45 殺し合い
鋭い上段蹴りが俺の頭蓋を狙う。
やはり触れれば必殺。
当然、素直に貰ってやるつもりはない。
身体を沈めて回避して、同時に足払いを仕掛ける。
振り上げられた足が頭上から振り下ろされる。
――上段蹴りからの、流れるようなかかと落とし。
足払いを仕掛けた足を即座に引っ込めて、横にころがる。
振り下ろされた足が、大理石の床を踏み抜き砕いた。
「ち……」
舌打ちしながら身を起こす。
ローレンツォは既に構えている。
踏み込むには隙が無さ過ぎる。
かといって、待ってばかりいても埒が明かない。
隙を見つけては脇を抜けて走ろうとするレイリィも、先ほどから視線で牽制され、動けずにいる。
膠着状態だ。
……つまり、真っ向から俺がこの老獪を打倒し、それによってこの場を打開するしかない。
「……本気を出さぬのか、レイジ」
構えたまま、油断のない視線で俺の一挙手一投足を観察しながらローレンツォが言う。
「……どういうことだ?」
「ふん。気づかぬと思っているのか? 貴様の攻撃には殺意が籠っていない。そんな温い攻撃で私を打倒しうるとは思わぬことだ」
「殺意、ね……」
「人を殺めるのが恐ろしいか?」
「あぁ、怖いよ。人を殺す事も、その行為に何も感じなくなることも。……俺は怖い」
「フ……わが手は汚せぬ、か。甘いことよ。……ならば、私が貴様を殺そう。その事実を以て、この下らぬ反乱騒ぎも終いだ……!」
ぬるりとした踏み込み。
威勢の良いその言とは裏腹に、努めて冷静なその挙動。
ともすれば、見失ってしまいそうになるほどのその踏み込みに、本能だけで反応する。
「右……!」
言うや否や、腕を振り上げる。
鋭い手刀。
首を撥ねることを目的としたその攻撃を、なんとか受け止める。
籠手同士が噛み合い、互いの金属が削れて宙に舞う。
次は正面。
痛烈な前蹴り。身を捻り躱す。
胸を狙った肘撃ちは、腕を交差させて受ける。
ショートフック。内側を叩いて逸らす。
蹴り、躱す。掌打、躱す。手刀、躱す。貫手、逸らす。
カウンター気味に放った拳は逸らされる。蹴りも、手刀も、貫手も。全て急所を外した温い攻撃。
見切られ躱される。
「温い、温いなァ!」
怒涛の連撃。
拳が、足が、息もつかせぬ速度で次々と振るわれる。
対しては全て急所を狙った必殺の一撃。
確実な殺意が籠ったそれを、なんとか全て受ける。
「く、そ……」
一撃一撃が重い。
ガラハドの攻撃のような重さではない。
彼の一撃の様に、岩を砕き、人体を一撃で破壊せしめる物理的破壊力ではない。
無駄なく、冷静に命だけを刈り取る――ある意味では美しいとすらいえる一撃。
隙が無い。踏み込めない。
一抹の不安が胸をよぎる。
俺は、この男の命を奪わず、無力化することなんて、出来るのか。
「ク、ハハ……! まだ迷いがあるか、小僧ォ!」
ゴゥ、と空気を切り裂きながら、首を撥ね飛ばす足刀が奔る。
魔力を通して、腕を上げて受ける。
凄まじい衝撃。膂力もそうだが、的確にインパクトの瞬間に魔力を通すことで、威力を上げている。
なんて巧みな魔力操作。
魔力量にモノを言わせて、力任せに攻撃を振るう俺とは対極。
身体能力も、魔力量も俺より劣るこの老獪は、その力関係を、ただただ技術のみで凌駕している。
「そんなに、闘争が……楽しいかッ!」
踏み込んで拳を振るう。
顔面を狙った一撃。当たれば頭蓋を粉砕し、首から上を吹き飛ばすであろうその攻撃を、ローレンツォは……、
「フ……」
侮蔑の色を含んだ笑みを浮かべ、微動だにせず――
「――ッ!?」
――俺は、その拳を彼の顔面に届く寸前に止めた。
「……破ァッ!」
その一瞬、大きく懐に踏み込まれる。
「しまっ……!」
掌底が胸に突き刺さる。
体内で魔力が炸裂した。
肋骨が粉砕され、肺が爆ぜる。
視界が白熱し、身体が宙を舞う。
吹き飛ばされて、円柱に背中から叩きつけられた。
「がっぁッ……ぐ、は……ッ……」
膝から崩れ落ち、口から鮮血を撒き散らす。
咳き込み、体内からせり上がる血とそれ以外の何かをぶちまけた。
「レイジっ!」
「げほっ……ごほ……ッ……ぐ……ぅ」
修復が進む。
破砕した肋骨が、爆ぜた肺が、瞬時に治癒する。
口の中に残った血を吐き出しきって、口を拭って立ち上がった。
「ほぉ……。確実に中身を滅茶苦茶にしたのだがな。死なぬか。……どころか、もう治っているな。なるほど。普通の魔力では駄目か。この籠手で首を撥ねるか、直接聖武器で心臓を破壊でもせぬ限り修復しそうだな」
「あい……にく、だった……な……追撃を、かければ、殺せて、ただろうに……」
息も絶え絶えに、憎まれ口を叩く。
痛みが尾を引く。膝が笑い、がくがくと足が言うことを聞かない。
いくら治るとは言え、痛いものは痛い。意識を飛ばさなかったのは奇跡に近い。
「……ならば、次はそうしよう……!」
言って、踏み込む。
腕を上げて、何とか構えを間に合わせる。
後ろ足を擦って、身体を傾ける。
貫手が胸の直ぐ傍を通り過ぎて空を切る。
伸びた腕を絡めとろうとして、脇腹に痛烈な蹴りが突き刺さった。
うめき声を上げてたたらを踏む。
またどこかの骨が折れた。
即座に振るわれる手刀。
体勢が整わず、ふらつく体のまま、床に倒れ込んで何とか躱す。
すかさずストンピング。躱しきれず、左肩を踏み抜かれて、骨を砕かれた。
「ガッ、ァァ……! ぐ、ぅ、く、そ……!」
ごろごろと地面を転がって距離を開け、立ち上がる。
骨折は治ったが、受けた痛みに、いまだに脳が痺れている。
踏み込みに、反応できない。
振り上げられる上段蹴りを、治りきっていない左腕で受ける。
治癒したばかりの肩が再び砕け、だらりと腕が落ちた。
左側から、白銀の籠手が迫る。
――アレは受けられない。
横っ飛びで大きく距離を開けて何とか躱す。
再びの踏み込み、からの蹴り。
躱せない。脇腹に突き刺さる。
身体が泳ぐ。血反吐を撒き散らしながら、後ろに転がる。
頭のあった場所に、貫手が奔る。
掠めた髪の毛を何本か持って行かれる、が何とか躱した。
「ぐ、ふ……ぁ、くそ……!」
魔力を通して地面を蹴って、大きく距離を開ける。
詰められる距離。駄目だ、振り払えない……!
