番外編3 芽吹きのラストダンス
舞踏会の参加が決まってからというもの、ロゼッタは忙しい日々を送っていた。
秘書官の仕事は控えめになり、マダム・ヘイリーの採寸とドレスの仮縫い、アリシアとのダンスレッスン、フェイによる礼儀作法の指導と舞踏会の準備が始まったのである。
アーネストとは数日に一度、会話をするぐらいだった。
「最近、アーネスト様がよそよそしい気がするの」
ロゼッタは頭に分厚い本を五冊重ねて、ピンヒールで部屋を歩き出す。ピンと頭を糸で引っ張られるイメージを描きながら、優雅に見えるようにやわらかな動きを意識する。
「ええ、そう見えますね。というか、ロゼッタ嬢はアーネスト様に避けられていますからね」
ロゼッタの動きが止まり、バサバサと本が床に落ちた。
フェイは無表情で手を叩く。
「はい、やり直しです。何があっても笑顔で、重心はぶれない。淑女の基本です。分かったら返事は?」
「は、はい」
ロゼッタは慌てて本を拾うと、頭の上に乱雑に重ねていく。そしてまた笑顔で歩き出した。
「……わたし、何かしたかしら?」
「何も。アーネスト様の気持ちの問題ですよ」
「どういうこと?」
「アーネスト様は舞踏会がお嫌いですから」
「それと、わたしを避けることに何の関係が?」
ロゼッタが問いかけるとフェイは小さく笑い、数十秒の沈黙の後、
「さて、それはお答えできかねます」
と、無駄にもったいぶって言った。正直、少し苛ついた。
「……教えてくれないのね」
「私はティナやアーネスト様ほど、あなたを信用してはいませんから。裏切る可能性を捨てられませんし」
「……裏切らないわ」
そうだ、ロゼッタが裏切る訳がないのだ。
アーネストの力になりたいと、心から思ったのだから……。
「顔が怖いですよ。口角を上げて、眉間の力を抜いて、誰もが気を許してしまうような優しい笑みを浮かべてください」
フェイはパンパンと両手を叩いた。
「アーネストは舞踏会が嫌いなんです。その理由は行けば分かりますよ。今回もできるならば参加したくなかったそうなのですが……」
「断れなかったのね」
「王家主催ということもありますが、一番の理由は王太子殿下がロゼッタ嬢を見たいと言っていたからでしょう」
「王太子殿下が!?」
今まで雲の上の存在だった王太子がロゼッタに会いたいなんて、驚きを通り越して恐怖さえ感じる。
「その……わたしとアーネストは一応……雇用関係なのだけど……」
ロゼッタはアーネストの偽婚約者役を演じているに過ぎない。それなのに王太子殿下に挨拶したら、まるで本当の婚約者のようではないか。
もしも、挨拶したことで王族のお墨付きをいただいてしまえば、いくら貧乏令嬢と筆頭公爵の格差婚約でも解消するのが難しくなってしまう。
「いいんじゃないですか?」
「対応が雑すぎない!?」
口調は驚いているが、ロゼッタは本を落とさずに歩き続ける。
「本を落としませんでしたね。偉い、偉い。アーネスト様のことですが、ロゼッタ嬢はあまり気にしないでください。あの人、見た目の通り腹黒――じゃなくて策略家なので心配はないかと」
「そうよね。アーネストは強い人だもの」
「まあ、アーネスト様にも恐れていることはあるのですが」
「えっ、あ……」
動揺したロゼッタは、絨毯に軽く躓いてしまう。もちろん、本は全て床に落下した。
「はい、また落としましたね。最初からやりなおしです。歩行が終わったら、挨拶の練習をみっちりしますからね。できなければ、死あるのみです」
「……はい」
アーネストが心配だが、今は自分のことを心配した方がいいのかもしれない。
田舎貴族としてではなく、カルヴァード公爵の偽婚約者として、しっかりとした令嬢にならなくてはならなければ、舞踏会でアーネストに恥をかかせてしまう。
(今は礼儀作法に集中。まだ舞踏会まで一週間もあるんだもの。それまでにアーネストと話し合いましょう)
ロゼッタは両頬を軽く手で叩いて気合いを入れると、再び本を頭に乗せる。
「二回落としたので、二冊追加しましょうね」
そう言ってフェイは、分厚い図鑑をロゼッタの頭の上に容赦なく追加した。
「鬼教官……!」
「さあ、笑顔です、笑顔」
ロゼッタは泣き笑いで答えた。
☆
結局、ロゼッタはアーネストと話し合うこともなく、舞踏会当日を迎えた。
ロゼッタはモスリンをたっぷりと使った、フレッシュグリーンのドレスを着ている。裾には小花のチュールレースがあしらわれ、初々しくも可愛らしい印象だ。シルク製の純白の手袋を嵌め、ルビーの飾りが付いたピンヒールを履いている。髪型は編み込んだ髪をサイドにまとめ、レースのリボンで結んだ。ティナ渾身のコーディネートである。
(……馬車でも、アーネスト様はよそよそしいままだったわ)
アーネストはドレスアップしたロゼッタを礼儀程度に褒めると、舞踏会に行く馬車の中では、ほとんど無言だった。同乗したティナは、気にした様子もなかったが。
ロゼッタは一人、そわそわとしながら王都の景色を窓から眺めた。夜のため王都と言えど人通りは少なく、密集した建物をじっくりと見つめる。
「王宮は明るいのね」
馬車が城門を越え、王宮の庭へ入ると美しい花々がロゼッタたちを出迎えた。夜に咲く品種なのか、しっかりと花びらを広げている。等間隔に置かれたランプに花々が照らされ、幻想的な雰囲気だ。
「さすが王宮だわ」
「そう? いっつもこんなんだから気にしたことないなー。正直、こんなにランプはいらないと思うよ。燃料の無駄だしねー」
ティナはケラケラと笑うと、城を指さした。
「見てみて。あっちの方が、灯りがいっぱいだよー」
「本当ね。王宮はカルヴァード公爵家よりも大きいわね」
ロゼッタは初めて訪れた王宮を、ぽぅっと田舎者目線で眺める。すると、あっという間に馬車の停留所へ着いてしまった。




