33.オカン
オカンは、まだ、姉ちゃんを罵倒していた。晩飯が気に入らないらしい。
……だったら自分で作れよ。
何かがひっくり返る派手な音。
足音荒く廊下を歩く振動。
玄関のドアが開く音。
ドアが乱暴に閉められる音と振動の後、急に静かになった。
そっと階段を降り、玄関を確認する。
姉ちゃんの靴はある。施錠して台所へ。
「あ、丁度いい所に。カメラ持って来て。使い捨ての方。それと腕環の子も」
姉ちゃんに嬉しそうな顔で指示され、回れ右して二階へ引き返した。
台所に戻っても、姉ちゃんは床に座り込んだままだった。
デーレヴォは、台所の惨状に息を呑んで暗い顔になった。
テーブルがひっくり返り、割れた食器とご飯と味噌汁、踏みにじられた焼き鮭が散乱している。
味噌汁を浴びせられた姉ちゃんは、髪と服にワカメと豆腐がくっついていた。
「腕環の子に教えながら撮ってね」
デーレヴォに使い捨てカメラの使用方法を説明しながら、廊下に下がり、まずは惨状の全景を撮る。
それから俯く姉ちゃん全体、姉ちゃんの味噌汁汚染部分、床の散乱物、踏みにじられた鮭……をそれぞれアップで撮った。
ついでに、コンデジの動画撮影機能の使い方を説明してから、ムービーも撮る。撮影が終わると、姉ちゃんは立ち上がりながら、テーブルを起こした。
「デーレヴォ、掃除を手伝って下さい」
「かしこまりました」
姉ちゃんは、味噌汁がシミにならないように、風呂場へ洗濯しに行った。
俺は、デーレヴォに説明しながら、割れた食器と、生ごみと化した晩飯を片付ける。
プラスチックの汁椀と箸だけを洗って、仕上げに台布巾でテーブルを拭く。
デーレヴォに手伝ってもらったら、いつもより早く片付けが終わった。
うちのテーブルが、巴ん家みたいにごついのだったら、ひっくり返されないのに。
オカンに何度もひっくり返された安物のテーブルは、あちこちにガタがきていた。
洗濯と入浴を済ませて、パジャマに着替えた姉ちゃんが、「あんたも入んなさい」と、カメラと腕環を回収した。姉ちゃんは髪が短いからすぐ終わる。
何かどっと疲れが出たので、シャワーで済ませ、自室に戻る。
姉ちゃんは、不敵な笑みを浮かべて、パソコンに向かっていた。
「ふふっ……今日だけでこんなに証拠が……」
俺は鍵を掛け、ドアの前に古い教科書を詰めた段ボールをふたつ置いた。寝ている間に勝手に侵入されない為の対策だ。
肩越しにディスプレイを覗くと、圧縮フォルダを添付したメールを発信した直後だった。
衣裳部屋と靴の画像、オカンの暴言音声、卓袱台返し後の惨状動画。
「どこ行ったの?」
「ん? 口直しにスターアニスに行くって言ってた」
スターアニスは、湊区にある三つ星ホテルの高級レストランだ。
「朝ご飯の時に『昨日の残りのカレーはヤダ、魚がいい』って言ってたから、別に用意したのに、鮭が気に入らなかったみたい。『骨がイヤなの!』ってキレ始めて『安物の米買いやがって! 味も匂いも最悪で吐きそう! 味噌汁もよくこれだけ不味く作れるもんね!』……で、一口も食べてないのに、テーブルガッシャーン!」
姉ちゃんは、テーブルをひっくり返す真似をした。
よくあることだった。
何が地雷になるのか、全く予測できない。
俺はいつも考察しているが、未だに地雷の基準はわからず、対策も思いつけない。
因みに、米は、オカンの親戚が定期的に送ってくれるので、一度も買ったことがない。その親戚は、有名な米産地在住で、プロの稲作農家だ。
「で、『何の為に食堂でバイトさせてると思ってんの! ちょっとは料理が上手くなるかと思ったのに! この無能! 役立たず! 食堂で何やってんのよ!』って言うから、『ホール係』って答えたら、『口応えすんな!』って、椅子を投げられて……」
「ちょ……姉ちゃん……!」
「流石に、それは避けたわ。そしたら『魚もロクに焼けない癖に!』って、鮭グシャー」
「あぁ……」
食い物を粗末にするクズは、餓死すればいいと思う。
「一口も食べてないのに、『口直しにスターアニスに行くから、明日の朝はパンにしなさい!』って、私に鍋の味噌汁、ぶちまけて出てった」
「姉ちゃん、火傷は……」
「大丈夫大丈夫。こんなこともあろうかと、汁椀一杯分だけ、レンジで温め直して出したから」
俺はホッとして、膝から力が抜けた。
姉ちゃんは頭がいい。俺だったら、バカ正直に鍋で温め直して、火傷させられるところだった。
「証拠がいっぱい集まったし、その子にカメラの使い方も教えられたし、今日はいい一日だったね」
パソコンの電源を切りながら、姉ちゃんは、心底嬉しそうに笑った。




