悪魔と対話
「圭斗君、待って!」
今は紛れもないチャンスだ。紗綾は慌ててその背中を追う。
無視されるかもしれない。
それでも、彼に謝りたかった。
「さっきクラスの方に行ったら、もう帰ったって言われて……」
足を止めて振り返る彼の表情を見るのは怖かった。
「あー……ちょっと図書室に寄ってて」
圭斗は困った表情をしているように見えた。
「昼休みにも行ったんだけど……」
「まさか、二人組の女子に追い払われたとか言わないっスよね?」
圭斗にまで見抜かれて、紗綾はドキッとする。
「会わせたくないのは当然だと思うよ」
「あいつら……何かコソコソしてると思ったら、勝手なことしやがって」
圭斗は忌々しげに吐き捨てる。けれど、彼は自分に対して怒るべきだと紗綾は思う。
「香澄だって……」
先に同じことをしたのは紗綾の方だ。だから、何も文句は言えない。因果応報ということだ。
「あの人、協力してくれたり追い払ったり、わけわかんないっスよ。そーゆーわけわかんない人、もう一人いるけど」
笑って話す圭斗はいつもの彼のように思えた。先ほどのような不機嫌さも感じられない。
「……話、したいの」
「先輩が望むなら、喜んで」
にっこりと圭斗が微笑む。
「あ、どこ行くっスか? 喉とか渇きません?」
まるでデートにでも誘うような気軽さで、圭斗は隣に並ぶ。
紗綾はそのペースに飲まれるしかなかった。
「メールでもくれれば良かったのに。電話も大歓迎っスけど」
ファーストフード店で飲み物を手に圭斗は上機嫌だった。
「だって……やっぱり直接話さなきゃと思うし、無視されたら……とか、着信拒否されてるかも……とか」
圭斗はクスクスと笑い出す。
「考えすぎっスね。いつでも応じたっスよ。それこそ、ホイホイ」
気さくな圭斗の様子に、振り絞るはずの勇気はどこかへ行ってしまったようだった。
「飯田君が心配してたよ」
「……なんで、先輩があいつのこと知ってるんスか?」
圭斗の声のトーンが低くなる。何か言ってはいけないことを言ってしまったような気になる。
「文化祭の時、声かけられて……」
「あいつ……」
「さっきも圭斗君がもう帰ったって教えてくれて」
彼は圭斗の親友だと言った。なのに、なぜ、そんな険しい表情をするのだろうか。
「ちゃんと謝ってなかったから、だから……」
急に怖くなってしまい、言葉が上手く紡げなくなる。
「謝る、って何のこと?」
「圭斗君を巻き込んじゃったこと」
自分のせいで彼は生贄になった。そうでなければ、彼は今頃クラスの人気者だったかもしれない。
「それは……俺がそれを望んだんス。だから、自分から火に入った馬鹿な虫に謝る必要なんかないんスよ」
確かに声をかけてきたのは圭斗の方だ。けれど、リアムが現れた時、彼は辞退することもできたはずだった。
それでも、彼はオカ研にいることを選んだ。
「でも、最近、出てないって」
「目当てがなくなったのに、行く意味があるんスか?」
「……ごめん、私一人だけ逃げたりして」
じっと見つめられて、紗綾は俯く。
その目に射られるのは緊張する。
真摯な眼差し、逸らしてはいけないと思うのに引き込まれてしまいそうになって少し恐いのだ。
「遅かれ早かれ、あいつが出てこようとこなかろうと、こうなるってわかってたから――なってほしくなかったけど、でも、しょうがないんス」
彼は何も話してくれなかった。
彼も同じように怖かったからなのだろうか。
その気持ちが本当なのか、疑っていたこともあった。
「海斗さんのことも……」
彼の忠告を無視してしまった。
「あいつ、基本的に天性の人たらしだから、最初は誰でも騙されるんスよ。いや、元々あんな裏はなかったんスけどね。まあ、俺のせいなんスけどね」
「海斗さんに、将来的に仕事のパートナーにならないかって言われたの」
「それもわかってた。俺じゃあ止められないって」
サイキックだからなのか、兄弟だからなのか。否、後者を彼は否定するかもしれない。切っても切れないものが二人の間にあるのは確かなのだろうが。
「断ったよ」
「え……?」
そうなると思っていなかったのだろうか。圭斗が驚いたような表情を見せる。
「昨日、海斗さんの仕事について行って、でも、違うって思ったから」
