8 心配御無用!
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薫を自宅近くまで送り届けた亜由美の車は、小坂宅へと戻って行く。
小坂が後部座席で窓の外を見ていると、亜由美が話しかけてきた。
「楽しい娘ね、薫ちゃんって」
迂闊なことは言うまいと黙っているものの、亜由美は構わず話を続ける。
「アンタが最近夜に出歩かないと思ったら、薫ちゃんの連絡待ちだったのかぁ。
そうよねぇ、外に居たら落ち着いてやり取りできないものねぇ」
「……」
「出かけるのにそんな変装までして、微笑ましいったらありゃしないわ」
「うるさい」
からかい口調の亜由美に、小坂は苦々しく返す。
これまでの自分はどうせ帰っても一人で、決まった夕食の時間なんてものはなく。
適当な時間に食べればいいとばかりに、遅い時間まで外をぶらついていた。
喧嘩三昧に飽きて、不良連中との付き合いを減らしはしたが、夜遊びが減ったわけではなかったのだ。
小坂は今までに、いわゆる彼女であった女が数人いた。
どれも相手から請われてのものだが、あの頃は彼女らと出かけるのが、正直億劫で仕方なかった。
「恋人だから」という義務感で一緒にいたというのが本音である。
結局どれも数カ月程度の期間しか持たず、今では彼女らがどこでなにをしているかも知らない。
なのに一人の女子のために生活をガラリと変えるなんて、昔の自分が知れば晴天の霹靂だろう。
今では、学校を出たら真っ直ぐ自宅に帰っているという健全ぶりである。
理由は亜由美が言った通り、薫が連絡してくるからだ。
昔の彼女らとならば、変装して出かけるなんて「面倒臭い」となりそうなものなのに。
薫と出かけるとなると、何故か不満が浮かばない。
さらに、自ら店を選んでエスコートするなんて。
しかもまだ恋人でもなんでもない相手に対してだ。
――これが、好きってことなのかもな。
いつでも行動が一直線で、素直な薫。
小坂のせいであんな酷い目にあったのに、まるで子猫のように懐いてくるのを、くすぐったく感じる。
あの、こちらを真っ直ぐに見て来るキラキラした目が眩しくて、そしてそのキラキラを曇らせたくない。
そう思って行動していると、不思議と穏やかな気持ちになるのだ。
薫といると喧嘩の強さで有名なキングではなく、普通の男子高校生で居られる気がする。
実際薫と一緒に街を歩いていても、通行人に怯えられることがない。
今まで帽子を被って変装したとしても、威圧感があるのかビビられていたというのに。
これがどれだけ凄いことか、きっと薫は気付いていないだろう。
自然と笑みが浮かぶ小坂の様子を、亜由美がバックミラー越しに見つめる。
「おねーちゃんは安心したのよ?
喧嘩ばっかだった雅美にも、恋愛する真っ当な心があったんだってね」
この姉も態度には表さないものの、喧嘩ばかりの弟を心配していたのは知っている。
心の片隅では、申し訳なく思っていたのだが。
「早速、パパとママに報告しなくっちゃ!」
「報告なんて、しなくていいんだよ!」
余計なことをしそうな亜由美に、小坂は怒鳴る。
これだから、この姉は嫌なのだ。
***
帰宅した薫がリビングを覗いたら、母親はテレビをみていた。
弟と父親はまだ帰っていないらしい。
「ただいまぁ、はいお土産」
薫は早速手に持っていた袋を渡すと、母親が早速中を見る。
「なにこれ、コチュジャン?
薫ったらどこ行って来たのよ」
「焼肉屋。これ超美味しかったんだから!」
薫の説明に母親は「女子二人で焼肉?」と首を捻っている。
家族には今日誰と出かけるかというのを言っていないので、いつものように美晴と出かけたと思っているのだろう。
だがあえて本当のことを言ったりはしないで、さっさと自分の部屋に入る。
――まだ、教えるのは恥ずかしいもんね。
薫は着替えながら、今日の出来事を反芻する。
あの小坂から「好き」だと言われるなんて、朝出かける時の自分に想像ができただろうか。
楽しくて、美味しかった後での出来事に、薫はよく心臓がパンクしなかったなと思う。
今になっても、「むきゃー!」と叫んでのたうち回りたくなる。
亜由美の登場は、ある意味緩衝材として薫を落ち着かせたともいえよう。
――私って月曜日までに、いつも通りに戻れるかなぁ?
また美晴に怪しまれたら、次はどう答えればいいのか。
ニマニマしながらも悩ましい問題を考え、ベッドの上でゴロゴロしていたら弟や父親が帰って来て、しばらくすると母親に呼ばれた。
「晩御飯よー」
もうそんな時間になっていたことに、薫は驚く。
――ヤバい、どんだけボーっとしてたのよ、私!
