31 【黒闇の鷹】VS【弓聖】
『収納空間』から引き抜いた長弓を、水平に構えるロザミア。
光を纏った長弓には弦が張られておらず、彼女は矢を持っている様子もない。
「うふふふ……わたくし、セシリアちゃんと一度本気で殺しあってみたかったんですのよぉ」
恍惚とした表情で笑うロザミア。
彼女の周囲に魔力が渦巻く。
「レイジ、殿」
セシリアが、低い声で俺を呼ぶ。
「なんだ?」
俺も油断せずに構えながら、低く返した。
「……彼女は、私が一人で、食い止めます。先に、行ってください」
「いや、俺も……」
「レイジ殿に……人が殺せますか?」
「……ぇ」
頭をガツンと殴られたような衝撃。
「うふふ、密談なんて妬けてしまいますわぁ。わたくしも仲間に入れてくださいなぁ」
「なっ……!?」
至近距離から声。
遠方で弓を構えていたロザミアが、あろうことか距離を詰め、俺に肉薄してきた。
セシリアの言葉に気が逸れた一瞬。
凄まじい速度の踏み込みだ。
俺の懐に入り込み、何もない中空から光る短剣を取り出して振り上げる。
咄嗟に後ろに跳んで距離を置き、振り上げられた短剣を躱す。
「いい反応速度ですわねぇ。うふふふふ」
振り上げた短剣を、手の中でくるりと回すと、その短剣が瞬時に形を変え、光り輝く剣になった。
それを弓に番えて引き絞る。
弦も張られていない弓はしかし、しっかりと弓の機能を果たし、その剣が矢として、射出された。
飛来する光剣。
凄まじい速度だが、それはあくまで常識の範囲の内。
躱すことは容易い。
射線から体を少しズラすだけで光剣を躱す。
踏み込むチャンス。
しかし、脚が前に出ない。
セシリアの言葉が俺の足を地面に縫い留める。
「――ふっ……!」
逡巡する俺の横をセシリアが抜けて前に出る。
両手に握った短剣が、紅い軌跡を伴って振るわれる。
左右から首筋を狙った殺意の籠った一閃は、地面スレスレまで身を低くしたロザミアに躱された。
「ふふふふ……いいですわぁ、セシリアちゃん。ちゃぁんとわたくしを殺しに来てくれるんですのねぇ」
心底嬉しそうにそう言って、バックステップで距離を置くロザミア。
透き通るように白いその頬が、赤く上気している。
「それに比べて、レイジさん……貴方は駄目ですわぁ。殺す覚悟もなく、敵の前に立つなんてぇ……」
そう言って、冷めた目線を俺に向け、ため息をつく。
その瞳には、何の色も浮かんでいない。
「レイジ殿……行って、ください」
「……でも」
「行って、ください」
「……分かった」
忸怩たる思いを抱え、俺は二人に背を向ける。
……俺には、人を殺す覚悟はない。
そこまで、割り切れない……。
「……くそ……」
金属のぶつかり合う音を背に、俺は森の外に向かって走り出した。
――――――
両手に短剣を構えて眼前を見る。
レイジ殿に追撃もせず、追う素振りすら見せないロザミア。
まぁ、そうなるだろうとは思っていた。
彼女が人王に着くだろうことも。
ロザミアは、はっきり言えば異常者だ。
命の取り合い、それそのものが彼女のモチベーション。
故に、『平和』とは、相容れない。
私の主人側には、着かないだろう。
「一度だけ、聞きます。止めませんか。私と、貴女では、戦えば、必ずどちらかが、死にます」
「うふふ……"ソレ"がいいんですのよぉ。わたくしも、しっかり殺りに行きますわ……セシリアちゃんも……ちゃぁんと殺してくださいねぇ」
……愚問だったようだ。
分かっていはいたが。
彼女と私の間に、ほぼ実力差は無い。
殺さずに無力化は難しいだろう。
小さく息を吐いて、覚悟を決める。
