね?」
「何を言っているんですか弓弦兄さん。戻るわけないじゃないですか」
苺耶の無慈悲な言葉が浴びせられる。
「そ、そ、そうなんだ。ち、ちなみにこれってとても面白い冗談やドッキリだったりする?」
「しないよ?もうお母さんとお父さんには苺耶が話してとうしているから、あとはお兄ちゃんだけだよ?」
マジトーンで苺凪が言ってくる。
(ヤバい、ヤバい、ヤバい!このままだと春野をどうにかした後の僕の帰る先がなくなる!)
僕の問題はどのように春野の家にいるかから、春野の件が終わった後の帰り場所を守ることに変わっていた。
嘘だと思いたいが頭脳明晰な苺耶ならいい感じに話すこともできるし、何より両親もたまに僕の部屋を渡すみたいな話をしていた。
考えれば考えるほどこの話が与太話ではないと立証されていく。
「それで、お兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」
再度僕に突きつけられ質問。
質問の内容自体は同じだが、意味合いは大きく変わった。
分からないや長期間は論外、いってしまったら僕の帰るところがなくなってしまう。
放浪の身になってしまう。
だからと言って短い期間では帰ってこれるか分からない。
破ったら勿論、僕の部屋を無くす口実にされる。
(いや、待てよ。別に長い時間家にいる必要なんてないよな?)
ちょくちょく、一瞬だけ家に帰って部屋を使えばいいのではないか。
長期間いなくなるから、このような状況になっているわけで、定期的に少しだけ戻れば使われていることになるからセーフだ。
なんなら、お母さんと玲を極秘裏に買収して帰ったことにすれば不安要素は減るし、盤石になる。
(くくく、僕が簡単に屈すると思うなよ)
取り敢えず、返答は1週間ちょいぐらいと言って、帰る日を特定させないようにして、僕が帰ってきたと偽装させやすくする。
玲とお母さんには明日ぐらい連絡入れて買収すれば勝ちだな。
「あ、弓弦兄さん。ちょっとだけ家に帰ってこればいいはダメですよ。あと、お母さんと玲兄さんはこちらが買収済みです」
「・・・・・・」
苺耶の見事な準備に僕の咄嗟に思いついた作戦は音を上げて崩れていく。
「さて、弓弦兄さんどうしますか?先程の小細工は見逃しましたが、これに関しては何一つ見逃しませんよ」
(流石、苺耶だなーー。てか、さっきのやつバレてたのか)
苺耶の見事な手腕と死刑宣告のような言葉に僕は現実逃避するしかなかった。
苺耶はチェスや戦略ゲームなど頭を使うゲームを一緒にやることが多い。
そのこともあり、苺耶は僕の手の内をある程度知っている。
適当に騙せる相手ではない。
(なんとか帰る日を作り出すしかないのか?)
追い詰められ苦肉の策を考えていたときだった。
「別に帰ってかまわないわ」
電話に声が入らないように耳元で春野は囁いてきた。
そのことだけでも、非常に驚くことだが、春野はそのまま僕に腕を回して抱きついてくる。
薄着なのだろうが、とても柔らかい感触が背中を襲う。
突然の出来事に頭が真っ白になりかけたがギリギリで踏み止まる。
驚いた声なども出さなかったので苺凪たちに気付かれていない。
「苺耶、この件についてまたでいいかい?」
先程までの少しふわっとした声ではなく、優しくそして諭すように柔らかい声で言う。
「・・・・・・分かりました。また後日、電話をかけますね」
(賢くて助かったよ。苺耶)
苺耶は僕の声色が変わったことによって、僕が緊急で対応しないといけない状況になったことを悟り、すぐに引いてくれた。
「それじゃ、また」
「またねー!お兄ちゃん」
「弓弦兄さん、次はいない理由もしっかり聞きますから」
そうして妹達とも電話は終わった。
最後にしっかりこちらに釘を刺されたが仕方ない、それよりも今この状況を乗り越えないといけない。
「家族に愛されているのね」
どこか悲壮感を感じさせる声で後ろに抱きついている春野が言ってくる。
「そうだね。僕はいい家族を持てたよ」
僕は抱きついている春野を姿を見ないように外の夜景を見ながら話す。
抱きつかれている感触の感じ、春野を姿を見て冷静に話せそうにないと思ったから。
「なら大切にしないといけないわよ。私なんかよりもずーっと」
物凄く優しくそして、温かみを感じさせる声で言われる。
だけど、向けられた温かみの分だけ、春野がより冷たく暗くなったように感じた。
「安心して、私は約束を守るわ。椿君がいない間に自殺はしない。私のために無理する必要はどこにもない。椿君のことを思ってくれる家族を大切にして」
春野の言葉に嘘は感じられなかった。
心の底からそうしてほしいと分かるほど、感情が入っていた。
「ごめんだけど、それはできないよ」
僕はハッキリと否定する。
抱きつかれているのか、春野の動揺がよく伝わってくる。
「どう・・・・・・して」
「理由は簡単だよ。僕が自分のやりたいことを優先するクズな人間だからさ」
僕は夜空を眺める。
そして、あの日、春野に宣言したことを思い出しながら言葉を紡ぐ。
「あの日、僕は春野に言ったよね。楽しいこと、面白いことを春野が知るまで、絶対に自殺させないと」
あの日から僕のやりたいこと、優先順位はすでに決まっていた。
「今、僕が最もやりたい事は春野に沢山の楽しいこと、面白いことを知ってもらって笑顔にしたい」
一切の偽りのない僕の本音だった。
「まだ、全然楽しいこと、面白いことを春野に教えたいし、もっと笑顔になってもらいたい。だから、僕は春野を優先する」
それが僕の選択だった。
「なら、私を襲ってよ。それも楽しいことの一つでしょ?」
「・・・・・・面白い冗談だね」
「冗談じゃないわよ」
「え?」
春野は強引にリビングにある僕のベットに押し倒してくる。
僕も必死に抵抗したが、残念ながら武力においては春野の方が上だった。
そうしてベットに押し倒され、抵抗できないように両手を春野に押さえつけられる。
それと同時にカッターシャツに下着だけだという大胆な姿の春野を見る。
「ねえ、襲ってよ。私をメチャクチャにしてよ。きっとそっちの方が楽しいし、私、もっと笑顔になれると思うの」
それは春野からのとても甘い誘いだった。




