EVOLUTION 毒と家族 【ACT二】 さようなら、父さん。
「なあ求世よ」と雷世は子供を手まねきした。
「どうしたの?」
やって来た子供の背中にはすやすやと眠る赤ん坊が背負われている。
「いや……お前はどうしてその子を守ろうって思ったんだ? 血の繋がった妹だからか?」
子供はちょっと考えて、
「ちのつながりはないよ」
えっと雷世は思わず言ってしまった。
「じゃ、じゃあ、何でだ!?」
何であんな密航と言う危険まで冒してここまでやって来たのだ!?
「……ぼくはね、いつもおりのなかにとじこめられていて、そとにでたらぶたれたの。 でもおとなしくしていてもぶたれたの。 だれもぼくにえがおなんてみせてくれなかった」
「……檻の中って……」
雷世は絶句した。幼い子供を檻の中に常に閉じ込める、と言う状況が異常すぎて彼には想像できなかった。いっそ子供の嘘であってほしいと思った。だがこの少年は嘘を全く言っていないと、彼には分かり切っていた。
「でもね、あるひね、このこがきたの。 このこはぼくをみたらわらってくれたの。 だからね、このこだけにはぼくみたいなめにあわせたらいけないっておもったの」
「……」
「それでにげたの。 にげたんだけど、ふねのなかでみつかっちゃって……」
「……何でお前は檻の中に……」と言いかけて、雷世ははっとした。この少年は、危険を事前に察知した。とすると、恐らくは――。
「あどばんすと?のけんきゅうだっていっていたの。 ふつうのにんげんに、ちょうのうりょく?をもたせるんだって……でも、ぼくは、そんなことされなくっても、なにがきけんなのかわかるんだ。 たぶん、うまれつき」
『A.D.(アドバンスト)』――それは人間でありながら、魔族のように不思議な能力を持つ者達の事だった。かつては聖人、預言者と呼ばれ、神の奇跡の具現者だと崇められた。だから、逆に、その力を解明しようとする研究機関が極秘裏にだがいくつか存在している事も雷世は知っていた。もしも解明に成功すれば、どの人間にも超能力を植え付けられるし、それはイコール軍事力の大幅な増強にも繋がるからだ。それは、聖教機構と万魔殿が激突を繰り広げる戦争まみれのこの世界には欠かせないものだった。
「そう、か……」
雷世はそっと手を伸ばした。求世は逃げなかった。雷世がこの幼い少年の頭をなでると、彼はちょっと驚いた顔をして、
「おじさんのて、あたたかいね」と言った。
「おじさんじゃァねえよ、父さんと呼べって言っただろう」
雷世は苦笑して、指先で少年の頬をつついた。
「うん! とうさん!」
少年は、ようやく笑った。
――好きだったんだろうな、と求世は後になってから思う。俺は心底お父さんの事が好きだったんだろうと思う。お父さんは人間が嫌いだとか言っていたけれど、それは心底人間の事が好きだったから、人間の醜い部分に傷つけられて、悲しくなって嫌いになってしまったのだろう。だから優しかった。
雷世は赤ん坊の頃捨てられた。何故か捨てられた時の事を彼ははっきりと覚えている。ごめんね、すまないねェ、許しておくれ――と固くおくるみに包まれた彼は道端に置かれた。彼は捨てられたと言う事が理解できなくて、ただ満天の星空が美しかったので、御機嫌だった。
そこに一人の男が通りかかって、彼を拾ったのである。
男は、『六道』の暗殺者であった。彼は物心つく前から人殺しの訓練をさせられた。彼は呑み込みが早く、そして感覚器官が人の数倍鋭敏であったために、一〇歳の頃には一流の暗殺者に仕上がっていた。一二歳の時、彼は初めて人を殺した。彼を拾った父親は、彼がためらったりしないように相手を厳選した。血も涙もない悪逆な役人――そいつにたった一人の愛娘を犯された上に殺された家族の怨みを、引き受けたのである。それでも、殺す時、雷世は怖かった。理由もなく怖かった。手が震え、足が震えた。それでも彼は人を殺したのである。一度殺してしまうと、もうその恐怖は襲ってこなかった。代わりに、空しさだけが彼の中に降り積もるようになっていった。
人を殺して、何になる?彼はいつもそう思っていた。彼は悪人ばかり選んで殺していたが、その都度人間の汚さに触れて嫌になり、自然と孤独を好むようになっていった。独立し、家も街外れに引っ越した。だが彼は当時最強の暗殺者であったために『六道』からは抜けられず、暗殺者稼業を細々と続けていた。
その内、父親が死んだ。畳の上で病死したのだった。彼は父親の希望通りに無縁仏として埋葬し、ひょっとしたら父親も本当は人殺しなどしたくなかったのかも知れない、と思った。
彼に双子の娘が出来たのは、彼が二八歳になった時だった。遊郭に売られる所から、『六道』の仲間が拾ってきて強引に渡したのだった。血は繋がらないが、優秀な娘だった。たったの二年で、暗殺術を全て習得した。いずれは自分をも超える暗殺者になるだろうな、と雷世は思った。双子でよく似ていたが、忌世と言う姉はひどく強気で、斎世という妹はわりと弱気だった。彼は親愛というものをしみじみと感じ、幸せとはこれなんじゃないだろうかと思った。
