第七十七話 リベンジマッチ
(しんど)
弱音を心の中で吐く。
自分の脳を焼き切る勢いで、フルスロットルで回転させてピアノを弾く。
短い時間の中で記憶した楽譜を一切の狂いなく思い出し、正しいタイミング、正しい強さで弾いていく。
ピアノをつい最近始めた俺が、この舞台を、赤菜友梨と言う存在をかき消すほどの演奏をするためには小細工と無理をする必要があった。
俺と赤菜との違いは、機械的か否かだ。
俺はどんな状況でも、短い時間で100点中90点近くを機械的に取れるタイプで、友梨はその時の気持ちと積み重ねがいい感じに嚙み合えば100点中200点取ってくる想像を超えてくるタイプ。
別のもので例えるなら秀才と天才の違いに近い。
今回のコンテストで求められる最低ラインは95点の演奏。
想像を超えるような演奏をする必要はない、俺たちが想像できる範囲での演奏をすればいい。
しかし、俺の才能だけではそのラインに微妙に届かない。
残り五点を埋めるための小細工と無理が必要だった。
ただ弾くだけでは足りない。
俺の強みを最大限活用する必要があった。
俺の強みは色んなことを短い時間で出来るようになる力で、ピアノなら楽譜通りに正確に弾くことである。
アレンジをすると言ったことになると今のレベルでは出来ないが、楽譜通りに弾くだけなら出来る。
つまり、95点ラインを叩き出せる楽譜を用意すればいい。
それを正確に弾けば最低ラインの演奏ができる。
考えなしに才能を振るわず、目的を達成できるように小細工をして確実に効力がでるように才能を振るう。
俺のやっていることは弓弦のレベルに比べれば幼稚なものかもしれない。けれど一工夫入れるだけで、どうにかできる手立てを見出すことができた。
しかし、俺には95点がどのラインが分からない。だからこそ、菜奈さんを頼った。
「菜奈さん、あそこの舞台に通用する楽譜をください」
自分でもかなりの無茶ぶりを言っている自覚はあった。
だけど、菜奈さんは困った顔をすることなく、頼りがいのある表情と声で「任せて」といってすぐに用意してくれた。
「これを7分で覚えて、3分で調整するから」
用意された楽譜にはびっしりと色々な事が掛かれていた。
これを俺は7分で覚えないといけない。
普段の俺なら無理だと投げ出していた。だけど、俺は知っている。
この無理を諦めず挑んでいくものが、理想を体現するもの達だと。
だからこそ、俺は一切の躊躇なく、己が全てを賭けて全力で楽譜を覚えた。
そして、菜奈さんからピアノの細やかな調整をしてもらって舞台へと立ち、一心不乱に演奏している。
(これ上手くいっているのか?あああ、わかんねー、とにかくに弾け)
雑念を全て振り払い、俺は弾く。
結果がどうなろうとも、俺が弾ききることが出来たなら次への時間ができる。
頭が悲鳴を上げ、ガンガンと殴られるような痛みが迸るが、そんなことも根性で振り払い、弾いていく。
(友梨みたいに楽しそうに弾ければいいんだがな)
ただひたすらに必死に必死に楽譜を思い出して弾いている今、楽しいという気持ちは一切ない。
ただ、今は苦しそうに演奏している友梨を壊したい、こんなつまらない展開を壊したいという気持ちで弾いている。その気持ちは憤怒であり、楽しいと思う気持ちはない。
だからこそ、俺の演奏は目的であるつまらない展開を壊す以上の盛り上がりを見せない。
ただ、苦痛に耐えて用意された楽譜通りの演奏をする。
客観的にみれば、何ともつまらない演奏である。
俺の望む展開に突き進んでいるが、その道は決して晴れやかなものではなく、暗く苦痛に満ちたものだった。
(弓弦も同じ道を歩んでいるのか……)
弓弦の後ろではなく、隣に立とうとしているからこそ、弓弦がどのような道を歩んでいるのか分かり始める。
一人で歩むその道は、決して色がついていなく、孤独な戦いの道だと。
(これが今後、俺が歩む道なのか)
その残酷さに冷たい気持ちになるが、それでも俺は前に歩み出す。
