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主人公は踏み台じゃない

「ぎゃあああああっ!?」


 ドスドスッと鈍い音を立てながら、毛むくじゃらの老婆がこちらに突進して来た。

 四つん這い……いや、よく見れば脚は八本か十本くらいある。これじゃ本当に『鬼蜘蛛』だ。背中から上に伸びた四本の腕には、それぞれ鋭利な刃物が握られていた。俺は顔を引きつらせた。青い顔をニタニタとニヤつかせ、老婆は突然、その場から思いっきり跳躍した。


「うぉおッ!?」


 老婆は空中で大きく弧を描き、俺たちの頭上を飛び越えると、一気に前方へと着地した。信じられない。走り幅跳びで言えば、三十メートルはあろうかという特大飛距離である。一体この小柄な老婆のどこにそんな力が隠されていたのかと、俺は呆気に取られた。だけど、少し()()()()()。おかげで距離が開く。


「逃がしゃしないよッ! 今晩のおかずなんだからねェッ!!」 

「ひぃっ……!?」


 老婆が再びくるっと方向転換して、こっちに向かって来た。俺は慌てて近くの黒い森へと駆け込んだ。背中から怒鳴り声が追ってくる。捕まるわけにはいかない。完全に食べる気満々である。


 森の中は、なお一層視界が悪かった。目の前にあるのが果たして闇なのか、それとも黒い木々なのか、全く見分けがつかない。おかげで何度も転び、頭をぶつけ、前方に手を突き出しながら、スピードを緩めて進むしかなかった。その間にも老婆は四本の出刃包丁で枝を切り刻み、下卑た笑い声を上げながらこちらに迫ってくる。


「あいたッ……!?」


 不意に手元に痛みが走って、俺は思わず呻き声を上げた。見ると、脇に抱えていたアルクがいつの間にか目を覚ましていた。アルクは、俺の腕にその鋭い牙を突き立てて噛み付いていた。


「な、何すんだテメッ!?」

「おじちゃん……ぼくのために囮になって!」

「はぁ!?」

 アルクはつぶらな眼差しで俺を見つめた。その顔は真剣そのものだった。

「ッざっけんなッ!! オイッ!?」


 痛みに耐えかね、思わずアルクを離す。アルクは後ろ足で俺の頭をしこたま蹴り、数メートル上の木の枝までジャンプした。


「痛え!」

 顔面を抑え、俺はその場に蹲った。アルクが木の上から手を振った。

「ありがとうおじちゃん……この恩は死ぬまで忘れない……」

「テメ……俺を踏み台にすんじゃねえッ!!」

「あ……でもぼく、今あの世にいるんだった」


 三秒で助けた恩を忘れたトカゲが、黒い森の中へと姿を消して行く。俺は、もし無事に現世に戻ったら、トカゲを丸焼きにして食うと誓った。


「どこだいぃぃい!??」

「ゲッ……」


 すると、後ろに迫っていた青い老婆が、頭上で蠢くアルクの影に目を光らせた。再び四本の足で踏ん張り、今度はロケットのように一直線に飛んで行った。


「ゲヘヘヘヘェ……捕まえたよぉっ!」

「きゃああっ!?」

「アルクッ!」


 老婆がアルクの尻尾を鷲掴みにした。木の上を進んで逃げようとしていたアルクだったが、逆に目立ち、格好の餌食となってしまった。俺の数メートル先で、老婆がアルクを四本の腕で搦め捕り、歯茎を剥き出しにして嗤った。黄ばんだ歯の隙間から、ダラダラと涎が溢れ落ちる。


「ゲッヘッヘへェ……美味そうなガキ一匹ゲットォ……!」

「アルクゥッ!」

「いやぁああっ! 助けてぇ!」


 老婆が目を細めた。アルクの首元に錆びた包丁をあてがい、勝利を確信する。アルクは短く悲鳴を上げ、再び気絶してしまった。


「離せぇ!」


 俺は叫んだ。

 このままでは、アルクが食べられてしまう。


 何かないか。

 

 弓矢の一挺(いっちょう)でも持って来れば良かったが、あいにく手元には何もない。焦ってポケットを弄ったが、中には糸屑など、特段大したものは入っていなかった。


「んゲヘヘヘヘェッ! ぃいただきまぁぁぁぁっす!!」

「やめろぉおッ!!」


 老婆が四本の包丁を頭上高く振りかぶった、その時だった。


 闇の中に、白い閃光が走った。


 一瞬間を置いて、老婆の掲げた四本の腕が、ずるりと横にずれる。


「……は? は?」


 青い老婆は、意味が分からないと言った顔で、頭上を見上げた。老婆の肘から先は、今や地面に転がり、あらわになった肉片(切り口)からは、真っ青な血が噴水のように吹き出ていた。


「な……なんじゃああッ!?」


 ズシン、と尻餅をつき、老婆が悲鳴を上げた。

 斬られたのだ。

 老婆の腕があった付近に、白刃が光っている。

 誰かが老婆の腕を斬り落とした。

 それに気づくまで、数秒かかった。斬ったのは……

「……ここにいたのか」

「パンダ!」


 老婆の背後から姿を現したのは、あの狼男(パンダ)だった。パンダは、闇夜に光る白銀の刃を鞘に収めると、老婆を見下ろし、その腕からアルクを奪い取った。


「あ……それ、ワシの晩ご飯……」

「すまない。不法入獄者とはいえ、この子らの身は一旦こちらで預からせてもらう」


 パンダは冷たく言い放った。老婆はしかし、なおも不服そうにパンダの足元に寄りすがった。パンダは仕方なく、もう一度腰にぶら下げた刀を取り出すと、気絶していたアルクの尻尾を斬り落とした。俺は思わず目を瞑った。


