24話
夜も深まった頃、アーネストはフェイと共にカルヴァード公爵家に帰ってきた。
重苦しい外套を脱ぎ捨てると、アーネストが真っ先に向かったのは自室に備え付けられたシャワールームだった。
熱めのシャワーで汚れを落としきると、早々にガウンを羽織り、部屋のソファーに腰掛ける。
「ああ、疲れたな」
ガシガシと無造作にタオルで髪を拭いていると、フェイが苦い顔をする。
「髪を雑に拭かないでください、アーネスト様。艶がなくなります」
「別にいいだろう、髪ぐらい」
「よくありません。ただでさえ顔が怖いんですから、少しでも印象を良くしないと」
フェイはアーネストからタオルを奪い取ると、壊れ物を扱うように髪を拭き始める。なんとも言えないフェイの過保護ぶりに、アーネストは溜息を吐いた。
「夕食は?」
「ありません。チーズでも囓って我慢してください」
テーブルを見れば、多種多様のチーズがパンと一緒に並べられていた。
アーネストは心底残念な気分になる。常に緊張を強いられる現状で、ロゼッタの料理を食べる一時は癒やしになりつつあったからだ。
「……ロゼッタに何かあったのか?」
「ええ、ありました。ティナの報告書をお読みください」
手渡された報告書には、グラエムが不法侵入をしてティナに気絶させられたこと、ロゼッタが悪女を演じたが上手くいかなかったこと、グラエムがご満悦で明日も押しかけると宣言されたこと、ロゼッタが精神的ショックで夕食作りを拒否したことが書かれていた。
「ロゼッタには悪いが、概ね成功だな」
「失礼ですが、この作戦が本当にグラエム様への牽制となるのでしょうか? 正直、ロゼッタ嬢も出来の良い生徒とは言えませんでした」
良い生徒だったら困る、とアーネストは心の中で呟いた。
「ロゼッタはそれでいいんだ。今回のことは、楔のようなものだからな」
「楔、とは?」
「叔父上と私は似ているんだ」
「それは……」
「まあ、最後まで聞け」
怪訝な顔をするフェイに、アーネストは不敵な笑みを浮かべる。
「叔父上は人を策に嵌めるのは好きだが、嵌められるのは大嫌いなんだ。自分のように、腹黒い人間なんて、本当は近づきたくもない。嘘を吐くのが下手な……善良で、意志の強い人間が好きなんだ」
「……そう言えば、グラエム様の亡き奥方も素朴で優しい方でしたね」
叔父上は意外にも愛妻家だった。残念ながら流行病で奥方は亡くなってしまったが、生前は仲睦まじく、何故あんな腹黒策略家が穏やかな女性を妻にできたのか不思議で仕方なかった。
「嘘をつくのが下手だが、私のために必死になっているロゼッタを見て、叔父上は彼女を人間として好ましいと思ったはずだ」
「なるほど。ロゼッタ嬢を守るためですか。ですが、悪女にする必要はあったのですか?」
「……その方が、絶対に食いつきがいい。叔父上は趣味が特殊だからな……」
アーネストはそっと床に視線を落とした。
「……確かに趣味が悪――特殊でしたね……」
フェイはそっと窓へ視線をずらした。
気まずくなったアーネストは、わざとらしくゴホンと大きな咳払いをする。
「ロゼッタは、私と叔父上の争いに巻き込まれただけだからな。叔父上にとって、危害を与えたくない人間だと思わせれば、身の安全が保証される」
「ついでにロゼッタ嬢との結婚を認めて欲しいと」
「結婚!? 馬鹿か! ロゼッタが好ましいと言っても、人間としてだからな。勘違いするな!」
アーネストは目を見開いて反論する。
可愛らしいと思うし、料理もおいしいが、ロゼッタとアーネストはあくまで雇用関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。断じて。
「はいはい。婚約者役が終わったら、彼女に相応しい誠実な男を紹介してあげてくださいね」
「……分かっている」