手刀が振るわれる。
腕を合わせて受ける。
左足を振り上げて、その胴体に蹴りを……――!
「ご、ァッ!?」
咄嗟に出た蹴りが、ローレンツォの胴を叩く。
不格好な蹴りだが、幾本かの骨を砕いた感覚が、足から伝わる。
堪らず飛びずさって、距離を開けるローレンツォ。
「ふ……ふふ、ようやっと、やる気になったか、小僧?」
懐から小瓶を取り出して、中身を呷る。ポーションか何かだろうか。
ペッ、と血を吐いて、ローレンツォが再び構えた。
「……あぁ、わかったよ……アンタは強い。今まで俺が対峙してきた人間って括りなら……多分最強だ。殺さずに無力化なんて……無理、なんだろうな……」
そんなに、温い相手ではない。
ことここに及んで、俺はようやく理解した。
気絶させる。手足をへし折って無力化。
両方とも、俺と彼の実力差では、不可能だ。
ならば、と、大きく息を吸った。
そして、ゆっくりと、息を吐き出す。
胸の内の迷いを全て吐き出すようにして。
魔力を、通す。
殺意を、通す。
ごぅ、と魔力風が吹き上がる。
やらなきゃ、やられる。
意識を、切り替える。
覚悟を、決める。
――やれるのか。俺に。人殺しが。
『――レイジ』
アリスの気遣わしげな呟きが、頭に響く。
――お主に出来ぬのなら、わしが。
続く言葉を否定するように、頭を振った。
「――ふ」
手が、足が、震える。
恐怖だ。これは、恐怖。
――何に対する、恐怖だ。
「……ぁあああッ!!」
胸の内の、何もかもを吹き飛ばすようにして吼えて、地を蹴った。
「――――」
正面、歪むローレンツォの表情を、見て見ぬふりをしながら、拳を放つ。
魔力を込めた一撃。先ほどまでの俺の攻撃の比ではない速度。
正確に腕の内側に掌底を合わせられ、軌道が逸れる。
開いた体に貫手。敢えて踏み込んで、狙いをズラす。
肩を掠めて、後方に抜けて行く貫手。
白銀の籠手が肩を切り裂き、ジュ、と音を立てた。
「――ふッ……!」
踏み込んだ勢いのまま、肘撃ちを放つ。
胸元に突き刺さって、ローレンツォの体を大きく弾き飛ばした。
肋骨を幾本か粉砕した手ごたえ。口元から血の筋を流しながらローレンツォが嗤う。
「何が……!」
回し蹴り。振り上げた脚と腕で阻まれる。
「おかしいッッ!」
軸足を変えて、もう一度反対の足で回し蹴り。
交差した腕で受け止められた。
ザリザリと地を脚で擦りながらローレンツォの体が離れていく。
距離を詰めながらの掌底。
胸元を狙ったそれは、身体を逸らして躱される。
「――――ハハハハッ!!」
打ち合う。
躱す。躱される。
幾合も打ち合い、ぶつけあい、ぶつかり合う。
どちらのものとも知れぬ血しぶきが舞う。
高い金属音が響く。
魔力の残滓と血しぶきと、踏み砕かれた石礫。
うめき声と肉を叩く音。
意識が研ぎ澄まされてゆく。
技が研ぎ澄まされてゆく。
閃く白銀と漆黒の籠手が交錯し、火花が散る。
「はァぁあああ!」
「ぉおおおおォ!」
雄叫びを上げ、拳を繰り出す。
拳同士がかち合って、互いの右腕の籠手が砕け散った。
「ッ!?」
衝撃に互いの体が開く。
「――ッふ!」
「――克ッ!」
同時に振るわれる貫手が交差し――。
「が――ふ――……」
――血を吐き崩れ落ちたのは……、
「ふ、ふふ……み、ごと」
ローレンツォだった。
本日はここまでになります。
次回も明日21時に更新になります!
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