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      12.水曜日午前11時


「と金」にしてやった男は、仲間との接触をしなかった。連絡ぐらいはしただろうが、だれもむかえにはこない。

 おれが監視していることを警戒しているのだ。と金は、タクシーをひろって移動をはじめた。

 おれは、それを追わなかった。目的地は、わかっているのだ。もちろん、おれの読みが正しければ、という注釈つきだが。

 おれが先回りして向かったのは元麻布だ。

 ここには中国大使館がある。国家安全部の諜報員にもいろいろあるだろうが、あの「と金」に関していえば、格闘術は最低ランクだった。おれでなくても、打ち倒すことは簡単だ。ということは、普段から荒仕事を請け負っているような輩ではない。殺しや工作を担当しているのではなく、情報集めが主な任務ということになる。

 普段は一般の大使館員として勤務しているとみて、まずまちがいない。

 問題は、あの「と金」がもどってくるのではなく、ここから「と金」を助けに出ていくかもしれないということだ。

 このおれのことを調べつくしているのなら、まちがいなく後者になる。が、おれのデータを縁もゆかりもない中国人がそろえられるかは微妙なところだが。

 大使館から何人かが出入りしているが、例の「と金」の姿はない。かといって、その「と金」をむかえにいくような動きもない。

 国家安全部とやらも、やるようだ。おれがどういう考え方をしてるのか読んでいる。「と金」をもどすのでもなく、むかえにもいかない。おそらくいまは、電話で話を聞いている。

 だがおれには、このあとの展開が手に取るようにわかる。話を聞いている上司は、しだいに我慢ができなくなる。電話では要領を得ない。なんとしても、おれと接触した話をじかに聞きたくなってくる。

 そこで、べつの人間をおくって、安全な隠れ家につれていく。普段、大使館にいるような人間では知らないような場所だ。だが、不用意につれていくことはできない。

 まず、だれをおくるか……一見するとそうとは思えないような人材だ。

 たとえば、女。

 しかも、凄腕の諜報員というわけでもない。もちろん、隠れ家の場所も知らない。知っていたら、おれに尋問されて口を割るかもしれないからだ。

 ほら。いま出てきた女がそれっぽい。

 おれは、その普通の女を尾行した。女は少し歩いたところでタクシーに乗った。たまたまやって来たのではなく、電話かアプリで呼んだのだろう。

 抜け目ない。おれが張っているかもしれないという予想のもとに動いている。この道は、滅多にタクシーが通りかからないのだろう。

 しかし、おれの行動力はそれを上回る。

 以前にも、車を追いかけなければならないことがあった。そのときにおれは、近くにあった自転車を拝借した。

 今回は時間的に余裕があったので、大使館に行く前に自転車を購入しておいた。

 経験は、なにものよりも勝る。

 ただ残念なのは、手持ちの現金で買えたのが、いわゆるママチャリだけだった。だからそれでタクシーを追いかけなければならない。

 自転車が自動車に勝てないということはない。とくに都内の一般道では信号で停まらなければならない。自転車も赤信号は停まらなくてはならないが、いまはそんな倫理的な話はいい。

 とにかくおれは、そのタクシーをママチャリで尾行した。タクシーの運転手はただの素人だし、あの女大使館員も諜報のプロというわけではないはずだ。車での尾行ならまだわからないが、自転車で追いかけられているなど夢にも考えていないだろう。

 タクシーは、住所でいえば鳥越というところで停車した。おれはそこまで東京の町名に詳しいわけではないが、台東区に位置しているようだ。歩道に周辺地図が設置されていたから確認したが、秋葉原とは目と鼻の先だった。つまり「と金」は、ほぼ移動していないことになる。

 ある意味、正解だ。どんなに場所を移っても、こうしておれに追跡される運命なのだ。

 タクシーを降りた女は、低層のマンションに入っていった。おれの見立てが正しければ、そこで重要な会話は交わされない。女は本部に電話で指示をあおぎ、場所を移動する。おそらくそれを二、三回繰り返す。

 予想どおり、女は「と金」をつれて、マンションを出た。タクシーは、そのまま待っていた。

 おれは、また自転車でついていかなければならない。今度は長距離の移動だった。さすがに自転車での尾行にはムリがあった。千葉方面をめざしているようだ。

 かなり距離をあけられてしまった。ちょうどべつのタクシーに追い抜かれた。おれは、すぐに作戦を変更した。

 いま追い抜いたタクシーが信号待ちで停まった、そこまでなんとか追いついて、自転車を乗り捨てた。そのタクシーが空車なのは追い抜かれざまに確認している。

 ドアをノックして、乗車の意をしめした。運転手は少し驚いたような顔をしていたが、ドアを開けてくれた。おれは、乗り込んだ。

「とにかく進んでください」

 例のタクシーは、見えなくなっている。前進してみるしかない。かりに見えていたとしても、あのタクシーを追ってください、などとドラマのように要求するわけにはいかない。このドライバーの印象に残ってしまうからだ。