だが、彼の教育は大失敗に終わった。
姉は束縛されることを嫌って、何と『六道』に反抗したのだった。
姉は強かった。立ち向かう『六道』の暗殺者達を次々と殺傷し、『六道』は壊滅寸前まで追い込まれた。
その時になって、ようやく彼は動いたのである。
その時まで、彼は娘を信じていた。嘘だろう、と祈りながら死んだ仲間達の死体を埋葬し、生き残った仲間から責められても、何とかかわしてきた。
だが、彼は裏切られたことを知り、激闘の果てに、娘を殺したのだった。卑怯にも彼に心底懐いていた妹を人質に取り、騙したも同然のやり口で殺したのである。
彼は自分が大嫌いになった。
自分を含む、人間全てがもう大嫌いであった。
それから数年後、彼は求世と伊世を偶然に拾う。彼は、自分が育てるべきかどうか真剣に迷った。双子を育てるのに失敗した俺には親になる資格が無いんじゃないかと思ったのだ。だが、他の暗殺者に引き渡そうとした時、求世が彼を見て、唇を結んで、それからうなだれた。雷世は、それで、自分が育てる事を決めてしまった。
結局のところ、彼はどうしようもないお人好しだったのだ。
彼はある朝死んでいた。心臓が止まっていた。
人を沢山殺した暗殺者は、安らかに、布団の中で死んでいた。
それは、彼が望んだ死に方だった。
「大変だ兄ちゃん!」真夜中に宗世が求世の部屋の戸を開けた。「未世が、また!」
「またか!」求世は既に起きていて、着替えていた。弟の足音が聞こえた時に彼はもう目覚めていた。彼は弟妹とは別の部屋に寝ていた。「今度はどこに行った!?」
「街道の方に行ったよ!」
「分かった!」そこで求世は嫌な予感がした。「……そう言えば、最近、辻切りがこの辺りをうろついている。 急ぐぞ、宗世!」
――レットは困り切っていた。アル中のI・Cが真夜中なのに、もっと酒をよこせと騒ぎ出して、あまりにもそれが酷かったので旅籠からたたき出されたのだ。やむなくシャマイムが他に泊まる場所を探しに行ったら、I・Cはシャマイムの姿が見えなくなった途端に酒を求めてとんずらした。レットは血相を変えて引き留めようとしたのだが、蹴られた。シャマイムに通信機で泣きついたものの、シャマイムも引き返してくるには時間がかかる。それまで彼は一人ぼっちだ。ここを強硬派に襲われてしまったら彼は一たまりも無い。
「無事に戻ったら、僕、ボスにI・Cのこの仕打ちを訴えて、それから可愛い女の子とのんびり過ごすんだ……」
これが遺言になりませんように、とレットは神に陳情した。
「……」
その背後で誰かの気配がした。レットは硬直して、脂汗を垂らしていたが、思い切って振り返った。
「――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア出たああああああああああああああああああああああああああああ!」
そこには着物を着た少女が幽霊のように立っていた。レットは腰を抜かして絶叫する。途端に少女ははっとして、
「……あ、あれ? 貴方、誰?」
良かった本物じゃなかった!レットは安心した途端に脱力した。
「レット……だけれど、き、君は?」
「私は未世。 また『あれ』が出ちゃったんだ……」少女はくすんと鼻を鳴らした。「あのね、私ね、夢遊病なの。 時々、こうなっちゃうの」
「そ、そっか、そうなんだ……」
助かった。レットはそう思った。途端に彼はその少女がとっても可愛い事に気付いて、内心でにやりと笑った。これは好機かも知れない。早速、ナンパしようと彼がよこしまな考えを抱いた時だった。刀を引っさげた覆面の男が、二人を見つけて、音も無く駆けてきた。どう見てもその男が二人に好意を持って近寄ってきているとはレットには思えなかった。男が刀を振りかざす。レットは咄嗟に少女を庇った。背中に焼けるような熱さを感じて、レットは倒れた。
「あ、きゃああああああああ!」少女が悲鳴を上げる。
だが男は刀を地面に倒れたレットに突き刺そうとして――その額にぽっと赤いレーザーの光がともった。銃声が響いたとほぼ同時に男は血をぶちまけて倒れる。
「レット!」
銃弾を放ったばかりの拳銃を握りしめたシャマイムがすぐさま走ってきた。ちょうど、
「未世!」
そう叫んで、求世と宗世も走り寄ってきた。
「シャマイム……」レットは訴えた。「全部I・Cが悪いんだ……」
レットは目を閉じて、そのまま意識が薄れて行った。
「すぐに医者を!」
誰かの声が色々と混ざって聞こえてきたが、もうレットには聞き取れるだけの力は無かった。
「応急処置を」
「辻切りめ! コイツめコイツめ!」
「大変だ! 急げ!」
……意識を取り戻したら温かいものの中にいた。痛いと思わず言いかけて、その理由を思い出す。
そうだ、あれからどうなった?
