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碩学の無能力者  作者: 髙津 央
第12章.引越し

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88.校務員

 六月半ば。

 中間考査が終わり、衣替えが済み、期末までまだ間がある校内には、のんびりした空気が漂っていた。


 梅雨の晴れ間に真夏日が続き、木々の緑は濃い。

 登校してくる白い夏服が、日差しを反射して輝いていた。校庭の紫陽花(あじさい)が、瑞々しい葉の上に淡い色の花を咲かせている。


 年配の校務員さんが、ホースで水遣りしている。

 水のアーチが陽に(きら)めき、小さな虹を作っていた。

 毎日通って見慣れている筈の風景が、鮮やかな色彩を持って、輝いていることに気付いた。


 太陽が(あまね)く照らすこの世界は、こんなに明るい。

 どうして、今までこんなことに気付かなかったんだろう。


 初めて認識した光の明るさの中で、視界の彩度が一気に上がった。

 重くのしかかっていた灰色のレイヤーを削除したような、劇的な変化に戸惑う。


 同時に、改めてはっきりと認識した世界の美しさに、心が揺さぶられた。


 ボーっと突っ立っている俺に、校務員さんが話し掛けてきた。

 「おはよう。どうした? 教室、行かないのか?」


 「あ、おはようございます。行きます。あの、小さい虹、キレイだなって思って……」

 「そうか。こんなん作り方を知ってりゃ、いつでも見える。理科の先生に聞いてみな」

 校務員のおじさんは、そう言って笑った。俺も釣られて笑う。


 クッキーでも虹でも、作り方さえ知っていれば、自分の手で作れるんだ……


 お礼を言って教室に向かう俺の背中に、校務員さんが軽い調子で、言葉を投げた。

 「いい顔で笑えるようになって、良かったな」


 「えっ?」

 足を止めて振り返る。


 「直接、教える機会はないが、俺もこの仕事、長いからな。訳ありの子は、目を見ればわかる。何があったか知らんが、良かったな」

 俺は、もう一度お礼を言って、校舎に駆け込んだ。


 (にじ)んでくる涙を半袖のカッターシャツの肩で拭いて、教室に入る。


 知らなかった。何で今まで気付かなかったんだろう?

 俺、ほぼ接点のない人にも心配されるくらい、今までずっと、目が死んでたのか……

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用語は、大体ここで説明しています。

野茨の環シリーズ 設定資料(図やイラスト、地図も掲載)
地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
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