EVOLUTION 毒と家族 【ACT三】 毒は鮮やかに美しい。
何年目になるかな、と求世は思う。こう言う関係になってから何年目だろう。確か、始まったのは、父親が死んでからだった。
物思いにふけっていると、
「何考えてンだい?」斎世が彼の肩を噛んだ。
「おい、痕を残すな」求世は彼女を押しやって、「何もへったくれも無い、考えていたのはお前の事だ」
「ふふふ、ふふ」斎世は妖艶にほほ笑む。まるで鮮やかな花を咲かせる毒草のように。「本当ならお前があたしのものだって証を残したいのに……」
「証がいるほど俺を信じられないのか」求世は不機嫌そうに言う。
「嫌な男。 あたしはお前を己の完全な所有物にしたくてたまらないのさァ。 うふふ、あたしはお前を本当に信じている……だからこそお前の全てを奪い取りたい」
痕は残さずに未練だけ残して、斎世は布団から起き上がり、身づくろいを始める。
「それにしても『六道』の掟は面倒だねェ。 愛し合うべからず、結婚するなかれ。 冗談じゃァ無い。 あたしはこんなにもお前を愛しているのに」
「同感だ」求世はもう一眠りしようと寝具を引っかぶる。だがふと顔を出して、「……どうして俺はお前を好きになってしまったんだろうな」
「あたしが毒だからさァ」と斎世は言った。「毒ほど魅惑的なものは無いんだ」
「……毒、か」
求世は確かにそうだと思った。確かに毒は何よりも蠱惑的なのだ。
「ねえ」と、凄い笑顔で斎世は言った。「お前とあたしとで、六道を乗っ取らないかい?」
……とんでもない冗談を言う女だ、と彼は思った。
「みんなを敵に回したくない」
「お前は本当に甘いねェ。 お前とあたしなら、それが出来るってのに」
事実、斎世は六道最強の暗殺者である。暗殺術も凄いのだが、何より恐ろしいのが『絶対に油断しない』所だった。いつでも、どこでも、求世と寝ている時でさえ――油断していないのだった。
求世はその次くらいの暗殺者だった。『危険を察知する』彼の特殊な能力は、暗殺者として暗躍するのに上手い具合に生かされていた。もっとも彼がその力を知らせたのは、死んだ父親だけだったが。
その彼らが組めば――あるいは可能かも知れない。
だが求世は笑って、
「無理だ、第一に俺はそんな事をしたくない」
「……大嫌い」
斎世は先に出て行ってしまった。
彼の方は軽く一眠りしてから、出逢い茶屋を出た。
「そこの格好良いお兄さん」
道端で商いをしている占い師の前を通りがかったら不意に呼び止められて、求世は何だろうと思った。
「金なら持っていないが」と言って通り過ぎようとしたが、
「金なんざ要らない。 ただワシは、お前さんの顔にとんでもない災難の相があるんで、心配になってしまったんだ」
「どんな災難だ?」
「女難も女難、とんでもない女難だ。 お兄さん、お前さんの周りにいる女は全員お前さんに不幸をもたらすだろう。 お兄さんは『女』と言う生き物に徹底的に苦しめられる。 そんな相が見えたんでね……つい呼び止めちまった」
「当たっている。 俺は、既に、女の所為でろくな目に遭っていない」
「大丈夫かね?」
「それでもどうにかここまで生きてきた。 だからこれからもどうにか生きていくだけだ」
「そうかい……呼び止めちまって失礼したね」
「いや、ありがとう」
礼を言って求世は歩いていく。
そして思わず、誰にも聞こえないような声で言った。
「女難の相、か……。 確かに、な。 俺の父さんを殺したのはあの女なのだから」
その男は、仮面で顔をいつも隠している。理由は酷い火傷の痕があって、それを隠すため、だそうだ。
名前を、ジュリアス・エノクと言う。万魔殿過激派の首領であり、絶対的なカリスマと指導力で君臨している。
