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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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援軍を送るために、何を後回しにするのか

 太陽熱蒸留の実験結果を報告してから数日後。


 私はローザリンデとともに、ロードス島への援軍に必要な物資の一覧を確認していた。


 太陽熱蒸留によって得られた水は、実用に足る量ではなかった。そのため、今回の航海では水樽とワインを積み込む方針に変わりはない。


 食料については、これまでの輸送試験で扱った保存食を参考にできる。しかし、兵士や船員の人数、航海の日数が確定しなければ、必要な量も決められなかった。


「水も食料も、簡単には減らせないんだよね」


 私は一覧を見ながらつぶやいた。


「はい。医薬品も必要ですし、武器や装備もあります。船の積載量には限りがありますから、何をどれだけ運ぶのかを慎重に考えなければなりません」


 ローザリンデが答えた。


「それに、船自体もまだ十分に確保できていないんですよね?」


「うん。マルク伯が調整してくれているけど、商業船を使うとなると、普段の交易にも影響が出るみたい」


 そこが、今回の援軍準備で一番難しいところだった。


 船さえあれば何とかなるという話ではない。軍隊を送り込めるだけの船を集めようとすれば、商人たちが普段の商売に使っている船まで必要になる可能性がある。


 帝国にはフランケとの戦争もある。ロードス島への援軍を優先した結果、別の場所で必要な物資が不足してしまえば、それはそれで問題になる。


 私がそんなことを考えていると、扉がノックされた。


「渡り鳥殿、ローザリンデ様。少々よろしいでしょうか」


 入ってきたのはマルク伯だった。


 その表情から、あまり楽観できる報告ではなさそうだと感じた。


「船の手配について、何か問題がありましたか?」


「ええ。すぐに利用できる船と、契約の調整が必要な船を分けて調べていたのですが、船主たちから条件が提示されました」


 マルク伯は書類を机の上に広げた。


「現在、比較的早く手配できる船は限られております。ほかの船については、すでに別の港へ商品を運ぶ契約がございます。予定を変更するには、船主だけでなく、荷主との調整も必要です」


「つまり、すぐに動かせる船だけでは、予定している援軍を運べない可能性があるんですね」


「その通りです。さらに、船主たちの中には、軍事輸送に協力する代わりに、運賃とは別に損失の補償を求めている者もおります」


 私は眉をひそめた。


「損失の補償ですか?」


「はい。予定していた交易ができなくなった場合、その分の損失を誰が負担するのか、という話です。航海には危険も伴いますので、軍事輸送に使用するなら、その危険に見合った条件を求めたいということでしょう」


 それは、商人の立場からすれば当然の要求なのかもしれない。


 船を出せば、船員の給金や維持費がかかる。船が戻ってくるまで、別の商売もできない。まして、オットマン帝国の艦隊が動いているという話が広まっているなら、危険な航海に出ること自体が大きな負担になる。


「それでは、国が船を借りるための費用も、予定より増えそうですね」


 ローザリンデが確認した。


「そうなります。しかも、補償を約束したからといって、すべての船主が協力してくれるとは限りません」


 マルク伯は額を押さえた。


「船がなければ援軍を送れません。しかし、船を確保するために大きな費用をかければ、今度は物資を用意するための予算が圧迫されます」


「うーん……。これは難しいね」


 私は書類を見つめた。


 農業の知識だけで解決できる問題ではない。


 食料を増やすことはできても、それを運ぶ船を急に増やすことはできない。保存食を軽くして輸送効率を改善できても、飲み水や医薬品を不要にすることはできなかった。


 結局、限られた船と資金をどう使うのかという問題に行き着く。


「この件は、皇帝陛下にもご報告しなければなりません」


 マルク伯の言葉に、私は頷いた。


     *


 その日の午後、皇帝カールのもとで、ロードス島への援軍計画について協議が行われた。


 皇帝陛下の隣にはフェルディナント大公が座り、ガッティナーラも資料を手にしている。マルク伯から船の手配状況が説明されると、フェルディナント大公は厳しい表情になった。


「船が足りないのであれば、帝国の権限で船を徴用すればよいのではないか」


 率直な意見だった。


「ロードス島の状況が悪化してからでは遅い。船主との交渉が長引き、その間に島が攻められたらどうするのだ。援軍を送ると決めた以上、実行できる手段を急いで整えるべきだろう」


「徴用すること自体は可能でしょう。しかし、それで問題がなくなるわけではありません」


 ガッティナーラが静かに反論した。


「商業船を強制的に軍事輸送へ回せば、すでに契約している荷物が届かなくなります。荷主への補償も必要になるでしょうし、各都市や商人たちとの関係にも影響が出ます」


「今はロードス島が危険にさらされているのだぞ。商人たちの都合を優先して、援軍を遅らせるわけにはいかぬ」


「私も援軍を送る必要性を否定しているわけではありません。問題は、送った後に何が起こるかということです」


 ガッティナーラは、机の上に別の資料を置いた。


「帝国は現在、フランケとの戦争も続けております。軍費だけでなく、兵士の給金や各地への物資輸送にも費用がかかっています。ここで商人たちの損失を顧みずに船を徴用すれば、今後、必要なときに協力を得られなくなるおそれもございます」


