二章②
眼鏡のブリッジをクイッと押し上げ、廊下の突き当たりの扉から校舎裏に出ると、薔薇園が広がっていた。
凹凸のある石畳の道を、花の咲きこぼれる庭の奥へと進んでいく。踵の低い靴を履いて来て正解だった。銀地に黒のレース張りのローヒールは、人生初の最推し、シリウス兄様からのプレゼントだ。
合わせているドレスも同じく。トップスの中心とスカートの両サイドに細かなプリーツが施された、ネイビーのセットアップドレスは、ツーピースなのでコルセットもいらないし、なにより動きやすい。
学園には着飾って行けないと話していたからだろう。プレゼントされたドレスや靴はいずれも華美さを抑えた、洗練されたデザインのものばかりだった。これまでのマリンローズは流行りものの服は嫌いだったようで、贈り物を着ていくと言ったら侍女頭たちに大いに驚かれたが、なかなか似合っていると思う。
(ハイスペックな推し、萌ゆ……!! たったあれだけの会話で、これほど相手の好みにぴったりなプレゼントを用意できるなんて、パラメータがほぼカンストしてるだけのことはあるわ。年上で兄様で先輩で強引で、おまけにスパダリだなんて萌え属性丼、いくらでも食べられるおかわり……っっ!!)
それにしても、最推しがいるというだけでこんなにも満ち足りた、幸せな気持ちになれるとは。
これから見守るヒロインも、レオンハルトをはじめ、数々のプリンスたちと出会っていくのだろうが、是非、心から愛する推しを見つけて欲しい。
教師としてーーいや、プリプリファンの一人として、全力でヒロインの青春を応援していく所存である。
ぐっと拳を固めたとき、薔薇の垣根がふいに途切れ、円形の噴水広場に出た。
噴水のモチーフは、かつて世界を滅ぼしかけた魔王を封印し、危機を救った伝説の聖女だ。その戦いはプリプリのオープニング映像にもなっており、かつてプレイした私がその美しさに圧倒された通り、かたわらには聖女を護る王子と、黄金に輝く五匹の聖獣たちを従えている。
ここだ、と足を止める。
「間違いないわ! 昔に見た、イベントスチルの通りの場所よ。ヒロインはまだ来てないみたいだから、隠れてこっそり様子を見ましょう。どんな風にリメイクされているか楽しみだわ!」
リメイク版のネタバレを避けてきたせいで、キャラの絵もソフトの表紙になっていたレオンハルト王子くらいしか知らない。ーーだが、どんな風にリメイクされていても、大好きなプリプリの世界なのだから、きっと受け入れられる。
さあ、どんと来い。
広場を囲む薔薇の垣根の一つに、いそいそと身を隠そうとしたとき。キンと耳をつくソプラノに呼び止めらた。
「あらあ! 誰かと思えば、メルリーヌ女史ではありませんの!」
「え……っ?」
どこか覚えのある台詞に振り向くと、そこには見るからに最新とわかるお洒落なデザインの、艶やかなドレスを纏った令嬢の姿があった。
くっきりしたメイクの似合う、気の強そうな美人。
絹糸のように輝くヴィオラ・ブロンドには青い宝石の輝く銀の鷲の髪留め。髪はハーフアップに結われ、足元へと優雅に波打っている。
見たことのないキャラクターだ。また新キャラだろうか……と相手を見つめていたら、パッと例のパラメータが現れた。
シルヴィア・フレースヴェルグ(17)
【好感度】 0
学力 20
魔力 20
強さ 20
リッチ度 200
流行 180
可愛さ 100
フレースヴェルグ公爵家の令嬢であり、レオンハルトの婚約者。マリンローズの担当生徒。兄のシリウスロッドに溺愛されて育ったためか、独善的で我儘。派手好きな性格で、お洒落と社交の場以外にはまったく興味がない。成績不振と素行不良のため、このままでは卒業が危ぶまれている。
「な……っ!?」
(シルヴィアーーッ!? こ、この派手な子が、あのフランス人形のようだったシルヴィアなのっ!? パラメータの内容もおかしいわ、能力面の数値が低すぎる! それに、シルヴィアのパラメータデータは覚えているもの。完璧主義で、プライドが高くて負けず嫌い。学園ではレオンハルトに並ぶ優秀な生徒で、レオンハルトに相応しい相手になるため、自己研鑽に努力を惜しまない、そんな努力家ツンデレキャラだったはずよ! なのに、成績不振と素行不良で卒業が危ぶまれてるだなんて……なによりも、縦ロールはどこに行ったのよーーっ!?)
愕然となる頭の中に、成海しずくの絶叫と、20年間にプレイした縦ロールヘアのシルヴィアの嘲笑が重なって響いた。
今、目の前にいるシルヴィアには、旧プリの彼女のようなアンティークっぽさは一切ない。貴族のファッションに詳しくない私でも、きっと最先端なのだとわかる装いは確かに美しいが、いやしかし、だがしかし!
どんな時代になろうが、悪役令嬢に縦ロールは必須である……!!
教師としては、ドレスやメイクの派手さを咎めたい気持ちもあったが、ショックすぎてそれどころではなかった。
さらに、その場に現れたのはシルヴィアだけではない。彼女と同じようなデザインのドレスや髪型をした取り巻きの令嬢たちが、狼の群のように殺気立った様子で、私を取り囲んだ。
えっ? と思ったときには、再びシルヴィアが口を開いていた。