万魔殿は現在、穏健派と過激派に分かれて対立していた。その原因は、万魔殿最高指導者であった『大帝』が、聖教機構の頂点にいた『聖王』と恒久的和平を締結しようとして、二人が取り巻き共々消失した『BB事件』の後、万魔殿ではそれを聖教機構の仕業と見なし、徹底抗戦しようとする者と、『大帝』の遺志を継いで聖教機構と和平を結ぶべきだと言う者とに分裂してしまったからだ。同時期に聖教機構でも醜い権力闘争が勃発し、和平派と強硬派が誕生した。そして第一一九次世界大戦が始まった。
その混乱期にこの男は過激派の頂点にいつの間にか立っていた。
彼は今、ナラ・ヤマタイカからの使者と会っている。使者は、とても美しい女だった。毒蝶のようにあでやかで、毒薬のように蠱惑的な。
「――以上がアズマヒノホデリ様のご意思でございます」彼女はそう言って、試すかのようにジュリアスを見すえた。
「――半ば伝説でしかなかった世界最強の暗殺結社『リクドー』か」ジュリアスは、言った。その声は、聴く者の背筋が心地の良さのあまりに震えてしまいそうな美声だった。「だが、まだ疑わしい。 お前の発言が事実か否か、試させてもらおう。 事実であれば我々は、ナラ・ヤマタイカ最高権力者はアズマヒノホデリであると認め、同盟を結んでやっても良い」
「ようござんす、それでどう試すのでしょう?」
彼女は何ら恐れていない。
「――試験とは篩のようなものだ。 良い麦を振るい、悪い麦を除く」ジュリアスが指を鳴らした。二人きりだった部屋に武装した集団がなだれ込んできた。「これをお前が撃破出来たら、私は約束を果たそう」
「あらあら」と彼女は微笑んだ。「それはとても素敵でございますわァ」
「攻撃しろ」ジュリアスが武装集団に命令を下した、次の瞬間、だった。
女が、消えた。
武装集団が目を見張って銃の引き金に手を掛けた瞬間、彼女は武装集団の上空にいる。
天井を蹴って武装集団のど真ん中に飛び降りた。
「――散る散る散りとて散りぬるを、わがよたれそつねならむ、それが人の宿命」
鋼線が走った。彼女を撃ち殺そうと集団が体の向きを変えた時、その上体と下半身が分離した。血が流れた。ごとん、ごとん、と武装集団の体が崩れ倒れていく。ただの肉の塊になってしまった。
「――ふむ」ジュリアスは頷いた。「どうやら事実のようだ。 良いだろう、手札は多ければ多いに越した事は無い。 ましてやそれが、『リクドー』ともなれば、有用性は大いにある」
「うふふふ、ふ」女は笑っている、心底嬉しそうに人を殺して笑っている。「ならばあたしも使者の役目が果たせたと言うもの。 うふふふ」
アマテラスはわなないている。最悪の事態が勃発したからだ。
「……ツクヨミ、ツクヨミ!」
彼女はかつて『ヌバタマ大王』と呼ばれた男の死骸に取りすがった。大量の血を吐いて、彼は冷たくなっていた。この男は寝る前に持病の高血圧の薬を飲む、恐らくはそこに毒が盛られたのだろう。彼が寝る前に、ちょっと今後の事を話しておこうとやって来た、このアマテラスが第一発見者であったからだ。
「何て事だい! お前が、お前が今死んだら――!」ここで彼女は我に返った。世界最強の暗殺結社を率いていた経験が、彼女を冷静にさせた。「誰がお前を……! これは、血の報復が必要だね……」
「ちょっと頼みがある」
と、アマテラスがI・Cの所にやって来た。
「あん? 頼み? テメエごときが俺に頼める立場か?」
I・Cは鼻で笑う。レットがこっそり舌打ちして、シャマイムに視線で合図した後、
「内容次第では引き受けない事もありませんが」と言った。
「おい」I・Cが案の定噛みついて来た。「俺をこんな様にして今更何だ!」
まだI・Cは木に縛りつけられていた。暴れているのだが、木を折るまでには至らない。逆さまでしかも手足の力が入らない変なポーズでぐるぐる巻きにされているからだ。夜更けなので既に起きているのは彼らだけだった。
