25話
たっぷりと睡眠をとったからか、ロゼッタは気持ちよく目が覚めた。
昨日のことは悪い夢だったと思えるぐらいには、心の方も回復している。気を取り直して侍女服を身につけると、ロゼッタは早速仕事に取りかかる。
☆
「良い天気ねぇ」
雲一つない青空に、心地よい風が吹く。今日は絶好の洗濯日和だ。
ロゼッタはシトラスの香りがする高級石鹸を泡立て、タライの中の水と混ぜていく。そしてシーツを石鹸水に沈めると、靴と靴下を脱いでタライの中入り、ジャバジャバとリズミカルに足踏みを繰り返した。
風が木の葉を揺らす音と水が跳ねる音が重なり、軽やかなハーモニーを作り出す。今日の洗濯は早く終わりそうだと思うが、不思議と嬉しい気持ちにはならない。
それはおそらく、じっとりとした視線を向け続けているグラエムがうっとうしいからだ。
「年頃の娘が足を出してはしたないな」
「厩舎の掃除の次は洗濯も監視ですか? グラエム様は暇ですね」
彼はロゼッタが厩舎の掃除を済ませて馬たちに餌をやっていると、突然背後に現れたのだ。それからというもの、まるでロゼッタを監視するように付く纏っている。
「アーネストの婚約者が侍女とは、身の程を知って欲しいな」
「貴族が侍女に手を出すなんて、割とよくあることだと思いますけど。それにアーネスト様は、仕事をしているわたしが好きなんですよ」
あくまでも、アーネストがロゼッタに求めているのは労働力だ。ちゃんと分かっている。
ロゼッタはムスッとした顔でタライの水を換えると、再び足踏みを開始した。今度は淡々と心に何も浮かべないようにしながら。
何度か水を換えて濯いだ後、ロゼッタはシーツを折りたたみ力一杯捻る。それを数カ所に分けて絞っていくと、シーツの水気がどんどんなくなった。
「クッ……フンッ」
洗濯物は水気が多いと乾くのが遅くなり、嫌な生乾きの臭いがしてくる。脱水が一番重要な工程だ。
真剣なロゼッタとは裏腹に、それを眺めていたグラエムはクツクツと忍び笑う。
「とても淑女とは思えないな。動物のようではないか」
「申し訳ありません」
ロゼッタは心の中で『うるさい、気が散る、手伝え、もしくは帰れ』と付け加えた。
脱水が終わった後、ロゼッタはすぐに洗濯物を干し始める。一枚一枚ピンと皺を伸ばし、風が満遍なくあたって早く乾きやすいように注意する。
その間もグラエムの監視は緩まない。
(……少し前のアーネスト様みたいだわ)
意外とグラエムとアーネストは似ているのかもしれない。尤も、グラエムの方が悪意に満ちた視線だが。
「さて、大物も干さなくてはね」
ロゼッタは侍女服を腕まくりすると、シーツを手に取った。
カルヴァード公爵家のシーツはとても大きい。正直、一人で皺を伸ばすのが大変だ。
(何人かで広げれば楽なんだけど……)
今日もフェイはアーネストに付いて出かけているし、ティナは城の掃除中だ。手伝ってもらうことはできない。
「よしっ、やるわ!」
ロゼッタは風上に背を向け、両手いっぱいにシーツを広げた。すると、風に流れてシーツが膨らみ、中央の皺が伸びていく。
上手くいったとロゼッタが喜んでいると、グラエムがシーツの端を指さした。
「そこ、シーツがよれているぞ」
「分かっています」
……今まで一番仕事がやりにくい。
ロゼッタは愚痴りたい気持ちを心に押し込め、シーツの端を少しずつ水平に引っ張って皺を取っていく。婚家でいびられる嫁の気持ちが分かった気がした。
最後のシーツを干し終えると、ロゼッタはタライを片付けて城に戻ることにした。
「……あの、グラエム様。どうしてわたしに付いてくるんですか?」
エントランスまで来ると、ロゼッタは未だに監視を続けるグラエムへ訝しげな視線を送る。しかし、彼には効果がないらしく、貴族らしい感情の見えない微笑みを向けられた。
「もう、悪女の真似はしないのかね?」
「しません! というか、話を逸らさないでください!」
痛いところを突かれたロゼッタは語気を強めて言い返してしまう。
グラエムは虐めるネタを見つけたとばかりに、ニタリといやらしい笑みを浮かべる。