利用されているとわかっては、これ以上協力できない。
オカ研も同じだと言う人間もいるだろうが、紗綾は違うと言える。それは、自分は本当に必要とされていたのだと自惚れているだけなのかもしれないが。
「明日から、オカ研に戻ろうと思うの。許してもらえるかわからないけど……」
皆、優しいから甘えていた。相手の言い分も聞かずに我が儘を言って困らせてしまった。
「大丈夫っスよ。俺が保証する。先輩が戻るなら俺も戻るんで。あ、戻らなくてもいいとかなしっスよ?」
「ありがとう」
彼が戻る義務はない。だが、そのことには触れさせてくれないようだ。
「でも、まだ部長に話してないから」
「それに関しては悔しいんで何も言わない」
大丈夫だと言ってほしかったわけではないが、意味深な言葉である。
「俺、先輩のこと、本気っスよ? 本気で好き、マジで一目惚れ」
彼は真剣だ。
だからこそ、今まで曖昧にしてきたことをはっきりさせなければと思うのに、何を言ったらいいかわからない。
「うん……ごめんね」
傷付けたくないと思いながら、それが無理だとどこかでわかっている。互いに傷の残らない拒否などないと。
それでも、自分が傷付いていたかった。感傷に浸りたいわけではない。ただ、他人にとって無害な存在でありたいと不可能を望んでいたのかもしれない。
「あの人と一緒だって思うと胸糞悪いっスけど、でも、見込みがないってわかってたっスから」
わかっていて、なぜ、傷付くのだろう。
そう思いながらもわかっている。理屈ではないのだ。
「それでも、俺を突き放さないでほしいんス」
その声は弱々しい。
自分よりも背が高く、物怖じせず、いつも堂々としていたはずの彼が今は小さな男の子ようにも見える。
「先輩の側にいると安心するんス。報われない片思いでいいから、だから……」
「大丈夫。友達だよ。私で良ければいつだって相談に乗るから」
正しい選択肢はわからない。何が彼のためになるのかもわからない。
それでも自分が目指す先は昨日よりも見えている。
圭斗はパッと顔を上げて、それからクスクスと笑い始めた。
「そんなに優しいことばっか言ってるとまた悪い男に付け込まれるっスよ?」
俺とか、と圭斗は明るい表情を見せる。
「もう裏切らないから」
「裏切りだなんて、思ってないっス。目指すは男の親友ポジションで」
ニコニコと笑う彼は数分前とは大違いだ。だが、彼は笑っていた方が良い。
派手な印象の彼だが、あどけなさが残っていて、笑顔は可愛いところがある。
「じゃあ、香澄のことも許してあげてね?」
「先輩がそう言うなら……」
そこは渋々といった感じだった。
「あ、俺の話も聞いてくれます?」
「もちろん」
元々はどんな謗りも受けるつもりだった。だから、彼の話を聞くのは紗綾にとって当然のことだ。
「海斗のことなんで胸糞悪いんスけど……」
「聞くよ。だって、海斗さんだって、悪い人じゃない。圭斗君も本当は海斗さんを……」
途中で圭斗が驚いたような顔をして、紗綾は言い淀む。
「まあ、悪いのは俺っスよね」
「誰が悪いとかじゃないと思うよ。ちゃんと向き合えば、わかり合える」
海斗は根っからの悪人ではない。圭斗もそうだ。不良のような外見でも根は優しい。
どちらにも全く非がないわけではないが、あるとすれば、どちらにも同じくらいにあるだろう。
互いに負い目を感じて目を逸らすのが、一番の問題だと紗綾は思っている。
尤も、一方的に逃げた自分が言えたことではないとも思うのだが。
「たまに、変わってやれたらって思うんスよね」
ぽつりと圭斗が漏らす。
その気持ちは紗綾にもわかるつもりだった。サイキックとしての苦痛を肩代わりできればと考えたこともある。
彼らは、いつだって一人きりで苦しんでいる。
だから、黒羽永遠子はもう一つの家族を作ろうとした。
その意志の下、毒島鈴子が神前高校にオカルト研究部を作り、嵐が顧問になり、光が入り、十夜も引き込まれ、それから紗綾、圭斗が入った。だが、それは結局より個々を孤立させるだけだった。
何の救いにもならなかった。それでも、十夜達は構わないと言うのだろう。
理解など初めからされるとも思っていないと。必要ないのだと。
彼らは理解されないことにも孤独にも慣れすぎてしまっている。悲しいくらいに。