レットは目を開ける。
「……」
布団の中にいた。民家の中にいた。起き上がろうとしたら激痛が背中に走って、レットは歯を食いしばる。しかし、辛うじて、起き上がれた――と言う事はそれほど重傷では無いのだろう。
「レット、今は安静にする事を推奨する」
シャマイムが側にいてレットを制した。I・Cがその隣でいびきをかいて寝ていた。相も変わらず酒の匂いをさせて。レットはとてつもない殺意をI・Cに対して抱いた。レットはまた横になって、
「一体あれから何がどうなったんだい、シャマイム?」
「通り魔は殺処分した。 だが通り魔の正体が少々厄介な問題を現在引き起こしている。 通り魔はナラ・ヤマタイカの支配者スメラギ一族の一人だった。 だが通り魔には前科があり今回も多数の庶民を殺害していたと推測されるため、外交上の問題は表面上は発生しないとボスはおっしゃった」
「つまり今回は、聖教機構が力で黙らせるって事か。 まあそれで良いよ、だってあんな女の子を斬り殺そうなんて異常者は殺して上等だもの。 シャマイムも慌てたんだろう、僕が切られた上に刺されかけたから。 シャマイム、罪悪感なんて持っちゃ駄目だからね。 あれは殺すべき人間だから」
あの通り魔は、シャマイムが殺さなければまた繰り返していたのだろう。冗談では無い。
殺してやった方が他の人のため、そんな人間もいるのだ。
「自分も同様に判断した」
「んー」I・Cが起きた。起きるなり舌打ちして、「死ねば良かったのに」と言った。
「……」
レットは今は毒舌を吐く気力も無くて、無視した。
シャマイムの方が言った、
「今回の事態の根本的原因はI・Cに存在する。 真夜中に飲酒したいと騒ぎを起こし、しかも戦闘能力の無いレットを単独で置き去りにした。 これは重大な任務違反に該当する」
「うぜえ。 俺の言う通りにしなかった旅籠が悪いんだ」
無茶苦茶とはこの事である。責任のせの時も感じていない。
その時だった。戸を開けて、一人の美青年が登場する。彼は目を覚ましているレットを見ると、その場に土下座した。
「気が付かれたようで良かった! 妹を助けて下さって本当に御礼申し上げます」
「あ、ああ、貴方の妹さんでしたか」
レットはそれにしても凄い美青年だなあと思いながら言った。何と言うのか、女だったら初対面なのに一撃で陥落しそうな青年なのだ。恋に堕ちると言う生易しいものでは無い、宿命の男に出会ってしまった、そのくらいの致命的一撃を与えてしまうような……。
自分が男で良かったとレットは思った。女だったら彼に夢中になって任務も何も無くなってしまうだろうから。
畜生羨ましくなんかないぞ、と彼は意地を張って、言ってみた、
「妹さんは大丈夫ですか?」
ひょこ、ひょこと顔が二つ、戸の両端からのぞく。
「未世は大丈夫だよ!」とレットが助けた少女が言った。「ありがとうね!」
「うわー、お酒臭い!」弟と思しき少年が呟いた。
美青年は二人にきちんと正座させてから、言った。
「本当にありがとうございました、どうかお礼をさせて下さい」
いやいや結構です、とレットが穏便かつ丁寧に断ろうとしたが、
「じゃあ何か寄こせ」
I・Cがまた滅茶苦茶な事を言い出した。
「何か……具体的には何でしょうか?」
美青年は困った顔をする。
無理も無いとレットは思った。ここは断るのが常識であり美徳だ!
