28.子守唄
あの二人はどうなっただろうか。
自室に戻り、ベッドに横たわりながらぼうっとする。侯爵が酒に弱いと知っていたなら、あんなに飲ませなかったのにとぼんやり考える。様子が気になっていたけども、私もアルコールによる気怠さのせいで、そのまま眠ってしまった。
しばらくすると、ひどい喉の渇きに目を覚ます。
飲み過ぎたな、とゆっくり体を起こすと、ちょうどドアが開いた。そこには、水差しを持って部屋に入ってくるエドワードが居た。
「あれ、リリー起きてたの」
寝衣に着替えているエドワードが少し驚いたような顔でベッド横の小テーブルに水差しを置き、ベッドの端にそっと腰かけた。
私は掠れた声でグラスを手に取り、水を注ごうとする。
「すごく喉が渇いて」
「たくさん飲んだみたいだからね、体調は大丈夫?」
「うん、今のところは」
エドワードが水差しを先に手に取り、私のグラスに水を注いでくれた。
一気に飲み干しても渇きが収まらない。エドワードが再び水を注ぎ、少しずつまた飲む。
私の様子を伺いながら、エドワードは静かな口調で話し始めた。
「リリー、ありがとう」
「え? 何が?」
「父に俺に色々と話すように言ってくれたんだろ」
返答に少し悩む。
言ったというか、かけたというか。かなりの実力行使に出てしまってはいるが、間違ってはいない。
私は小さく頷いた。
「色々と俺たち親子は対話が足りなかったみたいだ。父は、俺を恨んでなかったんだって。バカみたいだね、お互いにこんな事でずっと悩んでいたなんて」
エドワードは少し後悔しているように見えた。
親子の問題はよく分からないけど、解決したからといってすっきりするようなものでもないのだろう。
私はグラスの中の水に視線を落とす。
何か慰めの言葉はないか、と色々と頭をこねくり回して絞り出した。
「でも、二十八年で終えられたわ。これから先死ぬまでの期間を考えると、いつかたったの二十八年って思えるわよ」
私がそう言うと、エドワードはきょとんとした後に少し吹き出した。
前向きだね、とようやくエドワードが笑顔を見せる。その顔を見て少し安心した私は、改めてエドワードに尋ねてみた。
「お父様とどんな話をしたの?」
「ただ泣きながらひたすら謝られたよ。あと、僕の小さい頃から言いたかった褒めたかった事をただひたすら聞かされてね。よくそんな事覚えてるもんだと少し呆れちゃった」
「本当はエドワードが大好きだったのね」
大好き、という言葉にエドワードは少々戸惑ったような表情を見せる。でも、その表情に決してマイナスな印象は持たなかった。
思うところはあるだろう、いつかたったの二十八年と思えても、今は違う。きっと、胸にある複雑な思いは色々な形でしこりとなって残っているはずだ。
それでも、このエドワードの少し安らかな表情を見ていると、そのしこりが少しずつでも小さくなっていけば良いと思った。
私が居なくなっても。
そんな事を考えながら、エドワードを見つめていると、エドワードがまた顔を上げて私を見た。
「あと、少し母の話をされた」
「え、お母様の?」
ベル様にそっくりのエドワードを見ても泣きそうになるほど、未だに別れを惜しみ悲しんでいるベル様の話をあの侯爵が、と今度は私が驚いた。
「セバスチャンやマーサから、俺が生まれてまもなく亡くなったと聞いていたし、深く聞いた事はなかったんだ。産後すぐに亡くなったと思っていたんだけど、違ったみたいだ。生死の境をひと月も彷徨って、最後には少し意識があって家族三人の時間が取れたみたいで。母が俺に子守唄を歌ったんだって」
淡々と話すエドワード。
ひと月も生死の境を彷徨うなんて、きっとすごく生きようと頑張ったのだろう。
私の祖母がそうだったのだ。まだ子どもの私を残していくのは心配だと、ずっと無理をしていた事なんて笑顔を貼り付けていても分かっていた。
話に聞いただけのエドワードの母が、あの時の祖母と重なって、胸がいっぱいになる。
涙でゆらぐ私の目をみて、エドワードがそっと私の手の上に自分の手を重ねた。
「母が、子守唄を歌ってあげたいと言って、父が介助しながら母に俺を抱かせて、子守唄を聞かせたんだって。その唄を聴いた後、俺が笑ったらしい。母は幸せだと言って亡くなったんだと、ずっと言わないといけないのに言葉に出来なかったって。……マーサから聞いた母は、なんだか神格化されすぎていてあんまり聞いていても人の形が見えてこなかったんだけど。なんか、その話を聞いたら、くっきりと母の姿が見えた気がして。……覚えていないのが残念だね」
少し寂しそうに笑うエドワード。
しかし、昔たしかにあった覚えていない記憶なら、私には辿ることが出来るはず。
私はぐっと胸元のペンダントを握りしめる。
そして、立ち上がり、エドワードをベッドの方へと押しやった。
「今日は色々な事があって疲れたでしょう。もう休みましょう。それに、もしかしたら、そんなお話を聞いた今日なら夢でまた会えるかもしれないわ。さ、ベッドに横になって」
脳の中にまだかすかに残っているかもしれない記憶を、催眠術で辿れるかもしれない。
私はエドワードをベッドに寝かせて、彼の目の前でペンダントを揺らした。
しばらくすると、ふっとエドワードの手が重くなる。寝入ったようだ。
私は耳元で何度も囁いた。
「あなたは小さな頃の記憶を辿り、母の唄にたどり着く。幸せな夢を見るでしょう」
こんなにも必死になって催眠術を他人にかけるのは初めてだった。
何度も囁いている内に、エドワードの閉じられた瞼から一筋の涙が零れた。
成功したのかもしれない。
私は一度頭を撫で、そっと部屋を出た。
きっと、今はあたたかく幸せな夢を見ているのだろう。
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