「あ、気にしないで下さい、アル中がアルコールが抜けかけて禁断症状を起こしているだけなので」
レットは軽くそれをあしらった。
「……。 じゃあ言う」アマテラスは一呼吸してから、「まずは状況の説明からだ。 万魔殿が動いている、かも知れない」
三人の顔が変わった。
「今さっき、大王のツクヨミが殺された。 それをやらせたのは間違いなく親王のアズマヒノホデリだ。 だがあの男は何の見通しも無く動く男じゃあない。 ツクヨミは聖教機構和平派に恭順するつもりだった。 とすればヤツは恐らく聖教機構に唯一対立しうる組織である万魔殿と関係を持った……可能性が非常に高い。 そうじゃなかったら、今のこの時期のこの状況でツクヨミを殺させたりなんか、しない」
「……なるほど。 それで頼みとは何ですか?」
レットは問うた。
「お前さん達は万魔殿とナラ・ヤマタイカが盟約を結ぶ事を嫌がるはずだ。 だからアズマノヒノホデリを殺して欲しい。 そうすれば盟約は締結されず、ナラ・ヤマタイカは聖教機構に降るだろう」
「殺して欲しいとは言ったもんだな」I・Cが意外そうに言った。「お前さんが殺しゃあ良いだろうに」
「流石に自分の手ではね……」アマテラスは悲しそうに、口を開けた。「この国の未来を担うべき若者をこの手で殺せなんて、あたしは嫌だ」
「だったら何で他の手段を択ばないんだ? アマテラス」I・Cがあざけった。「嫌なんだろう? 殺したくないんだろう、本当は? だったら生かして置いてやれば良いじゃあないか」
「あの子はこの国のためとは言え、やってはならない掟を破った。 己の父親を殺すなんて、一番やってはならない事だ。 因果は絶対応報だ。 それは唯一神ですら変えられない、だから」そこでアマテラスは黙った。「……いや、あたしが許せないだけだ。 あたしがただ黙っていられないだけだ。 やって善い事も悪い事も、この世には本来無いんだから」
「アズマヒノホデリ様」美女はそう言って現大王の前にかしずいた。「ご即位、真におめでとうございます……」
「斎世」アズマヒノホデリ――現ナラ・ヤマタイカ最高権力者『スサノオ』大王は彼女に言った。「どうだ、『六道』の方は。 賛同者は得られたか?」
「どいつもこいつも骨抜きばかり。 ですが……一人だけ、必ず私に味方する者がおりますわ」
「……そうか。 『六道』はすぐさまアマテラスを殺して再編せねばならんな。 何が『六道』の筆頭だ、馬鹿な上に可愛くもない女では無いか。 親父も親父だ、そんな女の言いなりになって。 何が『育ての親』だ! たまたま祖父母が事故で死んでしまって、後見人が他にいなかっただけだろうに!」不愉快そうに言った、『スサノオ』大王はふと斎世を見て、好色そうな色を浮かべる。「それにしてもお前は美しい女だ。 近く寄れ」
「お戯れを」斎世はうっとりするような微笑みを浮かべて、「あたしは毒、うかつに触れれば殺してしまいますわ」
「……」つれない返事だったが、スサノオは満足したようで、「ではお前に触れられる男は一体誰なのだ?」
「さあ……」と斎世が前髪を撫でて、「今はお教え出来ませんが、いずれは……」
そこに、やって来た。万魔殿過激派からの使者、いかにも戦いなれた戦士と言った様子のがっしりとした長身の男がやって来た。
「『スサノオ』大王、まずは皇位継承おめでとうございます。 私はヴィクター・エイムズ。 万魔殿過激派の強制執行部隊の副長でございます。 本来ならば総長が来るはずでしたが、急にどうしても外せぬ用事が入りました」
「ほう」とスサノオがどこか嬉しそうに、「かの文武両道に優れ、誉れ高きアクセス・ゼロの……なるほど、ジュリアス殿がいかにナラ・ヤマタイカとの関係を重視しているかは分かった。 こちらもその信用には応えねばならぬな」