「一発やらせろ」
「は……?」美青年はきょとんとした。レットはこちらが土下座して謝りたくなった。おまけに頭痛がして、彼はもうたまりかねてシャマイムに視線で合図した。シャマイムは頷いて、二丁拳銃サラピスを取り出した。
「だから、ケツ貸せって言っ」
言わせてなるものかとシャマイムが、サラピスでI・Cを殴った。殴って殴って殴って殴って殴って、I・Cが昏倒するまで殴った。
「……あ」青年はもうどんな顔をして良いのか分からない、そんな顔である。
「気になさらないで下さい」レットは無理やり微笑んだ。「この男、性犯罪者なので、どうかご自分方の貞操にはご注意を。 コイツ男女の区別なく強姦しようとするので……」
「え、あ、は、はい」
青年はとにかく面食らっている。
「すみませんねえ」レットはうずく傷痕を背負って、謝った。「僕が動けるようになったらすぐに出て行きますから。 あの、それまではどうか……」
「あのう……貴方がたは聖教機構の方でしょう?」美青年は不安そうな顔をした。「今、巷では、ナラ・ヤマタイカが聖教機構により空爆されるとのもっぱらの噂です。 それは本当なんでしょうか? もし本当でしたら、どうか助けて下さい!」
「空爆計画を進行中なのは強硬派だ。 我々和平派はそれを阻止するべく行動している。 ただ、ナラ・ヤマタイカにおける活動拠点が持てないのが若干の行動の妨げになっている」
シャマイムが言う。
「で、でしたらどうかこの家を使って下さい! あまり広くはありませんが、部屋数だけはありますから、どうか!」
美青年は必死な様子である。
レットとシャマイムは顔を見合わせた。
「どうする?」
「民間人を巻き込む事は――」
「いやでも空爆されちゃったら巻き込む以上に酷い目に遭わせるよね?」
「……」
「ここはご厚意に甘えよう。 ――ところで」レットはちょっと毒の混じったいつもの声で、「この近くに太くて堅くて頑丈な、ちっとやそっとじゃ折れそうにない木ってありますか? 巨岩でも構いません」
「は、はあ、それでしたら、庭の木が丁度――」
「良かった」レットはほっとした様子で言う。「I・Cが気絶している間に鎖でぐるぐる巻きにして木に縛りつけておかないと」
「「はあ!?」」が、『六道』の面々が真っ先に上げた声だった。
「和平派の連中をオメエんとこの家に泊める!?」啓世は素っ頓狂な声を出す。「オメエ正気か!?」
「正気だ。 この方法が最も楽に怪しまれずかつ安全にヤツらの動向を見張れるだろうと思った」
求世は言った。冷静そのものであった。
「確かに、そりゃそうだがねェ……」
斎世も口ごもる。
「……中々賢いじゃあないか」アマテラスが少しは憂いが取れたような顔をする。「だが気を付けるんだよ、あの黒髪の男だけは」
「その男なら、今さっき、庭の木に仲間によって縛りつけられてぎゃあぎゃあ喚いていましたよ」求世は苦々しい顔をして、「仲間ですらあの男を持て余しているようでした」
「ああ、それは仲間がまともだからだね」アマテラスはほっとした顔をする。「まともな神経を持っていればそう言う行動に出てしかるべきだ」
「ヤツらから色々と情報を引き出すのに成功した」求世は仲間に向けて言う。「ヤツらは和平派特務員で総員三名、レット・アーヴィング『賭博師』、シャマイム『自律自動型可変形兵器』、そしてI・C……本名は不明……『魔王』だ。 これと敵対するのは強硬派特務員で、こちらも三名、ダリウス『寄生虫』、メアリー『血まみれのメアリー』、そしてこの前村一つを壊滅させた『疫病神』バルトロマイだ」
「なるほどねェ……」誰かが納得したような声を出す。「そう言う手もあったか」
「今はとにかく空爆を避けるために努めるべきだ。 求世のやり方は良いと思うね。 殺すだけが手段じゃない、生かす事も手段だからね」
アマテラスは求世に、それからも情報を入手するように、そしてそれをもっと効率的にさせるべく指示を出した。
『六道』の会合が終わった時、求世はアルビノの少女に声をかけられる。