「だが、交渉がまとまるまで待っていては、間に合わないかもしれぬ」


「その可能性も承知しております。だからこそ、どこまでならすぐに実行できるのかを見極める必要があるのです」


 二人の意見は、どちらも間違っているわけではなかった。


 フェルディナント大公は、援軍を送るという決定を実行に移すことを重視している。一方、ガッティナーラは、援軍を送った後も帝国が国を維持できるかを考えている。


 どちらか一方を優先すれば、もう一方に問題が生じる。


「マルク伯。現在、すぐに動かせる船だけで、どの程度の輸送が可能なのだ?」


 皇帝が尋ねた。


「船の積載量から考えれば、一定量の物資を運ぶことは可能です。ただし、兵士をどの程度乗せるのかによって、積める物資の量も変わります。兵士と物資を同時に運ぶ場合、当初想定していた規模の援軍を一度に送ることは難しいかもしれません」


「つまり、必要な援軍を送るには、さらに船を確保する必要があるということか」


「はい。あるいは、輸送の回数を分ける方法もございます。しかし、その場合は航海の危険や、現地に到着する時期の違いも考えなければなりません」


 フェルディナント大公は、すぐには答えなかった。


「船を分けて送れば、その分だけ護衛も必要になる。到着した部隊が少なければ、敵の攻撃に耐えられないおそれもある。単純に分割すればよいという話ではないな」


「おっしゃる通りです」


 マルク伯は頷いた。


 なるほど。船を分けて複数回にわたり物資を送るという方法にも、問題はあるのだ。


 先に到着した兵士や物資が、後続の到着を待たなければ十分な力を発揮できないかもしれない。船団が分かれれば、それぞれの航海に危険が伴う。


「では、船を徴用する場合と、交渉によって確保する場合では、どれほど違うのだ?」


 皇帝の問いに、マルク伯は慎重に答えた。


「徴用すれば、早く船を確保できる可能性はございます。ただし、補償の範囲や金額をめぐって争いになるおそれがあります。交渉による確保ならば、商人たちの協力を得やすくなるでしょうが、条件を整えるまでに時間がかかります」


「つまり、時間を取るか、費用と今後の関係を取るかということですな」


 ガッティナーラが言った。


「ただし、どちらを選んでも費用は発生します。徴用なら補償、交渉なら運賃や危険に対する追加の支払いが必要になるでしょう」


 皇帝カールは腕を組み、しばらく考え込んだ。


「援軍を送らぬという選択肢はない。教皇聖下の要請に応える必要があるし、ロードス島が陥落した場合の影響も大きい。だが、帝国の力を使い果たしてしまうわけにもいかぬ」


 フェルディナント大公が頷いた。


「であれば、まずは可能な限り早く船を確保し、どれだけの兵力と物資を運べるかを明らかにするべきでしょう。そのうえで、必要な規模に届かないのであれば、追加の船をどう確保するかを判断すればよいのです」


「しかし、船を確保できても、積み込む物資が足りなければ意味がありません」


 ガッティナーラはそう指摘した。


「国内の備蓄を切り崩すにしても、食料をすべて軍へ回すことはできません。種子として残さなければならない分もございますし、各地の暮らしを支えるための物資も必要です」


 その話になり、私は思わず口を開いた。


「すみません。ひとつ、確認してもいいですか?」


「渡り鳥殿、どうぞ」


 皇帝に促され、私は机の上の物資一覧を示した。


「船を確保することと、運ぶ物資を決めることを、もう少し分けて考えられないでしょうか」


「分ける、とは?」


 フェルディナント大公が尋ねた。


「今の話だと、援軍に必要な物資を全部そろえて、一度に運ぶことを前提にしているように思います。でも、船の確保に時間がかかるのであれば、先に準備できる物資と、船が確保できてから用意する物資を分けておくことはできるはずです」


「それによって、何が変わるのですか?」


 ガッティナーラが尋ねた。


「必要な船の数が分かる前から、準備そのものが止まってしまうことを避けられます。食料や医薬品など、必要な物資の種類と量を先に整理しておけば、船が確保できたときに、すぐ積み込みの準備に取りかかれますから」


 私は資料を指で押さえた。


「それに、以前の輸送試験で使った保存食を活用すれば、食料の重量や容積をある程度抑えられると思います。ただ、水樽や医薬品まで減らすことはできません。必要なものを削るのではなく、運び方を工夫する方向で考えたいです」


