やはり調理場が炉だけで調理法が煮るだけなのは厳しい
さて、色々考えては見たものの、やはり貧しい人たちの生活を実際に見て、それにあった食材や調理器具を提供しつつ、そういった人たちでも美味しく食べられる方法を考えるべきでしょう。
私はそのことをヨハン様に相談してみることにしました。
「ヨハン様。
農民の方がどのような家に住んでいて、どのように調理をしているか実際に見てみたいのですが可能でしょうか?
できれば以前人形を買った女の子のお父さんの様子も見たいのですが」
私が荘きくとヨハン様がしばらく考えたあと答えてくれました。
「本来であれば王族に等しい身分の迷い鳥様にそのようなことをして頂く必要はないのですが、それがあなた様にとって必要ということであればかまいせん。
しかし今のままの服装では目立ちすぎますし、農民の中に混じっても、目立たない服を用意させましょう」
「あ、それはすごく助かります」
そして用意されたのは地味なほっそりとした長袖のワンピース式の衣装にボディスというベストの前を紐で結んだようなトップス。
中世などの農民の女性がよく着ているような服装ですね
頭をすっぽりと覆う頭巾やスカーフで髪を覆って顔も見えにくくなっているのも都合が良いです。
もちろん窮屈なコルセットはしていないですよ。
「普段からこの格好でいれたほうが楽なのですけどね」
私がそう言うとヨハン様は苦笑して言いました。
「流石にそれはまずいです」
「ですよね」
それから私達は地味めな馬車でバーデン・バイ・ヴィーナーへ向かいしました。
そして馬車を降りたあとは、徒歩で歩いて木造藁葺の小さな家の前までやってきました。
そして、この前とうもろこしの皮の人形を買った女の子が家の前で待っていました。
「おねえちゃん、だれ?」
「あー、あのときとは服がぜんぜん違うからわかりませんか?
以前にあなたから人形を買ったことがあるのですが」
そう言って私はスカーフで隠れていた顔を彼女に見せます
「あ、ピカピカなお姉ちゃん?!」
「そ、そうですね」
ピカピカなお姉ちゃんとしか覚えられてないというのは少しショックでした。
「じゃあお家の中を案内するよー」
「よろしくお願いします」
建物は木造の簡単な造りで、壁は漆喰塗りがされていました。
窓には引き戸が取り付けられていて雨が降ったら雨戸として使うようですね。
玄関の次は居間でその奥には寝室があるだけのようです。
日本においても農民の家は安土桃山時代くらいまでは煮炊きをする“土間”と食事や睡眠を取る“床座”の2室のみの二室住居が普通でしたが、こういうのは洋の東西を問わず変わらないのですね。
とはいえ農具をしまう納屋や畑を耕すために使う牛などを飼っておくための家畜小屋などは別にあるはずですが。
もっとも、板張りの床座である日本とちがい寝室も土間なのが大きく違いますね。
部屋の大きさはそれぞれ8畳ほどで風呂トイレがない1DKとでも考えれば良さそうです。
居間の中央には石を積み上げてつくった簡単な炉が置かれれいて、炉から出る煙を外に出すための穴がありますが部屋の中は煤だらけですね。
寝具はリネンの袋にわらが詰め込まれたものと、羊毛の毛布だけ、調理道具は野菜やポタージュを弱火で長時間加熱するための土鍋と注ぎ口の付いた、水を運ぶための球形の水差しに銅製の吊り手付きの大鍋で全部のようです。
やはり基本的に農奴階級には煮るしか調理法がないのですね。
なので私は粘土製焼き板を私を護衛?監視?している人たちに持ってきてもらっています。
あと、一緒にトウモロコシのトルティーヤをひっくり返したりするためのヘラもです。
「あ、粉にしてあるトルコ小麦やチーズってあるかな?」
「うん、あるよ!」
「じゃあ、お料理を作ってみるね」
「うん!」
そう言うと女の子は階段を使って屋根裏からそれらを持ってきてくれました。
私は木製のボウルにコーンフラワーと塩、バターに水を加えてよく混ぜたあと、加熱した粘土製焼き板にそれを乗せて生地をまるく広げ焼き上げ、表面が乾いてきたら裏返し、チーズを包んでハムのブリトーを作りました。
「さあ、食べてみて」
「うん!」
女の子は私の手渡したハムのブリトーにがぶっとかじりつきました。
「おいしー」
「ならよかったです」
この時期の農奴階級が食べるチーズはバターを作ったあとの絞りかすを使ったものではあるのですが、安くてタンパク質や脂質が豊富なので重宝します。
ピーナッツが収穫できるようになったらピーナッツバターを包んで食べるようにしてもいいかもしれません。
ちなみに生の牛乳としてはこの頃はほとんど飲まれていなかったりして、牛乳はサワーミルクにバターとチーズといった保存が可能な乳製品を作るために搾られていたに過ぎないのですけどね。
牛乳の飲用が始まったのはわずか1850年頃、19世紀後半の冷蔵庫の開発と鉄道により高速輸送が可能になってからなんですよね。
家畜としての牛は季節に関係なく周年性で、一年中牛乳を得ることができるのですが、21世紀のように乳用牛の泌乳能力が高まって飼料の生産もさかんになったのは、18世紀に入ってからで16世紀の牛乳生産量は1頭当たり年間600kg程度で21世紀の1頭当たり牛乳生産量は6000~8000kgの1割以下ですから、そこまで量を確保できなかったのですね。
ちなみに他の周年繁殖動物としてはブタやウサギ、ニワトリなどがいますが、ウサギの場合、カイウサギやその野生種である穴うさぎは一年中いつでも繁殖する周年繁殖をしますが、野うさぎは低緯度地方に住む種類以外の多くは、年に数回だけ繁殖する季節繁殖ですね。
乳牛の牛乳やニワトリの鶏卵などが一年中確保できるのは周年繁殖動物であるがゆえで助かるのですが、それはそれで不自然ではあるようです。
それはさておいて粘土製焼き板があれば焼くということが簡単にできるようになるはずなので、きっと調理のバリエーションも増えるでしょう。
炙るだけでなく焼くという調理法が増えるだけでも、だいぶ違うでしょうしまずは粘土製焼き板をどうやって安く普及できるかが食糧事情改善の鍵になりそうですね。