「お兄ちゃん、流石お兄ちゃんだね!」
「伊世」求世はほっとした声で言う。「体の具合はどうだ? 風邪はもう治ったのか?」
「大丈夫だよ、アマテラス様が良いお薬をくれたの!」
「そうか、それは良かった」求世は少女の頭を撫でる。
少女は、だが、ぷくっと頬を膨らませた。
「お兄ちゃん、いつまでも私を子ども扱いしないで!」
「はは、ごめんな」求世は、女だったら心臓を一撃で奪われるような、とても魅力的な笑顔を浮かべる。「でも、お前はいつまでも俺の可愛い妹だよ」
「もう!」と、まるでフグのように膨れた妹のほっぺたをつついて、求世は、
「力は使っていないだろうな? もうお前の体は耐えられはしないんだ、絶対に使うなよ?」
そう、心配そうに言った。
「うん……分かっている」
「なら良い。 ここで、安静にしているんだぞ? 良いな?」
「はーい」と少女は少しむくれたまま頷く。「お兄ちゃんは本当、私に甘いんだから。 妹だからって甘やかすとろくな事が無いよ?」
「良いじゃないか、俺はお前が可愛いんだ」
この言葉を普通の女が耳にしたら、嫉妬心のあまりに発狂しただろう。
だが、相手は彼の病弱な妹だったので、
「お兄ちゃんの馬鹿!」
で終わった。
「アズマヒノホデリ様」配下の一人が、若い男にうやうやしく話しかける。「聖教機構の尖兵がやって来ました。 片や無差別爆撃を決行しようとする強硬派、そして片や『六道』を調査しに来たものの我々に恭順を要求する和平派。 親王様はどちらをお選びに?」
「お前は馬鹿か?」若い男は傲慢に言った。そしてその傲慢さは、彼の持つ独特の、若さに似合わぬ荘厳さと相まって、とても毅然としているように人には見せた。「何故ナラ・ヤマタイカが恭順などと言う屈辱的な真似をせねばならぬのだ。 おまけにヤツらは俺の親友を――従兄弟のフヒトを殺した! 何が通り魔だ、何が正当防衛だ、大人しくフヒトに殺されれば良かったものを!」
「親王様、ですがそれでは空爆されてしまいますよ?」彼の愛人のウズメノキミが不安そうに言う。「どうなさるおつもりです?」
「お前も馬鹿か。 ……まあ良い、お前は可愛い女だからな」ナラ・ヤマタイカの次期大王と呼ばれるこの男は、声を潜めて言った。「万魔殿を利用するまでの事だ」
「「!」」
男は驚く面々を見渡して満足げに言う、
「聖教機構強硬派と激しく対立する万魔殿過激派と、条約を結べばよいのだ。 こちらの交渉の札は『六道』だ。 向こうとて悪くは無いだろう、世界最強の暗殺結社を支配する者と手を組めるのだから」
「で、ですが親王様、今の『六道』はアマテラスが支配しておりますので、とても親王様の言う事を聞くとは――」ウズメノキミが困惑気味に言う。
「だからこその『革命』よ」男は指を鳴らした。「親父は悪いが、あんな古臭いカビの生えた状態に『六道』を置いてはならぬ。 『六道』はもっと斬新に再構成されるべきなのだ!」
「しかしそれは危険ではありませぬか!? アマテラスが親王様の考えを知ったが最後、最悪の場合にはアマテラスとあの男は親王様を――それに『六道』の連中はアマテラスに心底従っております! それをどうにかしなければ――」
「サルタヒコ」とアズマヒノホデリはにやりと笑って配下の一人に向かって言った。「この俺が何の見通しも無くこんな事を言うとでも思ったか?」
ゆらり、といきなり人影が現れて、そこにいた者はアズマヒノホデリを除いて、あっと驚愕した。
「あたしは」とその人影は薄い、けれど妖艶な笑いを浮かべている。「今の『六道』の掟が大嫌いなんですよゥ」
「求世よォ」雷世は縁側で月見をしながら酒を飲んでいる。いつもの事だった。この男は狼男でも無いのに月がやたらと好きで、月を肴に酒を飲んだり、夜中に出かけたりする癖があった。その夜は満月で、とても鮮やかな丸い月が夜空に浮かんでいた。
雷世はつい先日人を殺させた求世が、それから眠れなくなっていたのを知っていた。
それで、呼んだ。
「……父さん、僕は……」
求世は情緒不安定なのが丸見えだった。