――万魔殿過激派、強制執行部隊。それは過激派が敵対勢力を全滅させたい時に最後に使う最強の『死札』であった。ただ武力に長けているだけでは無い。頭脳戦も情報戦もゲリラ戦も、何でもこなす、百戦錬磨の最精鋭の戦士だけがこの部隊には配属される。この部隊と戦場で激突した相手の軍勢の末路は、悲惨の一言で片づけられてしまう。
「では早速本題に移ろうではないか」スサノオは言った。「ナラ・ヤマタイカは過激派と同盟を結びたい。 こちらが支払う対価は『六道』への命令権だ。 私が『六道』の筆頭となり、ジュリアス殿の殺したい相手を殺させよう」
「お話通りですな。 良いでしょう」ヴィクターは頷いて、「こちらの対価はナラ・ヤマタイカの安全保障です。 そのためにはナラ・ヤマタイカの近くに過激派の兵団を置かせていただく事になりますが……」
「ふむ。 それも聞いた通りだな」スサノオは考えて、「本来ならば否むべきだが、今は状況が状況だ。 認可しよう。 だが、あくまでもこちらとそちらの取引条件は対等が前提だ。 それだけは忘れるなかれとジュリアス殿に……」
「お伝えしましょう」
伝えるとは言ったがジュリアスがそれを許すとまではヴィクターは言わない。逆にスサノオも長期間に渡る兵団の駐屯を正式に認めた訳でも無い。
とどのつまりは、国と国との外交戦であった。
「ところで」素早くヴィクターは話題をずらした。「そちらの女性は、只者では無いようですが……?」
「あたしはスサノオ大王に味方する『六道』の一人ですよゥ」彼女は言った。「ご心配なく、貴方がたの敵でございませんから」
「この女は今の『六道』の掟が気にくわぬそうだ。 だから新たな『六道』を生み出すために私に忠実に仕えている。 ――おい」スサノオは面白半分で、訊ねてみた。「お前が『六道』の掟を破り、夫婦になりたいとまで想う男は一体どこの果報者だ?」
「まあいやらしい! 酷い男ですわねェ、スサノオ大王。 秘密ですよ秘密」くすくすと斎世は笑って、「それじゃあ、後はお二人でごゆっくりお話を。 あたしは御前を失礼いたしますわ」
消えた。
ヴィクターは目を見張りかけて、何もされていない事にすぐ気付いた。顔の表情は変えずに済んだが、内心では舌を巻いた。なるほど、世界最強の暗殺結社、か。それなりの力量はあるようだ。
そこに、サルタヒコが飛んできた。同時に銃声と悲鳴が混ざり合って響いてくる。
「何事だ!」スサノオが問うた。
「スサノオ大王!」サルタヒコは土下座するように這いつくばって、「聖教機構和平派の連中の襲撃です! ここは危険です、お逃げくださいまし!」
「いつヤツらがこの事を知ったのだ!?」スサノオは顔色を変えたが、「――そうか、アマテラスが親父の報復を和平派に頼んだのだな! 全く親父一人に固執しおって! あの馬鹿女め!」
「ナラ・ヤマタイカに派遣された和平派特務員は三名。 その中に『魔王』もいたはず。 丁度良い、ヤツを殺すにはこれ以上無い好機です」そう言ってヴィクターが身構えた。「我らが強制執行部隊の隊員を今までに三十二名も殺害したあの男だけは、我らが誇りにかけてでも打倒しなければ!」
「それはならぬ、ヴィクター殿!」スサノオがそれを止めた。「貴方に万が一の事態が発生した場合、このナラ・ヤマタイカと万魔殿の関係は崩れてしまう! それは最も重大な損失だ!」
「ッ!」ヴィクターは形相をわずかに歪めた。「……では、スサノオ大王、貴方が逃げる時間を稼ぐ事にいたしましょう。 ご心配無く。 撤退戦での殿は、慣れておりますゆえに」
「本当にお任せして良いか?」
「ええ」とヴィクターは奇妙な武器を取り出した。それは剣の形をしていながら片刃であり、まるで櫛のように刃の半分が変形していた。「どうぞお任せあれ、スサノオ大王」
「――では、お頼みしよう。 行くぞサルタヒコ!」スサノオは伴を連れて逃げた。
ヴィクターは部屋にいくつかの罠を仕掛けた。そして、仁王立ちして部屋のど真ん中で待った。
