3 小坂の事情
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時間はその日の昼休みまで遡る。
小坂は雨が降っているため、屋上に出る手前の階段で昼食をとっていた。
この時期の小坂の困りごとは、時間をつぶす場所の確保である。
昼休みは人が来ないことから、晴れたら外だが、雨が降ったらこの階段でウダウダしている。
放課後は屋上が早い時間から施錠されてしまうので、いつも実習棟近くのベンチを居場所にしていた。
けれどそこは、雨が降れば当然濡れる。
ゆえに去年なら適当な空き教室へと避難していたのだが。
ここで、一つ問題が発生する。
――アイツ、捜さねぇか?
そう、週に二度のペースで放課後の遅い時間にやってくる、井ノ瀬薫の存在である。
薫の通るあたりは実習関連の教室しかなく、部活動で使われない教室は施錠されているので、入り込んで時間を潰すのに向いていない。
けれど、「俺はここにいるから」とわざわざ教えるような相手かというと、悩まざるを得ない。
薫は同じ高校に通っている一年女子。
今のところそれだけの関係だ。
加えるなら週に二度、お菓子同好会の活動の帰り際に少し会話をして、その日作った菓子を試食することか。
だがよく考えると、これはいい機会ともとれる。
自分は学校で目をつけられている不良で、薫は一般女子。
一度怖い目にあわせてしまったことだし、これをきっかけにすっぱり合わなくするのが、薫のためだろう。
しかし、どこか小動物じみたあの姿が、ベンチの前でしょんぼりしているのを想像してしまうと、罪悪感が湧いてくるのだ。
例えるなら、一度餌付けしてしまった猫を、親に叱られたからと放り出してしまったような。
「あー、どうすっかなぁ」
こういう理由で昼休み、今日の放課後に時間を潰す場所に悩んでいると。
「おお、いたいた」
下から階段を上がってくる姿がある。
「矢口さん」
そう、一年先輩で空手部の矢口である。今日も弁当持参で、階段に座る小坂の横に腰を下ろす。
「今日はなんすか」
わざわざここまで会いに来られる理由が思い当たらず、小坂は訝し気な顔をする。
すると矢口が弁当を広げながら言ったことは。
「今日雨だろ? 空手部来ねぇ?」
突然現れて突然勧誘とは、忙しない男である。
「……なんで雨だったら、空手部に行くんすか?」
とりあえず真っ当に聞き返してみる小坂に、矢口が答えた。
「暇つぶしだよ。
どうせ雨除けするなら、空手しながらでいいだろが」
「どういう理屈っすか」
意味が繋がらない矢口の言い分に、小坂はお茶を飲みながら眉をひそめると。
「だってお前、どうせ今日もどっかであのちっこいのを待つんだろ?」
「……!」
小坂はお茶を吹き出すかと思った。
「なんっ、ゲホッ」
むせる小坂に、矢口がニヤリと笑う。
「で、雨降ったらデートする場所が無くて、困ってんじゃないか?」
「デートちげぇし、困ってねぇし!」
小坂は反論するものの、マイペースな矢口には響いていない様子で。
「そんで、この俺がひと肌脱いでやろうかとなったわけだ」
「俺の話、聞いてねぇだろ!」
さらには要らぬ世話を焼こうとする始末。
「あー、ウザいなアンタ」
余計なお節介に頭を抱える小坂に、矢口は急に真面目な顔をして声を潜めた。
「っていうかな、影で噂になってるぞ、三校のキングにオンナがいるって」
「……は?」
――噂だと?
これでも校内では薫の迷惑にならないよう、慎重に行動しているのだ。
運悪く猫を追いかけて来た矢口に目撃された以外で、噂に上がったことなんてなかったはず。
小坂が薫と会って話しているのを知っているのは、校内では矢口だけ。
ジロリと睨む小坂に、矢口がひらひらと手を振る。
「ちなみに、情報源は俺じゃないからな」
「ってぇと、残るはあの馬鹿か」
残る心当たりは一人だけ。
「オンナ」だなんだということを言っていたのは、修栄館高校で「皇帝」などという恥ずかしい二つ名を自ら名乗っている、あの男しかいない。
「あんの野郎が」
忌々しいとばかりに舌打ちをする小坂に、矢口が説明する。
「いやぁ、アイツってばお前を襲う計画を、結構あちらこちらでペラペラしゃべってたらしくて。
結果、キングのオンナを餌に呼び出したはいいが、逆襲でボコボコにされたって話が回っててな」
本人は成功譚を広めるつもりで、事前に話をばら撒いたのだろうが、現実には失敗譚が広まり。
それに小坂にとってありがたくない情報まで、くっついて広まってしまったというわけか。
「で、キングのオンナってのが誰だって、今探り入れられているところだから。
あんま軽率なことをしない方がいいぞぉ?
例えば、放課後の教室で二人っきりとか」
「……しねぇし」
矢口の親切めいているが余計な忠告に、小坂は苦々しい顔で呟く。
ちらっと考えなくもなかった、人が寄らない教室にいることを薫にスマホで連絡するという手段が消えた。
何処で誰に張られているか、わかったものじゃない。
というか、これでは雨の季節が過ぎても噂が沈静化していなかったら、いつもの場所で喋るのも危ない。
――あの野郎、一カ月くらい口もきけねぇくらいにボコッとけばよかったか。
鉄拳制裁具合が緩かったかと、小坂が後悔していると。
「そこで、空手部にって話になるわけだ!」
矢口が弁当を頬張りながら、話を戻した。
「お前は何処に行っても見張られているがその点、空手部の練習場なら近づけないだろう。
なにせウロウロしていると、一緒に練習させられるからな!」
矢口は笑顔で話しているが、割と被害者が多発していて問題視されている件だったりする。
空手部はいつでも入部大歓迎の部活なので、下手に周囲を嗅ぎまわると入部希望者だと勘違いされて、練習に強制参加させられることで有名なのだ。
なにせ柔道部や剣道部に比べて、いまいち新入部員が集まっていないらしいので。
「煩わしい探りを撒くのにちょうどいいだろ?
俺も練習相手ができて楽しいし」
「……まあ、言われてみれば、そうかなという気がするような」
矢口の提案に、小坂の心も惹かれつつある。
ここで、薫と会うのをすっぱり止めるという選択肢が出てこないのが、自分でも不思議だ。
「俺があのちっこいのに、ちゃんと居場所は教えといてやるから、な?」
「はぁ……」
変な場所に移動して捜させるより、こっちの方がいいかもしれない。
この時小坂はそう考えてしまったのだった。
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