「おい。 ここに来い」と雷世は自分の隣の縁側を叩いた。
求世はそこに座った。
「眠れないんだな」
「……」頷く。
「それで良いんだ。 人を殺すって事はそう言う事だからな」
「父さん、何のために人を殺すの?」
「暗殺者が何のためって、オメエ、そりゃ金のために決まっているじゃねェか」
「!」
求世が仰天した顔で彼を見た。
「何驚いてんだオメエ」雷世は言った。
「で、でも、命はお金より大事だって――!」
「そう思わない人間のクズってのもいるんだ。 例えば俺達のような」
「……」求世は口をパクパクさせている。
「クズもクズ、明るみに出たらぶっ殺されても仕方ないくらいのクズさ、暗殺者だの殺し屋だのってのは。 金の方が命よりも重い、そう言う腐った考えをしているんだからなァ。 だが俺もお前くらいの時は割り切れなかった。 実際、今までもなるべく悪人ばかり殺してきた。 でも、悪って何なんだ?」
「父さん……」
雷世はぼうっと空を見上げている。月から放たれる穢れなき光を、まばゆそうに見上げて。ああ、と求世は悟る。こうしなければ父さんは耐えられないんだ、と。この人は暗殺者になるべきでは無かった。楽しんで人を殺した事など一度も無いのだ。ただ、一度であろうと誰かの血で染まってしまった手で、綺麗なものに触れる事をとても畏れた。そうなのだ。
「……この『六道』は外側では人を殺す代わりに内側じゃ厳しい掟を敷いている。 結婚するなかれ、愛し合うなかれ、金を浪費するなかれ、等々。 アマテラス様がそう決めたからには、そうするしか無ェんだ。 そしてそれが辛うじて俺達を人間にしている。 もしも守るべきものが無くなっちまったら、例えばこの掟を守らなくなっちまったが最後、それはもう人間じゃァ完全に無くなるんだ。 だから、求世」雷世は盃に浮かんだ月を飲んだ。「――オメエも辛うじて人間でいたかったら、何かに忠実になるんだな。 それが宗教でも良いし、信念でも良いし、誰かへの思いでもあっても良い。 いや……オメエには掟よりも大事な妹がいるから、心配は要らねェな」
「……守らなくなったヤツがいるんだね」
「……ああ。 いた。 俺が殺した。 自由になりたい、が口癖だった。 実の妹に懸想して、どうしても結ばれたいからって理由で『六道』に反逆したんだ。 倫理も道義もクソもありゃしねえ滅茶苦茶な理由だが、ただ、ヤツは本気だった」
「……」
「良いか、オメエはそうなるな。 反逆するなって言ってんじゃあない。 その後だ。 反逆して殺していく間に、アイツは殺しの楽しみを覚えてしまった。 人殺しが楽しいなんて神経は俺には良く分からんが――ただ、口角を吊り上げて血まみれでたたずんでいたアイツの姿を見た時、俺はぞっとした。 怖いと本気で思った」
「恐怖心があってこその人間なんだね……」
「かも知れん。 俺は人間なんか好きじゃあないがな」
雷世はぼそりと言って、また月を見上げている。
「――もしも、僕が反逆したら父さんはどうするの?」
「俺はもう……家族を殺すなんて嫌だ。 殺された方が幸せだ。 もしもオメエが反逆するなら、せめて真っ先に俺を殺してくれ」
本気で言っている、と求世には分かった。どう返事すればよいのか途方に暮れた。
そうしていると、彼は不意に頭を撫でられた。
「……ッ!」
求世は泣けてきた。今までどんな目に遭っても泣いたりしなかったのに、悲しいとか苦しいとか言う感情も無いのに、ただ、泣けてきた。彼はぼたぼたと涙をこぼした。それは、とても、熱い涙だった。
彼が人生で泣いたのは、これが初めてだった。
ある朝、雷世は死んでいた。心臓が止まっていた。簡単な葬儀を行って、彼は埋葬された。求世は葬儀の場で彼の姉の斎世に言った。
「父さん、どうして死んじゃったんだろう……」
「……きっと今までの無理が祟ったのよ」美人で有名な彼の姉は優しく言う。「でも、心配は要らないからね、あたしがいるから」
「うん……」求世はうなだれた。
さようなら、父さん。今まで本当にありがとうございました。




