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#59 そこに私は居ません

 迷い猫の入江ちゃん。


 ご主人様はどこですか?


 ◆



「で。どういう錯乱状態なのさ」

 

 事務所の中にある自動販売機でコーヒーを買うと、小林が入江に手渡さずにプルを開けて飲み込んだ。


「あ。それ自分の。っそ」

「飲みたいの?」

「別に。いんね」


 事務所出入り口前にある、商談用になっている机の、椅子に座り込み項垂れていた。少しばかり、弱っている。


 何が、原因なのかは。

 分かりきっている。


 ただ、この先、どうしたらいいのかがーー検討もつかないし。

 どうにもならない。


 そのことに、悲観している。

 打ちひしがれている。


(っど、すっべ)


「おい」


(本当に、困った…)


「おい」


(江頭…また会えたし、悪いことばっかじゃねぇんだけどなァ)


 ニンマリー…。


「…誰のこと考えてんのさ」


 小林の声が低くなる。

 しかし、その声は入江には届いていない。

 小林には、その相手がお見通しなのだ。


 彼が、入江が、そんな顔をする相手はーーあの男しかいない。


「また。あの男が邪魔すんのかよ」

 歯を噛み締めた。

 歯痒い。


 居なくなって、嬉しく思えた。

 なのに。


 居なくなってくれてから、どうしょうもなくなった。


 小林は机にコーヒーの缶を置く。


 彼は、そいつのことしか考えなくなったからだ。


「そんなに、あいつが、あの男がいいのかよ」

「っへ??」


 ガタン!


 小林が机に入江を縫いつけていた。


「な、何、だ、ょ」

 呆気にとられてしまう。

 突然なら、さもありなん。


 しかも、入江にとって、まだ自身は「男」なのだから。


 警戒心すらない。


「…しょいんだけど」

 唇を突き出す。

「何? それ」

「っはァ?? んむ゛!?」


 口が触れる。


「っハ!」

 何とか顔を横にして、唇を離した。

「っこ、のッ! 変ッッ態‼」


 掴んでいた両手首を、一つにまとめ、頭上に上げた。


「!? おいッ!」


 ジタバタ‼


 さすがの入江も足を暴れさせた。

「僕のものあげたんだから、僕にもお前のちょうだいよ」

 サー…、入江の顔から血の気が引いた。


 お、俺、男だぞ??


 コイツ、何なの??


「出口ちゃん! そのまま顔を! 避けとけ‼」


「っへ?? お、ぉう‼」

「? え???」


 その声に小林が振り向く--と。


 ガッコン‼


 顔面にファイルの角が、勢いよく当たった。


「っが、っは‼」


 バタンー…。


 小林の身体が入江の上に倒れ、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。

 いや、落ちそうになるのは、彼が寸でで受け止めた。


「…い、五十嵐…チーフ…」

「ったくよぉー~~出口ちゃんよぉー~~」


 ムクリと起き上がる。

「っこのォ‼」


 ッゲシ!


「!?」


 入江は支えられていた小林の背中を蹴飛ばした。


「っは、ハァ…ハァーー…」


 満足したのか額の汗を拭う。

 そして、椅子を戻し、腰を据えた。


「で。何? 五十嵐さん」

 ムッツリと聞き返す。

 腕を、足を組み。


「今、お前さんは女の子なんだからさ」


 腕を、足をーー解かせた。


「おしとやかに」


 持っていた小林を、小林の席に座らせた。

「で。あんたは本物か? ここ自体、本物か怪しいもんだ!」

「…鋭いね」


 匂い。


 そうーー匂い。


「多分。俺が入りこんだ…よく分かんねェ、こことかも本物だろ」


 ないのだ。

 何も、感じない。



「本当に、お前さんはーー鋭いね」


 

 五十嵐が笑う。


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