何故かチクリと胸の奥が痛くなる。だが、その事実から目を逸らし、アーネストは仏頂面で頬杖をついた。
「意図は分かりました。私とティナはすべてにおいてアーネスト様の安全を優先させますから、ロゼッタ嬢を守ることはできないでしょう」
「そうだな。実際にティナは今回、ロゼッタの安全よりも叔父上の排除を優先させようとした」
ロゼッタが止めても言い訳できる範囲で攻撃し、狸寝入りするグラエムに気が付いていながら嫌がらせを行った。これは確信犯だろう。
「ティナはグラエム様が大嫌いですからね」
フェイは表情を曇らせた。
アーネストはそれを見て、溜息を吐く。
アーネストとフェイとティナ。身分も性別も違う三人が固い絆で結ばれているのは、先代カルヴァード公爵夫妻の痛ましい事故が影響している。この事故でそれぞれの両親を失い、歯を食いしばって乗り越えてきたのだ。
「確か父上と母上が死んだのは、お前たちの両親のせいだと叔父上が罵ったのだったか。子どもになんてことを言うんだか」
「グラエム様の言ったことは事実です。ティナの両親も、私の両親も、使用人失格ですよ。あの事故を防げなかったのですから。だからこそ、ティナは腹立たしいのでしょう」
「そういうものか」
辛い寂しいと悲しみに暮れる時間などなかった。やらなければならないことは山積みで、両親が残したカルヴァード領を守るので精一杯だった。だが、同じ苦しみを抱えた仲間がいて……信頼できる身内がいた。だから、アーネストは乗り越えられたのだ。
「アーネスト様。その事故の調査資料が届いております」
フェイは執務机の引き出しから、数枚の紙束をアーネストに渡す。
それを一瞥すると、アーネストは鼻を鳴らした。
「予想通りすぎて目新しさもないな」
「いかがなさいますか?」
「どうもしない。ただ、他の貴族に知られると面倒だ。資料は暖炉にでもくべておけ」
「かしこまりました」
フェイはそう言うと、燃え盛る暖炉の中に躊躇なく資料を投げ込んだ。
「明日以降もグラエム様はこちらを訪れるようですが、いかがなさいますか?」
「ロゼッタには、いつも通りに過ごしてもらって構わない。叔父上への餌は十分だからな。秘密通路の件はどうなっている?」
「ティナもグラエム様がどんな侵入経路を使っているのか、確認できませんでした」
「一人で来訪しているところを見ると、まだ耄碌していないようだな。引き続き調査しろ」
グラエムが使っているのは、アーネストも知らないカルヴァード公爵家の秘密通路だ。生前の先代とグラエムの兄弟仲は良好で、アーネストのことも可愛がっていた。だからおそらく、先代が自分に何かあった時、代わりにアーネストへ伝えるためにグラエムに教えていたのだろう。自分の死後、グラエムとアーネストが対立することも考えもせずに。
きちんと順序を踏んで先代から公爵位を受け継がなかった弊害だなと、アーネストは内心で舌打ちをする。
「かしこまりました。ロゼッタ嬢にも、引き続きグラエム様に探りを入れるように言います」
「頼んだぞ」
「明日は予定通りに外出されますか?」
「勿論。叔父上もそれは承知だろう」
グラエムの行動は無駄だらけだ。だが、そこには明確な勝利への執念が見える。
「だが、叔父上の裏をかきたい。俺が叔父上の近辺を調べているように偽装をしろ。その間に私は王都へ行く」
「最後のピースを集めに行かれるのですか?」
「ああ。少し時間がかかるだろうがな」
「お気をつけて」
「これはゲームだ。ただし、負けを勝ち取るためのな」
そう言うと、アーネストはチーズを一つ食べた。青臭い味がして、思わず渋面を作る。
「ワインをお開けしますか?」
「いつ何が起こるか分からないのに、酒など飲んでいられるか。貴族の放蕩息子ではないのだから」
ロゼッタの料理を恋しく思いながら、アーネストは眠りについた。