「――お」部屋の扉が吹っ飛んで、I・C達が登場する。そして納得した顔をした。「得物が『ソードブレイカー』……あの噂のヴィクターか。 どうやら新オオキミは本当に万魔殿、それも過激派とくっ付きやがったな。 ったく面倒な話になってきやがった」
「……『魔王』」ヴィクターはまなじりをつり上げた。「四の五の言わずにかかって来い!」
「えー、やだ」I・Cは部屋をぐるりと見渡して、「ざっと見ただけで五カ所も罠を張ってやがる。 おいシャマイム、先に行け」
「否。 罠を解除しない限り全滅の恐れがある」
シャマイムは電磁爆弾から伸びた細いワイヤーを見た。通常の罠ならばシャマイムには通用しないが、これは別だ。
「一々罠を解除していたらヴィクターに殺されるだろうが。 ああもう面倒臭えな!」I・Cがいらついている。「シャマイム、特攻しろ。 お前が特攻して玉砕しろ。 それが一番効率的だ」
「否。 この場合最も効率的なのは――」
シャマイムが拳銃をしまった。
「他人任せ、だな」I・Cがにんまりと笑うと同時に、彼らは一斉に逃げ出した。
「――?」ヴィクターは追いかけようとも思ったが、すぐに彼らの作戦を悟る。
「貴様は……過激派のヴィクター!」
ダリウス達が代わりに登場したのである。
「これはこれは遠路はるばるご苦労様でした」バルトロマイがぞっとする笑みを浮かべている。「では、さようなら、永遠に」
「まあお待ちなさいバルトロマイ、私の可愛い人形達が赤くなりたいと駄々をこねているの」メアリーが言った。
「……和平派め」ヴィクターは聞こえないように呟いた。「わざと『新オオキミと万魔殿が手を組んだ』と言う情報を強硬派に流したか」
「メアリー、どうせ罠が仕掛けられているだろうから、まずは――」ダリウスが指を鳴らすと寄生虫に操られた人々が現れる。「彼らに先行してもらおうじゃないか」
その全員が罠に引っ掛かって、死んだ。
「さてとすっきりした所で、行こう!」ダリウスがにっこりと邪悪に笑った。
「……」ヴィクターはその間黙っていたが、いきなり催涙弾を投げた。それは部屋中を瞬く間に目つぶしの煙で埋め尽くす。
「しまった!」バルトロマイが舌打ちした。「逃げられた!」
「逃げてなどいない」声が、彼らの背後から聞こえた。「私はここにいる」
背後からの一閃に、強硬派の特務員三人が、一様に血を流して倒れた。振り返る隙すら無かった。全ては、一瞬の間に終わった。
「大王を追わねば。 危ない」
そう言って、ヴィクターは駆け出した。
誰がヌバタマ大王を殺したか。『六道』は疑心暗鬼に陥った。身内から裏切り者が出たのである、無理も無かった。そこにアマテラスが言った、
「裏切り者は見つけ次第殺すんだよ」
ぴりぴりとした空気が張りつめた。
それは『六道』の集会が終わっても続いた。
「兄ちゃん」宗世が不安になって兄を見つめた。未世は体の調子が悪いらしく集会には来なかった。「大王を殺したの、兄ちゃんじゃ無いよね……?」
「ああ」求世はかつて父にそうしてもらったように、弟の頭を撫でた。「大丈夫だ、安心しろ」
「うん!」と頷いた宗世の腹が盛大に鳴った。「……兄ちゃん、おいら腹減った」
「そうだな、そろそろ昼げの時間だ。 何が食べたい?」
「あのね、たい焼き!」
「それはおやつだ」
「えー、じゃあね、あれが食べたい! 野菜のてんぷらとあの臭いけれど美味しい漬け物!」
「糠漬けか、分かった。 てんぷらもすぐ作ってやるからな」
「うん!」
そう言って手を繋いで歩く二人は、本当に実の兄弟のようだった。
「疲れた」と言って雷世が帰ってきたのは、いきなり彼が家出してからおよそ一か月後の事だった。
雷世の有様は大病を患った死にかけの病人の様であった。
「父さん!」求世が玄関に飛び出してきた。「大丈夫なの、父さん!?」
