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On the bridge

「今なんと言った……?」


 狼男(パンダ)が低く唸った。

 俺は傍にあった白いタオルを手に取り、顔から流れ出る汗を拭った。パンダは解せないと言った顔で俺をじっと見つめた。


「『通行料』を、君が払うだと……?」

「だってさ。まだ子供だぜ? 親だって心配してるだろ。勝手にこんなとこ連れてこられて、勝手に『通行料』なんて持ってかれたら、アイツだって可哀想だろ?」


 俺はボソボソと呟いた。

 半分は本当だった。そしてもう半分は、自分のためでもある。


 正直言って、こんなこと『さっさと終わらせたい』と思い始めていた。『通行料』を払って生き返る……一件理にかなっているようにも思えるが、だけど生き返る度に怖い目に遭って殺されるんじゃあ、俺の精神が持たない。あんな体験はもうこりごりだった。だったらあと四回の『通行料』、ちまちまと消費せずにここで一気に決着(ケリ)をつけてしまおうかと思ったのだ。


 パンダはしばらく何も言わなかった。


 刺すような鋭い視線に耐えられなくなって、俺は思わず目を逸らした。

 社の夜は、相変わらず赤い。辺りはいつの間にか静まり返っている。立ち昇る白い湯気と混ざって、空に抽象画のような模様が出来上がっていた。夜の絵画がゆっくり揺らめいて行く様子を、俺はしばらくぼんやりと見上げた。


 沈黙に耐えかね、湯船から立ち上がる。温まった肌にたちまち冷たい夜風が張り付いた。パンダはまだ風呂の中から俺を見ていた。


「石動(いするぎ)くん……」


 脱衣所で体を拭いていると、後ろからパンダが追いついてきた。もう他の獣人族はいなくなっていて、脱衣所には二人だけだ。彼の表情は渋かった。


「君は、戦うことは好きか?」

「へ??」


 乾いたパンツを履きながら、俺は首をひねった。パンダは素っ裸で仁王立ちしたまま、俺から目を逸らしてくれなかった。


「君のいる世界では、戦いは常に起こっているものなのか?」

「そりゃ……」

 どっかで戦いは起こっているだろう。しかしクラウンたちがやってくる前は、それも遠い世界の話に過ぎなかった。喧嘩とか、痛いの絶対無理だし、ましてや戦争なんて歴史の教科書に載ってる一ページ、画面の向こう側で起きた他人事だった。


「まぁ、格ゲーとかFPS(シューティング)とかなら好きだけどさ……ハハ」

「私は色々な世界の住人を見てきた」

 パンダはだけど笑わなかった。


「彼らの中には君のように祖国を救おうと……世界を変えようと、立ち向かって行った者たちもいる」

「…………」

「その行いは崇高かもしれない。中には涙が出るほど立派な人物もいただろうさ。だが……その一方で、戦うこと自体に快楽を見出し……終わらない戦いの輪廻から抜け出せなくなった者たちも、私は何人か知っている」

「…………」

「別に彼らが悪人だったとは私は思わない。『戦う』ことには一種の興奮や愉しみが伴う。特殊なことじゃない。誰にだって備わっている、生存本能の一部さ。ただ、その一面に囚われ過ぎると」

「…………」

「君は延々と獲(・)物(・)を探し続けることになるぞ。戦いが終わったら、また次の戦い、そしてまた次の戦いへと……。仮に敵が全滅しても、君はまた新たな仮想敵を勝手に捻り出し、そして戦場に身を投じるだろう」


 俺は息を飲んだ。がらんとした脱衣所を、重たい沈黙が包んだ。


 堅苦しい物言いだが、パンダが言わんとしていることは、なんとなく分かる。

 俺も格ゲーとかFPSとか、止め時が分からなくてついついもう一戦、もう一戦と、寝不足になってしまう日がま(・)ま(・)ある。あれはゲームだったが、しかしこれから俺が向かおうとしているのは、現実の戦場なのだ。


 つまり、パンダは疑っているのだ。俺が戦うこと自体に囚われてはいないか、と。


「君がそうまでして戦場に戻りたいと思う理由は、もしかして」

「俺は……」

 いつの間にか、喉がカラカラに乾いていた。

「俺は、できるなら、戦いを止めたいと思ってるよ」

「…………」

 ゆっくりと、噛み締めるように呟いた。パンダはまだ目を逸らしてくれなかった。


 そ(・)の(・)保(・)証(・)は(・)ど(・)こ(・)に(・)も(・)な(・)い(・)。


 彼のそう目が訴えていた。

 確かにその通りだった。

 きっと俺が戦場で引き金を引く度に、刀を振るう度に、迷いや衒(てら)いの類(たぐい)はどんどん無くなっていくだろう。異様な状況に、誰だって嫌でも慣れさせられるのだ。二年後の流水や心たちがそうだった。俺も彼らのようにならないと、どうしてそう言い切れるだろうか。


「俺、は……」


 そう思うと、急に怖くなってきた。気がつくと全身が小刻みに震えていた。


 戦いを止めるために、戦う……?

 それって結局、やってることはどっちも同じだ。


「……あの蜥兵の子については、こちらで一旦預からせてくれないか」

 パンダはそこでようやく目尻を下げた。俺の表情を見て、話題を逸らした方がいいと思ったのかもしれない。


「君は彼を親元へ連れて帰りたいと行った。しかしそれは、彼を戦場に戻すことでもある」

「あ……」

「戻るかどうかは、彼が起きてから、彼本人に選ばせよう。君の分で払うことは、できることにはできるだろうが、それではあの子に負い目を背負わせることにもなる」

「負い目……」

「そうだ。過剰すぎる善意は時に呪いと大差ない」


 パンダはそう言うと、やっと下着を履き始めた。

 最後の言葉の意味はよく分からないが、お腹いっぱいの時に何かを食べても、美味しくないみたいなことだろうか?

 

 脱衣所に再び沈黙が訪れた。彼が着替えている間、パンダの毛むくじゃらの肌の下に浮かんだ、無数の切り傷や銃創が見え隠れした。彼もまた、どこかの世界の、どこかの戦場にいたのだろうか。その痛々しい傷痕から、俺はしばらく目が離せなかった。


「石動くん」

「……!」


 俺の視線に気づいたパンダが、じっと俺を見下ろしていた。俺は慌てて顔を上げた。


「……君は傷つけることを美談にするなよ」


 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。彼の目はいつになく優しげで、そして哀しそうでもあった。

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