――殺そう。
「……わかり、ました」
「うふふふ……その目、魔人領で魔族に向けていたその目……それが今わたくしに向けられている……うふ、うふふふふ……いいですわぁ」
ロザミアの魔法弓に魔力が籠る。
実弾としての矢を必要とせず、彼女の魔力から生み出される武器を矢として放つ彼女の弓技。
剣だろうが斧だろうが槍だろうが、ありとあらゆる武器が彼女の矢となる。
近接戦闘も出来る。
味方としては心強かったが、対面するとこれほど厄介だとは……。
とにかく、手数で押すしかない。
今の私には、それしか出来ない。
そもそも暗殺者の自分が、姿を晒した時点で不利なのだ。
対面する前であれば、気づかれずに勝負を終わらせることも容易だったろうが……。
(甘い、ですね……)
姿を晒す判断をした時点で私は甘えたのだ。
かつての仲間だから、話せば引いてくれるかも、と。
短剣を握り込む。
魔力を通して、呟いた。
「『影よ、汝は我が写し身、顕現せよ』――『影従者』」
詠唱し、3体の影の分身を作り出すと同時、駆けだした。
四方から私の影が、ロザミアに躍りかかる。
両手には短剣。それぞれが急所を狙って振るわれる。
だが、単調な動きだ。彼女には通じないだろう。
「ふふ……」
魔力風が届く。
片腕に魔力の斧を作り出し、大きく振り回すロザミア。
そのひと振りで、影の2体が霧散した。
背後に回り込んだ影も、一瞥すらせずに繰り出した回し蹴りで、首を刈られて霧散する。
即座に詠唱。
再度影を繰り出してかく乱する。
どだい、こんなもので勝負が決まるとは思っていない。
あくまでこれはけん制だ。
背後から、頭上から、下から、影が振るう短剣が奔る。
同時に私も踏み込んで、投擲用のダガーを指に挟んで3本投擲した。
「ぅふっふふふ」
心底楽しそうにロザミアが笑いながら舞う。
斧を番え、射出する。
飛来する斧が影を引き裂きながら、一直線に私を狙う。
しゃがんで躱す。
そのまま肉薄して、逆手に握った両手の短剣を振り上げた。
バックステップで距離を置かれる。
影を背後に走らせる。
弓から放たれた光剣が、走る影を貫いて霧散させた。
続けて放たれる光剣。
狙いは私。
直撃コース。
冷静に判断を下す。
横に跳んで躱しながら投擲した二本の短剣は、手元に出現した剣で切り払われて、遠くの地面に突き刺さる。
即座に腰の鞘に召喚し、抜いて構えなおす。
巧みに距離を置かれ続けている。
弓の間合いで戦えば、当然不利だ。
どうにかして内側に潜り込む必要がある。
地を蹴る。
姿勢を低く。
大きく前のめりになって、地面スレスレを駆ける。
飛来する様々な形をとる光の矢を、ジグザグに走る事でなんとか避ける。
短剣を投擲する事も忘れない。
短剣で足りなければ、土を蹴り上げ、石を投げつける。
ほんの刹那の一瞬であろうとも、彼女の気を反らせればそれでいい。
姑息であろうと、泥臭くても、勝てれば私はそれでいい。
際限なく飛来する矢をひたすら避ける。
魔力切れは期待出来ないだろう。
彼女の魔力が枯渇するのを、先の旅ではついぞ見る事叶わなかった。
ぐるぐると彼女を中心に回りながら、矢を避け、武器を投擲し、フェイントをかけ、そうやって徐々に、徐々に間合いを詰めてゆく。
先程まで、ほぼ丸一日走り続けだったお陰で、体力と魔力はほぼ底をつきかけている。
早めに勝負を決めねば、ジリ貧だ。
ほんの僅か、彼女が武器の矢を弓に番えるタイミングが、一呼吸だけズレた。
千載一遇のチャンス。
その一呼吸の間を抜き、一気に勝負を仕掛ける……!