「ちょっと……休ませてくれ」
そう言うなり、雷世の体が前に倒れた。求世は伊世と手伝って、その体を何とか布団へと運んだ。
丸一日、彼は寝ていた。
「お父さんどうしちゃったんだろう……」伊世がべそべそと泣きながら言った。「あんなになるまで、一体何をされたんだろう」
「……ちゃんと、目が覚めたら理由を話してくれるよ」求世はそう言って、伊世を抱きしめて頭を撫でた。「大丈夫、だから泣くのは止めるんだ。 興奮するとお前の体に悪い」
「お兄ちゃん……」伊世は泣きながら頷いた。
雷世は目覚めると、梅干しの乗った雑炊をたらふく食べた。それから求世と伊世を呼び出して、こう言った。
「……実は、な。 お前達がかつて監禁されていたA.D.研究所の一つを潰してきた。 ナラ・ヤマタイカと交易のある万魔殿支配領域の、港に近い研究所をしらみつぶしに当たったんだ。 そうしたら、極秘の研究所でやっていやがった。 正式に存在を許され認められた研究所じゃあねえ、研究狂いの異常者が作ったモンだ」
求世ははっとした。伊世は記憶に無いらしく、きょとんとしていた。
「あそこじゃとんでもねえ実験をやっていた。 A.D.研究の行きついた果ての、人間に魔族の力を植え付けようと言う禁断の、おぞましい実験を……。 人間つってもただの人間じゃあねえ、合成人間だ」
「合成、人間……?」求世は父の言葉を繰り返した。
「そうだ、合成人間だ。 クローンを作るのが禁止されていて、技術も漏えい出来ないように厳重に封印されていた上に、普通の人間を拉致してくるのも研究が露呈する危険性が高かったから、人間を、新たに合成しようとしたんだ、魔族の能力付きで。 そしてそうやって人造A.D.を新たに量産しようとした」
「そんな事が出来るの!?」伊世が叫ぶ。
「出来る出来ねえの問題じゃあない、やるかやらないかの問題だ」雷世は言い切った。「……だが、成功したのは一件だけだった。 だがそれで生まれた最初にして唯一の合成人間の赤ん坊は、実験素体のガキの一匹と共に脱走しやがった。 仕方なしに、A.D.研究は貧民街のガキを連れてきては行われていたが……それで裏情報では結構有名な所になっちまった。 だから俺も手掛かりを掴めたんだ」
「父さん、まさか――」求世は手で口を覆った。
「反吐が出るたあ、あの事だ」雷世は心底忌々しそうに、「地下の廃棄場にガキの骨だの死体だのがごろごろ転がっていやがった。 求世、オメエも脱走しなければ今頃はあそこに転がっていたんだろうぜ」
そこで雷世は、喉が渇いたから酒が飲みたいと言った。
縁側で、三人は並んで座って、ようやく夕闇の中で光りだした半月を見ている。
「A.D.の力は確かに凄い。 求世、オメエの『危険を探知する力』、これさえあれば暗殺者としてはまず失敗なんざありえねえ。 かつて俺もA.D.だったと言われる画家が描いた絵を見た事もあるが、鳥肌が立った。 A.D.の力は確かに欲しい。 まばゆい。 素晴らしい。 だが……それは人道を踏み外してまで必要なものなのか、俺には分からん」
「父さん……」求世には分かっていた。雷世が研究所を潰した一番の理由が何であるか、を。追跡させないためだ。己と妹との平和な今の暮らしを誰にも破壊させないためだ。彼らは父親により守られたのだ。
「人間ってのは、本当、業の深い生き物だな……」
雷世はそう言って、柱に寄りかかると、ああ、と深くため息をついた。
「月に行きたい。 俺は死んだら月に行きたい。 月には白いウサギがいるそうだ。 月に行ったら、俺はウサギと遊んで暮らしたい……」
――父さんは月に行けたのだろうか。後になってから、求世は時々思う。月を見るたびに、その言葉がよみがえるのだ。父さんは月に行って、ウサギに出会えたのだろうか。いや……月に行ったんだ、と彼は思う。だから、あんなに安らかに死ねたんだ、と。