もう、同じ過ちをする訳にはいかない。
どんなに辛くても突き進む。
そうやって、弓弦の隣に立とうとした時だった。
ポンと、弓弦が優しい表情をして俺を突き放す。
そして、言い放った。
「間違っているよ晴人君、君は一人じゃない」
俺の道は急激に色づく。
「リベンジマッチの時間だ。頑張ってね」
その言葉と同時に、弓弦は見えなくなり、ピアノ盤を踊るように駆け回る小さくて白いウサギがいた。
白いウサギの踊りに機械的だった演奏に色を持たせ、温かみを与える。
白いウサギが踊れば踊るほど、冷たかった世界は夢の世界に変わっていく。
「やっぱり音楽はこうじゃなくちゃ」
一瞬にして俺の世界を晴れやかなものにした白いウサギは、何処までも明るく温かい笑みを浮かべ、心の底から楽しそうに言った。
「友梨……」
今までの比にならないほどの楽しいという気持ちが伝わってくる友梨の姿に、俺を蝕んでいた苦痛は消えてなくなるほどの衝撃を受ける。
(こんなに……明るい奴だったか……)
太陽のように明るく、視線が釘付けにされるその笑みに別人ではないかと思えてくる。
あまりの変わりように驚いている俺を差し置いて友梨は不敵な笑みをこちらに向ける。
「晴人君の演奏、踊れているよ。あの時のようにカバーしてあげようか?」
「は?」
上から目線かつ、こちらを大いに舐めた発言に俺の闘志は激しい燃え上がる。
「やれるもんならやってみろ」
先程よりも集中力が研ぎ澄まされる。
それによって世界が遅く感じる。より繊細により正確にピアノを弾く。
「すごいね!だけど、もっと優しくもっと楽しく弾けるよ」
そうして友梨は肩と肩が触れ合いそうなほど、俺に近づいて、こちらの師事をするようにより優しく、そして心を不思議とワクワクさせる音色を奏でて見せる。
負けてはいられない。
俺は友梨の技術を見て盗み、即座に自分の演奏に取り入れる。
そうすると友梨はさらに一歩先に行くようにより楽しそうに弾く。
そうして演奏は全てを置いていく勢いでデッドヒートしていく。
俺は友梨を追いつき追い越せと腕を上げていき、友梨はこちらを迫れば迫るほどより楽しく、より明るく弾いていった。
「アハハ、凄いなーー」
会場の誰しもが二人の演奏に釘付けになっていた。
完全に二人だけの世界に入って、楽しそうに演奏する二人の熱量が会場を支配していた。
純粋に音楽を楽しんでいる二人にギターがドラムが観客が影響され、さらに盛り上がっていく。
次のお膳立てなんて一切考えない、まさに自分が主役だと言わんばかりにヒートアップしていく。
「将来のライバルか、雄大君達が言っていたことは正しかったわけだね」
二日前の電話を思い返す。
「面倒を見てほしいって?」
「はい、菜奈先輩にとって非常に大切なフェスなのは承知しています。その上で面倒を見てほしい人がいます」
雄大君にはこれまでに色んな所で世話になっている。だからこそ、出来るだけその願いを聞き入れたいと考えている。
しかしながら、今回ばかりは気軽に承諾することは出来ない。
「雄大君も知っていると思うけど、下手なリスクを取りたくない。紫亜とか運が悪いから遅れる可能性もあるし、リーダーとして色々とやらないといけないことがあるの、その上で誰かの面倒を見るなんて、そんな余裕はないよ」
少なくとも自分の責任の範疇で何とか出来るものではない。
「そこをなんとか出来ませんか?」
雄大君には珍しく引こうとしなかった。
雄大君は優秀だ。引き際などはしっかりと分かっているし、相手にとって損になるようなことは絶対にしない。
そんな彼が明らかに此方にとってリスクがあることを頼んでいる。
「雄大君がそこまでする子なの?」
だからこそ、少し興味が出て、そんな質問をした。
「はい。私があなたの演奏に魅入られたように、私と同等の人物がほれ込んだ人物です。もしかしたら、菜奈先輩の将来のライバルになるかもしれません」
「ふーーん」
