1 雨の日の出会い
五月の後半に入れば、梅雨の走りがやってくる。
「やだなぁ、雨って」
薫は午後の授業の間の中休みに一人でトイレに行った帰り、空を見上げて呟く。
朝から降っていた雨が止んだものの、空は未だどんよりとしている。
雨除けに雨具を来て自転車を漕ぐのも暑苦しいし、空気がジメジメするし。
とにかく嫌だ。
――それに、さすがに小坂先輩もあそこに座ってないだろうし。
放課後に実習棟近くで時間を潰している小坂だが、雨が降ればさすがに屋根がある場所に移動するだろう。
それを連絡を取ってわざわざ追いかけるのも、薫の立場としてどうだろうか。
小坂と薫の関係は高校の先輩と後輩で、週に二回のお菓子同好会の活動後も、特別待ち合わせているわけではない。
ただ偶然行き会ったのが、ズルズル続いているだけ。
――こういう関係ってなんていうの?
友達、スイーツ仲間、もしくは試食係?
言葉で表そうとすれば悩むところだ。
薫がこんなことをつらつら考えながら、一人トイレから教室に戻る途中。
「お、猫がいる」
窓の外に一匹の猫の姿が見えた。
茶虎模様の猫はこの学校を縄張りにしているようで、一階にある一年生の教室からたまに見かけるのだ。
薫は渡り廊下に出て猫のいる場所まで行ってみると、一所懸命毛繕いをしている。
「お前も、雨が上がったから出て来たのかなぁ?」
薫が毛繕いの邪魔をするまいと、眺めるだけにしていると。
「お、にゃんこ二匹発見」
背後からそんな声をかけられた。
「え?」
薫が後ろを振り向くと、身体が大きな男子が一人立っている。
――でも、二匹?
今ここに一匹いるが、どこかにもう一匹いるのだろうか。
キョロキョロとする薫に、その男子が話しかけて来た。
「お前、小坂のにゃんこだろう」
「……は?」
小坂というのはあの小坂のことだろうが、にゃんことはもしかして自分のことか。
呆気にとられる薫の隣に、その男子もやって来て屈むと猫を眺める。
「コイツはこの学校のヌシみたいな奴でな、ふてぶてしい顔をしてるし」
確かに、この猫は愛らしいというよりふてぶてしい顔つきをしている。
そこもまた猫っぽくていいのだが。
「やー、それにしてもここで会ったおかげで、雨の中待ち伏せする手間が省けた。
このヌシ猫はいい仕事をする」
男子は一人ウンウンと頷いている。
衣替えで上着がないため校章での判断ができないが、相手が先輩っぽいのは間違いない。
その先輩っぽい男子が、薫に尋ねる。
「小坂のにゃんこはあれだろ?
今日はお菓子同好会の日」
誰かに聞かれると誤解を招きそうなあだ名である。
それにしても薫のことを知っている風だが、小坂から聞いたのだろうか。
――そんな世間話とか、する相手いなさそうなのに。
それにしても、相手の呼び方がいただけない。
「『小坂のにゃんこ』って呼び方止めませんか。
私は井ノ瀬です」
にゃんこ呼びを修正しようとする薫に、その男子がニカッと笑う。
「おう、名前までは知らなかった。
井ノ瀬か、俺は三年の矢口だ」
やはり先輩、しかも小坂よりも上の三年生だった。
「小坂とは昔なじみでな、それなりに付き合いがあるんだ。
で、今日の同好会終わり、空手部の練習場を見に来るように」
小坂との関係から、いきなり話がとんだ。
――空手部って何故に?
それに先日、小坂関連でえらい目にあったばかり。
なのに安易にのこのこと付いて行っていいものか。
警戒心が沸き上がる薫に、矢口は「あ、そうか」と呟く。
「呼び出し事件に巻き込まれたばっかだっけか。
そういうんじゃないから安心していいぞ。
ただ、覗きに来たらイイコトがあるんだ」
――イイコト?
「そういうのじゃない」という本人の意見を、どこまで信用していいのだろう。
それに要領を得ない話だが、矢口はそれ以上の詳しいことを言いたがらない。
「ここで喋ったら楽しくないだろ?」
そう語る矢口だが、初対面の先輩にサプライズをされる謂れはない。
「絶対楽しいから、な?」
「はぁ……」
困惑する薫だったが、押しの強い矢口に負けて、結局ちらっと覗きに行くことを約束させられた。
――イイコトってなんだろう?
薫が首を捻りながら教室に戻ると、ちょうど予鈴が鳴った。
「遅かったじゃない、トイレ混んでたの?」
薫が自分の席に戻る途中、美晴が教科書を机に出しながら尋ねて来る。
薫が中休みになってすぐにトイレに行ったので、お喋りする暇がなくて暇だったらしい。
「ううん、猫がいたから」
「ああ、あのぶっといにゃんこね」
薫がそう話すと、美晴も猫の見当が付いたようだ。
けれどぶっといとはなんだ、せめて貫禄があると言ってやって欲しい。
「あの猫ね、この学校のヌシなんだって」
「へー、誰から聞いたの?」
あの猫についての新情報に、美晴からの何気ない質問に、薫は一瞬迷う。
小坂と会っていることを秘密にしたら、必然的に矢口とのことまで言い辛くなるもので。
「通りすがりの先輩から」
薫がそう誤魔化してから、自分の席に向かう。