集会が終わった後も、アマテラスは目を閉じて考えていたが、やがて眼を開けて『六道』の一人の名前を呼んだ。
「伊世、おいで」
「アマテラス様、はい」
アルビノの少女がやって来た。とても虚弱で、病弱で、静かで穏やかな場所で無ければ生きてはいけない、そんな体つきをしている。
「伊世」とアマテラスは彼女に言った。「悪いが、ツクヨミに命を分け与えてくれないかい?」
「……」少女は黙っていたが、頷いた。「アマテラス様のご命令ならば」
「お、お止め下さい!」止めに入ったのは今帰ろうとした斎世だった。「これ以上力を使わせては、この子の体がもう持ちません!」
「お前達には悪いがね……この子の『己の命を他人に分け与える』力、今が一番使う時なんだよ。 ツクヨミがよみがえれば状況は一変する。 スサノオを殺すよう、もう和平派には頼んだし、ね」アマテラスはきっぱりと言った。
「それでも!」斎世はそれでも下がらなかった。「それでもお止め下さい、求世が発狂します!」
発狂で済めばまだ良い。伊世を心底から溺愛している求世は、自殺するか、伊世がいない世界に耐えきれずに精神を壊すだろう。
「そうだろうね、あの子は本当にこの子を可愛がっていたから……」
「何故求世のいない所でおっしゃるのです!? まさか貴方様は――」
「そうだよ、斎世」アマテラスは重たい声で、「あたしが一番怪しいと睨んでいるのは、求世なんだ」
あの天性の女殺しは、いずれあたしをも殺すかも知れない。アマテラスはそう考えていた。求世は危険だ。危険な男だ。何しろ――。
「だって斎世、アイツはお前の次に『六道』の中で強いじゃあないか。 おまけに怖いくらいに聡い。 和平派を安全地帯から見張ろうって言い出した張本人でもある」
「だからと言って伊世を試金石にするのは――!」
求世が逆に本当に反逆しかねない。いや、求世が反逆したら斎世に殺させるのだろう。血を血で洗わせるのだろう。骨肉で争わせるのだろう。斎世はそれを考えると血の気が引いた。
「もう決めた事だ。 おいで、伊世」
アマテラスが少女の手を取った。これを求世に知らせるために、斎世は駆け出して行った。
彼女は一番家までの最短距離の道を、それこそ全速力で走ったため、家に着いた時にはうっかり宗世と求世を追い越してしまっていた。
「求世!」と彼女が家の中で叫んだ時、不意に背後から殺気を感じて振り返る。
「アンタは」鋭いナイフを何本も握った未世が、憎悪の眼差しで彼女を睨んでいた。「この前、出逢い茶屋へ、兄ちゃんと一緒に入っていった……。 中で何をやっていたの?」
「――うわ、うわわわわわ」斎世の声に何事だろうとやって来たレットがびっくりした。彼は負傷した、その治りがけだったので家にいたのだ。「み、未世ちゃん、一体どうしたのさ!?」
「外野は黙ってて」手が一閃されて、レットの胸部に一本のナイフが刺さった。
「え……?」レットは己の胸に突き立ったそれを見て、その場に崩れた。「まさ、か……!?」
「見たんだねェ?」斎世は凄まじい笑顔を浮かべて言った。「あたしと求世の、逢瀬を」
「見たわよ! アンタなんか姉じゃない、殺してやる!」
そして未世はナイフを全て、素早く投げた。これで相手が常人ならば死んだだろう。だが、彼女が相手にしたのは――。
「じゃあ」ぱん、ぱん、ぱん、と乾いた音がして、ナイフは全て袖でからめ捕られていた。そしてその内の一本を斎世は手にしている。「死にな」
一瞬で距離を詰めた斎世が、未世の腹部に深々とナイフを突き刺している。
「――う、あ」未世は倒れた。
「――未、世、ちゃん……!」
レットのか細い声も、すぐに消えた。
「未世!?」
丁度そこに求世が血相を変えてその場に入ってきた。その後ろでは、宗世が逃げている。逃がすものかと斎世は思ったが、求世が彼女を引き留めて、