私は始めて雄大君とあってこれまでやってきたことを思い出す。
「あなたの音楽に惚れました。私に支援をさせていただけないでしょうか?」
「はい?」
バンドを一時解散して、約束を果たすために路上ライブなど地道な活動をしていた時だった。
私の曲を聴いた雄大君はいきなりマネージャーをしたいと直談判しに来た。
「身体の細かい動きに、お客に合わせた臨機応変な対応、あなたの演奏は今日聴いたどこよりも笑顔にしたいという気持ちが強く、それを感じられるほどの努力が見え、何よりも輝いて見えました」
雄大君は人のことをよく見ている。だからこそ、努力の痕跡を見逃さない。
その努力を尊重すると同時に真っ直ぐに向き合う。
「私はその輝きがどこまで輝くのか見てみたいです。だから、あなたの音楽の手伝いをさせてください」
私より年下なのにその瞳はどこまでも力強かった。
同時は雄大君が中学生だったこともあり、断ろうとしたが雄大君は中学生でありながら卓越した手腕を発揮して、私のサポートをしてくれた。
雄大君は決してこちらの考えを妨げることをしなかった。
その人の在り方を非常に大切にする人物だった。
そんな雄大君が将来のライバルになるかもしれないという人物。
「どうして私に頼むの?」
「私が知る中で最も音楽に誠実で妥協をしない人だからです」
あの時と変わらない、雄大君は真っ直ぐな言葉で言い切った。
「菜奈先輩に見てもらいたい人は、今、音楽人生の岐路に立っています。だからこそ、音楽を裏切らない菜奈先輩に見てもらいたい。それがあの子においても菜奈先輩においてもいい結果をもたらすと私は信じてます」
(まったく、言ってくれるねーー)
私は夜空を見上げる。
暗闇の中でも輝く星々、その中でもひときは輝く星を見つける。
どんなに暗くとも一番輝いて光を届けてくれる存在。
「分かった。面倒見てあげる」
自分に何ができるか分からないけど、それでも私はどんなに暗くとも輝く光であり続ける。
「ただし、条件が二つある!」
「条件?」
「条件その一、私は好き勝手やるけど責任は持たない!」
他人の人生の責任なんか取れないし、そんなこと感じながら面倒を見ることはできない。
「条件そのニ、私のライブ、生で見ること!」
雄大君は私のファンのくせに次のフェスには色々と予定が重なって直接見に来れないというのだ。
だからこそ、今回の件を盾に強引に見に来させる。
「あはは、前者はともかく後者は佐紀の逆鱗に触れないといけないな」
雄大君は弱ったなと言ったら返事をするが、どこか楽しげでもあった。
「その条件呑みます。当日、二人をよろしくお願いしますね」
「うん、私の音楽を見せつけてあげるよ!その子にも雄大君にも」
そうして、友梨ちゃんと晴人君の面倒を見ることになった。
晴人君については、彼の親友から「ビビっていたら煽ってください。それぐらいが彼には丁度いい」とアドバイスが来ており、立場的にやり難かったが、うまく事をなすことができた。
「とても楽しい音楽ですね!誰なんです?」
流暢な日本語で私に話しかけてくる、美しい銀髪の長髪とキリッとしたアメリカ人らしい容姿の女性、シリウスナイトのメンバーである大池紫亜がとても楽しそうな表情をして聞きにくる。
日本人とアメリカ人のハーフである紫亜は家庭の事情などで今は外国で住んでいる。
そのため、紫亜は今日のために色々頑張って日本に来ている。
何かとトラブルに巻き込まれるタイプで、今回もしっかりと準備した上で来たはずなのに、遅れてしまっている。
そう言うこともあり、私たちのなかで紫亜のトラブルについては感謝はすれど、謝罪はしないと決めている。
「将来のライバルだよ」
「それは、とても素敵なことですね」
紫亜は嬉しそうに答える。
「さて、紫亜。みんなの所に向かうよ」
「分かりました」
そうして私たちは舞台裏に戻っていく。
最高の結果をもたらした二人の想像を超える演奏をするために。




