88.校務員
六月半ば。
中間考査が終わり、衣替えが済み、期末までまだ間がある校内には、のんびりした空気が漂っていた。
梅雨の晴れ間に真夏日が続き、木々の緑は濃い。
登校してくる白い夏服が、日差しを反射して輝いていた。校庭の紫陽花が、瑞々しい葉の上に淡い色の花を咲かせている。
年配の校務員さんが、ホースで水遣りしている。
水のアーチが陽に煌めき、小さな虹を作っていた。
毎日通って見慣れている筈の風景が、鮮やかな色彩を持って、輝いていることに気付いた。
太陽が遍く照らすこの世界は、こんなに明るい。
どうして、今までこんなことに気付かなかったんだろう。
初めて認識した光の明るさの中で、視界の彩度が一気に上がった。
重くのしかかっていた灰色のレイヤーを削除したような、劇的な変化に戸惑う。
同時に、改めてはっきりと認識した世界の美しさに、心が揺さぶられた。
ボーっと突っ立っている俺に、校務員さんが話し掛けてきた。
「おはよう。どうした? 教室、行かないのか?」
「あ、おはようございます。行きます。あの、小さい虹、キレイだなって思って……」
「そうか。こんなん作り方を知ってりゃ、いつでも見える。理科の先生に聞いてみな」
校務員のおじさんは、そう言って笑った。俺も釣られて笑う。
クッキーでも虹でも、作り方さえ知っていれば、自分の手で作れるんだ……
お礼を言って教室に向かう俺の背中に、校務員さんが軽い調子で、言葉を投げた。
「いい顔で笑えるようになって、良かったな」
「えっ?」
足を止めて振り返る。
「直接、教える機会はないが、俺もこの仕事、長いからな。訳ありの子は、目を見ればわかる。何があったか知らんが、良かったな」
俺は、もう一度お礼を言って、校舎に駆け込んだ。
滲んでくる涙を半袖のカッターシャツの肩で拭いて、教室に入る。
知らなかった。何で今まで気付かなかったんだろう?
俺、ほぼ接点のない人にも心配されるくらい、今までずっと、目が死んでたのか……