 最近のタクシーには車内を映すドライブレコーダーが設置されているから、なるだけうつむくようにしていた。

「このままでいいんですか?」

「はい」

 しばらく進んだら、問題のタクシーに追いついたようだ。むこうの運転手は手寧なドライビングなのに対して、こちらの運転手は少し荒いところが幸いした。

 そこからは、そのタクシーの動きを見ながら指示を出した。

「次の交差点を右に曲がってください」

 運転手は怪訝に思っただろうが、かまわずに誘導を続けた。

「そこの路肩に停まってください」

「は、はい」

 追い越してしまったので、また距離をとったのだ。

「やっぱり、発進してください」

「は、はあ……」

 運転手の猜疑心が爆発するまえに、前方のタクシーは停車した。まだ千葉県には入っていないだろう。葛飾区のどこかだ。

 念のため、少し通り過ぎたところで運転手に伝えた。

「ここでいい」

 手早く料金を払って、車外に出た。

 国家安全部の二人は、二階建ての住宅に入っていく。周囲は、なんの変哲もない住宅街だった。

 おれは、その住宅に近づいた。周囲に監視カメラのたぐいはないようだ。どうやらセーフハウスらしいが、花壇も手入れされているし、カムフラージュは完璧だ。もしかしたら、普段から人が住んでいるのかもしれない。

 玄関のドアが開いたので、おれは物陰に隠れた。すぐに、さっきとはべつのタクシーがやって来た。二人はそれに乗り込むと、またどこかへ向かった。

 さすがに住宅街だから、べつのタクシーが都合よくやって来るわけでもない。おれは、尾行を断念した。せめて、あの「と金」から話を聞きたがっている上司の顔を拝んでおきたかったが、それはあきらめることにしよう。

 すでにおれの興味は、このセーフハウスに移っている。

 家の裏手にまわりに、侵入をこころみた。表側にはカメラは設置されていなかったが、裏は監視されていた。この家の構造上、侵入しようと思えば、裏側からになる。植え込みが目隠しになっているからだ。しかし、それはトラップだ。

 おれは、カメラをすべて壊した。常時監視していたら、これでなかの人間も気づいたことになる。ただし、普段は一般人として生活している可能性があるので、その場合はすぐにはわからないだろう。

 おれは擬態をして、家のなかに侵入した。

 気配はある。キッチンで女性が洗い物をしていた。見るからに、普通の主婦だ。年齢は四十歳ぐらいだろうか。

 おれは声をかけてみることにした。

「おい」

 ハッとしたように、女が振り返った。

「だれ!?」

 女はおれをみつけられない。おれもそれ以上、なにも言わなかった。もう一人「と金」をつくる必要もない。

 女は慌てたように、リビングに移動した。

 そこにあった大型の棚に手をかけた。一見すると重そうだが、簡単に動くようになっていたようだ。

 棚のあった壁には、小型のモニターが四つ埋め込まれていた。どうやら、外の監視カメラの映像を観ることができるらしい。が、どの画面にも、なにも映っていなかった。おれが壊しておいたのだから、あたりまえだ。

 侵入者を感知するようなセンサーはなかったから、ここはそれほど重要な施設ではない。おおかた、この女は日本に住む一般の中国人で、大使館から住むところと引き替えにこの家をまかされたのだろう。

 たまにちょっとしたことで使う程度で、これまで重要なことに使用されていなかったのだ。

 女は、携帯で連絡をはじめた。

 中国語が室内に響いた。

 なにかしらの指示をうけたようだが、女は家にとどまるようだ。しばらくしたら、洗い物の続きをはじめた。

 侵入者は、もうこの家にはいないものだと考えているようだ。つまり、おれのことは知らない。ただの主婦という読みはまちがいではなかった。

 国家安全部としても、この女がどうなろうと知ったことではないのだ。ただの使い捨てだ。応援もよこさないだろう。

 おれは家を出た。このセリフは何度も口にしているから、しつこいと思われるかもしれないが、あえてまた言おう。

 プロは簡単には殺さない。

 ただし、ある犯罪行為はしてしまった。キッチンのテーブルに置いたあった携帯電話を拝借した。

 いざとなったら、これをつかって通話相手を特定することができる。

「さて」

 このまま、その「特定」をしてもいいが、さすがに自転車移動で疲れた。裏の世界では生ける伝説のようにもちあげられているが、おれだって普通の人間だ。

 とりあえず近くにバス停があったので、それに乗ることにする。

 すぐにバスはやって来た。

「ん?」

 おれは停車したバスを見て、眼を見張った。

 東京都で運営しているバスだと思うが、一般的な緑色の塗装された車体ではなく、車全体に広告が掲載されているラッピングバスというやつだった。

 そこに、こう書かれていた。

『UNIDENTIFIED』

 白を基調とした色彩のなかで、黒い文字で浮かび上がるように記されていた。一見すると、ファッションブランドの先鋭的な広告にも思える。これ、なんの宣伝だ?──を狙ったようなやつだ。