「それは残念だな。君のあの大根役者ぶり……中々の喜劇だったのだが」
「ええ、わたしは大根役者ですよ! さぞ面白かったでしょうね」
ロゼッタだって好きで悪女を演じた訳ではない。あれは業務命令だ。断じて趣味ではない。
「安心したまえ。君は私にとっての害悪だからな。悪女とそう変わりない」
「そうですか。では、害悪とは一緒にいたくはないでしょう。今日は仕事が詰まっていて満足なおもてなしもできませんし、お帰りください」
スカートを摘まみ、侍女らしくお辞儀をしてお見送りを済ませると、ロゼッタはくるりとグラエムに背を向けて歩き出す。
すると自分の足音と重なるように、グラエムの足音が響いた。
「……付いてこないでください」
ロゼッタは振り返り、半目でグラエムを見つめた。
「何故、私が芋娘の後を付けねばならない。勘違いするな。行き先がたまたま同じだけだ」
「では、先に行ってください」
「奇遇だな。私も少し立ち止まりたい気分なんだ」
生まれて初めて、ロゼッタは平民の若者がよく言葉にする『うざい』という気持ちを理解した。
「……勝手にしてください」
グラエムの気が済むまで監視されるしかない。
どこか悟りを開いたロゼッタはそのまま使用人食堂へと向かった。
☆
お昼時だというのに、珍しく食いしん坊のティナが食堂にいない。
ティナと一緒にいればグラエムを追い返すことができるだろうと思っていたが当てが外れてしまった。
「物がごちゃごちゃしていて、洗練されていない場所だな。床が固いぞ」
「使用人の食堂に毛織り絨毯を敷ける訳がないじゃないですか。そもそも、ここはグラエム様が来るような場所ではありません」
「それは私が決めることだぞ、芋娘」
「失礼しました」
文句ばかり言うグラエムに、ロゼッタの胃がチクチクと刺激される。
早く解放されたい。ホットワインを飲んでベッドに飛び込みたい気分だ。
「それで、今から何をするのかね?」
「……昼食を作ります」
「昼食? ド庶民の令嬢は料理もするのか。さぞ、みすぼらしいものだろうな」
「安心してください。今から作るのは、使用人用の昼食なので」
「さて、昼食のメニューはなんだ? 私はもう腹がぺこぺこだ。早く頼むぞ」
グラエムはいつもロゼッタたちが食事を取る席に座ると、無遠慮に棚からシルバーを取り出した。
(え、あなたも食べるの!?)
ロゼッタは目をぱちくりとさせた。
「……少々お待ちください」
ゲンナリとした気持ちでそう言うと、ロゼッタは渋々料理に取りかかることにした。
(お腹が空いていると、グラエム様は余計に煩そうだし……何か、手早く食べられるものを出した方がいいわね。そうだ、今朝漬け込んだマリネを出しましょう)
ロゼッタは戸棚からマリネの入った瓶を取り出す。
マリネに使った野菜は、塩ゆでしたレンコンとパプリカ、それにプチトマトとオリーブの実だ。マリネ液はオリーブオイルと白ワインビネガーとハチミツをベースに、ニンニクとドライハーブ、そして隠し味に粒マスタードを入れたレイン男爵家秘伝のものである。
カルヴァード公爵家の高級小皿に色とりどりのマリネを盛れば、それだけでもう芸術品だ。ロゼッタはそれを自信満々にグラエムの前に置いた。
「見た目はそこそこだな」
グラエムは鼻を鳴らすと、プチトマトを食べた。そして渋面を作ったかと思えば、レンコン・パプリカ・オリーブの実の順にパクパクと口に入れていく。そして小皿は、あっという間になくなった。
「……ふん。王宮の晩餐会には劣るな」
「ありがとうございます」
彼の様子から見ても、このマリネがおいしかったのは間違いない。
ロゼッタは追加のマリネを持ってくると、グラエムに作り物めいた笑みを浮かべる。
「パスタを作りたいと思うのですが、ジェノベーゼとアラビアータどちらが良いですか?」
今日の朝仕入れた新鮮なバジルとトマトがあったはずだ。新鮮な食材を適切に調理すれば、おいしい料理ができる。
そんなロゼッタの親切心を裏切るかのように、グラエムは歪んだ笑みを浮かべる。
「私はチーズペンネが食べたい!」
……可愛くない。
ロゼッタは口を引きつらせた。