「何があった!?」
「アマテラスにアンタが一番疑われている所為で、伊世が命をヌバタマに捧げさせられる。 『六道』に一緒に反逆しよう、求世。 今やお前も否とは言わないだろう? あたしはお前と添い遂げたいんだ。 『六道』に一緒に反逆すれば、その願いがやっと叶うし、伊世も死なない」
「――ああ」求世は、ゆっくりと頷いた。「分かった」
――その会話は、レットが咄嗟にスイッチを押していた通信機により、I・C達に筒抜けであった。
『うふ、ふふふ――お前ならたとえあたしが「六道」のみならず世界に反逆しようと、付いて来てくれると信じていたよ』
『当然だ』
I・C達は、もう、声が出ない。スサノオ達を追いかけていた二人だったが、レットが危ないと急ぎ反転する。
「まさか泊まった民家の連中が暗殺者だったとはな! 何て素敵な歓迎だ! 俺だってこんな素晴らしい歓迎を受けた事は無いな! やっぱり最初にカマ掘っておけば良かったんだぜ。 テメエが止めさえしなければ……!」
I・Cを乗せたバイク――シャマイムが変形したものだ――は否と言った。
『否。 少々皮肉な形ではあるが、心温まる歓待を受けた事は確かだ』
「ケッ、ボスの大目玉が待ち構えているぜ! 『何で気付かなかったんだ!』ってな。 だが、あんな一般人に紛れ込んでいるんだ、気付けって方が無理だ! おいシャマイム、ぶっ飛ばせ! 面倒だから空を飛んじまえ!」
『了解した』
ナラ・ヤマタイカの空を、一機の戦闘機が飛んだ。
「レット!」シャマイムは駆け寄って、辛うじてまだ生きているレットに応急処置を施す。「レット、意識はあるか」
「……あははは……」弱々しくレットは目を開けた。「女の子に暴力を振るわれたのは久しぶりだよ……しかもあの子が『六道』の子だったなんて……」
レットの視線は、倒れて、もう絶命している少女に止まった。
「可愛い子だと、思ったのになあ……」
「レットをただちに医療施設に搬送する。 I・C」シャマイムは彼の方を向いて言った。「単独での任務遂行になるが、可能か?」
「嫌に決まってんだろう、レットなんか見捨てろよ」
「負傷した仲間を放棄する事を自分は拒否する」
「うぜえ、じゃあここで殺せば後腐れが無くて良いだろう?」
「仲間を殺害するのは死刑もしくは死刑に匹敵する重罪判決が下った場合と、手の施しようが無い任務遂行障害になりボスにより殺害せよと命令された場合だ」
I・Cとシャマイムが言い争っていたら、通信機が鳴った。
『今すぐに撤退なさい、シャマイム! 手段は問いません!』
彼らのボスの声は、かなりの焦りを含んでいて、緊急事態が起こった事を示していた。
「何が起きた、ボス?」I・Cが訊ねると、
『万魔殿過激派の軍隊が動きました。 その目標はナラ・ヤマタイカの安全保障だろうと思われます。 ぐずぐずしていては聖教機構特務員にとっては最悪の状況となります。 急ぎ撤退なさい、シャマイム! レットを乗せて!』
「ヴィクターが恐らくは呼んだんだろうな……」I・Cは舌打ちした。「強硬派の連中じゃ、やっぱり殺せなかったか、役立たずのゴミ共が」
「自分は負傷したレットを搬送すると同時に撤退する。 I・C、I・Cは脱出経路を模索し単独での脱出を推奨する」
と、シャマイムが言いだした。
「え」I・Cは唖然とした。
『そうですわね、それが最善ですわ』ボスも同じように言う。『一秒でも早くそうなさい、シャマイム』
「了解した」
「ちょ、おい!」
シャマイムはレットを抱き上げると外に出て、すぐに戦闘機に変形し、止める間もなく空へと舞いあがった。
「おい、おい、待てよ!」
I・Cがそれを阻止しようとしたが――、
『I・C、自業自得とは貴方にぴったりの言葉ですわよ?』
ボスからの通信も、途絶してしまった。




