2 いざ、激辛へ!
今日の目的は麻婆豆腐だ。
薫チョイスのその店は、大衆食堂ながらも本格中華を提供する老舗店らしく、その辛さも本場の味だという噂だ。
小坂に連れられ歩いていると、やがて前方に行列が見えて来た。
「あれですかね?」
「そうだな、きっと」
行列を指さした薫の横で、背の高い小坂が店の看板を確認する。
どうやらあの行列の先の店が、お目当ての中華食堂らしい。
並んでいるのは老若男女、色々な人がいる。
早速二人で行列に加わり順番を待つ。
「私、この待っている間のワクワク感も好きです」
麻婆豆腐を目の前にしてニコニコ顔の薫に、小坂が肩を竦める。
「ま、俺も苦じゃないが。
逆にアネキは並ぶのが大っ嫌いだ」
だから弟に買いに行かせるのだという。
母や姉に気を使い気味の小坂だが、父親はどうなのだろうか。
小坂家の家庭内ヒエラルキーが地味に気になってしまう薫だった。
二人で他愛のない話をしていると行列は進み。いよいよ薫たちの順番である。
「らっしゃい!」
威勢のいい店主の挨拶が迎えてくれた。空いているテーブル席へ座ると、早速メニューを見る。
大衆食堂なので定食が主だが、三種類のおかずが選べてチャーハンが付くお得なセットもあって、しかも価格がとてもリーズナブルだ。
しばらくして、女性店員が水を運びがてら注文を取りに来た。
「ご注文は?」
「もち、麻婆豆腐!」
「俺ぁこのセットで。エビチリと、あと……」
薫は麻婆豆腐の定食を、小坂はセットを頼んだ。
注文を復唱して厨房へ行く店員を見送り、薫はため息を吐く。
「こういう時、たくさん食べられる人が羨ましいです」
薫だってできるなら、セットを頼みたい。
けれどそれほど大食漢ではないため、計画的に食べないとすぐにお腹一杯にまってしまう。
甘いものなんて最大二口しか食べられない。
もしたくさん食べられる胃袋を持っていたら、甘いものも辛いものも全部食べてやるのに。
「なるほど、小食なんだな」
薫が頑として甘いものを食べない理由を、小坂はやっと理解したようだ。
「なら、俺が頼んだヤツもちょっとずつ食えばいい。
食べきれないのは俺がまとめて食うから」
小坂の提案に、薫は目を丸くする。
「……いいんですか?」
それは悪い言い方をすれば、残飯処理ということにならないだろうか。
不安顔をする薫に、小坂が指で額を突く。
「俺はそういうのは気にしない性質だ。
お前だって色々食いたいんだろう?」
「食べたいです! やった、エビチリも食べれる!」
途端にパアっと表情を明るくする薫。
「そうそう、今から食おうってのに、暗い顔をするもんじゃねぇ」
小坂も釣られて笑う。
――先輩、笑った!
薫は思わず驚いてしまう。小坂とて人間なのだから、笑うのは当たり前だが、あまり笑うイメージがない人だった。
そして笑うと、少し幼く見える気がする。
学校でのあの厳つい不良からはかけ離れた、小坂の姿である。
そんな衝撃の新発見があった後、やがてその瞬間がやって来た。
「お待たせしました」
店員が運んで来たのは、薫の麻婆豆腐定食だ。麻婆豆腐とライスにたまごスープが付いている。
「わぁお、刺激的な香り!」
「こりゃ確かに、本格派だな」
目を輝かせる薫に釣られるように、小坂も身を乗り出して香りを嗅ぐ。
唐辛子と豆板醤、山椒の香りのハーモニーが食欲をそそる。
麻婆豆腐の香りに夢中になっていると、続けて小坂の頼んだ料理も運ばれてくる。
エビチリと青椒肉絲にもやし炒め、そしてチャーハンだ。
「エビチリもなかなか刺激的ですねぇ、チャーハンだって美味しそう」
日本人向けに甘く仕上げられたエビチリが多い中、ここのは匂いからして本格派だ。
「すんません、小皿貰っていいですか?」
薫が身を乗り出してクンクンしていると、小坂がそんなことを店員に言った。
「はい、少々お待ちください」
そう言って店員はすぐに小皿を持ってきてくれた。
「ほれ、お前が食えるだけ取れ」
「では、先輩もどうぞ!」
お互いにシェアし合ってから、薫は早速麻婆豆腐を食べる。
「ん~! うま辛い!」
想像以上に美味しい。辛味が素材の美味しさを存分に引き立てていて、すごく辛いのにその辛さが気にならない。
これぞ真の激辛料理であろう。
悶える薫を前に、小坂も小皿に取り分けた麻婆豆腐を口に運ぶ。
「辛いけど、その前に美味いな、この麻婆豆腐」
「そうなんです、辛いよりも美味しいが先なんですよね!」
これはここまで来る甲斐のある麻婆豆腐だろう。
激辛巡りもたまに外すことがあるので、今回のような大当たりを引き当てるととても嬉しい。
次に気になった、小坂に分けてもらったエビチリにも箸を伸ばす。
「うわぁ、プリップリ!」
エビの食感がすごい。
それにやはりピリッと辛い。
エビ自身の甘みと辛さがマッチしていて、絶品の美味しさである。
小坂もエビチリを食べて目を見開く。
「お、これ美味いな。選んで正解だ」
「先輩、ファインプレーですよ!」
薫はこのエビチリがノーマークだったことが悔しくもあり、発見できて嬉しくもある。
何故事前チェックにエビチリが上がらなかったのだろう?
麻婆豆腐の情報にエビチリ情報が埋もれていたのだろうか。
――激辛について誰かと共感できるなんて、幸せ過ぎる!
家族の中でこれほど激辛好きなのは薫だけなので、普段から一人から回り気味なのだ。