 ガッティナーラは少し考えてから頷いた。


「準備を並行して進めるということですな。それならば、確かに時間の節約にはなるでしょう」


「はい。ただ、これだけで必要な船の数が大幅に減るわけではありません。実際にどれくらいの兵力を送るかは、軍の担当者に判断してもらう必要があります」


「それは当然だ」


 フェルディナント大公が答えた。


「輸送の準備を急ぐことと、援軍の規模を決めることは別の問題だ。両方を並行して進めればよい」


「ですが、費用の問題は残ります」


 ガッティナーラは譲らなかった。


「準備を早めることには賛成です。しかし、船主との交渉をどの条件でまとめるかは、慎重に判断しなければなりません。補償を約束する以上、必要となる費用の上限も考えておくべきでしょう」


 フェルディナント大公は、少し不満そうな表情を浮かべた。


「費用を気にするあまり、援軍を出せなくなっては本末転倒だぞ」


「費用を考えずに援軍を送れば、その後の戦いを支えられなくなるおそれがあります」


 今度は、はっきりと意見がぶつかった。


 部屋の空気が少し重くなる。


 援軍を送る必要性について、二人は意見が一致している。だが、どこまで費用をかけ、どれだけ早く動くのかという点では、考え方が違っていた。


 私には、どちらの意見が正しいのかを判断することはできない。


 それでも、目の前の問題を整理することはできる。


「でしたら、船主との交渉では、最初から全部の船を一括で確保しようとするのではなく、条件ごとに分けて見積もりを取ってみてはどうでしょうか」


 私は続けた。


「すぐに使える船はいくらで借りられるのか。契約の変更が必要な船は、どれくらいの補償が必要なのか。それを分けておけば、どの方法ならどれくらい早く、どれくらいの費用で準備できるのか、比較しやすくなると思います」


 ガッティナーラが、わずかに表情を和らげた。


「それならば、費用と時間の両方を比較できますな」


「はい。ただ、見積もりを取った結果、どの方法を選ぶかは、皇帝陛下たちに決めていただくことになります」


 私はそう付け加えた。


 商人たちの損失をどこまで補償するのか。帝国の財政をどこまで軍事に振り向けるのか。そうした判断は、私の知識だけで決められるものではない。


「よかろう」


 皇帝カールが口を開いた。


「マルク伯は、船主たちから具体的な条件を集めよ。すぐに利用できる船と、契約の変更が必要な船を分け、必要な費用も示すのだ。ガッティナーラは、その費用を含めて財政面から検討せよ」


「承知いたしました」


「フェルディナントは、軍の担当者と協議し、どの程度の兵力と物資を送る必要があるのか、現実的な案をまとめてくれ」


「かしこまりました」


 これで、準備そのものは前へ進むことになった。


 ただし、援軍の規模も、船の確保方法も、まだ最終的には決まっていない。


 どこまで費用をかけて急ぐべきなのか。商業船をどの程度まで軍事輸送に回すのか。その問題は、これからも話し合わなければならなかった。


     *


 会議が終わり、私はローザリンデとともに部屋を出た。


「フェルディナント大公とガッティナーラ殿、かなり意見が分かれていましたね」


「うん。どちらも大事なことを言っていると思うよ」


 援軍を急ぐ必要があるのは間違いない。


 しかし、商業船を無理に軍事輸送へ回せば、普段の交易に影響が出る。費用をかけて船を確保すれば、それだけ物資の調達に使えるお金が減る。


「船が足りないからといって、強引に集めればいいわけじゃないんだね」


「そうですね。商人たちにも事情がありますし、帝国にも支えなければならない人々がいますから」


 ローザリンデは頷いた。


「でも、交渉に時間をかけすぎても困るんですよね」


「うん。だから、どこまでなら急げるのか、どこから先は費用が大きくなるのかを、具体的に調べてもらうことになったんだと思う」


 私たちは廊下を歩きながら、今後のことを考えた。


 農業や食料の問題と同じで、必要なものをそろえるだけでは足りない。


 どれだけ用意できるのか。どこまで運べるのか。そして、そのために何を後回しにしなければならないのか。


 今回の援軍計画では、それがはっきりと問われていた。


 ロードス島を守るために船を出す。


 そのために、帝国内の交易や財政にどこまで負担をかけるのか。


 簡単には答えが出ない問題だった。


 その日の夕方、マルク伯から追加の報告が届いた。


 船主の一人が、軍事輸送への協力について、いったん回答を保留したという。


 理由は、航海の危険と、予定していた交易への影響だった。


 補償の条件がまとまらなければ、船を出すことは難しいとのことだった。


 私は報告書を読み終え、思わずため息をついた。


「……やっぱり、すぐには決まらないね」


 ローザリンデが心配そうに私を見る。


「どうしますか?」


「どうするかを決めるのは、皇帝陛下たちだよ。ただ、必要な情報をそろえることなら、私にもできる」


 私は報告書を机の上に置いた。


 援軍を急ぐべきだという意見も、帝国内の交易を守るべきだという意見も、どちらも無視できない。


 次に必要なのは、船主たちが求めている条件と、援軍に必要な輸送量を具体的に比較することだった。


 その結果次第では、援軍の規模や出発の時期についても、改めて考えなければならないだろう。


 ロードス島を守るために、帝国はどこまでの負担を引き受けるのか。


 その答えは、まだ出ていなかった。

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