変に思われまいと、改めて気を引き締めて家族の待つ食卓へ向かう。
「今日はね、薫のお土産でスープを作ったの」
母親が夕飯に、土産のコチュジャンを隠し味程度に入れた、辛味噌スープを作ってくれていた。
「へえ、そうなのか」
テーブルに置かれたコチュジャンの瓶を、父親が手に取って眺める。
「ねーちゃん、こんなとこまで行ったのか?」
コチュジャンを売っている店を見た弟が、感心するような呆れるような顔をした。
「もち、激辛のある場所ならどこへでも行くのよ!」
そんなやり取りをしてからスープを食べると、コチュジャンがとても美味しくて家族にも好評だった。
もちろん隠し味程度では物足りない薫は、コチュジャンを足して食べたのだが。
こんな風に一家団欒をした後、入浴を終えた薫は自室のベッドの上で、漫画を読みながらまったりしていた。
――先輩、連絡するっていってたけど。
それがいつになるのかと、薫がソワソワして落ち着かないでいると。
ピリリリ♪
机に放っていた薫のスマホの通話音がなった。
「……!」
飛びついて画面を見ると「まさみん」の文字がある。
――先輩だ!
「もしもし!」
勢い余って怒鳴るように話してしまい、電話の向こうから小さく笑い声が聞こえた。
ちょっと前のめり過ぎたようだ。
「ゴホン! えー、今日はお疲れ様でした」
薫は仕切り直しとばかりに、努めて平静に言う。
『おう、お疲れさん。
なんつーか、今日はすまなかった。
まさかあそこでアネキに会うとは』
「でもあれはあれで、電車賃が浮いてお得でしたよ」
謝る小坂に、薫は良かった点を挙げる。
小遣いの節約になったのだから、むしろ「ありがとう」というべきだろう。
例え内心で、二人きりではなかったことに、ちょっぴり残念に思っていたとしても。
薫がそんな風に考えていると。
「ところでだな」
小坂が改まった口調になった。
「はい、なんでしょう!?」
薫はベッドの上に正座して背筋を伸ばす。
きっと、昼の話の続きをする気だろう。
――今度は落ち着いて、冷静に。
興奮を抑えようと自分に言い聞かせている薫に、小坂が尋ねた。
『改めて聞くが井ノ瀬、お前本当にいいのか?
俺と一緒にいると、損なことがたくさんあるぞ?』
小坂が迷うような、苦しむような口調で告げた。
今、電話の向こうではどういう顔をしているのだろうか。
薫は目の前で顔を見て会話していないことが、とても惜しい気持ちになる。
もし、小坂が悲しそうな表情をしていたら。
薫はギューッとほっぺたを引っ張ってやりたい。
得か損かなんて、そんな時期はとっくに通り過ぎてしまったのだと。
「先輩は私に、一緒に不良をしてほしいんですか?」
『そんなわけないだろうが、馬鹿野郎』
薫が尋ねると、速攻で否定された。
「だったら健全なお付き合いをするわけで、問題ないじゃないですか」
小坂と一緒にいると、薫の素行を疑われるのは仕方のないことだろう。
けれど夜遊びもしない、酒もたばこも嗜まないなんて、既に不良と呼ぶには疑問である。
喧嘩も極力避けるために、下校時間をずらすという努力までしている。
そんな小坂に残っているのは「キング」のレッテルだけ。
そのレッテルの影響力が、やたらとデカいのだが。
そんな小坂と付き合うには困難が多くても、一緒にいるための努力をしよう。
過去は変えられないのだから、未来志向で考えたい。
「先輩が普通の男子と同じようにしていれば、先生たちだって見る目が変わるはずですよ」
そうなれば薫と一緒に歩いていても、なにも言われなくなるだろう。
これは長期戦略であり、小坂が目指すはちょっと喧嘩が強いだけの一般男子生徒だ。
そして薫たちは、夜の街を闊歩する不良カップルになるのではない。
明るい場所で楽しく過ごす、普通の恋人同士になるというわけである。
「私、好きなことのためなら頑張れるんです!」
『……』
明るく言い切る薫に、電話の向こうが沈黙したかと思えば、小さく笑い声が聞こえてきた。
『俺と一緒にいるのは、「好きなこと」なのか』
「うひゃっ!?」
どうやら勢い余って、また告白してしまったらしい。
どうして自分はこうも色々駄々洩れなのか。
――でも、先輩が笑ってくれたから、まあいいか!
薫は「ふへへ」と変な笑いを漏らす。
『じゃあ、これからよろしくな』
小坂の言葉に、薫はスマホに向かって敬礼してみせる。
「はい! 末永く、よろしくお願いしまっす!」
こうして、三校の「キング」と平凡女子というカップルが誕生した。