「『通行料』は、尻尾(それ)で勘弁してくれ」

 パンダはそう言い残すと、踵を返して俺の方へと近づいてきた。

「進くん。探したぞ」

 パンダは無表情のまま、静かに俺に告げた。落ち着いた声だった。

「ど、どうしてここが……」

 反対に俺はしどろもどろだった。

 まだ頭は混乱したままだ。何しろここに来てから、急展開にもほどがある。ここはどこなのか。あの老婆は一体何者なのか。どうしてパンダはこの場所が分かったのか……。


「君が死んだと聞いて、下流で待っていたんだ。しかし中々来ないから、探しに行ってみれば……こんなところを彷徨っていたとはな」


 パンダがもう片方の手で、ひょいと俺を担いだ。両手で軽々と二人の子供を抱え、パンダは颯爽と歩き出した。俺の向かい側で、尻尾のないアルクが気絶したままゆらゆら頭を揺らしていた。俺はパンダを見上げて尋ねた。


「あのババアは……」

「あの貴婦人は、見張りみたいなものだ。『通行料』を払わずに川を渡ろうとする不届き者を、ああして嗅ぎ回って処分しているんだ。捕まえたら、自由にしていいことになっている。煮ようが、焼こうが」

「え……」


 聞きながら、背筋が震えた。さしずめ彼女は地獄の門番と言ったところか。本当に間一髪だったのだ。今度地獄に堕ちた時は、きちんと金を払おうと思った。


「じゃあ、ここは?」

「ここは、そう言う『不法入獄者』の掃き溜めさ。あの世の中でもかなりの無法地帯……しかし、まさか君たちが『通行料』を払わずに来るとは。全く、君は行く先々でトラブルに巻き込まれるんだな」


 パンダは静かに笑った。俺は少し恥ずかしくなって俯いた。


「君の今回の『通行料』もさっき徴収しておいた。これでもう、見張りたちに追われることは無いだろう……。しかし、何でもありの無法地帯だから、絶対安全とは言えない。早くここから離れなくては」

「あの……」


 パンダは軽快に闇の中を飛ばして行く。俺はおずおずと声を震わせた。


「三つ目の俺の『通行料』は、何だったんですか?」

「ん? あぁ……文字通り、『財産』さ。お金、土地、持ち物……向こうに戻ったら、君のお小遣いはスッカラカンになってるだろうな」


 それを聞いて俺はホッとした。クラウンに支配された世界では、いくらお金があったって使い道はありそうにもない。


 これで

『名前』

『時間』

『財産』

 の三つを払ったことになる。残りはあと、四個だ。事態はまだ何も好転しちゃいない。徐々に追い詰められて行くような気がして、俺はしばらく黙って俯いた。あの世はどこまでも真っ暗で、時々、青や赤の火の玉が暗がりにぼんやりと浮かんでは道しるべを作っていた。


 それからしばらくして、俺たちは社へとたどり着いた。


 最初にパンダに会った時に連れて来られた、あの社だ。アルクはまだ気絶したままだったので、奥の畳部屋で休ませ、それから俺もしばしの休息を取った。熊のコックが用意してくれた食事は質素なものだったが、空腹だった俺には、今までの人生で一番美味しく感じられた。腹が減っている時は、何を食っても美味いのだ。


 それに、久しぶりの風呂。広々としたヒノキの露天風呂は、軽く学校のプールくらいの大きさはあった。冷え切っていた体が、芯から温まっていく。風呂場は大勢の獣人族たちで騒がしかった。

ライオン、

セイウチ、

ゾウ、

キリン……洗い場では、獣人族の子供たちが、背中を流しっこして遊んでいた。その光景に、俺はようやく緊張感がほぐれ、自然と笑みが溢れた。


 見上げると、赤く淡い太陽が浮かんでいた。俺はほぅと息を吐き出した。ここは、平和そのものだ。死んだのにまるで生き返ったような気分だった。毎日武器の手入れをしなくてもいい。敵が何処かに隠れてやしないかと、警戒しながら身を潜める必要もない。


「ずっと此処にいたっていいんだよ」

「パンダ……」


 湯船に浸かっていると、狼男(パンダ)が隣に腰掛け、俺の気持ちを見透かしたように言った。湯が少し波打った。


「そう言う選択をしたって、此処にいる者は、誰も君を責めやしない。わざわざ『通行料』を払って危険な戦場に戻る人間は、実は決して多くない……」

「…………」


 かぽーん

 、と小気味好い音がして、俺たちの間にしばしの静寂が訪れた。目の前を兎の子供が駆け抜けて行く。風呂場は相変わらずの活気だ。

「…………」

 まだ二度目だが、ここがどんなにいいところかは自ずと分かっていた。ずっとここにいられたら、どんなに幸せなことだろう。それと同時に、向こうに残して来た家族や、友人の顔がチラチラと頭に浮かぶ。俺は肩まで湯に浸かり、やがてゆっくりと口を開いた。ここに来てから、ずっと考えていたことがひとつあった。


「……あの、さ」

「何だい?」

「今度あっちの世界に戻る時……また『通行料』を払うんだろう?」

「……あぁ。そう言う決まりだ。もし君が、また大事なものを払い、何かを失うのが嫌だと言うのなら……」

「その時さ……アルクの分の『通行料』も、俺の分で建て替えられないかな?」

「何?」


 パンダの目が、少し驚いたように見開かれた。俺は真面目だった。パンダの目をじっと見つめて尋ねた。


「できる?」

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