34話
「ロゼッタ、私と共に……共に……共に……」
「……共に?」
「人生を歩んでくれないか!」
自分の耳か何を聞き取ったのか理解できず、ロゼッタは制止する。
「…………ええっ、それってきゅきゅっ求婚ってこと!?」
ロゼッタは大きく目を見開くと、驚いて後ろに仰け反った。
するとカヌーが揺れて、ロゼッタは湖に落ちそうになる。
「危ない!」
アーネストはすぐさまロゼッタを抱きしめて、カヌーのバランスを取った。
カヌーはさらに大きく数回上下に動いたが、沈むこともなく水面はすぐに穏やかな波に戻る。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
そう言ってアーネストは、ロゼッタを閉じ込める腕に力を込めた。
先ほどの揺れを思い出し、ロゼッタは身体を硬直させる。
「さっきの話だけど、人生ってどういうこと?」
「こ、ここまで言って分からないのか!?」
「ば、馬鹿にしないで! ちょっと待って。今考えるから……」
耳に響くほど心臓が高鳴り、身体が熱い。それでもロゼッタは必死に思考を巡らせる。
先ほどは一瞬求婚だと思ったが、それは違う。アーネストは筆頭貴族の公爵様で、ロゼッタは貴族の底辺の貧乏男爵令嬢だ。身分が違う。それにアーネストがロゼッタのような田舎娘に恋愛感情を抱くなんて思えない。だから、結婚なんてあり得ないのだ。
(……人生ということは、アーネストはわたしを必要としているってことよね)
ロゼッタがアーネストの傍にいることができる方法。それならば一つしかない。
「雇用期間が延ばしてもらえるってことね!」
「……なっ」
ロゼッタが元気よく言った瞬間に、アーネストはパッと身体を離した。
「わたしだって、あなたの会話の意図を汲み取ることができるわ。馬鹿にしないで。アーネストがわたしに求婚するなんて、絶対にあり得ないもの!」
自信満々に言うと、アーネストは口を魚のようにパクパクと開いた後、悔しそうな顔でロゼッタを睨み付ける。
「……そうだ! 君を一生こき使ってやろうと思っていたんだ」
「ありがとう。アーネストのこき使うは、結構働きやすいから安心だわ。でも、侍女の仕事は、元の使用人たちが戻って来ているからできないし、私は何をすればいいのかしら?」
「君には引き続き私の婚約者の振りをしてもらう。それと私の身の回りの世話と事務仕事をティナとフェイと共に手伝うのだ。分かったな!」
「どうして、そんなに怒っているのよ」
「私は怒ってなどいない!」
アーネストは鼻息荒く叫んだ。相変わらず、美形なのにすごい迫力の顔だ。
「でも驚いたわ。あなたの世話や仕事の手伝いは分かるけれど、婚約者の振りを続けるのね」
「またカルヴァード公爵家が、王家よりも力が大きくなって目を付けられるのは面倒だからな。君が婚約者だと周知させるぐらいがちょうど良い」
「わたしが、得にもならない男爵令嬢だからと言う訳ね」
「違う。君が信用にあたる人間だからだ」
アーネストの真紅の瞳は真っ直ぐにロゼッタへと向けられる。
なんだか気恥ずかしくなったロゼッタは、咄嗟に視線を湖へと逸らした。
「……わたしと一緒にいて、楽しかった?」
「楽しかったさ。次に君がどんな顔をするのか知りたくて、ワクワクした。久しぶりに私はアーネストに戻れた気がする。料理もまあまあ美味かったしな」
「まあまあって何よ!」
ロゼッタは頬を膨らませて怒った。
睨み付けてやろうかと思ったが、彼の表情を見て呆けてしまう。
「嘘だ。すごくおいしかった」
アーネストは、初めてロゼッタの前で笑顔を浮かべた。
いつもの冷たさなんて欠片も見当たらず、太陽のように暖かくて優しい表情だ。しかし笑顔は数秒で消え、元の仏頂面に戻ってしまう。
「ねえ、アーネスト! もう一回……もう一回だけでいいから笑って!」
「……笑う? 私がか?」
アーネストは戸惑った表情を浮かべる。次第に眉間の皺が深くなり、ロゼッタがして欲しい表情からどんどん離れて行く。
「笑ってと言ったのよ」
「や、ひゃめろ!」
じれったくなったロゼッタは、アーネストの頬を摘まんで斜め上に引っ張る。
すると、目つきは鋭く怖いのに、口元だけは楽しそうな、世にも恐ろしい顔になった。ロゼッタはそれを見て、腹を抱えて笑った。
「ふふっ、変な顔ね」
「君がやったんだろう!」
アーネストは少し赤くなった頬を両手で押さえて怒った。
ロゼッタは笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭う。
「ごめんなさい。でも、とっても面白かったわ」
「次にやったら、クビにするからな!」
「だから、ごめんなさいって言っているでしょう? 拗ねないで」
「拗ねてなどいない!」
アーネストは、不機嫌そうに顔を逸らした。
「ねえ、アーネスト」
「……なんだ」
「わたしも、あなたと一緒にいると楽しいわ。また、婚約者役をやってもいいと思えるくらいにね」
「ふんっ、機嫌取りなどいらない」
そう言って、アーネストはカヌーを陸地へ向けて漕ぎ出した。
「本心なのに」
「……帰るぞ。私たちのカルヴァード公爵家に」
「ええ」
ゆったりとしたカヌーの揺れにも慣れてきた。
ロゼッタは美しい景色を、胸に抱いた優しい気持ちと一緒に記憶に焼き付ける。
アーネストの耳は、カヌーを下りるまで真っ赤だった。




