2 空き教室に突撃
今日はお菓子同好会の活動日ではないが、薫は図書館で時間を潰して下校時間をずらし、小坂に会いに行くことにした。
「雅美」という名前について話をしたくなったからだ。
午前中は晴れていた天気も、午後になると次第に雲が多くなり、今では小雨がしとしと降っている。
なのできっと屋内で時間を潰しているはずなので、教えられていた場所を覗く。
――あ、いた!
果たして、とある空き教室に小坂がいた。
そこは生徒数が今よりも多かった時には教室だったが、今では物置と化している場所である。
窓際の席に座った小坂が、机に伏せて寝ている。
そこへ、ドアの隙間から声をかける。
「まさみん先輩発見!」
ガタッと椅子を蹴立てて起きた小坂が、驚いた顔でこちらを見た。
「……井ノ瀬か、あービビった」
そう言って再び座り直したところで、はたと気が付いたように眉をひそめる。
「ていうか、まさみんってなんだ」
小坂だってきっと、そんな呼ばれ方は今までされたことがないだろう。
薫だって、小坂と交流を持たなかったら、こんな呼び名をする勇気はない。
女の子をいきなり殴るような人ではないと知っているからこそ、出来る暴挙である。
「矢口先輩に聞いたんです、小坂先輩のフルネーム」
「……んのやろ、余計なことを言いやがって」
薫がそうバラすと、小坂が渋面になる。
「いいじゃないですか、マサミって名前、ウチのクラスの男子にもいますって」
薫はそう話しながら、小坂の元まで歩み寄る。
「字が悪い、親ももっと考えやがれってんだ」
確かに、せめて字を代えてやればよかったのにと、薫も思わざるを得ない。
「小学生の頃は、この名前でよくからかわれたな。
クラスに同じ名前の女子がいたから、余計に」
小坂は今では立派な体つきをしているが、小学生の頃はあまり体格が大きい方ではなかったそうで。
からかわれやすい男子だったのだそうで。
今の小坂からすると、意外なエピソードだ。
「でも、からかった奴はボッコボコにしてやったけどな。
それでよく親を呼び出された」
前権撤回、全然意外なエピソードではなかった。
「子供の頃の写真とか、ないんですか?」
興味津々と顔に書いてある薫に、小坂がしかめっ面をする。
「あっても見せるか、馬鹿野郎」
つまり、見せたくない写真であると。これはますます見てみたくなる。
――矢口先輩、持ってないかな?
今度会った時に、ぜひ聞いてみよう。
「で、矢口さんとどこで会ったんだ?
三年とは教室が離れてるだろう」
そう尋ねられ、薫は前の席に座って答える。
「昼休みに売店に行った時です。
ヌシ猫と遊んでいたら現れたんですよ」
「ヌシ猫って、あのぶっとい奴か」
小坂までぶっとい発言である。
「あの子はぶっといじゃなくて、貫禄があるんです」
「同じじゃねぇかよ」
薫の抗議も、いまいち小坂に通じていない。
あんなに猫らしい貫禄をしているのに、ぶっといなどと言われるのは可哀想だ。
――あの貫禄がいいのに。
薫が不満気に頬を膨らませると、小坂に指で突かれて空気が抜ける。
「ブブッ」と間抜けな音がした。
「アイツに貫禄があるかはともかくな、矢口さんは無類の猫好きだ。
猫を見かけると追いかける習性があるらしいぞ」
なるほど、だから前回も今回も猫きっかけだったのか。
納得の理由である。
「今度からはヌシ猫を見たら、矢口先輩がいないか探してみることにします」
いきなり背後から声をかけられるのは、やはりドキッとするので、次があるなら先手を打ちたいところだ。
そして薫はせっかく会ったのだからと、小坂相手にお喋りに花を咲かせる。
最近は空手部の練習終わりにお邪魔するため、あまり話す時間がとれていなかったりする。
薫たちの雑談に、矢口を付き合わせるのも可哀想なので。
「聞いてくださいよ! 今日の授業でですね……」
身振り手振りを交えて話す薫に、小坂も「ウザい」なんてことは言わず、たまに「なんだそりゃ」とツッコミを入れながら聞いてくれる。
案外聞き上手なのだ。
喋り続けていると、いつの間にか時間は過ぎていて。
キーンコーンカーンコーン♪
下校を促す鐘が鳴った。
「あ、そろそろ帰らなきゃですね」
薫が席から立ち上がって鞄を持つと。
「井ノ瀬」
「はい?」
呼ばれた薫が返事をして座ったままの小坂を見下ろすと、先程までと違って真面目な顔をしている。
――なんだろう、マズいことでも言ったりしたかなぁ?
薫が自分の言動を振り返っていると。
「お前、俺と話して楽しいか?」
小坂がそんなことを尋ねてきた。
「結構楽しいですけど」
小坂は薫と全く違う環境で育った人なので、会話をしていて共感ポイントが少しズレていたりする。
こうした違いが新鮮なのだ。
薫が即答すると、小坂はなにか言いたそうな顔だったが、それを飲み込むようにする。
「あー……、ならいいんだ」
そして誤魔化すようにそう言った。
――なんだろう、今の?
首を傾げて見つめる薫に、小坂が咳ばらいをする。
「もうすぐ期末テストだろう。前に約束したし、テスト前にどっか行くか?」
「……! はい、行きたいです!」
なんと、あちらの方から誘われた。
小坂とだったら、美晴とは行けない激辛店へ行ける。
お店によっては、女子二人だと入り難い所だってある。
前回行った中華食堂がいい例であろう。
食事だけではなくて、どこかをブラブラして遊ぶのも楽しそうだ。
薫が行かなそうな場所を、小坂なら知っているかもしれない。
――うわぁ、うわぁ! どこに行こうかな!
薫は今からワクワクするものの、一つだけ小坂に釘を刺しておかねばならない。
「変装は眼鏡もですからね!」
「……用意しとく」
こうして、テスト前のお出かけが決まった。