 が、おれにはわかる。

『未確認の』を意味する英単語は、イコール、おれを意味する。

《U》と呼びかけているのだ。

 そのバスに乗ってみた。さすがにおれがこのバスに乗ることはわからないはずなので、都内で走っているバスの何台かに同じ広告を出しているはずだ。

 終点には電車の駅があったので、それに乗り替えて都心に向かった。やはり例のラッピングバスを何台もみかけた。広告費も安くはないだろうから、それなりに金がかかっている。おれは、てっきりこれまでの流れで、あの仲介役の女は国家安全部のエージェントなのではないかと疑いをむけはじめていた。

 が、それはまちがいだ。世良の事務所を見張っていた「と金」はまちがいなく中国人だろうが、彼らにこんなオシャレな発想があるとは思えない。つまり「と金」たちと仲介役は無関係……いや、どうもそこが引っかかる。

 無関係ではあるが、あながち関係がないともいえない……。

 自分で考えておいてなんだが、なんとも煮え切らない思考力だ。わからないものは仕方がないので、おれは前に進むことにした。

 ラッピングバスを観察してみると『UNIDENTIFIED』以外にも記されていることがあった。車体の隅に申し訳ていどに亀のマークと、無限大のマーク、そして鳥のマークが並んでいた。さらに『A―Z』と書いてあった。

 なんだこれは?

 なにかのヒントになっているのはまちがいないだろう。

 おれは頭を回転させた。こういうのは、難しくしすぎてはいないはずだ。相手に謎を解いてもらわなければ、暗号は成立しない。すくなくとも、おれには解読できるようになっている。

 おれ=Uだから、『21』だ。どういうことかって?

 AからZまで、Uは21番目のアルファベットになる。ここまでは簡単だ。

 で、次は亀だ。ちょうどバスがおれの眼の前を通過していった。バス前面の額の部分にどこ行きなのかを表示してある。その右端部分に漢字一文字と数字が書かれていた。よくよく思い出してみれば、どのバスにも似たような表記がしてあるものだ。バスの運行系統を区別するための記号だ。都が運営しているバスは、それが漢字一文字と数字になる。

「亀21」

 そういう答えを導いた。

 で、調べてみたら、それは東陽町駅から亀戸駅まで運航しているバスということがわかった。

 次に解読するのが、無限大マーク『∞』だ。これについては直感的なものだ。おそらく「8」。停留所の数だ。ただし、東陽町からみてなのか、亀戸からみてなのかがわからない。

 おれは、東陽町に来ていた。とりあえず、そこから目的のバスに乗ってみた。八つ目の停留所は元八幡というところだ。そこにも「8」がついている。

 停留所は、狭い通りにあった。降りてみた。

 すぐ眼の前に道が続いていたので、歩くことにした。

 やはり、あった。

 鳥のマークは、鳥居をしめしている。こじんまりとした神社があった。まちがいない。メッセージを仕掛けた人物は、おれをここに呼び寄せたかったはずだ。

 鳥居をくぐって敷地内に入った。時刻は夕方。薄暗くなってきたとはいえ、まだまだ明るい。さほど広くない境内に、人の姿はなかった。

「ん?」

 メッセージを残すには、基本中の基本だ。

 地面。なにげなく眼にすると子供の落書きのようにも見えるが、そこに文字が書かれていた。

『U COLLECT AMPOULES』

 なんだ?

 アンプルを回収しろ?

 おれは靴底で文字を消した。こっちの世界では、そうするのがルールだ。暗号として残された文字は必ず消去する。

 おれは、念のため周囲をさぐってみた。もし雨が降ったり、それこそ子供が本当に遊びで消してしまったかもしれない。そうすれば、このメッセージは伝わらなかった。もしかしたら、おれが来る直前に書いたものかもと疑ってみたが……。

 どうやらこの発信者は、おれが早いタイミングでここに来ることを予期していたようだ。

 アンプル──なにかしらの液体が入っているのだろう。それを奪ってこいと要求しているらしいが、しかしそれだけではヒントが少なすぎる。

 この場所には、ほかにメッセージは残されていなかった。べつの場所は考えづらい。なぜなら、こういう暗号のやりとりは、簡単でなければ解くことができない。これ以上、複雑なことをしているとは思えない。

 おれは、帰ることを決断した。

 明日になれば、またべつの展開がおとずれるかもしれない。


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