「っ!?」
驚いたように目を見開き、射出ではなく振り下ろしに行動を変更するロザミア。
でも、その逡巡の間は、私が距離を詰めるに十分な時間だった。
上から叩きつけられる斧を、身体をズラして、紙一重で躱す。
もう数センチズレていれば、頭を割られていただろう。
正直なところ、かなりリスキーな賭けだった。
左肩が浅く切り裂かれて、血しぶきが舞う。
しかし、そのリスクを負った価値はあった。
懐に、入った。
弓の、剣の、斧の、その間合いのさらに内側。
短剣の間合い……!
「――シッ!」
短く息を吐いて、短剣に魔力を通す。
そして――
「――『双刃・蓮華』……!」
スキルを発動させた。
振るわれるは幻影の短剣。
ロザミアから観測出来る私の短剣の総数は、20本。
内18本は幻影だが、どれが本物の刃かは、それこそレイジ殿やアレックスでもなければ判断出来ないだろう。
かつてのパーティメンバーの誰にも見せたことが無い、私の奥の手。
人体の急所、そのほぼ全てに同時にふるわれる短剣を、どう躱す……!
「――ふふ」
彼女は微笑み――
「『魔弾の射手』」
――歌うようにそう呟いた。
「っしまっ……!」
慢心か、焦りか。はたまた油断か。
なぜ、自分だけが奥の手を持っているなどと考えた。
矢を番えるタイミングがズレたのは誘い。
普段なら絶対に引っかからないそんなみえみえの罠に、自ら飛び込むなんて……!
正確に私の握る本物の短剣が2本、ノーモーション、弓を引くそぶりすら見せず、しかし確実に放たれた光の矢に射抜かれた。
当てずっぽうでははない。
この2本が本物だと、そう確信した上での射撃。
瞬間、理解する。
これが彼女の奥の手なのだと。
慢心への戒めも、焦りへの反省も、スキルへの理解も、全てが遅かった。
「――っ!?」
腕から短剣が離れ、宙を舞う。
短剣が弾かれた衝撃で、体が後ろに浮き、飛ばされる。
そして、がら空きの私の胴体――心臓にしっかりと狙いが定められ――。
「ふふ、わたくしの、勝ち、ですわねぇ」
――剣の矢が、放たれた。
(申し訳、ございません、レイシア、様)
覚悟を決め、目を閉じる。
躱せない。
確実にあの矢は私の心臓を射抜き、私は死ぬだろう。
矢が届くまでの刹那、私は祈った。
(レイジ殿……聖人様。どうか、レイシア様の悲願を……『平和』を)
そうして、最期の瞬間を、受け入れる……つもりだった。
しかし……。
(……ぇ?)
脳みそが冷えていく感覚。
その感覚に飲み込まれ、頭が真っ白になる。
時間感覚が引き延ばされて、様々な思考が頭の中で渦を巻く。
好きな食べ物。
好きな花。
好きな本。
好きな香り。
好きな景色。
お父さんのこと。
お母さんのこと。
暖かい記憶。
悲しい記憶。
(は……)
その全てがない混ぜになって、私の心を締め付ける。
そして、気が付いた。
(そっ、か……私……死ぬの、怖いんだ)
命など、とうに捨てた気でいた。
我が身命はレイシア様に捧げたのだと。
しかし、今まさに散ろうとしている自分の命が、惜しくて仕方がない。
諦めがつかず、引き延ばされた時間感覚の中で必死に生き残る術を探す。
そんなものはないと知りながら。
……だが、しかし。
その瞬間は、いつまでたっても訪れない。
既に目を瞑ってから十秒は経っているはずだ。
心臓を貫かれて地面に倒れ伏すには十分すぎるほどの時間。
それとも、私はもう死んでいて、それに気が付いていないだけなのか……。
不思議に思い、目を開いた。
「……ぇ?」
「ぐ……ぅ」
目の前に、剣で肩を貫かれ血を流しながら、私を庇うようにして立つ少年が居る。
「なん、で……」
尻餅をついたまま、立ち上がれず、ただただその少年を見上げることしかできない。
「……聖力とかでは、無いみたいだな……。間に合ってよかった……」
先程祈りを捧げた相手。
レイジ殿が、私に背を向け、立っていた。
本日はここまでになります。
明日20時にまた一話更新になります。
気に入っていただけましたら、評価やブックマーク、お願いいたします!