1.いつもと違った日
「待って、殺さないで。知らなかったの、誤解なの」
人が逃げ惑う中、私は尻もちをつきながら目の前の男に懇願する。
背筋が凍るほど冷酷な眼差しから、この命乞いが全く意味を為さない事を思い知り、絶望する。
まさか、たった銀貨5枚のこの仕事で、こんな事になるとは思わなかったのに……。
思えば、今日はいつもとは少し違う始まり方だった。
***
旗飾りの沢山ついた小さなテントの中。
お祭りの喧騒もテントの布のせいで、少し異様な雰囲気の漂うここで男性を座らせて、目の前でゆっくりとペンダントをふる。
警戒心の滲んだ男性の目は、そのペンダントをゆっくりと黒目だけを動かして追っていった。
お香の香りや私の囁いた声、目の前でゆらゆらと規則的に揺れるペンダントに、男性の目は次第に微睡んでいく。
かかった。
私はそのタイミングでそっと催眠術をかける。
「あなたは今から目の前に現れる女性を生涯愛し、優しく尽くし続けます。その女性の鳴らす鈴の音を一度聞いたら、あなたは生まれ変わるのです」
男性はこくりこくりと頷き、ぼうっとした表情で座っている。
私は、テントの外で待つ女性にそっと声をかけて中に招き入れた。
女性は、ぼんやりとした表情で座っている男性を少し不安そうな様子で見ている。
私は女性の背中をずいっと男性の前に行くように押し、鈴を渡した。
「さぁ、これで貴方がこの鈴を鳴らしたら、彼は優しい夫になっているはずよ」
私の言葉に、女性はうるうると目に涙を滲ませる。
青くあざになっている片目からは涙が出ていないのが痛々しかった。
しばらくその鈴と男性を交互に見た女性は、私に向き直ると、何度も私に頭を下げて、手渡された鈴を祈るように両手で強く包み込んだ。
「ありがとうございます、これでようやく平和に暮らせます。本当にこの街に魔女様がいらっしゃるだなんて……!」
「あはは、まぁ魔女っていうか催眠術師なんですけど。でも、うちに代々伝わるこの催眠術はまるで魔法みたいに超強力なので、解けませんよ。安心して暮らしてくださいね」
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
女性は何度も頭を下げながら、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃ、私は一度外へ出ますね。彼の目の前でこの鈴を一度鳴らしてください。一度だけですよ。二度目を聞いたら元に戻っちゃうから」
「はい、わかりました。では鳴らしてみたいと思います」
女性が嬉しそうに鈴を持つ。
私はそっとテントの外に出ると、ほどなくして鈴の音が一度リンと響いた。
ガタリ、と椅子から立ち上がる音がして、がばっと何やら大きな物音がする。
今まで失敗したことなんてないけれど、あの暴力夫もしや……とテントの隙間から覗いてみると、男性が女性を強く抱きしめてるところだった。
良かった、やっぱり成功。
女性が泣きながら男性の胸の中に顔を埋め、男性はそんな様子の女性を狼狽しながらも愛おしそうに抱きしめ返しながら心配そうに声をかけている。
落ち着いた頃に、口元のフェイスベールをまた上げる。
占い師の装いをして、私は大きめの咳払いをして存在感を匂わせながら、またそっとテントの中に入って行った。
男性は私の姿を見るなり、首を傾げる。
「ん? あなたは? そういえば、ここはどこなんでしょう」
「あぁ、えっと……」
女性がうまく説明が出来ず、しどろもどろになるところをすぐに、にっこりと笑って少し声色を変えて男性に話しかけた。
「占い師です、お二人の相性占いをしたのですが、旦那様はお疲れのようで眠ってしまわれたみたいですね。奥様がお疲れなのではないかととても心配されておりましたよ」
「あぁ、そうだったんですね。すまないね、エリス。心配をかけて」
男性は申し訳無さそうな視線で女性を見た。女性は驚いたように目を見開いて男性の顔を見た。
殴るような男だ、今まで彼女に謝った事すらなかったのだろう。
とりあえず、ボロが出る前に適当にやり過ごそうと私はパンっと手を叩き、両手を頬あたりに寄せてまた微笑んだ。
「ふふ。ちなみに、占いの結果は良好! まさに運命のお二人ですよ。私もここまで相性のよろしい方は見た事がございません!」
「あぁ、そうだろう。エリスと俺ほどの夫婦はいないだろうからな」
そう言うと、男性はまたエリスを強く抱きしめる。
エリスは顔をくしゃりと歪め、また男性に顔を見せないように静かに泣いた。
しかし、ぐっと笑顔を作り、大柄な男性を見上げる。
「あなた、お疲れでしょうし今日はもう帰りましょう。私は占い師さんと少しだけ話すから、ちょっと外で待っていて」
「わかったよ……あぁっ! でも、その少しも離れがたいくらいだ、なるべく早くに出てきてくれ」
男性は再びエリス強く抱きしめ、エリスの額にキスを落としてテントの外に出て行った。
女性と片時も離れたくない、といった後ろ姿。
最初テントの中に入ってきた不機嫌で横柄な態度からは考えられない態度に、やはり私は最強の催眠術師だなと自分の才能に内心誇りを感じながら、にっこりと笑い軽く男性に手を振った。
男性がテントを出ると、すぐに女性が私に抱きついた。男性がすぐ側にいる事を考えて、涙を滲ませた小さな声で話す。
「ありがとうございます、本当にありがとうございます」
「いえいえ、お役に立てて良かったです。では、そちらを」
女性をやんわりと抱き返して、女性が持っている鈴を返すように促すと、女性はピタリと止まった。
そして、私から離れ、手元の鈴をしばらく眺めた後に私を見つめる。
「あの……この鈴もいただいてよろしいでしょうか、この分のお金もお支払いいたします」
「えっと、良いですけど二度目の音を聞いたら今までの旦那様に戻ってしまわれます。危ないので、こちらで処分したほうが……」
「管理には十分に気を付けます。私たちの夫婦としての再出発をさせてくれたこの鈴を、持っていたいのです」
「うーん……まぁ、気を付けるという事であれば」
私の言葉を聞いて、女性はパァっと顔を輝かせて嬉しそうに鈴を両手で包み込み、何度も首を縦に振って頷いた。
女性から銀貨を1枚渡され、お礼に余分に取っておいて欲しいと言われ、そのまま送り出す。
女性は男性の腕に手を置いて、仲良さ気に2人で祭の中に姿を消していく。さながら新婚カップルのような後ろ姿を確認し、さっとテントの布を閉じた。
読んで頂きましてありがとうございました。
今回は転生ものではなく、異世界ファンタジーものです。
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